今日は、2018年7月に翻訳が出版された『「自然」という幻想~多自然ガーデニングによる新しい自然保護』(草思社)を紹介します。原著は2011年に刊行された本で、原題はRambunctious Garden: Saving Nature in a Post-Wild Worldです。

 著者のエマ・マリスさんは「ネイチャー」誌や「ナショナルジオグラフィック」誌などで活躍するサイエンスライターですが、翻訳者の一人である岸由二先生は、みなさんのご存じ三浦半島にある「小網代の森」の自然保護を長年にわたり先導してきた方で、NPO法人小網代野外活動調整会議の代表理事もなさっています。「小網代の森」の自然保護も、まさに新しい自然保護の実践が行われている場所だと思うんですが、本書も岸先生が「これは日本に紹介すべき本だ!」と翻訳化を主導したんじゃないかな。これは勝手な想像ですが、どうなんでしょうか。現代の最新の自然保護の動向、流れについて理解を深めることができる本ですね。

 では、邦題にもある「自然という幻想」とは、どのような幻想なのか。まずイメージしやすい自然保護の考え方として、「人間が自然を壊し、汚しちゃってるから、人間を排除して純粋な自然を守りましょう、取り戻しましょう」というのが、従来からある考え方だと思います。たとえば国立公園というかたちで自然をある枠で囲ってしまって、人間が限定的にしか入れない、人間の影響をできるだけ排したエリアをつくるのも、このような考え方が背景にあります。人間をあるエリアから排除することで、「手つかずの自然が保てる」「手つかずの自然が取り戻せる」といった考え方です。

 けれど、守ったり取り戻したりすべき純粋なものとしての「手つかずの自然」は存在しないというのが、本書の指摘のひとつです。「手つかずの自然」というのは幻想なんです。そもそも、人間による活動の影響を受けていない自然というものは、いま現在の世界に存在しません。有史以前から世界のあらゆるところに人間は進出していますし、端的に言って、現在、産業革命以前より二酸化炭素が36%(数値は本書のもの)増えた大気が、世界を余すところなく満たしているのですから。また、これから「手つかずの自然を取り戻す」「回復する」といっても、では、どこの時点・どの時代の自然に回復するというのでしょうか。というのも、仮に北米を例にすれば、「ヨーロッパ人が入植するまえのアメリカ」でしょうか。もしくは、「そもそも先住民も含めた人類の到達する前のアメリカ」でしょうか。しかし、産業革命や有史以前の人間社会の活動も、自然に大きな影響を与えるものだったことが本書では詳らかに記されていますし、人間の手が入らずとも自然の生態系というのは常にかたちが変わっていくということが指摘されています。ですから、「人間が来る前の自然の姿」というものも、なにか固定した姿で存在するわけじゃないんです。人類と接触する前の自然の姿も、常にダイナミックに遷移していたんですね。そこで、ある時代の自然こそが「手つかずの自然だ」と設定するのは、それこそ、人間の視点ということになってしまいます。結論は、人間の影響を排した純粋な自然というのも存在しないし、回復するべき自然の理想状態というようなものもない、「手つかずの自然」は無いということになるんですよ。

 たとえば、日本のテレビのバラエティー番組で、芸能人をふくめた大勢が外来種を捕まえて駆除する企画がいろいろやってますね。外来種(移入種)を駆除して「本来の日本の自然」を取り戻そうといった体の番組で、人気のようです。こういう企画の背景にあるのも、「外来種が来る前の自然の姿を取り戻さなければ」という、「自然という幻想」に基づくものなわけです。このような番組が広く受け入れられているところからも、いまの日本で自然という幻想が、すごくアクチュアルに人々に作用していると言えると思います。だからこそ、本書が今の日本に与えるインパクトは大きいと思いますね。

 取り急ぎ付け加えると、ただし、「外来種の駆除が必ずしも正しいわけではない」っていうのと「外来種の駆除が正しくない」とは別のことです。本書は、むしろ積極的に自然を人間が管理するべきだと唱えていて、そこでは管理のひとつとして排除する生物が外来種だったという局面も、当然あるでしょう(さらにややこしいのですが、「積極的に自然を人間が管理する」やり方が様々であるべきだと述べられていて、「様々」のうちには「放置する」という管理の仕方までも含まれています)。いずれにせよ人間はいろんな場所で、いろんな方法論で自然保護を展開すればいいんだと、本書では主張されます。「複層的にいろんなやり方・アプローチで自然保護をやりましょうよ」っていうのが、本書のサブタイトルにある「多自然ガーデニング」という言葉の意味なんです。

 個人的に本書のなかで面白かったのは、〈ウィルダネス(野生)崇拝〉についての思想を歴史的にたどった箇所ですね。ウィルダネスという言葉は、まあ「手つかずの自然」とイコールだと思ってください。ここまで述べてきたように、それは幻想で、実際には存在しえないんですが。そのウィルダネスに対する崇拝が、(イギリス・ロマン派などはあれ)基本的にはアメリカで醸成され育まれたものだという点が本書では歴史的にたどられていて、興味深く感じました。ウィルダネスに対する崇拝は、アメリカ19世紀のラルフ・ウォルドー・エマソン、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、ジョン・ミューアという系譜をたどって醸成されてきました。それは、アメリカ社会の都市化への反動と結びついた歴史的な産物だと本書でエマ・マリスさんは記します。そして、現在の最先端の自然保護運動の現場では、アメリカ由来のウィルダネス崇拝は非科学的で「カルト」的なものとして乗り越えられようとしているという著者の指摘が、個人的にはたいへん興味深く思ったんです。なぜかというと、僕はアウトドア、とくに戦後に日本で成立した(つまり登山などとは違う、いわゆる)アウトドアの背景にある思想に関心があるのですが、エマソン、ソロー、ミューアというのは、まさに現代のアウトドアの思想の系譜でもあるからです。まあ、自然保護とアウトドアの思想が双子のような存在だということ自体は、さほど意外じゃないですが、その片方の自然保護運動がウィルダネス崇拝から脱しようとしているときに、現在のアウトドアの思想のハードコアの部分は、エマソン、ソロー、ミューアの流れを汲んでいるところがけっこう強い。だから、自然保護運動が刷新しようとしているときに、アウトドアの思想みたいなものはどう向き合っていくかっていうのには強い関心があります。このあたりは、#2でご紹介した服部文祥さんへの関心などともリンクするのですが。アウトドアにかかわっていたり関心がある人が読んでも、たいへん刺激的な本で、ぜひ読んでみてもらいたいですね。本書は「幻想としての自然」、つまり自然観についての本ですので。

 最後に、多自然ガーデニングの「ガーデニング」という言葉は、けっこう刺激的だと思いませんか。自然保護が「ガーデニング」だっていうんですから。まさにウィルダネス崇拝から遠く離れています。ガーデニング、要するに、庭ですよね。庭作りです。庭って、いわゆる野生の自然じゃないものでしょ。自然保護運動がガーデニングであるということは、「手つかず自然」はないという認識の表明なんです。つまり、人間がなんらかの調整をかけて管理し作っていくものとして、新しい自然保護運動は展開しているわけです。自然保護を「失われていくものの保護」「失われてしまったものの回復」から、「未来に向けて設計し作っていくもの」に方向を転換したのが、新しい自然保護運動なのだと言えると思います。

 じゃあそのときに、なにを目的として、どんなやり方で、その庭としての自然を整備していくかっていうところは色々あって、どれが決定打だっていうのを提示する本ではありません。本書では、〈あらゆる状況に有効な唯一の最終目標は存在しない〉と記されています。それこそウィルダネス崇拝に基づく自然保護運動であっても、個別にそれが機能していればいいわけだし、地球上のいろんなところで、いろいろと複層的に展開していけばいい、と。そしてそのとき言われる自然というのは、手つかず(風)の自然だけじゃなくて、たとえばこの本に出てくるシアトルという都会の中の川だったり、狭い庭やバルコニーやビルの屋上だって含めて、いろんな場所が自然で、そこでいろんなやり方で自然保護運動が展開すればいいっていうのが、本書の主張です。ということで、『「自然」という幻想~多自然ガーデニングによる新しい自然保護』を紹介させてもらいました。

【サイト掲載にあたっての追記】
本書は「自然」の本であると同時に「自然という幻想」の本であり、つまり「隠喩としての自然」についての本でもあるといえます。本書〈第6章 外来種を好きになる〉に細菌やウイルスも一瞬登場しますが、これから〈隠喩としてのウイルス〉と社会が向き合うことになるとき、本書は私たちにとって思いがけない示唆に富むものだといえば言い過ぎでしょうか。その6章では、ある土地の生物が外来種か在来種かという単純なルールではその土地を管理できないと指摘されています。では単純なルールが無効化したとき、拠り所となるのは何か。本書では、次のように記されています。〈私たちは、土地ごとに、その土地の未来のヴィジョンを持たなくてはならないのだ〉。個別の未来のヴィジョンからこそ、個別の今を考えることができる。外出自粛の折、一読をおすすめいたします。みなさまのご健勝をお祈ります。(2020.4.23)

[了]

※この記事は、2018年10月18日に配信されたPLANETSのインターネット番組『木曜解放区』内のコーナー「井本光俊、世界を語る」の放送内容を再構成したものです。石堂実花が構成・写真撮影をつとめ、2020年5月8日に公開しました。

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