ローカルからの無血開城へ

──太田さんは元々はいわゆる外資系のコンサルにいらっしゃったんですよね。

太田 はい、ITや通信などの領域を担当していました。その経験を買われて2014年の暮れに官邸に呼ばれまして、翌年1月に総務大臣補佐官に就任したんです。ブレーンとして大臣に助言をしたり、霞が関の縦割り組織にうまく横串を指すみたいなことをしていました。

──太田さんはグローバルなフィールドで、国家の枠を超えて仕事をされてたわけじゃないですか。そのまま活躍する人生もあったと思うんですが、なぜ日本というだいぶ小さいフィールドに戻ろうと思われたんですか?

太田 僕は田舎の出身で、正直に言うと一刻も早く故郷を出たかった。ただ、東京の大学を出て、社会人になるとバブルがはじけて、日本がつまらなくなってしまって、それで海外に仕事の舞台を求めたんです。大臣補佐官になるまで国へコミットする経験はなかったんですよ。でも2015年からの3年弱の間に全国100箇所ほど回って、ローカルが面白いなと思ったんです。いまの日本は色んな課題を抱えていて、100箇所の中で9割がたは、総合計画が東京のコンサルに丸投げだったり、しかもそれが地域名を変えても分からない、コピペだらけだったりするのが現実でした。ただし、残りの1割の土地や人に魅了されました。
 一番考えさせられたのは、2016年に行った会津若松です。戊辰戦争150年だ、と言いながら、中央政府が倒れた時に代わりになるシステムを考えようなんて言ってる人たちと出会って「これはひょっとしたら何か生まれるかもな」と。東京基準ではなく、ローカルからグローバルを視野に入れて、世の中をどう変えていくのか考えている人たちを知ったのが大きかったですね。

──最初はグローバルな領域にいて、ナショナル(国家)を素通りして、ローカルに関心を持たれたわけですね。

太田 そうですね。僕にとって発見だったのは、ローカルはやる気になれば、かなり革新的なことでもスピーディに仕掛けられて、しかも地球温暖化などでは国家を超えたネットワークになって、国の変革をリードすることもあるということです。ただ、ローカルのイノベーションに対して、国家がボトルネックになる場合もある。だから僕は無血開城じゃないけど、国家の内側にいながら日本のシステムを変える手助けができたら面白いと思ったんです。
 会津以外でも、面白いと思って関わらせてもらっているところは、ほぼ全て、明治以降、冷飯を食べさせられたところですね。税金が落ちてこないから道路は悪いし、新幹線は止まらないし、大学もない。でも、そういう状況から何か作っていきたいというエネルギーが溜まっている土地にハマりました。

──国家の中枢にいたからこそ、そうしたエネルギーに惹かれた部分はあるんでしょうか?

太田 これは表現が難しいですけど、僕は霞が関にいて「この中心のないがらんどうさは何だろう?」と感じたんですよね。たぶん何か革新が起きるとしたら、ここではないなと。やることはたくさんあります。みんな相変わらず遅くまで働いているし、それに全く意味がないとは思わない。けれど、どんどん短期的なイシューが前景化して、国会は機能していると思えないし、霞が関はそれに振り回される。組織がマインドレスな(意識がない)状態と言ったらいいかな。優秀な若手官僚がどんどん辞めるのも気になっています。
 近代国家としての日本の仕組みって、できてからある一定の期間はとても良く機能したと思うんです。でもいまの社会においては、いろんな機能不全を起こしている。その一方で、地方に、中央政府が倒れたときのシステムを、こっそり作ろうという不穏な人たちがいる。
 そうした人たちと関わりながら、システムが大きく変わるようなことを仕掛けていきたいな、と考えていた時に、安宅さんから「風の谷」のアイデアを聞いて、「これはすごい未来を作る鍵になるんじゃないか?」と思ったんです。

──そもそも太田さんが「風の谷」プロジェクトと関わったのは、どういうきっかけだったんでしょう。

太田 まず、僕が「コクリ!プロジェクト」という社会システムの変容を仕掛けるコミュニティに2016年から関わっていて、2017年11月に「100年後に語られる一歩を創ろう」というワークショップを建長寺で開いたんです。そこに安宅和人さん(ヤフーCSO/慶應SFC教授)を誘ったら、ワークショップ中に安宅さんに「風の谷」のアイデアが、本人曰く“降りてきた”んですよ。そこですごく盛り上がったのがきっかけですね。
 昔も政治の中心は江戸でしたけど、文化は京都で、経済は色んな地域が強かった。つまり「多中心」だったんですけど、いまは全部が東京に集中して、中央集権的な制度に縛られている。そこでひずみが生まれている気がしていました。だからこそ、都市集中型の未来の代替案である「風の谷」にはすごく魅力を感じたんです。

世界中で進行するメガシティへの一極集中とディストピア化への懸念

太田 2017年に雑誌の『The Economist』が都市と地方の問題を総括する特集を組んでいたんです。そこで都市と地方の格差は世界中に広がっている問題であり、その格差是正に成功した国はひとつもない、と結論づけられていて。

──実際、都市と地方の格差は欧米のほうがもっと激しいんですよね。

太田 そうなんです。イギリスなんてとんでもない格差で。1人当たりGDPで、10倍以上の差ですよ。そして世界中が地方活性化に失敗し続けてきた。

──日本もそうですよね。平成の30年間で「地方を元気にしよう」と色んな政策をやってきたけれど、失敗に終わっている。
 さらにリアルなシミュレーションとして、地球上ではこの先どんどんメガシティ化が進んでいくことは間違いないと思うんです。一般的に人口100万以上の都市がメガシティですけど、東京やソウル、ムンバイのような、人口1000万を超えたモンスター級の都市もアジアを中心に増えていく。日本もその波に飲まれていくわけじゃないですか。

太田 メガシティにおいて幸福度が下がっていくという研究も出ているんですね。仕事もエンターテインメントもあるのに、メンタルを病む人が増えていくと。

──その処方箋は何か考えられるんでしょうか?

太田 働き方改革や色んなサプリみたいなケアはありますが、僕は処方箋に頼って生きていく社会はディストピア的だと思うんです。そこも含めて、自立していかないと。幸福度って概念は前世紀からやっている話ですが、最新の研究では、幸せは、ハイスコアを目指すソリューション志向ではないということが分かっています。しかし、前世紀的な幸せ志向とそれを叶えるサービスが、どんどん増えているのが現状ですね。

地方の死は止まらない。
だから新たなOSが必要

──太田さんは霞が関での仕事でも直面していると思うんですが、いまの日本の地方ってかなり詰んでいるわけじゃないですか。そうした地方の課題の解決法について、どうお考えなのかなと。

太田 地方交付金のような再分配に依存しない経済や社会を作らないとだめでしょうね。だから道路や水道のような公共サービスも、行政だけに頼らず、テクノロジーを使って自分たちで作っていく必要があると思います。
 まず「風の谷」のような20キロ平方メートルくらいの土地で始めて、インフラをはじめとする暮らし方における新しいOSのようなものを生み出す。そして「このOSって他の土地でも使えるじゃん」と繋がっていけばいいですよね。

──それはもう間違いないですよね。ただ同時に、地方において自立できる土地とできない土地って明確に分かれると思うんです。例えば、これまで中央の税金に頼ってきた地元の商店街の店主や土建業の人を「風の谷」にどう巻き込んでいくのかは、すごく難しい問題だなと。「あなたたちの信じている未来は、すでに破綻してますよ」という前提があるわけじゃないですか。でも人間は感情で動くし、生きたい物語しか生きられない動物である。そこを乗り越えるナラティブみたいなものを作ることを頑張らないといけないと思うんです。

太田 合理的な判断やインセンティブによって替わるのは難しいとつくづく思います。
 『地方消滅』という本が、2014年に話題になって、地方創生のブームになったけれど、ほとんどの地方の総合計画は先ほど言ったとおりだし、コンパクトシティを進めているはずが、2005年から2015年の10年間で、逆に地方で新たな居住区が増えていて、その面積は合計すると大阪府と同じ(日経新聞と日建設計総合研究所の共同調査)というのが現実です。
 このままだと、2030年あたりから、社会や経済インフラが維持されなくなっている地域が出てくると思います。

──ただ、いまの民主主義をやっている限り、そのことを正面切って語ることはできないと思うんです。

太田 そうですね。でも、大変化のトリガーになるイベントは起きていくはず。例えば、過疎法(過疎地域自立促進特別措置法)というものがあって、これは時限法で、1970年に施行されてから、何度か延長されているんですが、無限に延長できるわけではないことは皆知っている。これがなくなると「過疎債」という過疎地を対象にした返さなくていい借金みたいな優遇措置もなくなってしまうんです。
 そうなった際、土地を放棄するのか、オルタナティブの仕組みを考えるのか迫られることになる。これは選挙もインフラも、全部そうですよね。既に、毎年大型の台風が来るようになり、道路も補修できなくなってきています。だから打ち捨てられたところを元に戻すんじゃなく、まるっきり変えていくために「風の谷」が機能するのかもしれない。

▲「風の谷を創る」メンバーで視察した会津若松のキャンプ場。(© Gen Kumagai)

人と世界との関係性を、
テクノロジーで変える

──本当は「風の谷」は震災の時になくてはいけなかったんだと思います。もちろん当時とはテクノロジーも社会環境も違うから、例えばの話なんですけど。
 震災のあとはかなりの割合で、個人補償ではなく、自治体に税金を投入して土地や暮らしを元どおりにしていきましたよね。地元住民の感情とは別かもしれませんが、その地域にとって、長期的にはよくないやり方だったと思うんです。本当は震災をきっかけに、もっといい土地との関わり方、住まい方があるはずだという問題提起をしなきゃいけなかった。

太田 震災から何を学ぶのかということなんですが、道路やエネルギーや医療といった社会インフラについて、短い時間軸で一気に変動が起きてしまったと考えてもいいのかもしれない。これから日本中で十数年かけて、あのレベルの変化が起きていく。それに対して「風の谷」がひとつの答えになっていくんでしょうね。
 人口減少は、過疎地域以外も避けられない話なんです。例えば「風の谷」の最初の実証実験をおこなう小田原でも、いま20万人いる人口が2040年には15万人台になる。5万人も減るわけですよ。

──だから地方創生で「福岡がうまくいっています」みたいな話って意味がない気がしていて。というのも、条件的にも地理的にも恵まれているし、人口100万レベルの都市をモデルに考えても、いまの地方の問題に関しては意味がない。小田原みたいな20万〜30万で、非東京圏の都市がいかに自立するかに問題設定をチェンジしないといけない。

太田 パソコンで例えると、人口100万レベルの都市って、ベンダーがカスタマイズしたシステムを作ってくれるんですよね。仕組みを作ってくれる人がいる時点で、やっぱり恵まれている。その一方で、15万レベル以下の市や町、数で言うと1300くらいあるんですが、そこでは、特注品は買えない。だからこそ、都市OSのような基盤をインストールし、汎用品のアプリを買って走らせるようにすれば、そうした都市でも生き残る可能性が出てくるわけです。
 テクノロジーによって「公共」のあり方も変わっていくと思っています。オープンデータなんか分かりやすい例ですが、例えば、学校給食のメニューをオープンデータにすると、子供のアレルギーについて親が学校に文句を言うのではなくて、自分たちでアレルギーが分かるサービスをつくるようになる。さらに一歩進んで、僕は空間を作り替えると、もっと大胆にパブリックなサービスも変わっていくと思っていて。行政が全部やってくれるんじゃなくて、「水道を俺たちはここまでやるから、あとは住民の皆さんでよろしく」みたいな関係があってもいい。その点、小田原は他の地域と比べて、市民の人が行政を「お上」と思っていない。その点が健全で好きですね。
 「風の谷」はそもそもメガシティと同じ方向を向いたサービスをダウングレードして地方で使う、みたいな話ではないんですよね。まったくオルタナティブな手段で世の中を変えようとしている。例えば「風の谷」ではコミュニティではなく、空間を作ろうとしてる点なんです。価値観の近い人が集まって地方にコミュニティを創るのは否定しませんけど、空間自体をゼロベースで考え直すという「風の谷」のアイデアは、これからの日本にとって、根本的な解になりうるんじゃないかと。

──僕たちはつい最近まで「世の中を変える=政府を変える」と信じてきたと思うんです。でも、目的はあくまで世の中を変えることなんですよね。行政は手段でしかない。だからこそ、太田さんみたいな行政と関わりの深い方が「風の谷」プロジェクトの中核にいることが、行政が有効に世の中を変える手段のひとつとして再定義されたらいいなと思います。

[了]

この記事は、宇野常寛が聞き手を、友光だんごが構成を、石堂実花が写真撮影をつとめ、2020年3月19日に公開しました。