「静脈」と「流域」から考える

「文化」なき郊外、「自然」なき都心──そんな私たちの多くが抱いているイメージを、軽やかに覆す都市論を展開している柳瀬博一さん。「庭プロジェクト」の第10回の研究会の後半では、ゲストとしてお迎えした柳瀬さんによるプレゼンテーション(「国道16号線」と「カワセミ」から考える、これからの都市のかたち|柳瀬博一)をもとに、参加メンバーによるディスカッションが行われました。

柳瀬博一さん

  デザイン工学の視点からデジタル・ファブリケーションや3D/4Dプリンティングなどの研究を行っている工学者の田中浩也さんは、自身の関心領域でもある都市の「静脈」(見えない微生物とのタッチポイントや、日常から出るゴミや廃棄物、それをどこに処理するかなど)という視点から問いを投げかけます(参考:ポスト・スマートシティの都市を構想する──「デジタルものづくり」から考える|田中浩也)。

「今回のプレゼンでは、商品や物流といった都市の『動脈』についての話が主でした。では、16号線における『静脈』の流れはどうなっているのか。横須賀や埼玉北部にゴミの広域連携の計画があるという話は聞いたことがありますが、16号線における静脈をどう発展させていけるのかが気になりました」(田中さん)

「面白いですね。実は16号線エリアは、静脈部分も結局車がほとんど担っていますし、千葉のほうに行くとその外側も含めて、がれきを埋める場所がたくさんあります。……というか実は、僕は1990年代に『日経ロジスティクス』という物流雑誌を作っていまして、『静脈物流』という言葉をおそらく日本の雑誌で最初に使いました(笑)」(柳瀬さん)

「ええ! それはすごい。『静脈』という言葉を作った人、ずっと探していたんですよ(笑)」
(田中さん)

「雑誌媒体で『静脈産業』『静脈物流』といった言葉が出たのは、1991年の『日経ロジスティクス』で特集したのが最初だったと思います。その時に取材したのが、まさに千葉の16号線エリアだったんですね。血液と一緒で、『動脈』が動いているところには、物理的に必ず『静脈』もあるので、セットで考えないといけない。いま16号線エリアに子どもたちも含めて人口がむしろ増えている中で、物流の動脈部分ではなく静脈部分に光を当てるということは、すごく重要な視点だと思います」(柳瀬さん)

 そして別の参加メンバーから、「静脈」と同じように、あまりフォーカスは当たらないものの、その実私たちの暮らしと切っても切り離せないものとして、「川」という視点も出ました。かつてニュータウン開発に伴って鶴見川の総合治水が敢行されたように、川は都市の生命線とも言えるにもかかわらず、いまの行政区域が川の流域に沿ったものになっていない点が指摘され、これに対して柳瀬さんも同意しつつコメントしました。

「自宅の近所の川は何で、自分はどの川の流域の人なのかを知っておいたほうがいいです。理由は2つあって、まず1つは、いざというときのハザードマップとしてどの川を見ればいいかわからないと生死に関わるからです。もう1つは、川沿いを遊んで歩くのが楽しいからです。防災と遊びの両方を兼ね備えられるので、近所の川が一体どこなのかを知って、時々、意識的に歩くといいと思います。

その際に大事なのが『小流域』という視点です。多摩川のような大きな川だけでなく、もっと小さな流域を形成しているいまは大半が暗渠になってしまっている川、目黒川や渋谷川が、東京に住んでいる過半数の人にとって最寄りの川であるはず。地形は小流域でできているし、洪水もいざという時にその小さい流域で簡単に起きるんです」(柳瀬さん)

デジタル・ファブリケーションや3D/4Dプリンティングなどの研究者・田中浩也さん(「庭プロジェクト」ボードメンバー)

16号線エリアの「文化」はビジネスチャンス?

 プレゼンテーションで柳瀬さんが提示した「16号線」と「カワセミ」──すなわち、発展した郊外と自然豊かな都心という2つの切り口から、これからの「文化的生成力の高い街」のあり方について論点を提示したのは、「庭プロジェクト」発起人である宇野常寛です。

「今日のお話は『街道』性に注目することによる郊外のファスト風土再生論と、カワセミと現代人の都心回帰を重ね合わせた東京の再発見論だったと思います。前者はモータリゼーションのポジティブな面に光を当てて、後者はウォーカブルシティの可能性をむしろ自然との関係で考えている。それはつまり、『鉄道』を中心とした近代以降の、特に戦後のまちづくりに対しての批判ですね。郊外の街道は物流を通して外国や国内の地方とつながっているし、都心のキワ地は自然とつながっている。しかし鉄道を中心に東京を眺めると、階層や文化的なトライブで棲み分ける力が大きくて途端につまらなくなる。僕はSNSプラットフォームがこの現象を後押ししていると思います。駅前に雑多な人たちが集まってもみんな画面の中を観てGoogleマップに誘導されて真っ直ぐ目的地に向かうし、そもそも社会そのものが既にフィルターバブル的に棲み分けているので、いくら他に人間とすれ違っても交流がないので意味がない。だから『物流』つまり『モノ』か、カワセミつまり『自然』のどちらかに開かれた都市がいい、という話だったと思います。

その上で、僕は新宿区に住んで、日頃から近所で昆虫観察を楽しんでいる『カワセミ』型の人間だと思うのですが、そんな僕にとって新宿区はとても住みやすいエリアです。アジアから移住してきた外国人の人も多いし、いわゆる『勤め人』ではない人も多い。だからちょっと変わった人がいても気にされない。逆に一番住みたくないのは東京の西側の閑静な住宅街で、僕のような昼間からラフな格好で出歩いているような人間には、居場所がないように思えるからです。それじゃあ16号線沿線はどうかというと、その中間ですね。ファミリー中心の街なのはいづらいと思うけれど、そこに昔ながらの共同体があるかというと、相対的には希薄だし、モータリゼーションと大店法改正以降の町並みは匿名性が高くて、その点では過ごしやすいように思えます。

ただ、この16号線の街が文化的な生成力の高い街に発展していくイメージがあるかというと、あまりそうは思えない。それは要するに物流拠点が並ぶことで外の世界と接する、というけれど、その力がまだ十分に『ファスト風土化する郊外』を異化していないんじゃないか、ということだと思います」(宇野)

「友人で日本を代表する投資家である、レオスキャピタルワークスの藤野英人さんと『日経ビジネス』で対談をしたことがあるのですが、彼はお酒を飲まない人で、『ゲコノミクス: 巨大市場を開拓せよ! 』という本を書いたんですね。実はゲコマーケットというのは、ほぼイコール自動車マーケットなんですよ。日本における一番の問題は、飲みニケーションマーケットを、メディアマーケットと大手町・丸の内のサラリーマン社会が推し進めすぎたということで。僕自身は東京中のスナックのある街の大半に行っているくらいお酒が大好きな人間なのですが、飲みニケーションで世界を回しすぎてしまったという問題があると思います。対して、たとえばヨーロッパのミシュランというのは、そもそもモータリゼーションの産物なんです。なぜならあれはタイヤメーカーの広告媒体ですから。ミシュランに載っている三ッ星のうち駅前の店なんてほとんど一軒もありません。要は『田舎のこんなところに?』というくらいの片田舎においしいフレンチがあったりするのがヨーロッパであり、それをミシュランという本が象徴しているわけです。

では日本で何ができるかというと、一つはまさに自動運転で、もう一つはノンアルコールのドリンクの充実と、あとは積極的に『あえてそこに店を出す』気概を持ったクリエイティブクラスに呼応した飲食事業です。モレッティという経済学者の『年収は「住むところ」で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学』という非常に面白い本の訳書が、プレジデント社から出ています。これはクリエイティブクラスが作った新しいジェントリフィケーションや仕様的な部分も含めて、結局お金が集まるところに知的産業や飲食産業が集まって、サンフランシスコなどの街が変わっていったという話が書かれています。16号線エリアにもそういう動きを作るには、一つはまずおいしいノンアルコールドリンクがあるし、さらには単価2万円のレストランがもっと進出しないと、その手前のレストランも出てこないだろうという話を藤野さんと僕でしていました。

だから宇野さんがおっしゃる部分はまさにその通りで、逆に言うと、いまマーケットに穴が空いているのでビジネスチャンスだと言うこともできるんですよね。16号線エリアにはまさにおっしゃる通りで、すごく極端に言うとローストビーフ丼とガストしかないわけですよ。一番おいしいチェーンで横浜のハンバーグ屋さん『ハングリータイガー』ぐらいです。16号線エリアには、歴史の古層のような街、京都とでも言うようなもの──銀座的なものや銀座みたいなところや、人々が徒歩で楽しむストリート、高円寺や裏原宿的な場所が相対的に少ないため、戦後文化的な観点での文化度が低いと言われます。しかし、先程言ったように有名大学がたくさんあって、実は大手企業もあるので、潜在的に豊かな顧客層はたくさんいるわけです。にもかかわらずマーケットが埋められていない。だからこそ、ぼくはビジネスチャンスだと思います」(柳瀬さん)

いま必要な「百貨店の再発明」

 この「自動車マーケット」としての16号線の新たな可能性について、建築家の門脇耕三さんも、他の参加者の意見を集約しつつコメントしました。

「新しい街道のイメージをどうやって作れるか。日本は広場に都市があるのではなく、日常的な街道沿いに街が発達していくという特徴がありますが、そういう新しい日本型の都市のイメージをいかにして再び作っていくのか。

自動車というのはなかなか難しくて、まず身体スケールが非人間的なので、巨大駐車場などのようにどうしても広々とした場所ができてしまいますが、これは自動運転やオンデマンドバスといった新交通システムでなんとか乗り越えられるかもしれません。また車はインテリア性が非常に高いので、室内からショッピングモール、ラーメン屋、すべてがインテリアで結ばれる。それゆえにどこにでもスウェットで行けてしまいますが、スウェットというのは、自然、とくに水(湧水)と決定的に相性が悪い。

それから、相対的低所得者や若年世帯のための、使い捨ての街を作ってほしくないなという気持ちもあります。一代限りの安い住宅を建てて、それが全部ゴミになってしまって、16号線がゴミラインみたいになると、とても悲惨なことになってしまいます」(門脇さん)

建築家の門脇耕三さん(「庭プロジェクト」発起人)

「おっしゃる通り、自動車タウンというのはマイルドヤンキー化しやすいんですよね。それはかつての駅前商店街も同じで、モールと構造的にはほとんど一緒なんです。屋根があって、一本のメインの通りがあって、面白い店はだいたい裏に隠れるように展開している。そういう商店の人たちは、いまおっしゃったスウェット的な世界に属しています。

とすると、おそらく日本に相対的に少ないのは、少し気取ってお金を落としに行ける場所です。そこで考えていきたいなと思っているのは、百貨店の再発明です。ぼくは『日経ビジネス』に所属していたとき百貨店も取材対象だったので、ずいぶん研究させていただいたのですが、戦後ハイカラカルチャーの中心の一つとして、百貨店がアミューズメントパークとミュージアム性をセットで持っていたというのは非常に重要なことです。しかも上の階にレストランがある。

ショッピングモールやアウトレットモールと似て非なるものは、百貨店に行く時は、誰もがおしゃれをして行ったということです。僕も1970年頃は東京に住んでいたので、たまに三越に連れて行ってもらう時には革靴などを履かされるわけです。あの“革靴感”とでも言うようなものとセットである街が、たとえばヨーロッパで言うと中心にオペラハウスがあったりするところです。そして上階にはそれなりに高級なレストランがある。

百貨店が衰退して以降、フォーマルな格好で行って楽しい施設が、再発明されていない。明治維新以降日本の小売業の中心には都市の駅前に展開される百貨店があり、そこでファッションが売れ、ご飯も食べていた。非常によくできたシステムでした。しかし90年代半ばから、都市の駅前百貨店から、郊外の街道沿いのショッピングモールに小売業の中心が転換して、百貨店カルチャーはどんどん衰退した。ブランド消費も、三菱のプレミアムや三井のアウトレットといったモールが代替するようになった。しかし、あのモールにおしゃれをしていくかというと微妙ですよね。たぶん、ただ買い物に行くのではなく、小売施設が買い物だけではなく、街として遊ぶ場所にもなっている、というかつての百貨店のような再発明が、先ほどおっしゃっていた郊外の街の、良い意味でハレの部分を作っていくためのポイントだと思います。

横浜のランドマーク上空より(撮影:柳瀬さん)

ここでポイントとなるのは『移動の仕方』人々の『動詞』です。百貨店は、徒歩で訪れるところでした。百貨店のある街は徒歩で楽しむ街でした。銀座がそうですね。おしゃれをして行けるところ、デートをして行ける場所。そういう小売業と街の再発明が、まだされていないという感覚がすごくあります。人々が『徒歩』という動詞で楽しめる場所かどうか。東京以外の都市でもお金が落ちる街は『徒歩』が楽しい。京都がまさにそうですし、軽井沢や鎌倉に比較的お金が落ちるのは、徒歩で歩ける百貨店的なカルチャーが街の中にあるからですよね。僕はそこがけっこう重要だと思うので、おしゃれをして家族やカップルで遊びに行く、『徒歩で歩いて楽しめる』かつての百貨店的な商業施設の再発明ができるかどうかが鍵になると思います」(柳瀬さん)

16号線のポテンシャルを活かすための「条件」

 柳瀬さんのプレゼンテーションやここまでの議論を聞きながら、自身の志向性と16号線エリアとの関係性について気付かされたと語るのは、パターン・ランゲージや創造社会論の研究者である井庭崇さんです(参考:独創性を目指さない「創造」の話──来たるべき「創造社会」のビジョンを考える)。

「僕は自分の研究の中でも、この庭プロジェクトでも、常々、都市化された、とにかくアスファルトで埋められてしまった都市ではなくて、もっと自然あふれる環境の中で、ナチュラルでクリエイティブに生きていきたいという話をずっとしてきました。そして、これまで気が付かなかったのですが、僕が出身もこれまで住んできたさまざまなエリアも、そのほとんどが16号線沿いでした(笑)。僕が常々離れたいと思ってきた『人工的すぎる関東』というのは実は16号線沿いであって、日本的な車社会の典型のようなところなのかなと気付かされました」(井庭さん)

「非常に面白いですね。プレゼンテーションの前半でお話ししたように、16号線沿いがモールだらけで画一化されているのは事実で、それが嫌になる人が出てくるという構造があります。しかし、同時に僕が『国道16号線: 「日本」を創った道 』という本を書いた理由の一つは、『というのは一側面に過ぎない』」と言いたかったからでもあります。

たとえば、16号線的な要素を持っていて、この20年間くらいで変わったのは埼玉の川越なんですよね。川越の小江戸的エリアは、さきほど言った太田道灌が再開発して関東でも随一のお城の街になったわけです。そこを中心としてできた小江戸の台地の部分、16号線のちょうど上の台地にあたる部分は、いまではきれいになっていますけど、一時期はやはり廃れてしまいました。その南の端に西武と、JRの鉄道ができたときに、鉄道の駅前と百貨店の街になって衰退してしまったのですが、皮肉な話、駅ではなくさらにその下の国道16号線沿いにモール街があります。

川越の面白さは、駅前にも便利な場所が残っているのだけれど、それ以上に駅から離れた、もともと街道沿いだったエリアに、小江戸ブームもあって平日でも常に人がいっぱいいることです。コロナ禍にもかかわらず外国人の観光客がいる。ハレの消費は徒歩で楽しめる小江戸川越。他方で川越周辺は16号線随一のモールタウンで、複数のモールがあり、ちょっと内側にはららぽーともある。すぐ先には狭山の工場街や物流センター街もある。地元の人の『ケ』の生活と仕事はこっちにある。つまり、川越は、古い16号線と新しい16号線のハイブリットの街です。地元の人に聞くと、モールには映画を観るときにに行って、デートはその小江戸でできて、昔ながらのおいしい鰻屋さんや、新しい東京のイケてる店なんかが入ってきたりしたので、地元の人も東京から来た人も、どちらも楽しめる。川越は活気に溢れていますし、16号線的な街のの完成系です。川越城近辺には緑も残っていて、すぐ近くが荒川なんですよ。カワセミもいっぱいいますし、自然もすごく残っているんですよね。川越の街の作り方なんかは、古い16号線カルチャーをもう一度再発見してやったという意味で、よくできているパターンだと思います。

ただ、そういう街がまだまだ少数派であるというのは事実です。16号線のポテンシャルを活かせている街とそうでない街がある。たとえば不動産屋さんの力でうまく再開発できたのは、玉川高島屋系の再開発でうまくいった流山と、三井不動産系が取り組んだ柏の葉、横浜の不動産会社山万が時間をかけてまちづくりをしているユーカリが丘などです。90年代に一旦高齢化で衰退しかかかったけど、再び盛り上がってきたのは千葉ニュータウンです。一方で、うまくいっていないのは、たとえば16号線の少し内側になりますけど、旧柏市街や木更津市などの『駅前』です。鉄道の街から自動車の街に転換しないといけないのだけれど、駅前商店街エリアに力がなくなっていて、そこに再開発する知恵と力が、いまのところ相対的に薄くなっているところはたしかにあります」(柳瀬さん)

 

では、16号線エリアのポテンシャルが活かせている街は、なぜうまくいっているのでしょうか? 柳瀬さんは、その共通点を挙げて締めてくれました。

「いい意味で大型の不動産屋さんで高い志があるところは、100年計画で取り組むのでうまくいきやすいです。柏の葉はもともと越後屋が持っていた古い土地で、旧三井総本家の牧だったんですよね。あそこは三井グループが江戸時代から明治時代にかけてずっと持っていたところで、一度飛行場になった後戦後、30年間米軍に接収されてから再開発しようとしたときに、かなりロングレンジで取り組みました。ただビルを建てるのではなく、たとえばがんセンターの誘致、そして学園都市を作ろうと東大・千葉大の誘致を進め、英国の名門校ラグビー校も誘致しました。キャンパスの部分がものすごい広いスペースで、真ん中にある緑地の水辺のスペースも相当広いですし、大手でなければできないことです。

流山も、郊外型の街だから、鉄道の駅前でありながら自動車も使えるけれど、徒歩圏も広げようとしました。実はウォーカブルスペースが非常に広いんですよ。中心に車が入れなくなっています。流山が圧倒的に人気なのは、鉄道で東京から20〜30分で来れて郊外型の自動車を使えるけど、中心は完全なウォーカブルスペースで、子どもや赤ちゃんも安心して歩かせられるから。これは三井の柏の葉キャンパスも同様です。

大手資本がしっかりやるとできるパターンが、この柏の葉と流山の二つなんです。千葉ニュータウンもまた再び人気になってるのは、構造が同様だからです。ウォーカブルゾーンと車のゾーンと電車のゾーンがきれいに分かれている。その意味で言うと、16号線のうちイケてる街は千葉側なんです。神奈川サイドは16号線エリアの商業施設はうまくいってるのだけれど、横浜の北部の、すずかけ台あたりから橋本の間は、16号線エリアは発達しているものの、そこと周辺の街がうまく一体化していないんですよ。典型なのは古淵から淵野辺あたりですね。日本で一番ショッピングモールが集結しているにもかかわらず、文化施設が脆弱。書店も郊外型の雑誌と漫画が中心で地元の顧客層に訴求できていない。

プレゼンテーションでお話ししたように、古淵から淵野辺にかけては青山学院大学やJAXA(宇宙航空開発研究機構)があるんですね。知識層がたくさん暮らしているエリアなのに、本屋もしょぼいし、駅前の徒歩で楽しめるダウンタウンもモールに比べると小さい。そういう意味で言うと、同じ面積で言えば柏の葉キャンパスで三井グループがやっているような開発が優れていると思います。たとえばJAXAが小惑星探査機『はやぶさ』で隕石を持ってきたときはあそこにあったんですよ。ところが古淵や淵野辺でそれがニュースになっていたか。地元のモールの書店でフェアとかやったか? 多分やってないはずです。もったいないですよね。

そのあたりも含めて言うと、さきほど言ったように、『道』が『街』になる、という古代からの日本の風土を考えたとき『道をどうやったらまちづくりに組み込むか』ということを考える“中心”が、日本にはないんです。鉄道は私鉄がやってくれるわけです。たまたま面積の大きな敷地では三井不動産や三菱地所さんがやっている。丸の内は三菱地所が、日本橋は三井がやっているわけです。でも、郊外の道路沿いについては面で考える人が役人サイドにも企業サイドにもいないので、どうしても点になってしまうという限界がいまのところあります。もったいなという感じがありますね」(柳瀬さん)

[了]

この記事は小池真幸・徳田要太が構成・編集をつとめ、2024年5月23日に公開しました。Photos by 髙橋団、柳瀬博一。