太平洋は、アメリカや日本といった国々が面する巨大な海です。中国の沿岸にあるのは黄海や東シナ海、南シナ海といった海であり、太平洋には直接面してはいないものの、環太平洋の国々に含まれることが多いです。商業航路となった歴史は大西洋や地中海よりも短いですが、現代では経済大国に囲まれ、世界で最も重要な経済圏の一つとなっているのは間違いありません。

南シナ海と同様、太平洋も華僑の活躍が著しい地域です。北米の中華モールは、彼らの活動が太平洋の西側だけではなく、東側にも及んでいる証拠です。今回は主に太平洋を挟む二つの大国、アメリカと中国について、これらの国々のインフォーマルマーケットがどのような構造になっているのかをお話ししたうえで、各地のインフォーマルマーケットが今後どのようになっていくのかについて、私なりの予測を述べたいと思います。

アメリカ・カナダにもあるインフォーマルマーケット

アメリカは、言うまでもなく世界最大の経済大国です。最強の経済力を持つ国家の政府にとっては、インフォーマルマーケットは自国企業のビジネスの邪魔にしかなりません。これまでにも何度も取り上げてきたアメリカ通商代表部は、各国のインフォーマルマーケットを敵視し、アメリカの様々な業界団体から情報をかき集め、毎年「悪質市場リスト」の一覧を発表している、インフォーマルマーケットの格付け機関でもあります。

さて、このようにビジネスにおいても世界の警察官たらんとしているアメリカ合衆国、その国内には、インフォーマルマーケットは存在しないのでしょうか? アメリカのインフォーマルマーケットはFBIや内国歳入庁、ウォルマートが皆根絶やしにしてしまったのでしょうか? 答えは否です。

アメリカは世界中から様々な人が集まる超大国です。長大な国境と海岸線を持ち、膨大な数の人々が出入りする国です。不法移民の処遇は社会的なイシューとして頻繁に取り上げられています。私がかつてアリゾナ州の大学院に留学していた際、夜にヘリコプターがサーチライトで地上の何かに照明を当て続けているのを見たことがあります。近くの人に、「あのヘリコプターは何をしているんですか?」と聞くと、「Man Hunt!」という答えが返ってきました。メキシコに接するアリゾナ州では、メキシコからアメリカに強行突破で入ってくる人々がいるそうなのです。このように、ヒトの移動ですらインフォーマルな流れが起きているのに、モノの移動にインフォーマルな流れがないわけがありません。

アメリカのインフォーマルマーケットの規模についてよく引用されるのが、やや古いですが、Richard J. CebulaとEdgar Feigeによる「アメリカの無申告経済」という2012年の論文です。彼らは、2009年のアメリカにおいて、1.8~2.4兆ドルの収入がアメリカの内国歳入庁に申告されていない、と述べています。1ドル=110円として日本円にすると198兆円~264兆円、約100兆円程度とされる日本の一般会計歳出よりもずっと大きいのです。

この中には当然、大企業による申告漏れのようなものも含まれているわけですから、私たちがこれまでに見てきたインフォーマルマーケットの定義にこの収入規模の全てが当てはまるわけではありませんが、アメリカの経済がフォーマルマーケットだけで成り立っていない、ということはこの数値からよくわかります。アメリカが麻薬の大消費国であり、中南米からアメリカに大規模なコカインの流通網がある、というのはよく知られているかと思いますが、このような完全なアンダーグラウンドの商品以外でも、新興国で見るような偽物商売はアメリカでもきちんと(?)成り立っているのです。一番わかりやすい例はアメリカの大都市の各地で定期的に開催されているフリーマーケットでしょう。

フリーマーケットを不用品交換会、swap meetと呼ぶこともあります。ロサンゼルスですと、毎年年初にカレッジ・フットボールの試合が行われることで有名なローズ・ボウルで毎月第二日曜日に開催されるフリーマーケットがヴィンテージ品や古着、各種中古品の販売市として有名です。入場料の存在、高価な場所代などもあって、このローズ・ボウルのフリーマーケットはカリフォルニアの数あるフリーマーケットの中でも最も秩序があり、フォーマルマーケットとインフォーマルマーケットの限界事例のような存在になっています。

▲ロサンゼルス郊外のフリーマーケット。フリーマーケットはアメリカでは最も身近なインフォーマルマーケットかもしれない。
▲フリーマーケットで販売されていた中古ゲームの類。

自動車大国であるアメリカでは、郊外のドライブインシアターでフリーマーケットが開催されることがしばしばあります。特にカリフォルニア州のようにメキシコと国境を接する州では、メキシコ人のトレーダーがこうしたマーケットに訪問し、商品を売りさばいています。

アメリカのインフォーマルマーケットがどのような状態になっているのかは、ロサンゼルスのような、日本人がよく行くような大都市でも観察することができます。特に見つけやすいのは都市中心部の問屋街と問屋街の間にある隙間地域です。一例を挙げましょう。ロサンゼルスには、トイ・ディストリクトという玩具問屋地区があります。この卸売店が立ち並ぶストリートの中に、狭い路地があります。この路地を抜けていくと、パラソルを指した露店が立ち並ぶ裏通りに出るのです。ここでは、ゲームや映画の海賊版製品が多く売られているのを目に出来ました。北米ではオンラインのコンテンツ流通が整備されているので、こうした海賊版製品はハリウッドのメジャーな作品などではなく、現地のヒスパニックに人気のある音楽や映像作品が販売の主力になっていました。

▲ロサンゼルス、トイ・ディストリクトの裏路地の露店街。
▲ロサンゼルスの露店で売られている映像作品やゲーム類の海賊版。

アメリカの隣国であるカナダも先進国扱いされる国の一つですが、インフォーマルマーケットはやはり存在します。有名なのが東部の五大湖の一つ、オンタリオ湖に面するトロントにある、パシフィックモールです。このモールは商人がテナント式でオーナーから区画を買い、店を開く仕組みになっており、中国製の海賊版や偽物商品が売られる店がたくさん存在することで知られてきました。こうした状況ゆえ、ショッピングモールは2018年にUSTRによって「悪質市場」の一つに指定されました。カナダで唯一悪質市場の認定を受けたことで、ショッピングモールのオーナーは強くショックを受けたことを表明し、偽物を取り扱う商人の取り締まりに協力することを表明しました。

▲カナダのパシフィックモール。(出典

新興国の市場においては、USTRにこうした指定を受けてもなかなか変化がないものなのですが、このショッピングモールの場合には海賊版ビジネスは本当に消えていったようです。北米でオンラインでのゲーム・映画等コンテンツの流通が早期に整備されたことが前向きに働き、映像作品の海賊版ビジネスそのものが成り立ちにくくなったのです。このショッピングモールの場合は、先にロサンゼルスの話で出てきたような、ヒスパニック向けの映像作品といった、オンラインのコンテンツプラットフォームの恩恵を受けにくい層に刺さるニッチ市場の海賊版製品も少なかったようで、こうした商売が成り立たなくなってきたところに強い取り締まり要請があったことが、海賊版ビジネスが収束する要因になりました。

しかし、海賊版ビジネスは鳴りを潜めたものの、偽物商品は相変わらず一定量扱われているようです。一旦商人がモール内の区画を買ってしまった後に、海賊版や偽物を売り出すようになってしまうと、通報でもない限り、ショッピングモールのオーナーは手出しができないからです。このパシフィックモールは、USTRの「悪質市場」にこそ掲載されなくなりましたが、欧州委員会(EC)の偽物・海賊版ウォッチリストには2020年版に相変わらず掲載されており、服や履物、玩具、カメラ、スマートフォン、コンピューター、電化製品、化粧品、宝飾品といった様々な分野の偽物がこのショッピングモールで扱われていることを警告しています。

ちなみにこの欧州委員会のレポートによると、パシフィックモールのほかに、欧州のケベックのSaint Eustache Flea Market、オンタリオの747 Flea Marketといった市場が偽物商品を扱っている市場として警告を受けており、カナダ全土にこうした偽物商売の拠点があることがわかります。

「世界のインフォーマルマーケットの元締め」中国

世界各国のインフォーマルマーケットで扱われている商品は、最先端の製品、汎用品を問わず、中国製のものが多い、という話はどの地域でも見てきた通りです。では、それらのインフォーマルマーケットの商人は中国のどこから商品を仕入れているのでしょうか?

最近、中国の大都市では偽物を見かけなくなった、という話をよく聞きます。例として中国・広東省の深センを挙げたいと思います。深センは、日本人にもよく知られている通り、世界のテックビジネスの中心といっても過言ではない都市です。華強北路という大通りの周囲には、様々な電子製品を扱う店が集まっています。以前は大通りに並ぶ店にも多数の怪しげな商品が扱われていたのですが、最近は少なくとも表通りには小ぎれいな商品が並んでいるだけのように見えます。

▲中国の有名な家電量販である蘇寧も深センに進出している。近年はコロナ禍で業績が急速に悪化している模様。

特にゲームについては、中国ではオンラインゲームが市場の中心になっていったということ、テンセントのような大企業が海外コンテンツのIPの中国国内展開の権利を得て、積極的に海賊版業者を訴えるようになったこともあって、海賊版DVDのようなオフラインのコンテンツ商品はほとんど姿を消しました。最近は中国の弁護士事務所が「中国オンラインゲーム産業権利侵害訴訟白書」というものまで出すようになっています。製造業の分野でも、今までブランドグッズの偽物ばかりを作っていた会社が、利益とノウハウを積み、正規品を作る会社に成長していく例は珍しくありません。こうした実例から見て、中国ではやがて偽物を作る会社は正規品を作る会社に淘汰されていくのではないか、という考えが出てくるのも納得はできます。

▲深セン、中古のiPhoneのパーツ屋。

中国の深センだけではなく、各地の大都市でもこうした偽物電子製品が表に並ぶことは少なくなっています。ZOL売場黄頁というサイト(出典)には、中国全土の様々な電脳商城が掲載されています。これらの中でも有力都市にある商城においては、海賊版商品などは上の階にどんどんと追いやられ、最終的には無くなっていきました。ときどき怪しげな製品の販売を見かけることはあるものの、中国の海賊版ビジネスは、少なくとも観光客の目につくところからは姿を消したように見えます。

▲ゲーム機のクローンで有名な小覇王。2020年11月に倒産。

では中国の偽物ビジネスは完全に最先端の製品に一掃されてしまったのでしょうか? もちろんそんなことはありません。アメリカ通商代表部の「悪質市場リスト」は、アメリカ税関が接収している海賊版・偽物商品の92%(金額ベース)が中国製であると主張しています。さらに言えば、世界中で偽物商品がたくさん売れているというのに、商売をしないというのは、偽物商品業者から見ればビジネス機会の逸失です。今月には広東省でウルトラマンの偽物のフィギュアを大量に製造していたグループが逮捕されたことが日本でもニュースになりましたが、こうした取り締まりの話が絶えないところを見ると、偽物商売は海外相手だけではなく、国内でも続いているように思われます。

では、具体的にこうした偽物や海賊版はどこで取り扱われているのでしょうか? USTRの「悪質市場リスト」には、代表的な中国の悪質市場として、8つの市場が挙げられています。代表的なものを挙げれば、北京の繊維系偽物販売で有名な秀水街、上海最後の偽物市場と言われる上海亜太新陽服飾礼品市場、衣服販売で有名な瀋陽の五愛市場、そして後で詳しく取り上げる、義烏国際商貿城です。取り締まりの強化にも関わらず、大都市に隠然とこうしたマーケットが残っているのは興味深いことです。

総じて言えば、大都市のこうしたモールで営業している業者は、偽物製品の直接販売をやめるか縮小する代わりに、卸取引を直接行うようになっているようです。表には正規商品を並べ、バイヤーが来ると偽物商品の商談をするわけですね。具体的な消費者は、大都市ではなく、その周辺の発展しつつある都市や、内陸部の省の人々、そして新興国のインフォーマルマーケットで買い物をしている人々です。中国には一線都市、二線都市、三線都市という都市のグレードが存在します。グレードによって人々の購買行動には大きな差があり、一つグレードの低い都市に新しい製品が広がるのには数年という年月がかかります。つまり大都市で需要がなくなったら地方都市と海外で販売すれば良いので、地産地消のB2Cをやめて遠隔地へのB2Bに切り替わった、というだけのことなのです。

なぜ中央政府が取り締まりを強化しているのにも関わらず、こうした偽物商売が無くならないのかと言うと、地方政府当局が取り締まりに前向きでないということが理由として大きいようです。地方政府当局にとっては、偽物であろうと本物であろうと、税金を納めてもらえれば良いのです。都市の中に、偽物ばかり作っている工場しかなければ、それを潰してしまうと税金が得られなくなりますし、雇用も減ってしまいます。中央政府が取り締まりを厳しくすれば地方政府もそれに従わざるを得ないので、徐々に良くなってはいくでしょうが、世界のインフォーマルマーケットで中国産の偽物があふれている以上は、いきなりゼロになることは考えられません。

全ての中国人がS級ビジネスだけで食べていけるわけではありません。B級商品を生産できる人手があり、それを求める人がいるのであれば、いかにお上(中央政府)が規制しようと、あの手この手で残り続ける、というわけです。中国の偽物ビジネスは姿を消したのではなく、単にビジネスモデルが変わっただけで、大都市の奥深くに今も残り、成長する地方都市と海外のインフォーマルマーケットの商人を相手に商売しつづけているのです。

最近、中国政府当局によるオンラインゲームを始めとするコンテンツ産業への強い介入が取りざたされていますが、これまでのコンテンツ産業の歴史から考えても、インフォーマルなコンテンツのネットワークが中国でなくなることは決してないはずです。オフラインゲームの海賊版をあまり見なくなった中国ですが、オンラインゲームの規制が厳しくなると、政府のトラッキングが難しいオフラインゲームの非正規輸入に再び目を向ける業者が出てくるかも知れませんね。

インフォーマルマーケットの中のインフォーマルマーケット

さて、このように多種多様な中国の市場の中でも、世界的に絶大な影響力を持っているのが、義烏の卸売市場です。世界の様々なインフォーマルマーケットの商品が、この義烏から出荷されているのです。ゲーム関連製品や電子製品については深センの方が大きいですが、市場に流通する商品全体という意味では義烏のほうが重要性は大きいです。いうなれば、義烏はインフォーマルマーケットの中のインフォーマルマーケットなのです。

▲義烏市内の看板。

義烏には国際商貿城(福田市場)と呼ばれる巨大な卸売市場があり、そこで世界中から多くの人が訪れ、様々な商品を購入します。この国際商貿城の中には50,000以上の店舗が店を構え、地区ごとに様々なセクターの店が並んでいます。

▲義烏、全世界の国旗売場。義烏は各国の政治家のご用達だ。

この義烏には、日本からも、百均ショップのような安売り業者やeコマースでの小規模販売で収益を上げようとする人々が多数訪れています。他の国における卸売市場では小売りも兼ねているケースが多く、商品販売は消しゴム一個、ステッカー一つのように一つずつの分け売りでも対応してくれるのですが、義烏の商人は卸売を徹底しており、小規模なロットではなかなか販売をしてくれません。住み込みが多いようで、モールの中を店番の人たちの子供が走り回っているのが印象的でした。

▲国際商貿城の内部。

義烏の中のいくつかの店舗は、「義烏指数データ収集店舗」と貼りだしているところがあります。この「義烏指数」というのは、義烏のいくつかの店舗が協力して売上のデータを提供し、義烏市政府が定期的に発表しているものです。この「義烏指数」は、政治や経済の動向を占う指標として注目を集めています。

▲義烏市政府のホームページに記載されている、義烏・中国小商品価格指数。(出典
▲義烏の中にある、「義烏指数」協力店。

アリババと義烏は興味深い協力関係を持っています。中国最大のeコマースプラットフォームであるアリババは、義烏と同じく浙江省の杭州に本社があり、杭州から義烏まで、鉄道を使えば30分で行くことができます。アリババの創業者であるジャック・マーはアリババの設立前には、義烏に週末に訪れて商品を仕入れ、売りさばいていたそうです。また、彼がB2Bのオンラインコマースプラットフォームとして立ち上げた1688.comは、義烏のビジネスモデルにインスパイアされたものともいわれています。一方、義烏には青岩刘という中国最大級のタオバオ村(eコマースサイト「淘宝網」が中心的な産業になっている村)があります。

インフォーマルマーケットの親分である義烏は、世界の偽物ビジネスの中心でもあり、当然のようにUSTRの「悪質市場リスト」に掲載されています。新興国に空路経由で運ばれる偽物商品を現地警察が摘発すると、その商品は義烏発だった、というケースは非常に多いのです。モールの中を歩いていると、堂々と偽物がショーケースに並べられている店をしばしば見かけました。また福田市場内の店は出張所でバイヤー向けのショーケースとして商品を並べているだけのことが多く、並んでいる商品は本物であっても、店の内側に偽物が置かれていることもあります。また、福田市場内の店と工場がリンクしていて、店主にバイヤーが声をかけるとPC内のデータを見せてもらい、商談が成立すると偽物製品の製造を工場へ発注を行う、というやり方があるのは、「世界の工場」である中国ならではと言えるでしょう。

▲義烏で売られていた怪しげなゲーム機。義烏はゲームが主力ではなく、こうした店の数は少ない。

9.11後に大発展した世界最大の卸売市場

義烏はなぜここまで巨大な卸売市場に成長したのでしょうか? 浙江省の沿岸部には、アリババのお膝元である杭州や歴史ある貿易都市である寧波など数多くの商業都市がありますが、内陸の盆地に所在する義烏は目立たない一地方都市に過ぎませんでした。特産物といえばサトウキビ程度しかなかったのですが、このサトウキビを周辺の都市で鶏の羽根と交換するビジネスが17世紀にはじまりました。さらに鶏の羽根を加工してほうきにし、販売するようになったそうです。今でも義烏では「鶏毛換糖」という言葉が一種のスローガンになっています。

▲義烏国際商貿の中の様子。左奥に「鶏毛換糖」の語が見える。

中国の計画経済の時代にも、義烏の人々は物々交換を通じた商業活動に力を尽くしていました。1982年には義烏政府の主導で「中国義烏小商品城」が始まりました。当初はこの市場はフリーマーケットの一種に過ぎなかったのですが、その後次々に卸売市場が新設・拡張されていきました。

義烏が急速に発達し、世界最大の卸売市場とまで呼ばれるようになったのは、今からちょうど20年前に発生した2001年の9.11テロ以降のことです。9.11テロ以前には、レバノンなどアラブ諸国の商人はアメリカや欧州で商品を買い付けていました。しかしこのテロ事件が起こってからは、彼らがアメリカに行くことが難しくなりました。彼らにアメリカのビジネスビザがまったく出ないわけではないのですが、生き馬の目を抜く販売競争をしている彼らにとっては、商品をアメリカ経由で買うよりも、中国から直接仕入れたほうが価格的にも効率的にも良く、義烏での直接取引に、このタイミングで多くのバイヤーが切り替えていったのです。

義烏最大の福田市場も開場したのは9.11テロの次の年、2002年9月です。2004年10月に第2区が開業した後には、2005年5月に第3区、2008年10月に第4区と、年を追うごとに新しいエリアが拡張されていきました。習近平や李克強など、中国の重要な指導者が義烏を訪問していることは、義烏が中国全土でも特別な重要性を持つ商業都市であると認識されていることの証左です。

▲義烏国際商貿城の中。写真は5区。

今は、中国国内の都市でありながら、義烏は国際色豊かな街になっています。世界中から1日20万人以上のバイヤーが訪問し、1万人以上の駐在員が常駐するとされる義烏ですが、特に中東からのバイヤーの訪問が多いようで、彼らに向けた広告がそこかしこに出ています。また、中東からの買い付け人のために、新疆ウイグル自治区出身のムスリムや、タジキスタン・キルギスのような中国の隣国出身のムスリムがハラールに対応したレストランを出店しています。私も道行く人にインタビューをしましたが、やはり中東系が非常に多いのです。ブラジルからの商人であってもレバノン系が多い、というのは当連載の大西洋編をご覧になっている方なら納得できる事実ではないでしょうか。

▲中南米からのバイヤー向けの広告。

中国と中東との深い関係を象徴するのが、義烏のモスクです。2001年の9.11以降に急速に増えていった義烏のムスリム商人ですが、当初は彼らが礼拝をする場所がなく、ホテルのロビーを集団で借りて礼拝をしていたそうです。そうした状況を改善するため、2006年には中国でも有数のモスクである義烏清真大寺が建設されました。また、ムスリムのための共同墓地も設置されるなど、世界の様々な文化的背景を持つ人が暮らしていけるための生活・社会インフラが整っています。

▲義烏の清真大寺。
▲右の幼稚園の広告は多言語併記になっている。

世界のインフォーマルマーケットの中心である義烏は、中国の一帯一路政策の起点でもあります。中国は中国とヨーロッパ、その間の国々を結ぶ列車、「中欧班列」の本数を増やし、ユーラシアの他国への影響力を強化しようとしていますが、その起点になるのが義烏なのです。これまで義烏の商品は浙江省の空港を使った空路や沿岸部の港からの海路が主要な販売ルートでしたが、ユーラシアを東西につなぐ鉄道を使った輸送が政府の後押しで増えてきています。

▲東の中国・義烏からカザフスタン・ロシア・ドイツ・フランスを通り、西のスペイン(西班牙)に至る路線の紹介。(出典

2014年末には、義烏から新疆ウイグル自治区を通り、カザフスタン・ロシア・ドイツ・フランスなどを通って、スペインのマドリードまでの13,000キロを走る貨物列車の試験走行が実施されました。その後も輸送量は年々増加の一途をたどっており、コロナ禍においても空路・海路の混乱を横目に拡大を続けています。

▲2020年、義烏・マドリード間の中欧班列。(出典

コロナ感染が世界中に広がっていった2020年には、中国政府が入国制限をかけたため、世界中から義烏へ来ていたバイヤーはほとんどいなくなってしまい、義烏の卸売ビジネスは大きな打撃を受けました。しかし、福田市場を運営する中国小商品城が義烏の卸売業者と世界のバイヤーをマッチングさせるオンラインサイト、Chinagoodsを2020年9月に開設しました。各バイヤーもコロナ禍が終焉するのを待つことなく、店主体でライブコマース等を使ったオンライン販売に乗り出しました。こうした卸売ビジネスのオンライン化の努力の結果、コロナ禍という事態にも関わらず、義烏市場の2020年の輸出入額は前年比増を達成したそうです。

▲義烏のオンラインサイト、Chinagoods発表の様子。(出典

終わりに:改めて、インフォーマルマーケットとは何か、これからどうなるのか。

これまで世界各地のインフォーマルマーケットがいかに巨大で、いかに手に負えない存在で、またいかに強いエネルギーを持って商売しているのかを見てきました。最後に、インフォーマルマーケットが今後どうなっていくのかについて、私なりの考えを述べたいと思います。

まずは簡単にインフォーマルマーケットの巨大化の経緯をおさらいしておきましょう。ヨーロッパから始まった近代の諸制度は、インフォーマルな仕組みを前近代の遺物として否定するかたちで発展してきました。国家の秩序が十分に及んでいないインフォーマルマーケットは、近代においては不要な存在です。アメリカとソ連が対立する冷戦期においても、日本のヤミ市がそうであったように、インフォーマルマーケットはフォーマルマーケットの機能不全を補完する存在、あるいは前近代の残滓に過ぎませんでした。自由経済の国であれ計画経済の国であれ、それは国家が近代的な機能を備えておらず、徴税能力・治安維持能力が不足している証拠に過ぎませんでした。フォーマルマーケットの混乱が収束すれば、こうしたヤミ市はそれに伴って規模を縮小、ところによっては完全に地下化、あるいは消滅していきました。

現代の新興国を中心として発達している、ポスト冷戦型のインフォーマルマーケットは、かつての日本のヤミ市とは規模や構造が根本的に違います。これらのインフォーマルマーケットが拡大したのは冷戦期以降のことです。冷戦後の世界経済構造が、新興国におけるインフォーマルマーケットをこれまでにないほどに巨大化させました。アメリカをはじめとする先進国が製造業のアウトソーシングを中国に集中させたことで、他の新興国では国の規模、人口増に見合った製造業が発達しませんでした。その結果、あぶれた雇用を、中国から新興国に商品を流通させ、隅々にまで行き届かせるインフォーマルマーケットが吸収する、という構造が登場しました。

太平洋では華僑が、インド洋ではパキスタン人が、大西洋ではレバノン人がインフォーマルマーケットの主役になっている、という話をしましたが、彼らは横の連携を保ち、商品を国際的に流通させています。どこかの国で在庫が余れば他の国に運んでいくのです。

そして中国は自らの商品を世界市場で可能な限り売っていくために、新興国のインフォーマルマーケットを巧みに利用しています。こうした国際政治の情勢、経済の大まかなモデルが変化しない限り、ポスト冷戦型のインフォーマルマーケットは生き残り続けるでしょう。

インフォーマルマーケットは、法秩序よりもユーザーのニーズを優先させるかたちでビジネスモデルを生み出していく傾向にあります。そのため、先進国の有力企業が展開するプラットフォームビジネスやブランドビジネスに対して、海賊版・偽物商売がはびこりやすい構造になっています。インフォーマルマーケットが現地の雇用と紐づいていればいるほど、現地当局はこうした違法な商売に対して見て見ぬふりを決め込むことになってしまいます。先進国による貿易協定を通じた圧力の効果が残念ながら限定的であることは、USTRの「悪質市場リスト」に特定の市場がいつまでも掲載され続けていることからも明らかです。

それでは今後、インフォーマルマーケットはどのように変化していくのでしょうか? まず考えられることはeコマースとの結びつきです。COVID-19はインフォーマルマーケットを一時的に休止させる影響はもたらしたものの、大勢を変化させていません。コロナ禍でも多くのインフォーマルマーケットは活動を続けており、義烏のようにむしろeコマースとの結びつきを強め、拡大発展すらしています。eコマースとは言っても、メーカーと消費者を直結させて、自宅に配送するようなモデルではなく、B2Bの商取引モデルや、特定の商品カテゴリーごとに身近な商人の商店で受取りをするようなモデルのほうが主流になると思います。

新興国では物流の発達が先進国に比べて遅れています。eコマースの発達も大都市圏に限られてきたため、モール型にせよカート型にせよ、純粋なeコマース企業がインフォーマルマーケットに取って代わることはできませんでした。しかし、地域密着型のインフォーマルマーケットがeコマースに手を出し、新しい形のeコマースビジネスを実現できるようになれば、地方都市にもeコマースが広がっていくことでしょう。逆にこうした需要を見越して、インフォーマルマーケット向けのホワイトレーベルのeコマースビジネスが発達するかも知れません。

インフォーマルマーケットにはキルギスのドルドイのようにオーナーがいるケース、ナイジェリアのアラバ・インターナショナルのように選抜された商人の代表が共同運営するケース、モロッコのデルブガレフのように単にその場に商人が集まっているだけのケースがありますが、この点では意思統一がしやすいオーナーのいるインフォーマルマーケットの方が、先に上手くいく可能性が高いように思います。

次に考えられることは、地域ごとに規模の大きいインフォーマルマーケットが、他の小規模なインフォーマルマーケットを傘下に収めていくということです。インフォーマルマーケットがeコマースと結びつくと、これまで来客したことのない顧客へのアプローチが可能になり、商圏の拡大が容易になります。これまで商圏が重ならず地域ごとに住み分けていたインフォーマルマーケット同士の商圏の重複が起こるようになるわけです。

商圏が重複し、顧客の取り合いになると、規模の大きいインフォーマルマーケットが小さいインフォーマルマーケットを圧倒していくことになります。オンライン上での商取引を円滑化しようとすれば、十分な運用費が必要になり、規模が大きく共益費を多く得られるインフォーマルマーケットの方が有利だからです。こうなると大きな市場はマーケットとしてのブランドを掲げ、小さな市場をフランチャイズ化していくかも知れません。ブランド無視の商売がはびこっているインフォーマルマーケットがフランチャイズビジネスをするのはおかしな話ですが、既にアルゼンチンのLa Saladaがインフォーマルマーケットのフランチャイズをアフリカで作ろうとしたケースもあり、他の地域でも十分に考えられることです。

こうした中で気を付けなければならないのは、インフォーマルマーケットの巨大な集客力がeコマースにとどまらず、オンラインのビジネスと結びつくと、法秩序を無視した恐るべきアンダーグラウンドビジネスが出てきかねない、ということです。たとえばゲームビジネスにおいては今後、GAFAやテンセント、アリババのような巨大IT企業とはまったく違うところから、IPや版権、プラットフォームを一切無視し、ユーザーの利便性だけを考慮した「野良クラウドゲーミング」のようなサービスが登場する可能性を私は想定しています。

私たちから見ればまさに「論外」の存在ですが、国や企業のコントロールのできない所でこうしたビジネスが登場し、世界展開など始めると、新興国でユーザーを取り込むだけではなく、先進国のフォーマルなコンテンツビジネスを脅かす存在になりかねません。こうしたビジネスが幅を利かせないように、早いうちからウォッチし、芽を潰せるような仕組みが重要になってくるでしょう。

繰り返しになりますが、ポスト冷戦型のインフォーマルマーケットの最大の存立基盤になっているのは、雇用だと私は考えます。インフォーマルマーケットの際限ない拡大を食い止めるのであれば、フォーマルビジネスの側から、新興国のインフォーマルマーケットで働いている人々を取り込めるようなビジネスモデルを考えていくほかはないと思います。

もちろん私たちは違法な市場を認めることは絶対にできません。しかし、インフォーマルマーケットが様々な国々でフォーマルマーケットを圧倒している現状を踏まえ、インフォーマルマーケットを潰しにかかろうとして疲弊するのではなく、どのようにインフォーマルマーケットで販売活動を行っている人々のパワーを、私たちのプロダクトやサービスの顧客拡大につなげられるか考えていく方が建設的ではないでしょうか。

インフォーマルマーケットの際限のない拡大は、近代の制度が人間の欲望を制御しきれなくなっている証拠です。しかし、インフォーマルマーケットが近代の制度に取って代わることはできません。この現実を真正面から捉えることが、世界経済に何が起きているのかを理解し、次の時代に向かって私たちが行動するためのきっかけを与えてくれると信じています。

(了)

この記事は、PLANETSのメルマガで2021年9月24日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年10月20日に公開しました。
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