庭と農村における、日本とヨーロッパの違い

 最初にコメントしたのは、哲学者の鞍田崇さんです。「庭」という観点から、門脇さんのプレゼンテーションで語られた住宅論を問い直しました。

「今日は住まいについてということで、家のあり方や居住空間のあり方が中心でしたが、(庭プロジェクト主宰の)宇野さんは常々『家ではなく庭』と言っていますよね。居住において、産業革命からさまざまなかたちで個別化や集住が進んできた中で、『庭』という観点で何か特筆すべき点はあったのかを聞いてみたいと思いました」(鞍田さん)

「ヨーロッパでは伝統的に都市があまり自然を求ておらず、庭的要素は常に都市の外部に求められてきた印象を持っています。モーパッサンの時代は毎週末ピクニックに行くのが一般的でしたし、いまでもバカンスになると都市を離れる。都市は汚れているから都市を離れて自然に行きたいという、強いオブセッションを持っているわけです。かつてのヨーロッパの都市ではお風呂も住宅の中にないのが一般的でしたし、都市に住むことはいろいろと諦めることだと思っている節があります。対して日本は、都市にあっても、まさに『庭』として内部に自然を取り込んでいる印象があります。たとえば日本の都市住宅である町家は、小さな中庭を持っていますよね。戦後になっても、田舎から引っ越してきた人が庭いじりをしたいということで、庭付き戸建てが標準化していくわけです。

ところが、最近の日本では、それもどうも変わってきているように感じています。農村から都市に出てきた人も、二代目・三代目になると植物のメンテナンスをしなくなるので、ミニ戸建ての庭はコンクリートで埋まっていき、ヒートアイランド化が加速しているのが現状です。逆にヨーロッパでは、最近は都市においても自然と暮らすことを諦めなくなってきて、緑化を進める動きが出てきているので、単純な二項対立は成り立たなくなってきているようです。

とはいえ、空間モデルを考えてみても、日本とヨーロッパのあり方はだいぶ違います。空間境界のあり方でいうと、ヨーロッパは公私の境が壁と一致しています。石造りなので、閉じた空間がデフォルトだからです。ですから庭に関しても、私の奥にある共同体のものというイメージがあります。一方で日本は木造が基本なので、デフォルトで開いている。なので、空気の境界は障子、雨は雨戸、日射しは庇、さらに庭が伸びて池があって、蒸散熱で熱を冷ますといった具合に、境界がめちゃくちゃ多重化していて、公私の境もどこにあるかよくわからない。日本の庭的なものはインビトゥウィーンスペースなんですよね。公私の間にできる、縁側や町屋の店のような曖昧な空間というわけです」(門脇さん)


 続けて創造社会/パターン・ランゲージ研究者の井庭崇さんは、都市を主題にした今回のプレゼンに対し、農村の住まいに目を向けました。

「とても興味深かったです。今回は都市がテーマだったと思うのですが、農村の住まいについても聞いてみたいと思いました。農村では農業をやるにあたってある程度の人数で住んでいたのではないかと思うのですが、一軒家一家族で住んでいたんでしょうか? 農村はどう変化してきたのか、何かご存じのことがあれば教えていただきたいです」(井庭さん)

「ヨーロッパの農村に関してはまったく知らないのですが、そもそも農村は日本とヨーロッパでは性格が違うのではないかと思います。小麦はずっと同じ場所で獲れないので、三年ごとに牧草地にして休ませないといけない。だからヨーロッパの農業は大きな土地が必要で、大規模農業になる。対して日本は、同じ場所で毎年お米が獲れるし、米は栄養価も高いのでちょっとタンパク質を足せば栄養が足りてしまう。アジアの人口密度が高いのは稲作ができるおかげです。

日本の農村の住まいでいうと、民家の屋根は竪穴住居式由来で、対して町屋は高床式住居から来ている。民家はもともと屋根しかなくて、その下に人間の空間が足される。屋根の上は空き家になるので、ここに冬にやってきて手伝う人などの非家族が間借りする。物語では、屋根裏は妖怪やもののけが住んだりもしますね。農家の屋根は、そうして正式なメンバーシップ以外の居住空間として使われるのが面白いと思います。しかも屋根の葺き替えは、村落共同体の結でまかなわれていく。街場だと大工や畳屋に個別に頼むのですが、民家は自立建設で、メンテナンスは自力でやっていくものでした」(門脇さん)

なぜ日本人は「選択の自由」を求めないのか?

 文化人類学者の小川さやかさんは、ちょうど研究会の当日、立命館大学のキャンパス整備委員長として工務店による改装案のプレゼンを聞いてきたところだったといいます。その経験も踏まえ、二つの問いを投げかけました。

「すごく面白かったのが、コミュニティや街、都市といったものの概念がヨーロッパと日本では全然違うのだろうなということですね。ソーシャルハウジングのようなものが日本だと家賃補助になってしまっていて、ミドルクラスが入れるようなものができない理由は何なのか、もうちょっと聞きたいなと思いました。

あとは、パッケージ化されて選択の自由がないということを問題としておっしゃっていましたが、今日は大学の改築についてパッケージ化されたもののプレゼンを二時間聞いていたんですよね(笑)。選択の自由がないことに私たちはもはや慣れてしまっていて、そのこと自体が問題化されないのはなぜなのだろうかというのも気になりました」(小川さん)


「ヨーロッパ人は、住まいを市場に任せるべきではないという意識がかなり強い印象があります。そしてアメリカは、市場こそがうまくいくという立場。対して、日本はそこを決め切れずどっちつかずになっているのだと思います。しかも日本はそもそも住まいの個人所有権がすごく強いんですよね。ヨーロッパでは都市の住まいや建物はある程度コミュニティの財産だという意識があるのに対して、日本では完全に個人の私有財産だと捉えている。制度的には住宅セーフティネット法というものがあって、民間の住宅を使って家賃補助をすることでみなし公営にすることはできるようになってはいるんです。ただ多くの自治体はそれをやると財政的に走らせられなくなるので、踏み切れていない。民間住宅を活用すると、公営住宅は数に限りがあるので抽選です、というやり方ができなくなっちゃうんですね。

選択の自由が問題化されないことについては、スローフードのようなことはだいぶ前から起こっているので、たとえばスロー住宅やスロー建築のようなトレンドが起こる風土があるとは思います。ただそれにはある種のコミュニケーション力が必要です。いまの大学生は個人商店よりもチェーン店を好みますが、それは自己決定権が阻害されているというよりも、コミュニケーションコストの最小化とも言える。選択の自由というのは、意識の高い人が言ってるだけという面もある程度あるとは思います」(門脇さん)

 続いて「ムジナの庭」代表の鞍田愛希子さんは、断熱気密とユニット化の二点について問いかけました。

「お聞きしたいことは二点あって。一つは環境負荷と気温上昇に対する対策です。ヨーロッパや北欧の一部では、暖かい家は人権であるという考え方のもと、室温が法令で規定されているとも聞きますが、日本は断熱性能が低い住宅が多く、熱中症やヒートショックによる事故も増えています。

もう一つは、大工の成り手不足や物価高騰が続くなかで、たとえばデンマークのモジュラー式木造建築が導入されたり、日本でも3Dプリンター住宅や、無印良品の車で持ち運べる『インフラゼロハウス』など、ユニット形式の住宅のような事例についても耳にすることがあります。そうした大工さんの手をあまりかけなくて済むようなアプローチで、注目しているものがあれば聞いてみたいなと思います」(鞍田愛希子さん)

「ヨーロッパ型の考えだと、断熱に加えて、空気が漏れないようにする気密が必要になるのですが、日本の住宅は伝統的にそれが難しい。伝統的な引き戸では空気が密閉できないし、気密を取ろうとすると、内外の気圧差で水が変なところから入ってきたりする。日本は多雨地域で夏が暑いので、気密性を求めない考え方が長くありました。そういうわけで、日本では最近まで高気密・高断熱に対する懐疑派が多かったのですが、いまは常識になりつつあります。とはいえ、それもすべてコストアップ要因になってしまうという難しさはありますね。

ユニット化やプレファブ化については、日本には優秀な大工さんがたくさんいたので、工場でつくるよりも現場のほうが安くなり、これまで価格上の優位性がとれなかったという点が大きいと思います。ただヨーロッパは10年くらい前から都市部の値段が上がりすぎて再注目されていて、日本もそうならざるを得ない状況です。田中さんのゼミ出身の秋吉浩気さんがデジタル・ファブリケーションによるプレファブ建築のスタートアップを始めていますが、それが低価格化にどこまでつながるかはまだ未知数です。建設費を下げるにはものすごい技術変革がないと難しいでしょうね」(門脇さん)

「郊外の膨大な住宅ストック」と「都心の家賃高騰」のミスマッチ

 デジタルファブリケーション研究者の田中浩也さんは、自身が2年前に鎌倉で購入した積水ハウスの中古住宅の体験を踏まえ、門脇さんのリユース構想と住まいの話の接続点を尋ねました。

「家を買ったことで、30年前のカタログを読んだり、30年前の社会事情を考えたりしました。中の鉄骨の位置とか、10年前に外壁が交換されているとか、そういう時間を隔てたコミュニケーションをむしろ楽しんだところがあって。建築って、いまの人付き合いじゃなくて、ものを介して別の時間とつながる楽しみのほうがぼくのなかでは大きいんですよね。門脇さんは以前の庭プロジェクトで、ストックとしての時間経過の話をされていたと思うのですが(イーロン・マスクと里山資本主義とのあいだでーーこれからの「シェア」を考える)、今日の住まいの話とはどうつながっているのかが気になりました」(田中さん)

「リユースの話はまだまだ興味はあるのですが、かなり一回性の強いものになりがちなんですよね。住宅の問題は、マスにどうやってアクセスするかが一番最後の牙城なんですよ。いま考えているのは、性能を部分ごとに分断して、雨から守るとか断熱といったガワはユニット的につくって、内部はアタッチメント的にリユース部品や市場流通部品を組み合わせ、居住者が自己決定しながらつくれる仕組みです。もう一つは、地方都市には建築産業としても可能性がありそうだなと思っていて、いま福島の不動産屋さんと組んで、家の構造材も使いながら街のリソースを使って建築するモデルをつくろうとしています。

どちらも一式請負ではない点がポイントです。一式請負の工務店だとパッケージ化によって値段が高くなってしまいますが、これは前編のプレゼンテーションでもお話ししたように、住宅ローンの制度と深く関わっています。金融の仕組みと建築を産業的に分解し、適所適材で部位ごとに適切に連動させることができれば、リユースも使いやすくなるはずです」(門脇さん)

 最後に「庭プロジェクト」主宰の宇野常寛さんは、郊外の問題から単身世帯、そして住宅ローンの歴史的構造まで問いかけました。

「西ヨーロッパや日本に冷戦下に形成された分厚い中間層の実態は、男性の民族的、性的マジョリティの労働者階級の『持ち家』取得による資産形成だったということは、いまほぼ明らかになっています。これを実現したのはフォーディズム的な家族賃金モデルとそれに対応した福祉国家的政策で、これは21世紀の今日に再現は難しい。まず専業主婦というか、女性に対する就労差別を前提としたこのモデルは倫理的にアウトだし、そもそも当時ほど労働集約が必要な産業はものすごく減っているので、経済効率の観点からもこのモデルは持続できない。そのうえで『そもそも』のことを考えたいのですが、4LDKや5LDKといった間取りが必要なのは、子育てをしている15年ぐらいだと思います。その結果何が起きているかと言うと、西ヨーロッパや日本を中心に年老いた夫婦二人や、もしくは死別や離別をして一人で郊外の持ち家にに住んでいるベビーブーマーの70代が大量にいて、集落そのものが疑似ゴーストタウン化していく。この膨大な住宅ストックと都心の家賃高騰のミスマッチは、少しリユースするだけでは量的に解消しないと思うのですが、どう考えていますか?

そして未来にはよりこの問題は深刻になることが考えられます。日本は既に単身世帯が一番多く、人生100年時代を前提とすると、ほとんどの人が半世紀以上、人生の大半をは一人か二人で暮らすことになります。子どもがいる時代だけ広い家に住んで、他は一人か二人が快適に暮らすための職住近接型の家に住むというのが、21世紀の住宅ニーズなのだと思いますし、それを経済システムにどう合致させるかが大事なのではないでしょうか。

たとえば住宅ローンの問題を僕はよく考えます。現代に支配的なタイプの住宅ローン、つまり労働者が安定した勤務先の身分保証を担保に、自分が住む家を30年前後のローンで買うタイプのものは、1920年代〜30年代、アメリカのフォーディズムの時代に、導入されたものです。象徴的に言えば工場のラインを維持するために熟練労働者に、辞めるに辞められない状況をつくるために持ち家を取得させるための制度を整える必要があり、住宅ローンはそのための重要なピースだったわけです。

それが戦後にマーシャルプランやGHQの占領政策を通じて各国に定着していったという過程があったわけです。何が言いたいかと言うと、これは住宅が労働やジェンダー状況を決定していたとも言えるし、逆に住宅ローンという金融商品があるワークスタイルやライフスタイル、家族形態を可能にしていて、いまだにそれに縛られている人たちがたくさんいるとも言える。なので、この問題を扱うなら、少なくとも働き方とか雇用制度から攻めていかないといけないし、金融制度や商品からの介入も視野に入れないといけないと思いました」(宇野さん)

「郊外の問題は、正直、どうしたらいいのか全然わからないです(笑)。たぶん無理だと思っていて、坪単価で土地の値段が80万円を切るようなところは、“使い捨てのニュータウン””にならざるを得ないと思います。唯一のゲームチェンジャーは在宅勤務ですね。いま外資系の人たちはほぼ在宅で、たとえば湘南エリアの大きな家に住み出している。都心より快適だから、都心系の娯楽を求めなければミッドクラスでもやっていけるかもしれない。住宅設備費を安くして快適に暮らすには、在宅しかないと思います。

一人暮らしの話で言うと、いま一番快適なのはマンションですが、介護のことを考えると戸建てのほうが、余剰スペースがある点やバリアフリーの観点では有利で、介助者のための空間を用意できる可能性がある。金融的には、住宅資産を老後のたくわえに戻せるリバースモーゲージという仕組みがあって、中古流通がうまくいけば継承の仕組みができるかもしれないのですが、日本では減価償却と災害リスクの問題がまだまだ大きいと思います」(門脇さん)

この記事は石堂実花・小池真幸が構成・編集をつとめ、2026年5月18日に公開しました。