滋賀県のとある街で、推定築130年を超える町家に住む菊池昌枝さん。この連載ではひょんなことから町家に住むことになった菊池さんが、「古いもの」とともに生きる、一風変わった日々のくらしを綴ります。今回は住まいのある滋賀県から奈良県への小旅行記です。アート作品や神社仏閣に触れる中で、古代から現代に至る人の流れに思いを馳せます。
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この記事は、PLANETSのメルマガで2022年1月6日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年6月16日に公開しました。
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端的に言うとね。
滋賀から奈良へのブラまさえ
2021年は厩戸の皇子遠忌1400年にあたる。山岸凉子の漫画『日出処の天子』をオンタイムで読んだ真性厩戸(常に「ウマヤドの」と言う)ファンな私。実は夏には国立博物館で聖徳太子遠忌1400年記念展にも行った。我が家のある琵琶湖東のあたりは『万葉集』で知られる「蒲生野(がもうの)」という古名で呼ばれるところがあり、近所にある正明寺は聖徳太子創建と伝えられている。自分が滋賀に引っ越してくるまで、よもや近所に厩戸由来のお寺さんがあるとは思いもよらなかった。奈良と湖東にどんな関係があったのだろうか。
奈良時代に蒲生野と言われた場所は正確には特定できないが、おそらく我が家のあるこのあたり一帯のはずで、万葉集には天智天皇の蒲生野での遊猟(薬猟)に同行していた大海人皇子(後の天武天皇)が額田王に詠んだと言われる和歌(返歌)があり、飛鳥京、大津京、蒲生野と奈良と滋賀は繋がっているのだ。
紫草のにほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
(大海人皇子・『万葉集』)
加えて天智天皇時代の白村江の戦いのあと渡来してきた百済人が数百人ほど蒲生野に移り住んだとも言われている。奈良とこのあたりの地理や歴史が日々の暮らしの中にも関わってくるのであれば、これは嬉しい限り。というわけで奈良に行こうと思い立った。
滋賀県は『古事記』の頃から「近つ淡海」(湖のある畿内に近いところ)と言われ、いつの時代も交通の要衝であり、東西は関東から京都、北陸からの道、伊勢からの道。滋賀を通らずして行かれんだろうという感じで、中世からつい最近まで近江商人を排出していたりと、滋賀県で話題に事欠かないエリアの一つだ。
そんな遠い昔の土地の何層あるか数えきれない記憶の宝庫滋賀県から、これまた国宝の宝庫奈良県に1泊2日の小旅行。首都圏から新幹線で向かうのとは一味違う風景を見ながらの旅路で、いつもとは感覚が全く違ったので共有したい。家を出発してひたすら広域農道のような道を南下すると、前日まで雨の朝だったこともあり、田畑からもうもうと地霧(湯気)が立ち上っている。この風景はとてもダイナミックで自然の近くにいないと観られない風景だ。
朝霧のたなびく田居に 鳴く雁を 留めえむかも 我が宿の萩
(光明皇后・『万葉集』)
甲賀を出て間もなく伊賀に入る。出発してから30分程度で三重県だ。甲賀と伊賀が隣同士に忍者の2つの組織が住んでいたのは不思議なことだ。調べてみると、忍者すなわちスパイ業務の日本の始まりもこれまた厩戸だったようだ(確かに漫画にも渡来人のスパイが出てくる)。特に戦国時代、食うか食われるかの毎日に戦場となった滋賀県には多くの忍者が居たことだろう。そんな状況下の甲賀と伊賀。ネットによると甲賀忍者はクライアントは原則1団体。もちろん栄枯盛衰、時流に合わせて変えていく柔軟性をもつ。一方で伊賀忍者は依頼主複数に対応。おそらくコンサルティングファームのように、チームを組んで手広く対応していたのだろう。甲賀は医術や薬を得意とし、伊賀は呪術や火薬などを得意とした。あの松尾芭蕉は伊賀の忍者とも言われるし、甲賀は薬売りをしながらスパイ活動をしていたそうだ。そういえば、我が家も元薬屋さん。なんだか縁を感じる。
さて、伊賀の拓殖(つげ)から大和街道(国道25号)に入る。古くは伊勢国と畿内をつなぐ道で、壬申の乱では大海人皇子が東進した道としても知られるが、現在は自動車専用道路で高速道路のような走りっぷりで、しかもこの道はかなりの山道で軽自動車では上りは遅くなるし、下りのカーブは振り回されるしで生きている心地がしない。そんな苦労を1.5時間くらいしていると、急に山が開けて下に奈良のまちが見える。この瞬間の景色が美しすぎてまた事故りそうになるのだ。ちなみに帰りのこのルートも夕陽が盆地にあたり周辺の小高い山に囲まれた奈良が一望できる。昔の旅人はこの風景がどう見えたのだろうか。この大和街道は三重、奈良の老舗などには祖父母よりも以前に遡ると旅だけでなく暮らしの人流が垣間見られる。
今回の目的は奈良と言っても天川村で中心地からはだいぶ南の山奥である。大和街道を針ICでおりて宇陀、吉野、天川と南に移動していく。ICを降りて少し入った宇陀が美しい。薬草の里、棚田、森林。過疎化は進んでいるように見えたが、あの美しい室生寺も宇陀にある。20代の夏に一度行ったきりでその時は川沿いを歩いて行った。あの日に着ていたのはベネトンのTシャツだったなぁなんて思いながらキラキラ輝く美しい風景を走る。昔の振り返りは切なくもあり好きな時間だ。
で、天河神社に到着したがなんか違う。宇陀で感じたあの美しさセンサーが動かない。神社の本殿には環境音楽が鳴り響き解説があちこちに貼ってあり、仕組まれている感じがするのだ。勝手に妄想していた世界とは違っていたことに落胆したが、そんなものだろうとも思った。当事者(神社)が観せようと観光を意識した瞬間、何かが失われている。旅人はそこに気づいてしまうのだ。神社は早々に引き揚げて山に向かう。ちょうど訪ねた日は天川村の山のトレイルに置かれたアートを楽しみながら歩くイベントの最終日。どんなもんだろうかと行ってみたのだが、筋肉がもともとない私にとってひたすら登っている間は、山に設置されているアートに気づく余裕はないことを知る。下りになってから林の中に木製のベッドがあって「あ〜疲れた」と寝転がる。そうすると木立と空が見える。これがアートだった。
アートってなんだろう。
天川村を後にすると途中に丹生神社があった。ここは水銀と水の神社だ。丹生というのは水銀を意味する。水銀は顔料やメッキに利用され奈良の大仏建立の時も方々から集められた。加えて中国では不老長寿の薬でもあり、現代ではそりゃ死ぬわとわかるが、当時は水銀を飲んで中毒になった者も多くいたようだ。さらに、この天川村の丹生神社は水の神様でもある。「水銀でかつ水」という稀有な神社。もしかして天河神社ではなくここにお訪ねすべきだったのかもしれなかったがもう時間がない。移動と山登りであっという間に1日がすぎて、夜ご飯。
奈良にも名物はあるだろうが、あまり知られていないように思う。食べログを見るとなぜか「おでん」なのだ。そこでおでんのハシゴに出掛ける。確かに老も若きも集まり賑わいのあるおでんやさんだった。何か秘密がありそうだが解明するには至らなかった。夜の街が静かすぎてバーに行く気にもならずホテルの部屋で持ち込みのワインを飲みながら、NetflixやYouTubeをみて楽しむ。それ以外に過ごす方法はないのだろうか。
奈良のホテルのチェックアウトは早い。そこでランチもかねて大神神社に出かけた。ところが日本最古の神社、大神神社は奈良中心部(猿沢池出発)から遠すぎた。そう、京都よりも奈良の方が史跡の範囲がかなり広い。京都慣れしている私にとって大神神社は上賀茂神社くらいのつもりでいたがまったく違った。前者9km、後者19km。山辺の道……。『万葉集』の旅はまた次回のお楽しみ。
▲地下1000メートルから汲み上げるミネラル豊富な水。超硬水230くらい。マグネシウムが発酵に効くらしい。
今回の旅の最後は奈良を代表する日本酒「風の森」で有名な油長酒造へ、大神神社から一路西へ向かう。ところがここも遠かった(17km)。ただし、ここの風景は宇陀同様、古の時に迷い込んだような風景だ。江戸時代の奉行所の御触書が未だに存在する街はそう多くはないだろう。奈良ってなんだろう。まだよくわからない。古都にちょっと足を伸ばせるのも滋賀県ならではなのだろうから、また冬の間に奈良に行こうと思う。
冬の庭とノンエネルギー
奈良の小旅行では、奈良時代からつづく道が現代では「道路」になっていてガンガン車が通っていることがわかったわけだが、そこには商流、人流、宗教、農業なども一緒に乗って動いていたし、今もそうだ。我が家も薬草や水とはきっと縁があったのだという感じがする。我が家の井戸は人によると、鈴鹿山脈系ではないかとのこと。確かに硬度は京都などより10くらい高いし、流れているし、水道法51項目をクリア。どこから流れてきているんだろうとワクワクするのだ。人と暮らしは孤立しては成立しない、そんなことを考えさせられた。
さて、我が町にも冬がやってきて昨年京都の庭師さんが色々と手を尽くしてくださった庭は、紅葉が落ちはじめて美しくなっていた。風が吹き、雨が降るたびにどんどん葉が落ちる。これが手間だが土をみて、植物や虫たちの1年を振り返るのにとてもいい。必要な時間だ。夏の間は鉄板のように熱くて干しものに最適だった庭のテーブルも、今や家の寒さから逃れるための暖炉になっている。
虫たちは姿を消し、メダカも池の底深く潜んだままでお日様が当たっていると水の輪ができているのでたまに水面に上がっているらしい。植物も静かに春に向けて作戦を開始している。静かに動いている庭。10月末にぶら下げはじめた干し柿が本当に美味しい。加工や調理のための特別なエネルギーが要らず、自然に任せてできる食べ物だ。発酵や熟成も含め、外からのエネルギーに頼らずにできる美味しい食べ物のつくり方や暮らし方を日常的に使えるように復習しておくことが、今後は大事になってくるに違いない。
そしてそこから、また新しい生活スタイルが生まれていくはずだ。
[了]