今月から、国際コンサルタントの佐藤翔さんによる新連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」がスタートします。
新興国や周縁国に暮らす人々の生活を支える場として、実は欠かすことのできない存在である非正規市場(インフォーマルマーケット)たち。世界五大陸に広がるそのネットワークの実態を地域ごとにリポートしていきながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。
初回は、国際組織まである世界のインフォーマルマーケットの全体像について、佐藤さんの実地の体験とこれまでの研究をもとに概観します。
端的に言うとね。
はじめまして、ルーディムス株式会社代表の佐藤翔と申します。ゲーム業界専門のシンクタンクであるメディアクリエイトという会社で数年間にわたり、世界各地のゲーム市場の調査をしてまいりました。現在はコンテンツ市場の海外進出に関するお手伝いをさせていただいています。とりわけ新興国のゲーム産業や市場、そして正規の販売ルートを外れた非正規市場、すなわち「インフォーマルマーケット」との付き合いは、コンサルタントとしての私の最初の勤務国であるヨルダンで働いていた頃から数えて、10年目になります。
この連載では、その過程で接することになった五大陸に広がる多様なインフォーマルマーケットと、それらをつなぐ七つの海を股にかけた人々のネットワークという視点から、私なりの考察を展開していければと思います。
まず、なぜ私がこのように五大陸のインフォーマルマーケットを研究するハメになったのか、というところから、お話をしていきましょう。
ヨルダンで出会った『シェンムー』
2011年、ヨルダンの首都、アンマンにあるゲーム業界団体、Jordan Gaming Taskforceというところで私が勤務していた頃の話です。私はチェルケス人の上司の指導の下、ヨルダンのゲーム会社の海外進出のために、戦略を策定するという仕事を任されていました。仕事が終わってから町を歩いていると、違法コピーの店をそこら中に見かけました。やけに数が多いな、とは何となく感じてはいましたが、その頃には自分には関係のないことだなと思い、ちょっと中を覗く程度で、あまり気にかけることなく通り過ぎることがほとんどでした。
私が少しだけ考え方を変えたきっかけが、ヨルダンのゲーム屋の店主との対話です。断食月(その年は8月でした)の頃、マーケティングの勉強だと思って現地の人を見習い断食しながら働いていた頃だったかと思いますが、私の友人で、新しい風力発電機を発明しようとしているヨルダン人の起業家が、彼の知り合いのゲーム屋の店長を紹介してやる、インタビューをしてみてはどうか、と言ってくれたのです。
翌日、彼にその店に連れていってもらいました。店に入ってすぐの所には“Microsft”や“Micosoft”というロゴの入った中国製の携帯ゲーム機ケースがあり、左右には海賊版としか思えないゲームが置かれた棚がいくつも並んでいるという所で、奥の方にやや体格の大きい店主さんが立っていました。パッと見はヨルダンではどこにでも見かける、どうしようもない店です。しかし、私が彼に最近のアンマンにおけるゲームの売れ行きなどについてのインタビューをしながら、店内をよく見渡すと、『シェンムー』、それもきれいなパッケージの、まごうことなき正規品のドリームキャスト『シェンムー 一章 横須賀』日本語版が、神棚よろしく、店の一番立派な棚の最上段に、それはそれは丁寧にまつられていたのです。私が店主さんにそのことを尋ねると、「『シェンムー』は俺の人生を変えたゲームなんだ。俺は『シェンムー』に出会ったからゲームを売る商売をしているんだ!」と、なぜか誇らしげに返答してきました。
▲『シェンムー I&II』プロモーション映像だったらちゃんと正規品を売ってセガのクリエイターに利益を還元しろよ、と私が心の中でツッコミを入れたのはさておき、この時に私が率直に感じたのは、こんな怪しげなゲームの販売店をやっているような奴は、確かにどうしようもない奴だけれども、彼らは単に儲かるから、それしか売り物がないからではなく、彼らなりにゲームが好きだからこんな商売をやっているんだな、ということでした。当時は今ほど様々な調査技法を身に着けていませんでしたし、「インフォーマルマーケット」という表現も知りませんでしたが、今にして思えば、この経験こそがこうした正規市場でないマーケットでものを売っている人々、さらにはそのマーケット自体の生態系に目を向けるようになったきっかけだったようです。
新興国のリアリティとしてのインフォーマルマーケット
さて、話は前職での仕事に移ります。私は日本におけるゲーム業界のシンクタンクであるメディアクリエイトに入社して2年後、新興国のゲーム市場の調査を行うようになりました。自分のバックグラウンドはヨルダンですが、中東だけではなく、南アジア、東南アジア、中南米など、世界のあらゆる新興国のゲーム市場について、可能なかぎり的確な情報提供を行うことを求められるようになりました。
そうして様々な場所を訪れる中で最も印象的だったものの一つがモロッコでの体験です。モロッコの私の友人は、正規のショッピングモールのゲーム販売店を見せてくれた後、モロッコ最大の非正規市場デルブ・ガレフに連れていく際にこう言ってくれました。「Sho Sato、ショッピングモールで見て分かるものなんてのは見せかけの、薄っぺらなものに過ぎないんだ。あんなところで誰もゲームなんて買っちゃいない。あれは仮想現実みたいなもんでリアルじゃあない。このデルブ・ガレフこそが俺たちのリアルなんだよ!」。
彼は、自分がどれだけここに流れ着いたありとあらゆる日本の中古ゲームを買って遊んできたかをとうとうと語ってくれました。親子三代で非正規流通品のゲームをさばいている店も案内してもらいました。そして彼は今や、モロッコを代表するゲーム開発者の一人になっています。きれいなショッピングモールを見て、きらびやかなオタクコンベンションに参加するだけでは、ゲームがどのような商流になっているのか、ユーザーがどのようにゲームを遊んでいるのか、そしてどのようにゲームが生まれてくるのか、こうした新興国のリアリティを把握することは絶対にできません。
驚くべきことは、こうしたマーケットが一地域に限らないことです。ダウンロード版のゲームが増えてきたとはいえ、オフラインの商流は、家庭用ゲームの比率が高い日本企業にとっては現在でも非常に重要です。結局、ゲーム市場の実態を可能なかぎり客観的なかたちで知るには自分の足で稼ぎ、自分の目で確かめる以外に手段はありません。そのため、お客様に新興国市場の正確な姿をお伝えするため、私は休みの日であっても寸暇を惜しみ、世界各国のゲーム市場を回るようになりました。
こうした調査の結果、東南アジア、中南米、インド、中東、サブサハラアフリカ、東欧、中央アジア、ありとあらゆる地域にインフォーマルのマーケットがあり、しかも地元経済に重要な役割を果たしており、ゲームユーザーの好みさえ規定し、さらには現地のゲーム開発者のゲームプレイ経験に大きな影響を与えていることを目の当たりにしてきました。そしてこうした観察を通じて、大部分の新興国ではフォーマルマーケットがインフォーマルマーケットを規定しているというよりも、インフォーマルマーケットが圧倒的な存在で、フォーマルマーケットはそこに乗っかっているに過ぎないのだ、ということが分かってきました。
さらに、どうも非正規市場には、一定の特殊性と共通性があるのだ、ということがつかめてきました。
インフォーマルな市場をどのように調査するか
アメリカや西ヨーロッパ、日本と比べて、新興国で客観的な市場データを獲得するのはきわめて困難です。アフリカ有数の経済大国、ナイジェリアのGDPは2013年にIMFが2,920億ドルと評価していたところ、現地政府の再計算で約5,100億ドルとなりました。ミャンマーの人口は国際機関が6,000万人と推計していたところ、2014年に現地政府の国勢調査で約5,141万人となりました。国の最も基本的なデータといわれるGDPや人口ですらしっかり把握されていないことがあるのに、マクロデータだけで正確な市況分析を行うのはほぼ不可能です。
アンケート調査などを元に市場規模を推計するのも苦労します。例えば、「あなたは月にいくらゲームにお金を使っていますか?」という質問をするとしましょう。現地のゲーム人口を推計し、それとこの質問から出た数値をかけ合わせて現地市場規模を推計する、というのは欧米の調査機関がよく行っている手法です。しかし、そのユーザーが海賊版のゲームにいくらお金をかけているのか、インフォーマルなゲームプレイについて、どう答えるのかは未知数です。
サウジのゲーム会社で働いていた私の友人に最近聞いた話によると、あるオランダの著名な調査会社が、彼らの推計したゲーム市場規模について正しいかどうか問い合わせてきたことがあったそうです。彼らの示したデータでは、なんとナイジェリアのほうがサウジアラビアよりも市場規模が大きいというのです。おそらくその調査会社はこれらの国々で回答者を確保できず、人口やGDPからの類推でゲーム市場の規模を出したのでしょう。私は双方の国の正規市場も非正規市場も自分の目で見てきており、サウジではゲーム開発コンテストの審査員を務め、ナイジェリアでは民間軍事会社(PMC)の支援を受けて市場調査をしました。その経験をもとに言えば、正規のゲーム販売流通がある程度整備され、ゲームのレーティング制度がひとまず整備されているサウジアラビアより、違法商品が跳梁跋扈するナイジェリアの方がゲームの市場規模が大きいというのは、受け入れがたい話です。
また、現地事情に詳しい方々へのヒアリングは必要なことですし、私も必ず行いますが、それだけでは不十分です。どこの国のどのような現地のドンであろうと、彼らは現地市場の特殊性を強調し、自分たちに都合の良いことしか言わないからです。彼らにとっては現地市場の特殊性を強調することが、自分の商売の価値向上につながるからです。しかし、食品産業や繊維産業についてはともかく、少なくともゲーム市場とそれらに深く関係する市場については、経済の発展度合いに差はあっても、国ごとの特殊性よりも共通性のほうが大きいと言わざるを得ません。ゲーム機、ゲームソフト、PC・スマートフォンやゲーム関連の商品は中国で製造しているケースが多いからです。また、ディストリビューターもメーカーとの間で国ごとではなく地域ごとに契約を行っているケースが多いため、流通している商品には地域的な類似性が見られるのが、少数の例外を除けば普通です。
もちろん、各市場の特殊性を無視しろ、と言っているのではありません。また、フォーマルのマーケットを無視しろと言っているのでもありません。どのような国においても、フォーマルマーケットとインフォーマルマーケットは相互に影響を与え合い、売られている商品が同じであっても、その二つのマーケットの境界線の上に独特の慣習が形成されているからです。その国のフォーマルマーケットの正確な姿、今後の形を描き出すためには、なおのことインフォーマルマーケットに潜っていかなければならないのです。
では、フォーマルマーケットとインフォーマルマーケット、双方の姿を明らかにするにはどういう手続きを踏めば良いのでしょうか?
まずはフォーマルマーケットにおける各種調査を予算の許す範囲で実施します。続いてインフォーマルマーケットを自分の足で歩き、各国で共通する要素をその国に当てはめていき、そこからその国ならではの特殊な要素を見出していくのです。そして最後にその特殊な要素がどうしてあるのかをその国の政治史・経済史・文化史的背景をもとに分析する、ここまでが1セットだと思っています。こうしたプロセスを私はこの数年間、可能なかぎりにおいて、あらゆる新興国で実行し続けてきました。
インフォーマルマーケットは即ブラックマーケット、ではない
さて、ここでインフォーマルマーケットという言葉自体の定義について考えたいと思います。ブラックマーケットという言葉がありますが、これはインフォーマルマーケットとはどう違うのでしょうか? ブラックマーケットとはイリーガルマーケット、つまり違法品を扱うマーケットのことです。
例えば、下の写真に写っているのは、私がフィリピンで見つけた免許証・卒業証書コピー業者です。店頭に並んでいるのはフィリピンで有名な大学を卒業したことを示す証書の偽物の見本や、運転免許証の偽物の見本が段ボールに貼ってあります。段ボールを使った簡素な店になっているのは、警察がやってくるという情報を仲間から掴んだら、それらを折りたたんでいつでも逃げられるように準備しているからです。
こういう業者の行う商売は、誰がどう見ても100点満点で0点の、違法なブラックマーケットそのものと言うことができます。
言うまでもないことですが、ゲームを始めとするコンテンツの違法コピーは絶対に許されることではありません。
違法コピーを作り、販売するということは、クリエイターとそれに関わる人々に与えられるべき正当な利益を侵害しているということだからです。筆者は本稿において、違法市場を賞賛するような意図を一切持ちません。やや古いですが、2007年にアメリカのRAND研究所が発表した“Film Piracy, Organized Crime, and Terrorism”というレポートでは、パラグアイで活動するレバノン人の家庭用ゲームの違法コピー業者がヒズブッラーに献金をしていたというケースが紹介されています。麻薬のような商品は国家が強く取り締まるケースが多いですが、違法コピー品の取り締まりについてはどうしても優先順位が後回しになりがちです。
そのため、違法コピー品の販売で収益を上げ、それを元手により大きな犯罪やテロなどを行う、そういうケースが少なからず見受けられるのです。法治国家に住む私たちは、違法行為の温床であるブラックマーケットをどのような理由があっても肯定することはできません。
世界のインフォーマルマーケットの中に、ブラックマーケットが含まれているのは否定できない事実です。その一方で、ホワイトではない、かと言ってブラックだけとも言えない、グレーマーケットとも言うべき部分が相当の規模で含まれています。ブラックマーケットはインフォーマルマーケットの一部分であって、決して全体ではないのです。グレーマーケットは非正規輸入品が流通し、政府の許認可を受けずに成り立っている市場です。完全な正規品市場とは言えませんが、違法と言ってしまうと雇用や技術など様々なものが失われてしまうため、政府や大きな会社が違法とは言わない、そのような暗黙の市場です。インフォーマルマーケットに含まれるブラックマーケット、グレーマーケットの割合は、その国や地域の特性によってかなりの程度異なりますし、政府の法制度変更により、フォーマルとインフォーマルの境界線も大きく変わっていきます。インフォーマルからフォーマルに「正規化」することもあるし、フォーマルマーケットの縮小でインフォーマルマーケットが拡大することもあり得るのです。
2018年のILOの発表によりますと、世界の就業者人口の61%に当たる20億人がインフォーマルな経済の下で生活しているとのことです。新興国のインフォーマルマーケットには、ただの「闇市」として切って捨てるには、あまりにもパワフルな現実があります。フォーマルマーケットは中間層以上のマーケット、インフォーマルマーケットはそれ以下のマーケット、と必ずしも切って捨てることができないのです。先ほどのモロッコの友人が言うように、インフォーマルマーケットの観察を通してこそ、新興国経済とそこに住む人たちのリアリティが見えてきます。私がお話をしたいのは、新興国経済、それをつなぐ世界経済ネットワークの「現実」としてのインフォーマルマーケットがどのような構造になっているのか、ということなのです。
オフラインのインフォーマルマーケットとオンラインのインフォーマルマーケットの密接な関係
本連載で話題にするのは、オフラインのインフォーマルマーケットが中心です。オンライン市場の専門家の方の中には、オフライン市場を時代遅れの、消えゆく存在として軽んじる方が少なくありません。確かにオンラインのインフォーマルマーケットは年々増大しており、巨大な規模に膨れ上がっています。下図は後述する、アメリカの通商代表部による、“Notorious Markets List”2020年版で登場するオンラインのインフォーマルマーケットの例です。このリストに掲載されるオンライン・インフォーマルマーケットは年々増えるばかりです。そして日本の戦後の闇市が次々になくなっていったように、新興国のインフォーマルマーケットもなくなっていくのではないか、少なくともオンライン化が進んでいくのではないか、というのは根拠のない話ではありません。さらに、コロナ禍において多くの国でロックダウンが行われている現状からすれば、オフラインのインフォーマルマーケットがなくなっていくのではないか、という想定をしたくなる気持ちもよく分かります。
しかし、私や弊社社員の各地でのヒアリングによれば、ロックダウン中、確かに各地の著名なインフォーマルマーケットは低調で閉鎖されていたところもあったものの、ロックダウンが終わるとすぐに復活しているところがほとんどのようでした。オンラインのインフォーマルマーケットは、確かにオフラインのインフォーマルマーケットと比べると効率的なように見えますが、便利であるがゆえにマーケットに関わる人が少なくなるため、雇用創出力という点においてはどうしても弱い部分があります。実際、多くの場合において、オンラインのインフォーマルマーケットはそれ単独では存在しえず、オフラインのインフォーマルマーケットと密接に結びついています。多くの巨大なインフォーマルマーケットはホームページを持っていますし、eコマース機能を備えているものさえもあります。オフラインのインフォーマルマーケットは私たちの目から見ると古臭いビジネスモデルのように見えますが、雇用と収益を生み出す場である以上、フォーマルマーケットの発達が不十分な新興国においては容易には消滅することがなく、むしろオンラインのインフォーマルマーケットと密接に絡み合いながら、発展さえ遂げているのです。
興味深いのは、こうした各国にあるオフラインのインフォーマルマーケットの代表者が互いに連携を取り、連絡を取り合っていることです。下の図表にあるのはInternational Alliance of Street Vendors(国際露天商連盟)、通称Streetnetという国際機関です。これは言うなれば、インフォーマルマーケットの「国連」で、56か国の露天商連盟が加盟している組織です。2002年に南アフリカで創設されたこの組織は、ILOのような国際組織にロビイングを行うなど、世界の露天商が共通の利益を得るための各種活動を行っています。さらには3年に一度、Streetnet International Congressという国際会議を開催しています。2004年の第1回は韓国で、最近では2019年に第6回大会がキルギスで開催されています。この国際会議においては、世界中の露天商のリーダーたちが一堂に会し、各国政府の圧力にどう抵抗するかの成功事例などを共有しているようです。国際会議の会議費や渡航費が一体どこから出ているのかが気になるところですが、この組織の憲章の第7条などによれば、各国組織の入会費と組織の規模に応じた年会費で組織運営を行っているようです。調べれば調べるほど謎の多い組織ですが、世界中の露天商が国際会議をしているというのは、日本の戦後の闇市のイメージとはかけ離れた光景だとは思いませんか?
これまでのインフォーマルマーケットについての研究
インフォーマルマーケットについては、文化人類学、社会学、経済学など様々な視点から多くの国で研究が行われています。また、政府機関や業界団体も各種のレポートを出しています。その中から代表的な書籍やレポートをいくつかご紹介しましょう。先ほどから何度か登場している“Review of Notorious Markets for Counterfeiting and Piracy (Notorious Markets List:悪質市場リスト)”は、ブラックマーケットの比率の多い市場に偏ってはいますが、インフォーマルマーケットを理解する上で、最重要のレポートです。インフォーマルマーケット界のミシュランと言っても過言ではありません。これはアメリカの知的財産を保護するスペシャル301条に基づき、アメリカ通商代表部(USTR)がアメリカの各種業界団体から知的財産侵害品を扱っている市場の情報を収集し、毎年発表しているレポートです。対象範囲はグローバルでかなり網羅的な内容になってはいますが、アメリカの知的財産を守るという名目があるため、例えば日本コンテンツの違法コピー品や非正規輸入品を扱っているようなオンライン市場・オフライン市場については、掲載されていないケースが多いです。
“World Informal Markets”は、インフォーマルマーケットに関する各種学術研究の中では最も網羅性が高い研究で、私も長らくこの本のお世話になってきました。この本の監修者であるペーター・メルテンベック教授はウィーン工科大学で視覚文化を専門にしており、共同監修者のヘルゲ・モースハマー氏はオーストリア科学基金(FWF)のプロジェクトで“Other Markets”というインフォーマルマーケット研究のディレクターを務めた人物です。この書籍は二分冊となっており、1冊目が総論、2冊目が各論、つまり各地のインフォーマルマーケットについての実証研究をまとめた内容となっています。特に2冊目は世界の膨大な数のインフォーマルマーケットをいくつかのタイプに分けて取り扱っており、インフォーマルマーケット研究における最重要のツールの一つとなっています。前述の“Notorious Market Lists”に対して、先進国の一方的なレッテル張りに過ぎない、という批判的な観点で著述をしているのが興味深いところです。一方、本研究は共同プロジェクトであり、著者が数十人にわたるため、内容の濃淡には章ごとに差があります。また、東南アジアや中国内陸部のインフォーマルマーケットについては、扱いがやや弱いという課題があるように思われます。
日本語で読める優れた書籍としては『見えない巨大経済圏:システムDが世界を動かす』(東洋経済新報社、2013年)があります。この本の著者であるアメリカ人ジャーナリストのロバート・ニューワース氏は、TEDでも講演をしています。この本は長年にわたる素晴らしい実地調査に基づいた本で、世界の多くの人々に灰色市場の重要性を伝え、私も勉強させていただく部分が多数ありました。この本に書かれていた、P&Gの売上の2割以上を新興国の零細店舗が占めており、比率で言えばウォルマートなどどの小売店チェーンよりも売り上げ比率が大きいというエピソードは、インフォーマルマーケットの購買力、フォーマルな企業でもインフォーマルマーケットにアクセスできる可能性を示して有り余る話です。発展途上国で多くの人が政府の規制とは関係なく成立させているビジネスに対して、暗いイメージがつきまとう「インフォーマルマーケット」ではなく、「システムD」と呼ぶことをロバート氏は提唱しておられます。ただ彼が調査しているのと同じ市場をいくつか自分の足で歩き、調査した私の観点からすると、本書はややアフリカと中南米のインフォーマルマーケットの特性に記述が偏りすぎており、またインフォーマルマーケットの正の性格だけを強調しすぎているとも感じました。インフォーマルマーケットには正の側面も負の側面もあり、どちらを強調しすぎても本質を見失います。また、インフォーマルマーケットという言葉を使わないと、フォーマルマーケットとインフォーマルマーケットの相互依存・競合・対立関係を見失ってしまうと私は考えています。
ゆえに、私は本稿では本書を参考としつつも、「システムD」ではなく、従来の「インフォーマルマーケット」という表現を使っていきます。
こうした書籍や研究論文、レポートを読んでいくと、各国ごとに研究のカバー範囲の特徴があることも見えてきます。アメリカはグローバル経済をリードする経済大国として環太平洋地域、つまり東・東南アジアと中南米の研究が中心になっています。フランスにおいては、“Piratages audiovisuels”という豊富な視聴覚コンテンツのコピー品事例が掲載された論文集がありますが、全体的な傾向を見ると、ルイ・ヴィトンなど自国のブランド商品のコピー品対策としての研究が中心となっており、地域的には旧植民地の多いアフリカのケーススタディが強いです。ドイツはチェコなど旧東側諸国から流入するアディダスやプーマなどのコピー品対策という観点から、旧東側諸国の研究を中心にする傾向があるように思います。日本の場合は中国など周辺国の話が中心になることが多いのは、みなさんご存じのとおりです。
インフォーマルマーケットについて、このように多くの優れた先行研究や書籍があるのは事実です。しかしながら、どの研究も、例えば内容が中東アフリカ地域に偏っていたり、あるいはアジアに偏っていたりと、世界全体を十分に見渡しているとは言いがたいものがあります。五大陸のインフォーマルマーケットを自分の足で歩いて調査し、各地について過不足なく知見を持っておられるような方は、私見では世界を探してもそう多くはないようです。
本連載の目的は、廃れゆく闇市に対して、日本で失われてしまったものを見ることを通しノスタルジーを感じていただく、ということにはありません。本稿では、上記の研究成果を踏まえつつも、特定地域の状況に偏ることなく、またインフォーマルマーケットの正の部分・負の部分、双方をしっかりと見据えつつ、様々な国のインフォーマルマーケットの実態を明らかにすることを通じて、各国のインフォーマルマーケットの共通性と特殊性を紹介していきます。
そしてそうした点を背景に、それらの国でインフォーマルマーケットがなぜそのようになっているのか、どういう機能を持っているのか、これからどのようになっていくのか、ということを私の知見の及ぶ限りにおいて分析していきます。なお、インフォーマルマーケットではあらゆる商材が取り扱われていますが、私の専門性ゆえ、ゲームを中心とするコンテンツ関連の商材の話が中心となっていることはご容赦ください。
冷戦後に巨大化したインフォーマルマーケット
インフォーマルマーケットは、時代の変化に応じて、常に変わり続けています。とりわけ冷戦終了後、社会主義諸国の大きな体制変動により、これらの国々における経済システムがまったく機能しなくなったことから、インフォーマルマーケットがこれまでに見ない規模での拡大を遂げました。ロシア以外の旧ソビエト連邦構成国、つまりカザフスタンやキルギスなどの中央アジアやウクライナなどには、コンテナの立ち並ぶ特徴的なインフォーマルマーケットが形成され、現在もなお繁栄が続いています。先にStreetnetの2019年の第6回大会がキルギスで開催されたと述べましたが、この地域におけるインフォーマルマーケットの存在感は今もとても大きなものとなっています。
世界のインフォーマルマーケットの中でも、陸路で中国から直接商品が流れ込む中央アジアのインフォーマルマーケットは、インフォーマルマーケットの性質を理解するための良い例証です。
そこで次回は、まず資本主義体制に移行した後の東側諸国、特に中央アジアのインフォーマルマーケットがどのような構造になっているのかについて述べつつ、世界のインフォーマルマーケットの分類について触れ、冷戦後に新興国でインフォーマルマーケットが巨大化した理由を探っていきたいと思います。
[了]
この記事は、PLANETSのメルマガで2021年1月20日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年5月10日に公開しました。
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