国道16号線は「ファスト風土」で「ヤンキー経済」か?

 庭プロジェクトにおける重要なミッションの一つが、都市における「文化的な生成力の回復」です。たとえば90年代の原宿の歩行者天国や初期のコミックマーケットのように、0から1が生まれていく空間の条件を考えてみると、いまのプラットフォームは真逆の方向に向かっている。文化的な生成力をいかに回復するか、そのためにどうやって都市開発の側が介入していくのか──この問いについて考えるとき、「郊外」がモデルケースとして思い浮かぶ人はそう多くないでしょう。かつて「ファスト風土」と名指されたことに象徴されるように、ロードサイドにショッピングモールがそびえ立つ郊外都市は、むしろ「文化的な生成力」を失わせる戦犯として批判されてきました。他方で、「文化的な生成力」が高いとみなされる街を擁する都心部は、その文化性と引き換えに「自然」を切り崩し、情報化の渦中で身体性を失わせる場所だと批判されることもしばしばあります。

 「文化」なき郊外、「自然」なき都心──そんな私たちの多くが抱いているイメージを、軽やかに覆す都市論を展開しているのが柳瀬博一さんです。日経BP社(旧・日経マグロウヒル社)にて約30年間、「日経ビジネス」記者、単行本の編集、「日経ビジネスオンライン」のプロデューサーなど多方面で活躍したのち、2018(平成30)年に退社。以降は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授として、主にメディア論を教えています。都市論に関わる領域では、『国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社, 2020)と『カワセミ都市トーキョー:
「幻の鳥」はなぜ高級住宅街で暮らすのか』(平凡社, 2024)の著書で、「国道16号線(以下、16号線)」と「カワセミ」を起点に、前掲の郊外/都心にかかわる固定観念を打ち破る議論を展開しました。

「日本の街の未来は、都心以上に16号線にある。日本の暮らし方と生物多様性の未来は、東京都心ではなく実はこのエリアにあるんです」。柳瀬さんのプレゼンは、力強い「結論」から始まりました。

 16号線とは全長326km、重複を省くと約260kmの長い道で、東京・名古屋間に匹敵する距離。現在の形がおおむね完成したのは1963年で、東京オリンピック前に日本で最初の大型環状道路として造られたといいます。柳瀬さんはまず、この16号線に対する一般的なイメージをまとめました。

「16号線の通る首都圏郊外に対する世間一般のイメージでは、三浦展さんの『ファスト風土化する日本』(洋泉社, 2004)に代表されるように『歴史がまったくないファスト風土』『ファストフードやファミレスやショッピングモールが並んでいる、画一的な場所』。

実際は、というとその通りです。16号線沿いには千葉、埼玉、東京、神奈川に多数のショッピングモールがある。三井アウトレットパークは2000年代にできましたが、首都圏の5店舗は全て16号線エリアにある。まさにファスト風土ですね。不動産情報の『住宅情報館』が国道16号線を特集しておりまして、こちらのサイトに掲載されている図を見ると、16号線エリアはイオンをはじめモールだらけ。そもそもイオンはジャスコから社名を変えた後の1994年に16号線エリアの千葉・幕張に本社を構えました。イオンカルチャーは明確に16号線エリアで90年代半ばから急速に醸成されたと言えます。

また、元博報堂の原田耀平さんがつくった『ヤンキー経済』という切り口もあります。16号線と言えば1960年代から70年代、雷族に端を発する暴走族のメッカでした。マイルド、どころではなかったですね。

16号線には『戦後発達した郊外の街』という、歴史がないイメージもありますよね。それも一面事実です。実際、16号線エリアにはニュータウンがたくさんあります。国土交通省の調べによると、16号線エリアにはなんと首都圏の13ニュータウンのうち6つが存在します。その結果どうなったかというと、90年代半ばから急速に高齢化が進みました。最も象徴的だったのは重松清さんの『定年ゴジラ』(講談社, 2001)です。舞台は16号線沿いの八王子のニュータウン。戦後の第一世代の物語で、1930年代生まれのサラリーマンのお父さんたちがニュータウン時代に一軒家を買ってしまったけれども、1990年代に退職をした後、出ていった子どもたちは戻ってこない。郊外の高齢化と過疎化の実態を悲喜交々のドラマとして描いたんです。25年経ったいまでも、16号線エリアのニュータウンには高齢化と過疎化のイメージはまとわりついています。

まとめるとこうです。『戦後発達したニュータウン』『画一的チェーン店舗のメッカ』『歴史がなく文化レベルが低い』『ヤンキーが多い』『既存の住民の高齢化と若年層の都心集中で過疎化が進む』。これが16号線に対する一般的なイメージです」(柳瀬さん)

データから浮かび上がる、イメージと真逆の「16号線の正体」

 しかし、こうしたメディアで語られがちな16号線のイメージは、実はその多くが事実とは異なると柳瀬さんは喝破します。

「こうしたイメージはいずれも事実に基づいています。だから間違いではない。でも、その一方で国道16号線については、語られてこなかった真実がもっと多いんです。『16号線には歴史がない』のか? いえ、京都や奈良よりずっと古い歴史を持っています。『郊外で画一的」なのか? 実は日本でもっとも栄えた都会でもあります。『文化レベルが低い』のか? 実は非常に偏差値が高いです。『高齢化・過疎化している』のか? 実は物件的には首都圏で一番人気で、日本でいま一番重要なビジネス拠点です」(柳瀬さん)

 一般的なイメージとは反する指摘が続きましたが、どういうことなのでしょうか? 柳瀬さんはそれぞれ丁寧に説明してくれました。まずは16号線の「歴史」について。

「まず16号線エリアは実は歴史が古くて、なんと3万年前まで遡れます。以下の図を見るとわかるように、16号線エリアにはたくさんの旧石器遺跡があります。縄文時代の貝塚もたくさんあります。横須賀の夏島貝塚、千葉の加曾利貝塚、みなさんが日本史の教科書で習うこの2つの遺跡は、どちらも16号線沿いにあります。日本でいちばん貝塚が見つかっているエリアなんですね。

弥生時代になると今度は文化文明の中心は明らかに関西に移るわけですよね。渡来人カルチャーが、九州、その後畿内に伝播したからです。古墳時代になると畿内が日本の中心になるわけですが、ではそこで16号線沿いエリアは衰退するのかというと、それも違うんです。16号線エリアには古墳がたくさんあります。多くの人はあまり知らないことだと思いますが、千葉は日本でもトップクラスに古墳が多く、また、埼玉の地名の由来はもともと『さきたま古墳群』から来ています。埼玉の古墳群からは朝鮮半島との交流があったことが伺える、多数の勾玉や鉄剣が見つかっています。関東には大和朝廷や朝鮮半島と交流のある強力な豪族がいたと言われています。つまり旧石器時代からずっと文化が続いていたんですね。

次は中世の城です。平安中期、平将門の時代に、将門がいたのは今の利根川の北、茨城南部のあたりです。将門の名前がたくさん出てくるのも千葉の16号線エリアです。そもそも関東は将門もそうですが、関東平氏の勢力が強かった。また、16号線エリアの地形的な特徴でもある台地や丘陵地は馬を育てるのにうってつけで、朝廷に献上する馬を育てたりもしていた。必然的に強力な武士団が形成されたわけです」(柳瀬さん)


 そして現代においても、「16号線エリアは日本有数の都会地域」だと柳瀬さんは指摘します。

「人口統計を見ると、東京都の16号線都市・八王子は人口58万人ですが、ヨーロッパでは主要都市の規模です。東京は全体の人口が1383万人で分母があまりに大きいから相対的に小さく見えますが、十分大きな街です。それから、埼玉・神奈川・千葉に目を向けると、16号線が全て県庁所在地を通っています。

つまり東京23区民を除き、埼玉・神奈川・千葉の人にとって16号線というのはむしろ『中心街の道』でもあるんですね。しかも人口も非常多くて、16号線の通る市町の人口は合計1,185万人。大阪・京都・神戸の三都市を足して倍にした数です。ウィキペディアなどで『東京』は世界最大の都市と語られていて、見ると人口が3,000万人台。23区の人口は1,000万人ないですから、これ「首都圏」のことなんですね。で、交通の側面からみると、鉄道網が縦横無尽に張り巡らされた23区エリアと、16号線沿いからその外側の自動車社会のエリアとは、まったく街の構造が異なります」(柳瀬さん)

 さらには「文化レベル」を示す一つの指標として、「16号線沿いは実は偏差値がとても高い」という点も柳瀬さんは指摘します。

「16号線エリアは日本で最も多くの数の大学が集積している道です。僕が数えただけで合計110以上あります。東大は柏の葉キャンパスに、東工大はすずかけ台キャンパスに、千葉大は本キャンパスと柏の葉、横浜国大も16号線沿いです。横浜市大は金沢八景、東京理科大の野田キャンパス、青学の古淵キャンパス、早稲田大学の狭山キャンパス、美大も16号線沿いに揃っていて、東京藝大が横浜と取手にあり、多摩美、女子美、東京造形も16号線周りにあります。日本の芸術は16号線で生まれているわけです。

日本の二大科学研究機関も16号線沿いにあります。まずJAMSTEC(海洋研究開発機構)は横須賀に本拠地があり、分室は横浜の杉田にあります。それからJAXA(宇宙航空研究開発機構)は青学の古淵キャンパスのすぐ近くにあります」(柳瀬さん)

 加えて、16号線沿いは過疎化地域ではまったくなく「知る人ぞ知る、日本で一番人気の住宅エリア」だとも指摘。それが認識されづらい背景には、「人口統計のからくりが潜んでいます」と柳瀬さん。

「こちらは2018年のデータですが、全世界の首都圏の転入超過数ランキングを見てください。トップ10を見ると23区がずらっと並んでいます。16号線エリアで入っているのは流山と船橋だけで、ほとんどが23区ですよね。一方、ワーストを見てください。たとえば横須賀や横浜の青葉区、我孫子、このあたりは16号線エリアです。やはり人が出ていってしまっているのではないかと思いますよね。

しかし、この統計には大きな罠があります。人口統計データでいちばんやってはいけないのは、人口を全ての世代で数えることです。なぜかというと、とりわけ2005年以降、日本では急速に独身世帯が増えたからです。だから統計に強いバイアスがかかってしまうんです。抽出したいデータに応じて、具体的に年代ごとに区切って見ないとわからない。たとえば子育て世代はどこに住んでいるのか。どの年代で見ればいいかというと、0歳〜14歳です。この世代は一人で暮らせませんから自動的に子供を持った家族がどこに暮らすのか、それがはっきりわかるからです。

するとランキングががらっと変わります。トップ10は流山、柏、町田、印西、戸塚緑区、八王子。ほとんど16号線沿いなんですよね。逆にワーストを見てください。千葉は一番東京に近い市川、横浜は東京に一番近い港北や川崎、あとは23区がずらっと並んでいます。多くの人が思っているのとまったく逆なんです。子育て世代はコロナ前から都心集中どころか16号線エリアに集まっています。

そして、コロナ禍でリモートワークが当たり前になったために、通勤がマストでなくなると、子育て世代に加え、独身世帯でも都心から16号線エリアに移動する動きが見られました。2022年度のデータを見ても相変わらず人気であることがわかります。僕が最近よくおすすめしている本である、にゃんこそば『ビジュアルでわかる日本』(SBクリエイティブ, 2023)という素晴らしい本で示されている、30歳〜39歳、つまり子育て世代が多い年齢層の転出先のデータを見ても、16号線エリアが断トツ人気ということがはっきりわかります」(柳瀬さん)

「自動車離れ」という嘘。現代の自動車資本主義の実態

 では、なぜ16号線エリアが現代における重要エリアとなっているのでしょうか? その背景には、「交通」における地殻変動があると柳瀬さんは指摘します。

「現代は鉄道の時代ではなく自動車の時代です。このとき考えないといけないのは、いまぼくたちがいる東京23区、とりわけ山手線内側のターミナル駅周辺、大手町や丸の内、新宿や渋谷などが極めてへんてこな場所だということです。この都心部の路線図のイメージが強すぎて、日本は鉄道が有意な社会、というイメージがなんとなくぬぐえません。バブル崩壊後、『若者の自動車ばなれ』といったデータに基づかないコピーが出回ったことも関係あるでしょう。しかし、現代日本は明確な自動車社会です。電車で不自由なく過ごせるのは日本でも16号線の内側や京阪神の一部だけなんです。

たとえば以下は所沢のデータです。所沢の住民は、通勤では電車を使いますが、日常と地元仕事は自動車で移動するということがデータで出ています。鉄道は11%、自動車は37%になります。移動手段が自動車に変わるんですね。同じエリアの飯能になると、もう50%が自動車になります。狭山でも42%です。入間は48%、越谷も31%で似たような傾向を示しています。これが16号線エリアの、東京のベッドタウンと呼ばれている街の実態なんです。

出所元:東京都市圏パーソントリップ調査 データ集計システム
出所元:東京都市圏パーソントリップ調査 データ集計システム

都心と16号線エリアの人口を全部足すとざっと3000万人です。京阪神はじめその他の大都市を全部足しても1000万人にならない。つまり、鉄道中心で暮らせる人口は、日本のなかでどんなに甘く見積もっても4,000万。実際、そんなにいません。16号線エリアのひとは都心への通勤は電車を使ってますが、休日は自動車で移動している人のが多い。上記の埼玉の16号線沿いの都市住民の交通利用状況をみれば明らかです。ということは、日本人の3人に2人、8,000万人は自動車がないと生きるのがたいへんなところに暮らしているわけです」(柳瀬さん)

 では、こうした日本における自動車資本主義はどのように形成されていったのでしょうか? しばしば「いざなぎ景気の頃に生まれた」とも言われますが、柳瀬さんは「これは間違いです」と指摘しました。

「日本のモータリゼーションが進行するのは実は1989年バブルのピークからあと、バブルが崩壊していく1990年代に進みました。この時期に自家用車の保有台数が伸び続け、1995年にようやく一世帯あたりの保有台数が一台を超えました。そこまで昔のことではないんですね。リーマンショックの後に一瞬下がったものの、再び伸びていって現在は6,000万台を超えています。日本で『自動車離れ』は起きてません。データを見ないで都心の若者が自動車で遊ぶのをやめたんじゃない? という雑誌やテレビの記事レベルのバイアスのかかった言説なんですね。

証拠があります。小売業は1990年代から2020年にいたるまでに、都市型から郊外型に移っているわけです。1位はセブン&アイ・ホールディングス、2番はイオンモールのイオン、3位にユニクロ、4位にドンキホーテなど、上位は郊外型のモールやスーパー、ドラッグストア、家電量販店、ファストファッション、そしてコンビニです。2023年度の小売業ランキングだと百貨店は30位内の下位に2社だけ。これが1970年代だと小売業の上位は百貨店と都市型総合スーパーのダイエーやイトーヨーカドー、西友です。百貨店も総合スーパーも90年代に経営不振に陥りました。。ちなみにAmazonが4位ぐらいに入ります。通販も自動車社会の産物です。物流センターと配送車でできているビジネスですから、郊外型モールと交通手段が一緒なんです。外資系のウォルマートやコストコ、トイザらスは全部郊外にあります。郊外型店舗の発展は、自動車の普及と、80年代からのアメリカによる経済自由化の圧力で、小売業の自由化が促され、大店舗法の改正とセットで引き起こされたものです。1991年、トイザらスが日本に出店したときに、開店記念のテープカットに当時のブッシュ大統領がわざわざ来日したんですよ。大統領がおもちゃ屋さんの開店のために訪れるとはちょっと考えられないことですけど、そのぐらい大きな話だったんですね。結果として日本でも呼応するように外資系が進出します。ブックオフが出てきたのも1990年です。ぼくは創業者の坂本孝さんの自伝を編集したことがあるので、この時期の裏話は全部聞いていますが、ブックオフも1990年代に16号線を徹底的に狙って、意図して展開していたんですね。

出典:Deloitte Touche Tohmatsu Limited. Global Powers of Retailing 2023. “デロイト トーマツ、世界の小売業ランキング2023発表”.

さらに今はリモートワークと通販の時代です。すると一番重要なビジネス形態は、丸の内や大手町周辺エリアのオフィスビルから発信するようなものではなくなってくる。Zoomで置き換えられるからです。他方、置き換えられないのは何かというと、モノを動かす物流センターやデータセンターです。金融機関が都市部にあったデータセンターを移動させたのは1995年、阪神大震災がきっかけでした。それ以前はビルの横にデータセンターを建てるという、かなり脆弱性の高い状況が当たり前でした。阪神大震災でようやくその危機感に気づいたわけです。

その結果どうなったか。まず流山から柏にかけての2キロには大物流センターがあります。16号線と常磐道の間の河川敷は全て物流センターです。シンガポール系のJLPが次々に進出していて、いま流山と相模原に大きいセンターがあります。もう一つは印西の千葉ニュータウンがデータセンター拠点になっています。2010年代にはGoogle、Amazonが進出してさらに活発化しました。しかも海底ケーブルが近い。成田にはタクシーで15分で行けますし、印西はいま日本最強どころか、世界でも断トツのデータセンター街です。Google、Amazonもあるから、新住民がどんどん増えています。所得水準もエリアの学校の偏差値も上がっている。千葉ニュータウンが過疎化したのはもうはるか昔で、いまは全然違うんです」(柳瀬さん)

類稀な「地形」──16号線エリア発展の根本要因

 自動車資本主義の時代である現代日本において、ここまでさまざまなデータで示されてきたように、きわめて重要な位置を占める16号線エリア。それにもかかわらず、なぜその重要性が認識されず、それどころか「廃れつつある地域」として軽んじられてきたのでしょうか? 柳瀬さんはその原因をまず「日本史の教科書」に見出します。

「日本史の教科書をみるとわかりますが、関東圏の歴史が登場するのは、縄文時代と鎌倉時代を除くと江戸時代からです。平安時代は将門の乱が1行出てくるだけだったりします。教科書のページには限りがあるので、京都中心になっちゃうのはしょうがないんですが、16号線エリアをふくむ関東にずっと歴史がある、というのは専門家はもちろん知ってますが、普通の人は知らずに大人になっちゃう。これはファクトではあるけれど、トゥルースではないんですよ。

鎌倉時代に幕府が鎌倉にできましたが、京都に幕府が移った室町時代も関東は衰退してないんですね。鎌倉府があったので幕府の施設の多くは鎌倉にありました。後に表舞台に出てくる上杉や武田、後北条などは関東甲信越が中心ですが、京都にいたのは山名や細川で彼らが争っていたのが応仁の乱です。ご存じの通り戦国時代になると、歴史の主役はむしろ関東甲信越の武士たちと尾張三河織田や豊臣、徳川になります。関東の武士がいきなり出てきたのだと勘違いしてしまいますが、それは関東のことが教科書に書いていないからそういう歴史がないものだと思い込んでしまっているだけ。そもそも関東武士は埼玉が中心で、起点は秩父平氏です。そこから江戸、豊島、葛西、練馬と勢力が広がっていきます。東京および関東のメジャーな地名の多くが関東平氏由来です。

その後、太田道灌が16号線エリアを可視化します。道灌は江戸城、東京の構造をつくり上げた人です。彼は日本史上もっとも天才の武将の一人ではないかと思っていますが、1457年、まだ20代のときに江戸城と河越城と岩付城を同時につくり、江戸と16号線エリアを水運でつなぎました。物流のハブにしたわけです。物流のハブ化というと、当時の入間川、いまの荒川が重要です。いわば高速道路のようなものです。天才ですよね。Googleマップを持っていたのではないかと思うほどです」(柳瀬さん)

 一般的な教科書の記述とは裏腹に、重要拠点であり続けてきた16号線エリア。太田道灌の取り組みから見えてくるのは、16号線における「地形」の重要性です。

「結局、国道16号線の正体は何かというと、地形なんです。地形が独特だったからさきほどのような古墳もあるし、貝塚もあるし、城もできたんです。その地形の正体は何かというと、台地と丘陵とリアス式海岸と河川です。以上が同心円状に集まっている極めて珍しい地形です。二つの岬、三浦半島と房総半島が突き出ていて、先端のほうが標高が高いんですね。なぜかというと3つのプレートがぶつかった複雑な場所だからです。

太平洋プレートとフィリピンプレートが、北米プレートをぐっと押し上げています。結果、三浦半島と房総半島の先端は標高が高くなります。対して先端から離れた場所は窪地になります。東京湾から奥は沈んでいって、栃木あたりまで海抜の低いエリアが続きます。これが関東平野です。そこに向かって、周囲の山から川が流れます。利根川、渡良瀬川、それから荒川、入間川。さらに利根川や荒川、多摩川や相模川が台地を形成しました。それが、下総、、大宮、武蔵野、相模原台地です。一つのエリアに5つも6つも台地がある地形もきわめて珍しい。台地と丘陵があるでこぼこ地形なんです。これが16号線エリアをふくむ首都圏南部の大きな特徴です。

以下の写真は僕が三浦半島の小網代で保全活動を行っている、三浦半島の小流域です。これは70ヘクタールの一つの小さな流域で、運河につながっています。実は首都圏にはこういう地形が大きな川に向かってずらっと並んでいるんですが、実はこの地形単位が人間にとって一番暮らしやすいんです。この地形には、湧水=飲み水があります。そして尾根の斜面は安全な住まいに、川は獲物を狩る場所に、湿原は田んぼになります。小流域源流というのは、アフリカ時代から続く、人類が必ず見つける場所なんです。砂漠のオアシスもそうで、あの小流域源流を獲りあう争いが西部劇の半分を占めているわけです。だから郊外の土地は新しくもあるけれど、エリアとしては非常に古いんですね」(柳瀬さん)

 こうした「地形」の特殊性こそが、16号線エリアの繁栄の根本的な要因であり、それこそが歴史を動かし続けてきたのです。

「ちなみに『古事記』にも16号線は出てきます。走水から富津の水路を日本武尊が舟で渡るというシーンがありますが、あれは16号線のスタート地点と最終地点です。偶然ではありません。ここが一番重要なルートで、有史以来、古墳時代、神武天皇の伝説の時代からすでに使われていたということなんですね。しかも台地は馬を育てるのに向いているので、飛鳥時代からは馬を育てていました。関東武士の成立と、馬の献上はセットで起こったことです。16号線エリアで馬を育てていたので必然的にこのエリアには馬使いが増えて、結果として最強の関東武士団が形成されたわけです。

そしてこの地形が近代をつくりあげました。というのは、いま言った台地とリアス式海岸は、そのまま軍事に応用できるんです。海軍交渉においては、リアス式海岸には竣工せずに巨大な舟を入れられます。だから横須賀、横浜がどちらも貿易港と軍港として日本最強の港になったんです。飛行場も16号線エリアが一番多いです。所沢、越谷、入間、座間、立川、福生、追浜……、千葉に行くと習志野の空挺部隊、船橋、木更津、そして成田もあります。軍事飛行場だから多くの人は気がつかないかもしれませんが、これほど飛行場が集中している都市圏は世界中どこにもありません。

さらに言うと、明治維新から戦後にかけての経済も16号線沿いから発展しました。富岡製糸場は高崎にありますけど、あれは八高線という鉄道を見るとわかる通り、八王子に生糸を卸すルートです。八王子は桑の都と言われて、江戸時代から最も生糸が集まる場所です。渋沢栄一の仕掛けで、明治天皇と皇后に進言して皇室と養蚕のブランディングをしたんです。当時富岡製糸場の女工は日本最初のキャリアウーマンでしたが、皇后が養蚕を手がけられる、という伝統をつくりました。これはいまでも続いていて美智子様の後は雅子様が蚕のお世話をされています。日本は生糸で殖産興業をして、外貨を稼ぎ、ドイツやイギリスから船を買ってきて、ロシアと中国に戦争で勝ったわけで、すべて16号線から生まれた生糸が支えていたんですね。

戦後日本の経済の中心は、高度成長期までは京浜工業地帯と京葉工業地帯、これも16号線エリアでした。ここに工場が集中して、その結果ベッドタウンとしてのニュータウンができます。16号線エリアにベッドタウンがあるのは東京に通うためだけではなく、そこに大量の工場が集中したからです」(柳瀬さん)

「カワセミ都市トーキョー」から見えてくる、これからの都市開発のあり方

 16号線の知られざる実体の解説により、「文化」なき郊外、という一般的なイメージをひっくり返してくれた柳瀬さん。プレゼンテーションの終盤では、冒頭で提示した都市にまつわるもう一つの固定観念、「自然」なき都会というイメージを覆します──その手がかりが「カワセミ」です。

「都心にはたくさんカワセミが暮らしています。以下の写真は全て、山の手線の内側で撮ったものです。かつて1950年代から1990年代まで、東京の川は『死の川』でした。人口が急激に増えたのに加えて下水処理がまったく施されていなかったので、BOD(酸素要求度)が非常に高かった。あらゆる生き物が暮らせないレベルで、魚は死滅しました。当然魚やエビを食べるカワセミもいなくなりました。

ところが面白いのは、当時もいまも、都心はずっと自然の宝庫なんです。皇居を筆頭に、複数の湧水地を中心にした緑地が残っている。そこには、サワガニ、オニヤンマ、カワニナ、ノコギリクワガタ、タマムシ、カブトムシなどがいます。湧水由来の都市河川、神田川、石神井川、渋谷川、目黒川が武蔵野台地を削り、さらにこれらの川沿いから湧水ができて、これが小流域を形成するんです。その小流域の源流部は、旧石器時代から江戸時代、現代に至るまで、水源と緑が保全されてきました。上野公園、小石川後楽園、白金自然教育園、そして何と言っても皇居です。これらの場所には全て真ん中に湧水があります。東京のカワセミは1980年代ごろ、この小流域源流部の古くから残る自然にこっそり戻ってきたんですね。実はそれを観察したのが、還俗された黒田清子さんです。黒田さんがまだ新皇だった時代に、皇居のカワセミの研究をされて論文を書きました。日本のカワセミ研究の第一人者の一人は黒田清子さんだったんです。

そしていまどうなっているかというと、そこにいたカワセミが1990年代以降少しずつ綺麗になっていった東京の川で巣づくりをするようになりました。神田川や白金自然教育園など、誰もが知っている場所に生息しています」(柳瀬さん)

 柳瀬さんによると「カワセミが住む街は全て高級住宅街」だといいます。そして、その背景には、首都圏の歴史を規定し続けてきた「地形」があると結論づけました。

「カワセミがいる街は小流域源流緑地と呼ばれる地域で、東京で一番の勝ち組が住んだところですが、それは旧石器時代からずっとそうなんです。自然豊かな東京都心と、歴史の古い文化と経済はどちらも16号線によって生まれ、どちらも台地と丘陵と小流域構造がもたらした、首都圏の地形のおかげなんです。

結論はこういうことです。東京は台地と丘陵地の縁の、小流域地形が連続している世界唯一の都市で、これが圧倒的に東京のおもしろいところなんです。世界の巨大都市でこれだけ変化に富んだ地形のうえにある街は東京だけだと思います。この地形が圧倒的な価値なんです。また、他の都市の自然は、後から造園した土地が多いのですが、東京は小流域源流部の古い自然がもとになっています。

歴史を振り返ると、戦後すぐの時期までは小流域源流部をしっかり残して、そこの緑地にホテルをつくったりしていました。その価値がわかっていたんですね。しかし、残念ながらいまのはそうではない。リモートワーク、Apple Vision Pro、自動運転、ライドシェア、ドローン。これらを前提としてない街はオワコン化するに決まっています。ところが、東京だけではなく日本全体が見逃しているのは、渋沢栄一と小林一三、一部の民間企業によって鉄道資本主義がつくられたことで、日本は街道の街であるという概念が一度消えてしまったということ。しかし、東京中心の物流を担っているのは自動車です。JRはいまものを運んでいませんし、セブンイレブンも宅急便も、鉄道で成立しているわけではない。自動車抜きでは存在できないんです。ドローンを前提とした街づくりも進んでいないわけですが、その理由は鉄道が発達しすぎたからです。

かつて日本は国の名前にはすべて『道』が含まれていたわけで、だからこそ街道都市なんです。つまり駅前商店街より国道ショッピングモールのほうが日本の伝統に沿っているんですよ。駅前商店街ができたのは戦後、歴史は100年もないですが、街道都市は2,000年遡ります」(柳瀬さん)

 最後にここまでの議論をまとめつつ、柳瀬さんは今後の都市空間のあり方についての提言によってプレゼンテーションを締めくくりました。

「小流域の野生を保全する都市開発が100年、1,000年単位で価値があるのは、現在の東京の一番地価の高いところを中心に、必ず緑地があるからです。だからこそいま、デベロッパーのみなさんに言いたいのは、みなさんがこれをつぶしたらダメ! 渋沢栄一も守ってきたし、三菱で言うと岩崎弥太郎がしっかり守ってきたことです。それがたとえば岩崎村の六義園だったり開東閣だったりするわけです。こうした歴史を引き継いでいただきたいと思います。

東京は有史以来700か所に湧水があり、小流域源流が保全されてきました。それが現在の高級住宅街に繋がっています。根津美術館の源流や、あるいは白金自然教育園の白金台や、新宿御苑の内藤新宿、明治神宮、代々木公園がなかったとしたら、代々木上原近辺は極めてつまらない街になります。価値をつくっているのはここだという概念が、残念ながら現代の土地開発にはありません。都市交通の導入と古い野生の保全、まったく逆方向を向いているかに見えるこの二つは、これからの街をつくるときに必須になります。これができない街は価値を失ってただの投機の場所になります。残念ながら現在の東京の街は、投機の街としての開発ばかりが進んでいるというのが僕の意見です。ぜひこうした自然と歴史を継承したうえでの開発を行ってほしいと切に願います」(柳瀬さん)

[了]

この記事は小池真幸・徳田要太が構成・編集をつとめ、2024年4月25日に公開しました。Photos by 髙橋団。