前回は合体戦士からヘッドマスターズまでの流れを分析したが、その後のトランスフォーマーの展開もまた、多様である。
 ヘッドマスターと同様のミニフィギュアがエンジン(状のデバイス)に変形して本体に合体する「パワーマスター」、人間や動物を模した外装の中にロボットを収めた奇抜なコンセプトの「プリテンダー」、非変形のフィギュアが武装したりビークルに乗り込む遊びを提案した「アクションマスター」、小型のトランスフォーマーによる基地遊びを前面に押し出した「マイクロマスター」──他にもさまざまなカテゴリがあるが、ここでは多くの試みによって、遊びの幅が野心的に開拓されていったことを理解しておくに留めたい。
 平行して、日本独自の展開としてアニメーション作品『トランスフォーマー 超神マスターフォース』(1988)『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマーV』(1989)が制作されており、これは後に『勇者エクスカイザー』(1990年)をはじめとする「勇者」シリーズに繋がっていくのだが、こちらの流れについては、「勇者」シリーズの流れと関連して後述しよう。
 アメリカにおいては1990年でいったんトランスフォーマーの展開は終了しており、1985年の展開スタートからここまでを便宜上「ジェネレーション1(G1)」と呼ぶことが多い。そしてこのG1に続いて1993年から1995年にかけて展開したのが「ジェネレーション2(G2)」と呼ばれるラインだった。G2は、「フリーポーザブル」と呼ばれるロボット形態の関節稼働や、さまざまな新しいギミックが搭載された傑作シリーズとして人気を博した。

▲G2最後期の傑作「バトルコンボイ」。ライト点灯やミサイルの発射などさまざまなギミックを搭載しつつ、優れたプロポーションと関節可動を持つ。 『トランスフォーマージェネレーション デラックス ザ・リバース:35周年記念バージョン』 (メディアボーイMOOK、2019) p85

 フリーポーザブル仕様を投入した変形ロボットであるG2のトランスフォーマーたちは、おもちゃの進歩の歴史としてはたいへん重要な存在である。自由に関節が動くということが遊びの想像力にどのような影響を与えたかも興味深いところではあるが、モチーフのレベルではむしろマシン―ロボットというトランスフォーマー初期のコンセプトに立ち返ったと考えることもできる。そのためここでは次の展開に論を進めていきたい。
 その展開とは、1996年よりスタートした『ビーストウォーズ 超生命体トランスフォーマー』だ。

▲「ビーストウォーズ」wave1として発売されたコンボイ(Optimus Primal)。ゴリラからロボットへ変形する。丸みを帯びたシルエットと毛並みのディティールが、それまでのトランスフォーマーとはまったく異なる。写真は2021年発売の復刻版。(出典

フロンティアのG1、冷戦のG2

 このシリーズは、ふたつの点で画期的である。ひとつは、これまでのようなマシンではなく、生の動物がロボットに変形すること。もうひとつは、フル3DCGで制作されたアニメーションで物語が展開されたことだ。
 ビーストウォーズは発売されるやいなや生産が追いつかないほどの大ヒットとなり、トランスフォーマーの歴史を塗り替えていくこととなった。80年代後半のオリジンをG1、90年代前半のフリーポーザブルをG2として、これらに匹敵する変革を巻き起こした90年代後半のビーストウォーズは事実上「ジェネレーション3=G3」であったと見なされている。
 G1がアメリカにおける男性性の美学と強く結びついていたことによってヒットし、G2の展開過程でその美学の耐用年数が過ぎてしまったと考えるならば、G3としてのビーストウォーズもまた、90年代後半のアメリカ文化から読み解いていかなくてはならないだろう。
 先に結論をまとめよう。アメリカにおける90年代は「20世紀的工業主義」に対する反省としての「エコ」の思想が流行し、技術的には「生物工学」と「情報技術」が急速に発展した時代であった。経済的には不況下のジェネレーションXが内省的な文化を発展させ、その後はヒッピーの血筋を引くカリフォルニアン・イデオロギーが台頭していく。そして、動物―ロボットの関係、そしてフル3DCGアニメーションという技法は、こうした時代性と密接に結びついている。
 前日となる80年代から90年代前半におけるもっとも大きなインパクトは、冷戦の激化と緩和、そして終結であった。ロナルド・レーガンからジョージ・H・W・ブッシュが大統領を務めた時代は、第二次世界大戦後に覇権を競ったソビエトとの戦いにおいて、アメリカの勝利が決定した時期と言ってよいだろう。共和党のこのふたりの大統領下では、文化的には「強いアメリカ」の色彩を持ったマッチョイズムが支配的であった。トランスフォーマーにおいても、トラックたるコンボイと銃たるメガトロン、そして宇宙をテーマにした『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー2010』(1986年)の展開には、こうした経済的な暗さにカウンターを当てるような明るいトーンを見てとることができるだろう。
 一方で経済的には底を打っており、かねてより荒廃しつつあったデトロイトなどに代表される自動車産業はいよいよスラム化し、ジェネレーションXと呼ばれる世代は空前の就職難に見舞われることとなる。
 こうした状況をよく示しているのが、ストリートから登場したヒップホップや、暗く内省的なグランジロックといった音楽的潮流であろう。
 ある意味で共和党的な「古き良きアメリカ」と言うべきマッチョイズムが冷戦と共に摩耗していき、とうとう擦り切れてしまったのが90年代前半までのアメリカ文化の状況だとひとまずは整理できる。

『スポーン』が作り上げたアクションフィギュアの市場

 こうした状況を背景に、おもちゃの世界では新たなアクションフィギュアのブームが席巻した。その火付け役であり、象徴的存在が『スポーン』だ。
 『スポーン』は1992年からスタートしたアメリカン・コミックスのシリーズで、すでにマーベル・コミックスで人気を博していたトッド・マクファーレンが、新興のイメージ・コミック社にて手掛けた作品である。

▲『スポーン』第1号。デジタル版だがメインのアートワークは当時と同じもの。暗いながらもスタイリッシュな雰囲気が伝わってくる。(出典

 物語内容はこうだ。主人公のアル・シモンズは魔界の支配者マレボルギアに目をつけられ、暗殺されてしまう。最愛の妻との再会を条件にマレボルギアと契約し、魔界の軍勢を率いる悪魔の落とし子「スポーン」として復活したアルであったが、やがて魔界に反旗を翻す。焼けただれた顔をマスクで隠し、ホームレスの王として路地裏に住みながら「愛」を貫くその姿は、当時のアメリカの暗い世相や内省的な空気をよく反映している。
 『スポーン』のヒットを受けて、トッド・マクファーレンは自身で玩具会社「マクファーレン・トイズ」を設立、『スポーン』のアクションフィギュアを発売する。当時、アメコミ・ヒーローのアクションフィギュアは玩具として定番であったが、徹底的なクオリティへのこだわりは、かつてないハイディティールなアクションフィギュアを商品として完成させ、子供よりもむしろ大人に厚く支持される。このシリーズは玩具の歴史を塗り替え、アクションフィギュアという言葉の意味を変えてしまうほどの大ブームとなった。

▲マクファーレントイズによる『スポーン』アクションフィギュア(1994年)。優れた造形が見て取れる。(出典

インダストリアルからオーガニックへ

 ビーストウォーズは商業的にも文化的にも「スポーン」の強い影響下にある。
 玩具の企画・販売戦略上も、スポーンが明確に意識されていたといわれている。商品としては、スポーンのアクションフィギュアは「ハイディティールで」「有機的なデザインの」「アクションフィギュア」といった要素に分解できる。これにトランスフォーマーが伝統的に培ってきた「変形する」という要素を組み合わせたのが「毛並みまで精緻に彫刻された動物がロボットに変形する」ビーストウォーズだといっていいだろう。
 こうした位置づけを反映して、当時のパッケージにあしらわれたイラストレーションは、G2までのクールでインダストリアルなイメージとはまったく異なり、生物的で(通俗的な意味での)グロテスクさを感じさせるものだ。これは魔界出身であるスポーンの有機的なデザインと通じるところがある。
 こうしたデザイン上のトーンが、商業的な要請のもとに戦略的に仕掛けられ、そして実際に大きなセールスへの原動力となったことは間違いないだろう。しかしスポーンにはない、そしてビーストウォーズがその中心に据えた「動物」というモチーフには、単に有機的であるという以上の意味がある。

▲「ビーストウォーズ」コンボイ(Optimus Primal)のパッケージデザイン。イラストレーションもスポーンなどを意識したオーガニックなものとなっている。写真は2021年に発売された復刻版。(出典

なぜ動物はトランスフォーマーになれたか

 玩具において「動物」というモチーフは、極めて伝統的なものだ。動物のフィギュアは、乗り物などと同じく、キャラクターに依らない乳幼児向けの基礎玩具として、確固たる地位を築いている。あえて雑な言い方をするなら、子供はみんな動物が大好きだ。だからビーストウォーズが動物というモチーフを選択したことは、玩具として自然であり、特に議論の余地もないように思われる。
 しかしよく考えてみると、乳幼児向け基礎玩具としての色が濃い動物のフィギュアと、カルチャーの最先端を行くスポーン的なアクションフィギュアは非常に相性が悪い。そのふたつを結びつけたことがビーストウォーズのヒットの理由のひとつではあるだろうが、なぜそのふたつを結びつけることが可能であったのか、ということについては論じておきたい。
 先述のように、90年代は20世紀的な工業化社会をベースとしたアメリカ的マッチョイズムが、文化的に挫折した時代であった。その代わりに自然を重んじ環境に配慮する「エコ」の価値観が台頭してきたことは、この連載でもすでに述べた。動物というモチーフは、こうした文脈と容易にに結びつく。
 しかしだとしても、この連載の立場から言えば、動物はそのままでは自動車の代わりにはならない。この連載では、自動車がいかに成熟のイメージを宿した理想の身体であるかを論じてきた。動物が自動車と入れ替え可能なモチーフであるためには、「魂を持った乗り物」という概念との関連を議論しなくてはならない。
 問いを整理しよう。当たり前のことだが、乗り物と動物はまったく異なる。しかし、子供は乗り物も動物も大好きである。そしてトランスフォーマーは、乗り物というモチーフを、動物というモチーフで代替することができた。なぜか。
 それは動物が、一種の「機械」であるからだ。

(続く)

この記事は、PLANETSのメルマガで2022年1月17日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年12月22日に公開しました。
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