「庭プロジェクト」とは、これからのまちづくりについて、建築から人類学までさまざまな分野のプロフェッショナルが、官民産学を問わず集まって知恵を出し合う研究会です。
2026年8月初旬の2日間、京都駅の東側に広がる崇仁(すうじん)地域を訪れ、フィールドワークを行いました。カギとなるのは、2023年10月に同地域に移転してきた京都市立芸術大学の小山田徹学長が提唱する、京都駅から鴨川までを緑でつなぐ「緑の回廊・百年の森」構想です。前編では、京都駅前のまちづくりの現況、小山田学長による構想の背景のインプットから、芸大キャンパスや柳原銀行記念資料館、東九条などの視察、そして地域住民との対話まで行いました。後編では、引き続き地域の視察を経て、京都市長との懇談、そして京都市の職員も交えて行われたラップアップまで、視察2日目の内容をお届けします。
「庭プロジェクト」の連載記事は、こちらにまとまっています。よかったら、読んでみてください。
端的に言うとね。
ローカルラジオから庭園まで。崇仁の朝を歩く
視察2日目の朝は、崇仁地区の喫茶店「喫茶アミー」から始まりました。京都市立芸術大学の学生の活動支援や、地域のイベントの場にもなっている店です。ここで見学したのは、ポッドキャスト番組「ハイパーローカルラヂオ」の公開収録でした。京都駅の東エリアに住む人や訪れる人の何気ない声を拾って紹介する番組で、児童館やデイサービスなど地域の4つの施設で月ごとにテーマを決めてアンケートを取り、その回答をもとに20分ほどのおしゃべりを不定期に配信しています。
この日のセッション名は「ざつだんの時間」でした。事前に集めたアンケートのテーマは「あなたにとって自然とは」。庭プロジェクトのメンバーと小山田さん、勉強会メンバーに加えて、地域の児童館の子どもたちも数名参加し、寄せられた回答の中から気になるものを選んでは、その回答を書いた人が会場にいればその人に、いなければ施設の職員に話を聞く、という形で雑談が進みました。「自然」と聞いて何を思い浮かべるかは、子どもと大人、住民と来訪者で当然少しずつ違います。その違いを拾い上げていくことを、この番組では大切にしているといいます。


収録の後は、子どもたちと一緒に地域を散歩しました。途中の公園では、大人も子どもも入り混じって、昆虫採集に興じるひとコマも。散歩で見たものや聞いたものを付箋に書いて白地図に残す「ちずづくり」の時間を経て、一行は渉成園に向かいました。



続いて訪れた渉成園は、東本願寺の飛地境内地にある庭園です。案内してくれたのは、この庭の管理を担う植彌加藤造園の庭師・鷲田悟志さんでした。鷲田さんによれば、この土地はかつて六条村と呼ばれ、鴨川の氾濫原で芋や藍が栽培されていた場所で、東本願寺への寄進に伴って村の人々は東へ移り、その後さらに移転して、いまの崇仁地区へとつながっていったといいます。庭の池の向こう岸は、豊臣秀吉が築いた御土居の線にあたり、洛中と洛外の境界でもあったそうです。
この庭の特徴は、草を生やしたまま育てていることです。苔を敷きつめて草一本生えていないのが京都の庭の常識とされる中で、鷲田さんたちは2022年ごろから、草を刈るのは年に一度だけと決め、刈るときも虫を一角に追い込むようにして、生物多様性の高いエリアを庭の中に作っているといいます。8年間農薬を使っていないため水中の生物も多く、日本蜜蜂の巣もそのまま見守っているといいます。浄土真宗の「一切衆生」の教えに照らせば木も草も虫も衆生であり、平地に建つ真宗の寺の庭は草の世界であっていいはずだ、と「真宗式庭園」という言い方を提案しているとのことでした。





昼食は、崇仁南部にある食堂「さたけ」で、地域のソウルフードだというホルモンの天ぷらをいただきました。

「森」はいかにして実現可能か?京都市長との対話
午後は京都市役所に移動し、京都市長・松井孝治さんと懇談しました。

視察をコーディネートした京都市職員で、勉強会に個人的に参加していた葉山和則さんが今回の視察の趣旨を、小山田さんが2日間の行程を紹介したあと、庭プロジェクトのボードメンバーが視察を通じて感じたことを伝えました。

「僕は20年ほど前に7年間京都に暮らしていましたが、やはり当時の崇仁には『近寄りがたい』イメージがあったように思います。普通に考えたら、京都駅に隣接したエリアにはたとえば大きな外資系のホテルや商業ビルが並ぶというシナリオがあり得るのだと思います。ただ、そうすることで『昔は近寄りづらいエリアだったけれど、最近はきれいになりました』という物語をつくればいいのかというと、やっぱりそれは疑問に思います。むしろ、そういったありふれた物語を拒否するところから、京都らしいまちづくりははじまるのではないかと思っています。それは当然、倫理的な問題でもあると思います。差別の歴史を『なかったこと』にするような開発はやはり間違っている。それを乗り越えてきた、今も乗り越えようとしている活動の象徴となるような開発じゃないといけないのではないでしょうか。
小山田さんの考える『森』というコンセプトは、こうした歴史をしっかり記憶し、継承しながら、人々に開かれた場所に当該エリアを変えていける点が優れていると思います。多くの人達が近寄りがたさを感じていた土地が、だからこそ差別の克服の象徴として市民にも観光客にも開かれた森になる、という物語には強い説得力と魅力を感じます。そしてその森が京都のアイデンティティの中核である鴨川と京都駅とを徒歩でつなげることになるのも魅力です」(宇野)

「僕は神奈川の辻堂の出身なのですが、辻堂は北側が街区割りレベルで全部変わったんです。これには巨大な喪失感があって、自分の小さい頃の思い出がすべてなくなってしまったような気持ちがあります。友だちと遊んだ公園が、祖母に写真を撮ってもらった桜の木が、ぜんぶ夢だったかのように思えてしまう。今日の子どもたちが遊んでいたあの公園が、面影もなくなってしまうというのは、相当しんどい話だと思います。ですから、街の記憶をとどめつつ、そこにどうやって森や動線やスーパーを組み込めるかがとても大事で、一から全部やり直そうという話ではないのだと思います。
一方で、森という言葉には、人間を超えた存在であることが込められています。その精神的支柱は死守したほうがいいと思いました。それがあるがゆえに、いろいろな開発が来ても人が立ち入れない場所が残り、この計画は意義があるものになる。かなりの人たちが森というものに引き付けられているのは、間違いなく、森の人知を超えた性質によるものです。ですから、人知を超えた森という性質は、庭のような人が関わるものが侵食してはいけないものとして、骨格として残したほうがいい。技術的にどれだけの規模のものが実現できるのかは、ナラティブも都市の利便性も市民への説明も含めて、ちゃんと議論すべきです。それでも、人知を超えたものをインストールするということは、残したほうがいいと思うんです」(門脇さん)

「京都市全体を見ても、京都駅のあの場所に森があるというのは、とても面白い発想だと思います。京都は四方を山に囲まれていますから、端のほうで森を作る実験はいくらでもできる。あえて、絶対にあの場所にはないだろうという場所に森が作られるというのが面白い。
それから、森を作るという試みを、どんな人たちが担っていくのかも気になります。研究者だけではなく、街にいる人も、地元の工芸家も、運動をやってきた人たちも全部含めて森を作っていくということができたら、それも一つのモデルケースとして面白いのではないかと思いました」(小川さん)

「僕も十数年前まで京都にいたのですが、今回久しぶりに訪れてみて、まず芸大が入ったことで大きく変わったのを感じましたし、街が動き始めているのだと思いました。ですから、単に森を作るということではなくて、芸術大学が入ったことで動き出した新しい文脈づくりの中で、教育的な場所としても森がどう機能するのかが、大事なポイントだと思ったんです。
昨日の最後にTHEATRE E9 KYOTOで行った対話でも、古くからの崇仁の住民の方々が『子どもや孫のために』とおっしゃっていました。次の世代にどうつながっていくのかを描き切れない不安を持っていらっしゃる方々に対して、崇仁が確実に次の世代にとって夢や希望のある場所として受け継がれていく。芸大という新しい文脈と、それによって生まれた崇仁の新しい文脈が、未来につながる時間軸の中にちゃんと位置づけられることが大事なのかなと思いました」(鞍田崇さん)

「私は1994年から2000年まで、京大のある百万遍に住んでいました。百万遍からスーツケースを持って京都駅まで行くのは難しくて、市バスにはスーツケースを持ち込みにくい。ですから京阪で七条まで行って、そこからJRの京都駅まで歩くんです。その京阪七条から京都駅までの道が、歩いていて楽しくて涼しい道になっていることが、けっこう大事なのではないかと思っています。逆もそうですよね。そこが森で、ものすごく快適で、途中で休むこともできて、市民活動も見られる。そうなっていったら素晴らしいと思いました。
今回の視察でも、外国人の観光客の方があのあたりをスーツケースを引きずりながら歩いているのを目にしました。あそこが自然の中で、ああ、京都にやってきたなという感覚を持ちながら、東山も見える道の中で、新しいウォーカブルな体験ができるというのは価値があるのではないかと、実際に生活していた身として思いました」(田中さん)

「僕は神奈川で生まれ育って、東京と神奈川からどんどん自然がなくなり、街路樹や狭いところに小さく囲われた緑しかなくなっていくのを見てきました。ですから、いまここから育てていくということが必要だと思っていますし、それを造園の方にお任せするのではなく、自分で関わることが重要だとも思います。僕は子どもたちと家庭菜園や畑をやり、学生たちにもおすすめしているのですが、自分で関わると自然は、見ているだけの場合とはすごく違うものになります。
ですから、ああいう森をつくるときも、果樹をどんどん植えて、みんなで育ててみんなで食べる。昔の里山ではみんなで育てて薪やきのこを採っていたと思いますが、そういうものが新しい形で街の森に生まれるといいですよね。芸大があってアートをつくるということと、市民が森をつくるということが、あの地区で一緒にできるといいなと思いました」(井庭さん)

「芸大のみなさんが、キャンパス内外で崇仁の方たちと交流を重ねている。そのうえで昨日の話の中で核になると思ったのは、崇仁の改良住宅の中に教員や学生が住むことが、なぜできないのだろうか、ということでした。若い方が市から流出して人口も減っている中、教員や学生の数は多く、住みたいとおっしゃっている方がいるにもかかわらず、マッチングが進まず市外で暮らしている。すごくポテンシャルがあるのではないかと思いました。
それから、都市はどんどんルールが増えて、何かあるとすぐに禁止する。それでいいのだろうかという問題意識は、庭プロジェクトのメンバーは全員持っているのかなと思います。例えば、ペットの散歩でも、果樹の収穫でも、ルールで縛るだけではお互いが監視し合う構造にしかならず、ますます息苦しい社会になり、考える力も失われてしまう。そうではなく、それぞれの倫理観やお互いの常識を理解し合ったり、ほどよいバランス感覚を、あいまいな森の中で育んでいく。ルールを思い切ってゆるめる場所を、この区画だけでも作れないか。それらを京都から発信するとどんなことが起きるのだろうという期待感があります」(鞍田愛希子さん)
こうした意見を受けて、松井市長は構想や土地利用等について、京都市としての方針を示すものではないとしたうえで、京都の都市構造の話から応じました。
「京都駅は、歴史的に言えば街の真ん中ではないんですよ。150年前、街のはずれだったから駅ができた。そこに芸大を移転させたのは、前市長の施策の中でも最大のホームランだと思っています。就任以来ずっと言っていることですが、ジェントリフィケーションを起こさせない。
僕は京都駅前をもう少し違うものにして、本当は東に、鴨川に人が流れてほしい。観光客と住民の生活をどう両立させるかを考えたとき、京都駅から東側への人の流れをどうつくっていくかも、一つの論点だと思っています。鴨川はそぞろ歩きができる、世界でもあまりない稀有な川ですから、駅から森を通って鴨川へという動線でつなぐ発想はとても面白い。しかもそれが、役所が絵を描くのではなく、小山田さんのような方が人々を巻き込んで出てきたものを、市役所がどこまで取り入れられるのか。そこにはストーリーが必要で、さらにそれに加えて機能が必要です。
改良住宅跡地については、今あるものをどう生かしていくのかという視点も重要だと思っています。研究者やアーティストが一定期間滞在して、もともと住んでおられた方々と混ざってもらう。フランス政府やドイツ政府が自国のアーティストを京都に住まわせてクリエイティビティを刺激しようとしているのに、なぜ京都の街がそれをしないのか。僕はいろいろなものがあっていいと思っていて、そういういろいろなものが出てくる中で、緑という要素をうまく入れ込めればいい。こういう鬱蒼とした森を市有地だけで作るのは難しいのですが、実現可能なものにこういう要素をどこまで取り入れられるかは、やり方次第ではあり得るのではないでしょうか」(松井市長)

その後も懇談では、人が立ち入れない森の意味、京都の「上」と「下」の文化などをめぐって、時間を延長して議論が続きました。懇談が終わると、京都市立芸術大学の人材育成プログラム「TOPOS:まなびあう庭としての芸術大学」を通じて実施されたリサーチ内容のレクチャーを受けました。
「歴史を覆い隠すための森」にしないために
最後に、2日間の視察の締めくくりとなるラップアップが、京都市役所の会議室で行われました。庭プロジェクトのメンバーに加え、「100年の森」の勉強会メンバー、そして京都市の職員も同席。まずは小山田さんが、2日間の総括を行いました。
「この2日間、体も疲れましたが、脳みそも疲れました。でも、すごく刺激的でした。こういう課題について、現場を歩きながら多様な意見を交換する機会を持つことは、なかなか難しいんですよね。いろいろな背景を持った方々が集まって未来について語り、地域の方々や子どもたちにも参加してもらえたこと自体が、少し状況が変わったかなと思うくらいの出来事でした。
今日で結論を出す気はまったくありません。やっと発端に着いたという感覚です。森の話にしても崇仁の計画にしても、一息に立てるなんてあり得ない。ただ、いろいろな知見や立場の人々が集まって話ができる土台のようなものは作りたい。そういうものがないと、話がどこかから降ってきたような説明になってしまう。みんなでたたき台を作りながら話せる土台を持ち込むことが大きな目標で、この2日間でその一端ができたという感覚があります。
もちろん実際に計画を立て始めたら、本当に議論百出となるでしょう。でもこういうことを繰り返しながら少しずつ大きな方向性を共有しながら、ディテールを作っていくしかない。京都が世界に対して主張できて、未来の人々にしっかりと残せるものをどのように作るかが問われていると思うので、みなさんで意見を出し合いながら、継続しながら練っていきたいと思っています」(小山田さん)

ボードメンバーの中で最初にコメントしたのは、庭プロジェクト主宰で、評論家/PLANETS編集長の宇野常寛です。
「芸大の移転が決まった時点から、小山田さんをはじめとしたいろいろな人が100年を見据えて取り組まれてきたことを強く感じました。その上で研究会の意見ではなく僕個人の意見として述べたいのは、やはり、このエリアの開発は解放運動の歴史を一番大事にするべきではないかということです。かつては近寄りがたいと感じていたエリアが、これからは市民にも観光客にも愛される森になる。この反転は差別を乗り越えたことや、これからも許さないことの象徴として位置づけられているべきです。歴史を覆い隠すための森では、僕はダメだと思っています。
もう一つ、これはここに限らずいろいろな地域を視察していていつも思うことなのですが、たとえば今朝に視察させていただいた、地元のコミュニティの拠点となっているお店がありましたよね? とても温かくて、居心地の良い素敵なお店だと思います。しかし、それは僕が東京から招かれて視察に来た『先生』として扱われているからで、20年前の名も無き学生だったら、あの圧倒的な『内輪』のムードがバリアになって絶対に近寄れなかったと思います。つまり、ローカルなコミュニティに閉じすぎている。もちろん、そういったものの存在を否定するつもりはまったくありません。しかし、今日の地方創生やまちづくりの実践の場の多くでは、東京の起業家やアーティストや、アカデミズムから『降りてきた』強い人々が、ビジネスや作品の対象として地域の人々と関係を結んで活動しています。それは素晴らしいことだと思うのですが、しばしばそれが手段ではなく目的となり、特に批判力のあるビジネスや作品を生むこともなく、『地元のおじいちゃんやおばあちゃんと交流している』こと自体が価値とされてしまう。いや、そこに価値はあるのでしょうが、本当にそれだけでいいのか、僕には疑問です。単に『階級を超えて交流している』という証があるだけなら、それってFacebookの『いいね』と何が違うのか。やっぱり僕は、その土地の暮らしが変わることとか、歴史に対する見方が変わるとか、よりよい継承の回路が整備されるとか、そういった具体的なものが弱いとダメだと思います。
そして、そういった『外部から来た意識の高いプレイヤー』と『ジモトの顔役たち』の結託は、かつての僕のような名も無き一学生からは、自分のようなよそ者にはますます入り込めないような場所を作り上げてしまう。この視点は忘れるべきではないと思います。つまりこの『森』はこうした閉鎖性を乗り越えるものである必要があると思います。どのようなコミュニティにもかならず中心と周辺がいます。中心にいる人たちは、東京の人や大学の人と仲良くやって、土地の未来を主役として切り開く物語を生きることができる。しかし端役の位置に置かれた人たちもいる。彼ら彼女らが、美大のアーティストたちが、土地の記憶を残すためのアート活動をがんばっているのに対して、『作品よりもスーパーマーケットが欲しい』という声を、軽視すべきではありません。僕は今回紹介されたアートプロジェクトの数々は素晴らしいものも多かったと考えていますし、その延長にこのエリアを『森』にするというプランも大変魅力的だと思います。しかしいま、作品よりもスーパーが欲しい、と言っている普通の、コミュニティにの中心には必ずしもいない人たちにも、作品が置かれてよかった、森ができてやっぱり良かったと思ってもらうことが、勝利条件だと思います。そうじゃないと、この森の構想はアントワネットのケーキになる。パンが欲しいという人たちのことを、僕は大事にできるプロジェクトであってほしいと思いました」(宇野)
この「崇仁の物語」という指摘を受けて応じたのは、文化人類学者の小川さやかさんです。
「崇仁の物語は消されるべきではないと私も思いますし、その歴史の延長線上が上手に昇華された形になっていけばいいと思います。一方で、芸大の歴史の物語もあっていいのではないかとも思いました。芸大は極めて謙虚に『私たちは新参者としてここに入れてもらうのだ』というスタンスで、それは人類学者としてすごく共感するのですが、芸大には芸大の試行錯誤の物語があって、移転を繰り返してきた物語がある。その物語も、この森を作っていくときの一つの柱になっていいのではないか。再開発の果てに新しくやってきた芸大が、謎の共生を遂げて新たな物語を作り出していくという観点が、接続されてもいいと思うんです。もっと言えば芸大だけでなく、ここから集まってくる庭師や芸術家といった人たちも、物語を織り上げていく一つのパーツになっていくべきだと思いました。
それから、オーバーツーリズムを解消するために東へ人を流すという、機能的な森の説明も当然大事だと思います。これからの地球温暖化の時代にいかに木陰を作り、人を誘導して都市を機能的に整備するかというのも非常に大事な問題ですし、それも一つの物語です。機能的な森を作る説明と、歴史を昇華させる物語と、そこでの活動を跡付ける物語。それらをアカウンタビリティのいろいろなバージョンとして保持しておく戦略のほうが合理的で、一つの物語にまとめ上げる必要はないと思います」(小川さん)
「森か、スーパーか」ではなく。
続いて慶應義塾大学環境情報学部教授の田中浩也さんは、宇野が繰り返し口にした『スーパーが欲しい』という声を、生活者の側から捉え直しました。
「『スーパーが欲しい』という声は、本当に大事だと思うんです。生活とはそういうことですから。そして昨日から思っていたのは、日傘がないと歩けない、ということです。単純に、日傘がなくても歩けるようにしてほしい(笑)。シンプルなところからもう一回考え直せばいいと思うんです。スーパーがないと暮らせない、日傘がないと歩けない。自転車でスーパーに買い物に行くシーンを考えると、自転車では日傘をさせない。そう考えると、日傘がなくても涼しかったらいいなと思う。
そうなると、まず思い浮かぶのは街路樹です。ただ、これからの気候変動で暴風雨や大雨が激しくなると、従来の街路樹は倒れるので適切ではなくなっていきます。剪定にもコストがかかるし、台風で倒木すれば交通渋滞になる。なんとなく植えている街路樹では、これからはダメな時代になります。ですから、ちゃんとそこを土にして、一本の単独の木ではなく、生態系を含んだ群として樹木を作る。雨水を貯め、CO2を固定し、酸素を作り、生物もやってくる。そうすると、『生態系サービス』と呼ばれるものが全体として守られることになります。中途半端に木陰だけ作って街路樹を植えても、むしろ大変になります。
私もこの地域に、学生の頃はホルモンを買いに来ていた人間で、先輩に『30人分買ってこい!』と言われていました(笑)。とにかく安かったので、ここに行くしかなかった記憶が、昨日から何度もフラッシュバックしています。ストーリーもわかりますが、まずは普通にこの地に住むとはどういうことか、生き延びるとはどういうことかをシンプルに考え直す。スーパーがあって、日陰があって、自転車で買い物ができて、涼しくて、雨水が湛水せずに良好な生活環境になる。それでいいのではないかと思います」(田中さん)
建築家の門脇耕三さんは、自身の出身地の経験を引きながら、街の記憶と森の関係について語りました。
「僕は神奈川の辻堂の出身なのですが、辻堂は北側が街区レベルで全部変わったんです。これには巨大な喪失感があって、自分の小さい頃の思い出がすべてなくなってしまった気持ちになりました。友だちと遊んだ公園が、夢だったかのような話になる。今日の子どもたちが遊んでいたあの公園が、面影もなくなってしまうというのは、相当しんどい話だと思います。ですから、街の記憶をとどめつつ、そこにどうやって森や動線やスーパーを組み込めるかがとても大事で、一から全部やり直そうという話ではないのだと思います。
一方で、森という言葉には、人間を超えた存在であることが込められています。その精神的支柱は死守したほうがいいと思いました。それがあるがゆえに、いろいろな開発が来ても人が立ち入れない場所が残り、この計画は意義があるものになる。かなりの人たちが森というものに引き付けられているのは、間違いなく、森の人知を超えた性質によるものです。ですから、人知を超えた森という性質は、庭のような人が関わるものが侵食してはいけないものとして、骨格として残したほうがいい。技術的にどれだけの規模のものが実現できるのかは、ナラティブも都市の利便性も市民への説明も含めて、ちゃんと議論すべきです。それでも、人知を超えたものをインストールするということは、残したほうがいいと思うんです」(門脇さん)

一方で、慶應義塾大学総合政策学部教授の井庭崇さんは、この2日間を振り返って、率直な思いを語りました。
「今日の市長を始めとするみなさんとの会議は、半分良かったという気持ちと、半分ちょっとがっかりした、というのが正直なところです。がっかりというのは、誰かに対してとか市に対してというのではなく、まちづくりということの難しさに対して、ですね。僕は建築の専門ではないので、まちづくりに関わるときにはコンセプトをつくるところまでであとはお任せするしかない。具体的な設計や実装は、専門家やそこに入る会社に任せるしかなくなるんです。そこがいつも歯がゆいところです。
今回は、条件がかなりよいと思っていたんです。地域が持っていた歴史、いまの地域の状況、芸大がいること、小山田さんがこうやって動いていること、市長のこと。いろいろな条件がかなりいいので、これはけっこういけるのではないかと思った。でもやはり、森は難しいのかなという話もあり、そうか、難しいのか……と。
ジョン・デューイが100年前に『教育者は他のどんな職業よりも遠い将来を見定めることに関わっている』と言っているのですが、まちづくりは、それよりももっと先も見ないといけないと僕は思っています。藤沢市に有識者として入ったときは、子どもや孫の代に『あのとき、なんでこうしちゃったんだろうね』と思われる開発だけにはしないようにしようと話していました。でも実際にいろいろなことが進んでいくと、コンセプトがそうだったとしても、また普通の街になってしまうことが起きる。この京都で、最後に残されたとも言えるこの地域で、『あの時代に、ああいう構想もあったのに、なんでこうなっちゃったんだろうね』とならないようにするには何ができるのだろうかと、悶々としました。
『今』を100年、200年先などからどうしたら見ることができるのか。800年の過去はあるけれど、未来が感じられない街にならないように。未来から見たときに『今』どうしたらよいのか。未来のためといっても、今を犠牲にして、という話ではありません。今も充実しているけれど、未来につながっていることをどう作るか、だと思います。果樹も数年で実がなりますが、それがより大きな森を構成するものになる。そういう今も未来も織り込んだかたちにどうできるのか、考えていきたいですね」(井庭さん)
対して、「ムジナの庭」代表/こらだ環境研究所所長の鞍田愛希子さんは、井庭さんとは逆の受け止めだったといいます。
「私は、井庭さんとはどちらかというと逆の感じ方でした。今日の京都市との話し合いは、意外と話を聞いていただけるのだなという感覚がありました。世界中から注目される「京都」の駅前一等地なので、ファジーなものは引っ掛かりもしない状況なのかと想像していたら、少し検討の余地があるのかな、と。
でも逆に、そのほうが危険なのかなという感じもしました。折衷案のようなところで進んでしまうと、誰にとっても嬉しくない、誰も最終的に興味が持てない場になってしまう可能性がある。そうすると、誰も責任を取らなくなっていく。森ではなくベルトになるとか、わずかな思想だけ残って形はまったく別のものになってしまうとしたら意味がないので、慎重に議論される必要があると思います。ただ、都市開発の波はすぐそこまで差し迫って来ているので、その議論をいつまで続ける余地があるのだろうか、とも考えながら聞いていました。
崇仁の抱える課題も、私たち庭プロジェクトの考えも、今回京都市に聞き入れていただいた。そうであれば、京都市が抱えるリアルな課題も腹を割って聞かせてもらえたらなと。例えば『東に人を逃がしたい』というお話がありましたが、そういった具体的な課題への解像度の高さは、圧倒的に長く京都市を見てこられた市の皆さんの側にあるはずです。『これを解決していただけるのならあり得る』というような条件提示があると、もっと議論が深まっていくのだろうと思いました。
それから、私は福祉施設を運営しているのですが、熱中症の問題が本当に喫緊の課題です。真夏の気温が40℃を超えていく中で、もし森を作ったらどのくらい気温が下がるのか、風の動きがどう変わるのかなど、シミュレーションをできないか。都市の中に、アスファルトではなく土が増えていくことが必要かもしれないですし、いろいろな計算の仕方があるような気がしています」(鞍田愛希子さん)
哲学者で明治大学理工学部准教授の鞍田崇さんは、森と教育の関係に話題を移しました。
「今日はあまり話さなかったのですが、教育と絡めることが大事なのかなと思っています。いまの大人たちにとっての森だけではなく、実は人を育てる場所なのだという。100年後を見据えるということも含めて、100年後のこの社会を担う人たちがここで育つのだと。森も育つけれど、人も育つ。そういうストーリーの作り方もあるのかなと思います。
逆に言うと、森にしなくても人は育つのかな、とも思ったんです。今日、2日目で大きかったのは子どもたちと過ごした時間でしたが、小さな原っぱでも子どもたちはバッタをどんどん探していく。僕らも郊外の新興住宅地育ちなので、原っぱがいっぱいあったんですよね。森にしなくても子どもたちはそういう場所を探していくし、逆に言えば、街の中にいまそういう環境がないところをどう作っていくのかという話でもある。日陰があるくらいの原っぱがあってもいいのかなと思います。
規模についても、逆のパターンが僕の大学でありました。戦前から生えていたヒマラヤ杉が8本ほど、30〜40メートルの巨木になっていて、それで十分に森感があった。2年ほど前に伐採して新校舎が建ったので、結果的には森を壊したほうなのですが、スケールは決して大きくなくても十分に森感があったなと。直ちには無理でも、20年、30年経てば鬱蒼としてくるのだろうなというイメージは湧きました」(鞍田崇さん)
「森」は目的ではなく手段?「アカウンタビリティの物語」を構築していくために
こうしたボードメンバーの議論を受けて、意見交換に参加した京都市職員からは、仮に構想を具体化していく場合に行政として考える必要がある論点が示されました。
「今日、芸大がここに来て本当に良かったという話になっていますが、実はできる前は移転の必要性や整備費などをめぐって、さまざまな意見がありました。反対の声も少なくありませんでした。
だから今日、こういう森を作るべきだというお話をたくさん聞いて、まさに小川さんがおっしゃったような、いろいろなアカウンタビリティの物語が必要だと感じています。特に新しいことをするときに、『こうするんだ、こうなるんだ』というポジティブなストーリーが、まだまだ描けていない。現状ベースで考えると、生活者視点での意見が中心になる。いろいろな声がある中で中途半端にならず、京都がどういう街であるべきかをきちんと追い求めなければいけないと思っています。
税金を、ランニングコストも含めて投下していくかという判断を、多くの人に賛同いただくことが絶対条件として必要になります。京都市の市有資産を、『こういうものを作ってほしい』という要望がたくさんありますから。芸大の移転もチャレンジでしたし、京都は他の都市と同じではなく、京都ならではの価値を大切にして政策を進めていこうとは思っていますが、現時点では構想の具体化に必要な条件はそろっていません。ぜひ、一つの選択肢として、皆さんが考えるアカウンタビリティの物語を提案していただけたらと思っています」(京都市職員)
他の京都市職員からはさらに、残された空き地をすべて森とすることの是非や、森の整備によって周辺の土地価値が上昇し、結果としてジェントリフィケーションを招く可能性についても、検討上の論点として提起されました。
そうした論点に対して、小山田さんは「欲望」の観点から応答しました。
「私がこの森のプランを出したのは、具体的に森を作るということもあるのですが、人類の思考を変えたいんです。例えば、いいものができて、その周辺の地価が上がる。それはやはり欲望の論理じゃないですか。でも、その欲望の論理を超えられなかったら、人類は変わらないんですよ。行政が本当に取り組むべきは、そういうことが起こらないシステムを一生懸命考え出すことです。それにいろいろな知見が協力して、どうやったら抑止できて、どういう価値観に変わっていくべきなのかを示す。そのための場がないと、絶対に真剣に話さないと思います。ですから、まずはそういうことが起こり得るけれど、場を作りませんかというのが提案です。どんなものを作っても地価は上がるんですよ、欲望があるから。その経済システムをどうコントロールするのかを人間が取り込まない限り、絶対に飲み込まれます」(小山田さん)
小山田さんの応答に続けて、宇野と小川さんも、この構想の位置づけについて総括しました。
「芸大が移ってきて、小山田さんが取り組みを進めてきた結果が『芸大の先生と地元のおじいちゃん、おばあちゃんたちが仲良くなりました』だけで終わったら、さすがにちょっともったいないと思うんですよね。特定のコミュニティの、特定の人間関係が盛り上がりました、だけではなくて、このエリアの京都という街のなかでの位置づけが、それもしっかりと歴史を、差別を乗り越えていく物語を刻印した『森』が生まれることで変わっていく、というのがいいと思うんです。今はこれまでの真摯な取り組みを、しっかりと『開く』フェーズなのだと僕は感じました。『森』をつくる構想はそのためのとても魅力的なプランだと思っています。
『森』がいいのは、要するに共同体のメンバーシップを問わないことです。地域の強固なコミュニティと、そこに馴染んでいる意識の高いアーティストのハートフルな物語にあふれた場所には、20年前のイケてない学生だった僕は絶対に入れなかったと思う。そうした場所はそうした場所で当然あるべきだけれど、たまたま来た人がその土地に触れられる回路『も』、絶対にあったほうがいい。京都駅から『森』を歩いて鴨川に出るという体験には確実に価値があるし、その体験は訪れる人を選ばないはずです。それが京都という街が負の歴史を乗り越えた象徴になればとてもいいと思います。そしてそのことは、きっと地域の住民やそこで創作しているアーティストにとってもプラスになるはずです」(宇野)
続いて小川さんが、議論の進め方について提案しました。
「私は『森』のイメージがみんなすごくバラバラなのだろうなと思っています。まず森のイメージを最初に作ることが大事です。一番初めに昨日の朝、学長の話を聞いて思ったのは、これはゲリラガーデニングの森版なのか? ということでした。世界中で空き地に勝手にガーデニングをしていく、資本主義経済への対抗策としてのアクティビストたちもいる。でも途中で造園の話を聞いたら、プロフェッショナルが森を作るのか? と思ったり。井庭さんの話にあった、食べられる森を生態系の循環で作るフードフォレストっぽい話を、おばあちゃんもしているぞ? と思ったり。もはやどういう森になるのか全然わからなくなったので、そこを最初に決めたほうがいいと思います。神聖な森、鎮守の森、フランスの図書館の真ん中にあるような人知を超えた森、みんなが迂回して道路を作るような神木。どういうものなのかを、しっかり議論したいなと思いました」(小川さん)
こうしてラップアップでは、2時間を超える議論が交わされました。その最後に、京都市の葉山さんが、今後考えるべきことを整理し、2日間にわたる崇仁地区の視察を締めくくりました。
「庭プロジェクトのみなさんと、有志の勉強会のみなさんと、行政の職員がこれだけフラットに話せる場があること自体が、小山田さんが始めたことの一つの良い傾向なのかなと思いました。そのうえでこの2日間の視察の中で感じた、今後考えていくべき点を4つ、最後に共有させてください。
まず、誰の構想なのか。これまでは小山田さんが考えた構想という域を出ていなかったと思います。でも実は小山田さんが地元のいろいろなところに顔を出して、行動を共有する中で、地域の方々や外部の専門家など、さまざまな人がそれぞれの立場から意見を出すテーマへと広がりつつあると感じています。もちろん、地域として合意された構想になったという意味ではありません。今日も、そのための一つの対話ができたのかなと思いました。
次に、誰と考えるか。まさに今回のこの場のように、オープンに、多様な方々と、みんなで悩みながら、人の意見を聞きながらやっていくことが重要だと思います。庭プロジェクトのみなさんとも、引き続き一緒に考えることができたら嬉しいです。
そして、どう考えるか。こうした議論をする場を作るところから、どんな森なのかというところも目線が合うことにつながっていくと思いますし、検討のために様々な視点から議論を継続していきたいと思います。
最後に、いつまでに考えるか。これは100年の森ですから、100年という長期的な視点を持つことが大切です。一方で、京都駅周辺では現実のまちづくりも動いています。その時間軸とも重ねながら、しっかりみなさんと議論していけたらいいのではないかと思いました」(葉山さん)

[了]
この記事は小池真幸が構成・編集をつとめ、2026年10月8日に公開しました。Photos by 田中愛実。



