「こらだと環境の相互作用」から、自他の境界を捉え直す

 今回の研究会の会場となったのは、鞍田愛希子さんが一年前に立ち上げた「こらだ環境研究所」です。鞍田さんが2021年に立ち上げた東京都小金井市の福祉施設「ムジナの庭」(参考:ただ「ある」ことを支えるケアへ──「ムジナの庭」から考える|鞍田愛希子)からほど近い、JR中央線・東小金井の住宅地の中に、ひっそりと佇むこの施設。心身のコントロールが難しく、生活や就労に障害のある方が、さまざまなプログラムや研究活動によって自己理解を深め、生きるため・働くための土台を作り直す「自立訓練(生活訓練)事業所」です。対人関係スキルや家事スキルを高め、それぞれに必要なネットワークや仲間を増やしながら、「自律」を目指す場所として運営されています。

 鞍田さんによるプレゼンテーションはまず、ムジナの庭に加えて、2024年7月にこらだ環境研究所を立ち上げるに至った経緯から始まりました。

「ムジナの庭では『就労とケアの両立』をテーマに、『働く練習』の場を提供してきました。働ける喜び・稼げる充実感によって、自然と回復が進んでいくことと合わせて、五感を刺激するものづくりによって働くことをケアとして機能させたり、こころ・からだプログラムによって心身のケアを仕事の一環としてきました。

また、北海道の浦河べてるの家、フランスのラ・ボルド精神病院などの実践も参考にしながら、ネガティブ感情を昇華させたり、常に整わず、あいまいで流動的な場を設定したり、無駄な時間やものを大切にしたり、人と人・人と事物との関係性づくりを模索したりなど、様々な試みを行ってきました。

ただ、ムジナの庭だけでは実現しづらかったのが、生活の土台が安定しない方への集中的なケア、心・体・環境のより深まった研究です。スタッフも就労とケアのはざまで困惑したり疲弊したりと負担をかけてしまっていたので、『就労』と『ケア』で機能分化させるために、こらだ環境研究所(以下、こら研)を立ち上げることにしました」(鞍田さん)

ムジナの庭 代表/こらだ環境研究所 所長の鞍田愛希子さん(「庭プロジェクト」ボードメンバー)

 また2024年3月には、ムジナの庭の開設3周年記念トークイベント「発酵と心の関係って? ~精神科医とパン屋さんのお仕事、実は似ている⁉」を開催されました。こらだ環境研究所立ち上げ直前でしたが、ゲストに招いた精神科医の星野概念氏と、野生酵母でパンやビールを作るタルマーリー渡邉夫妻の実践に共通する「目には見えない菌や心を見つけて、育みやすい環境を設定したら、あとは手を入れない」という姿勢は、「一拠点ですべてを完結させるのではなく、あちこちに点々と小さな活動を広げていく」「タネを撒いたら、あとは手をかけすぎず、場の力に委ねる」という自法人のイメージとも重なるところが多かったといいます。

 施設名に冠する「こらだ」という言葉は、精神科医・中井久夫による造語です。

「ムジナやこら研には、あらゆる精神症状・身体症状を経験されてきた方たちがいらっしゃいます。こころの不調がからだに影響を与えている場合も、その逆もあり、こころとからだはどちらも切り離せない存在として捉えてきました。双方向からケアを行う意識を高めるために、両方を区別するための仕組みを作ったり、こころ・からだプログラムとあえてカテゴリを分けて提供してきました。

中井先生の『看護のための精神医学』(医学書院、2004年)では、『「心身は一つ」と言う人が〈こころ〉と〈からだ〉ということばを両方ともやめて、なんでもよいが「こらだ」で両方をあらわすとおかしなことになる』といった文脈で登場している言葉です。さらに、東畑開人さんによる『居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書』(医学書院、2019年)という本では、『調子が悪くなって、おかしな状態になるとき、こころとからだの境界線は焼け落ちる。そのとき、こころとからだは「こらだ」になってしまう』『ひとたび、こらだが現れると、プライバシーのために閉じられていた場所が、他者に開かれる』『こらだには伝染力がある。こらだを目の当たりにしたとき、僕らの「心と体」までこらだになってしまう』などといったかたちで引用されました。

『こらだ』とは具体的には、トイレに行きたくてしょうがないときに理性が吹き飛んで走り出してしまう状態などが想像しやすいかもしれません。精神症状だと、ネガティブな認知が止まらなくなるとか、フラッシュバックが起きてコントロールが効かなくなるとか、そうした理性の働きづらい状態、あるいは体を制御できない状態を指します。この状態は自分では気づきづらいケースも少なくなく、自分の状態を俯瞰して見ることや知覚する習慣がない方は、『こころとからだがコントロールできていない状態』という認識そのものを持ちにくいように感じています。だからこそ、自分の状態を他者とシンプルに共有できるよう、『こらだ』という言葉を使うことにしました」(鞍田さん)

 この「こらだ」状態に対して、こらだ環境研究所では、どのようなアプローチを取っているのでしょうか。ソーシャルワークの分野においては「個と環境の相互作用」「状況の中の人」などとし、人と環境を一体的なシステムとして捉える視点が重視されてきたといいます。鞍田さんはこの枠組みを一歩進め、「こらだと環境の相互作用」と置き換えました

「こころとからだがぐにゃぐにゃ混じり合いながら、環境もいつの間にかその中に入り込んでいる。そうして自分でコントロールができなくなってしまっている状態を、こらだ環境研究所では『自律が難しい状態』と捉えています。この場合、自他の境界が曖昧になり、周囲の環境がどんどん自分のなかに入り込んでしまう。特に過剰に空気を読んでしまう方や人の顔色を気にしてしまう方は、この境界線を侵されてきた経験があったり、元々、境界がわかりづらい状態になっていることが多くあります。

こうした渦の中に取り込まれてしまったときは、まずは渦の外に出て、遠くから眺めることが必要になります。ただ、他者から離れることが難しかったり、逆に他者と溶け合うことが難しかったり、他者の感情や価値観と自分のそれらを分けて把握すること自体が難しい方もいます。そこで、自分の輪郭をみんなで探していくような作業が必要です。これができるようになると、境界がちゃんと自分の外側にでき、自と他を区別できるようになったり、他者の影響を受け過ぎることなく、こころとからだを自分の思うまま自由に動かせるようになる。また、他者に限らず、住んでいる国や地域、自然や建物、インテリアや音楽など、様々な環境要因によって、こらだは形を変えていきます。マッチした環境に出会うごとに、こころとからだが少しずつ、もしくは急速に分離していくプロセスを、研究員の皆さんと発見・共有してきました。そんな風に、こらだ環境研究所では、自分に合った『環境』を見つけながら、それぞれの自律を目指しています」(鞍田さん)

「当たり前の生活」を手に入れるための「土台」とは?

 「こらだと環境の相互作用」を捉え、「自律」を目指していくために、こらだ環境研究所では4つのテーマに取り組んでいます。①「こころ」と「からだ」を分ける ②「個」と「環境」の関係性を知る ③「時間」「空間」を自由に選ぶ ④「生活」を創り上げていく、です。

「まずは当たり前の生活を送ることが、生活訓練の目的です。『当たり前の生活』って何だろう? と考えると、安心・安全でいられて、しかも自分で自由な選択ができること。そうした生活を失った人は取り戻していく作業が必要だし、経験してこなかった人は新たにつくっていくことになります。

ただ、この安心・安全な生活に慣れないという方もいらっしゃって、慣れないうちはコンフォートゾーンである、危険で不自由な生活に逆に逃げ込みたくなる。当たり前の生活に慣れている方からすると、不思議な現象だと思います。そのクセみたいなものや、そこから出ることの怖さみたいなものに阻まれて、自分にあった暮らし方、働き方を自由に選択することができなかったり、自分の感情や希望が分からなくなっている方も多くいらっしゃいます。そうした方々へのサポートをするのも、こら研の役割です」(鞍田さん)

 ムジナの庭は「自立」を目指す「働く」ための場。こらだ環境研究所は「自律」を目指す「ケア」のための場。こうしたテーマ設定を行った後、『働き方の哲学:360度の視点で仕事を考える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2024年)において村山昇氏が提示する、3つの「自」という概念と航海図から、あらためて法人内の事業を整理するためのヒントを得ました。

「1つ目の『自立』は、自分で食べていけるということ。スキルが身につき、必要な体力もあって、経済的に独力でやっていける状態。基本動詞は『持つ』『保つ』で、働くための主体をつくることを目指します。対義語は『依存』です。

2つ目の『自律』は、自分の倫理や哲学を持ち、物事が判断できるよになり、自分を方向づけていくこと。自律神経と同じ漢字でもありますが、心と体のコントロールという意味もあるようです。基本動詞が『決める』『動く』で、働くための主観をつくるコンパスの役割。対義語は『他律』になります。

3つ目の『自導』は、大いなる目的を覚知したもう一人の内なる自分。想い、夢、志を描くこと。基本動詞が『描く』『踏み出す』『拓く』で、目的地入りの地図にたとえられています。対義語は『漂流』『停滞』です。

ここでは、自立→自律→自導の順で紹介されていて、一般的にも、自律は自立の後とされていたりします。ただ、今までに関わってきた方々の中には、すでに十分な経験やスキルもあり、早期就職したものの、再び土台が揺れ動いて心と体のバランスを崩してしまう方も多くいらっしゃいました。そこで、自律を土台固めの最初の一歩とすることにしました。自律→自立→自導とさらに役割を分けていけるよう、3拠点目を立ち上げる計画です。3つの『自』を目指しながらも、対義語『他律』『依存』『漂流』とのバランスを取ることが、心理的柔軟性を育むには大切だと感じるようになりました。こら研でサービスとして提供しているのは『自立訓練』ですが、あえて『自律』という言葉を使って説明することで、研究員にも意図が伝わりやすくなりました」(鞍田さん)

 対して、こらだ環境研究所に通う方の多くは、安心・安全を感じづらく、それゆえ自由な選択がしづらい状況にあるといいます。

「その背景には、個と環境それぞれの要因があります。個の要因としては、たとえば、先天的にASD(自閉スペクトラム症)の発達特性がある方はオキシトシン(愛情ホルモン)の血中濃度が低い可能性があるそうで、そのため、 他者への信頼感や共感性、感情の調整に難しさが生じることがあるようです。また、ADHD(注意欠如多動症)の特性がある方は、ドーパミン(やる気ホルモン・幸せホルモン)のバランスが崩れやすく、前頭前野の働きづらさから忘れ物や衝動的な行動が増え、失敗体験が続くことでチャレンジを避けがちになることもあるようです。一方で、後天的な環境要因としては、事故・事件・災害など危険な目に遭遇されたり、虐待家庭で育つなど生育歴のなかでつらい思いをされたり、環境が合わないままストレスのかかる状況に居続けたり、周囲の状況から大きな影響を受けたりした後、すでに問題を解決してからも長期間にわたって安心・安全を知覚しづらくなることがあります。

マズローの欲求5段階説では、人間の欲求がピラミッド上に5段階で分けられ、一番下に食事や睡眠といった生理的欲求、その上に安全欲求、その上に社会的(所属と愛)欲求、その上に承認欲求があり、一番上に自己実現欲求が位置づけられています。たとえば健康な方であれば、働くことで5段階すべての欲求が満たされる可能性がありますが、すでに働くスキルがあって優秀でも、生活や就労が上手く回らない方は多くいらっしゃいます。この場合、5段階欲求の下層の土台が整っていないことも考えられ、何らかの要因で人との関係を保つことが難しかったり、食べられない・眠れないといった、基本的な生活習慣やリズムを維持することが難しい方もいらっしゃいます。現代は、ピラミッドが逆三角形の構図になっていると言われることもありますが、こうした土台を整えていくことを、こら研では大切にしています。

土台が満たされないままだと、最悪の場合、希死念慮が高まり、衰弱する方もいらっしゃいます。トマス・ジョイナーの対人関係理論では、『負担感』の知覚/『所属感』の減弱/『自殺潜在能力』の3つが、自殺リスクを高める要素として共有されています。特に3つ目の、死への恐れがなくなってしまう状態は、理性的な判断ができない『こらだ』状態にもあたります。これら3つが揃ったときにリスクが一気に高まってしまうので、何か一つでも解消していけるよう、ご本人はもちろん、医療や福祉関係者の皆さん、ご家族とも連携しながら進めています」(鞍田さん)

「自分の物語をつくる」ために必要なこと

 こうした「土台」を整える上で、とりわけ重要な要素として、こらだ環境研究所が注目しているのが、先程も触れた「自他の境界線」(バウンダリー)です。

「研究員のほとんどの方が、利用開始当初は、自他の境界線を引くことが苦手なのではないかと思います。誰かの言葉にいつの間にか揺れていたり、同年代の活躍に焦ってしまったり、日本の文化として、人に迷惑をかけてはいけないとか、同調圧力が強く働きやすいことも関係しているかもしれません。また、愛着形成がうまくい進むと自然とバウンダリーが生まれ、自分が嫌なことや、やりたいことがはっきりわかるようになるとも言われます。ただ、自分の境界に侵入される経験を重ねてきた方は、自分が嫌だと言っても助けてもらえない。そうすると、バウンダリーがどんどん曖昧になり、トラウマ反応や愛着障害が見られることもあるので、ご本人や主治医、心理職の方へもご相談しながら、慎重に安全な範囲でバウンダリーの引き方をプログラムの中で扱っています。大人になってからも、両親でなくても、愛着は形成できるとも言われるため、場に対する愛着を育めないかという研究も行っています。

精神科医の斎藤環さんは、『承認をめぐる病』(日本評論社、2013)という本のなかで、良い子とひきこもり青年に共通する特徴として、『自己愛の失調』と『欲望の混乱』を挙げています。自己愛の失調とは、正しく等身大で自分を愛するということが難しく、愛しすぎたり愛さなすぎたりして、コントロールができず、自己愛が不安定な状態になるということ。欲望の混乱とは、他者の欲望を自分の欲望だと誤認してしまい、混乱状態になるということです。加えて、家族以外の『他者』との関わりによって、人間の自己愛と欲望は洗練され、成熟していくともしています。家族は自己愛システムの基礎は形成できても、徐々に自己の一部に近い位置づけなってしまうため、青年期以降のシステムを支えるには、支持し続けてくれる「他者」が不可欠。しかも複数いた方が構造がより複雑になり安定性が高まるとしています。こら研では、人との境界線、バウンダリーを引く練習をしながらも、より多くの人・場所・モノに触れやすくなる環境設定をおこなっています」(鞍田さん)

 こらだ環境研究所で取り組まれているプログラムは、大きく「こころ」「からだ」「環境」「調理」の4種に分かれるといいます。「こころ」は、当事者研究やオープンダイアローグ、ネガポジ感情研究、NVC(非暴力コミュニケーション)、読書会などで、「からだ」は、ムジナの庭から続いている鍼灸師スタッフのお灸・ツボ押し、漢方の薬剤師さんによる月替わり講座、タッチケア、アロマ、筋トレなど、その時期によってのテーマもあり、多種多様です。「環境」は、家事やものづくり、イベント販売、、地域のお店や施設の訪問、周辺の学校や公園との協働などが含まれるといいます。図書館へ行ったり、研究所の本を貸し出したり、読書関連のプログラムも多く、新たな世界との出会い、考える力・感じる力を養う構成を意識されているとのこと。
 年4回開催している「こらだ環境研究発表会」では、研究員がそれぞれ自身のテーマを設定し、研究成果を発表するのだといいます。イラストで自分の状態を描く人、コーピングの方法を列挙して整理する人、AIカウンセリングの体験を紹介する人、短歌を毎日書いてみてその変化を追う人。自分の脳内をキャラクターとして描いた研究では、普段は人を責めたりできない代わりに、脳内で攻撃的な側面が大暴走している、といった発表もあったそうです。

 そして、こらだ環境研究所が掲げているもう一つのテーマが、「自分の人生を生きる、自分の物語をつくる」ということ。鞍田愛希子さんはここで、小川洋子と河合隼雄の対談集『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社、2011年)を引きながら、物語との向き合い方を整理します。

「(この本では)小説家の小川さんが『作り手として意識的に物語を作っている』とおっしゃっているのに対し、臨床心理士の河合先生は『来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような「場」を提供している』と話されています。物語をつくる側の方は、自分で場をつくったり、インプット・アウトプットしたりを能動的にできると思うのですが、河合先生は場だけを提供し、何もしないことに全力を注ぎ、受動的にただ聴く。ただ、その人の物語についていく。西洋の精神分析を学んだ河合先生は、日本人特有の『言葉にならない感情』『空気を読む文化』に合わせ、論理的に解釈するだけでは届かない『こころの深層』へ触れていくために、『沈黙』 を重んじたそうです。

オープンダイアローグでも、たとえば職業や年齢、病歴や家庭環境など、その人の背景を分析したりせず、『うつむいたのは落ち込んだからかな』といった、非言語コミュニケーションに対する解釈も入れません。ただその場に湧き上がってきた言葉だけを味わい、応答していく連続により、いつの間にか内的対話が進んでいきます。

自分の物語を生きる・描き直すためには、『内的対話の継続』と『内的世界の拡張』が必要なのではないかと感じるようになりました。先ほども挙げた東畑さんと斎藤さんによる対談集『臨床のフリコラージュ』(青土社、2023年)では、メンタルヘルス界隈にはトレンドがあり、極と極の間を常に『振り子』のように揺れ動いている。どちらかに振り切れることなくバランスを取れる強い体幹が必要で、あり合わせの材料を使って、目の前の人に対応する『ブリコラージュ』のほうがむしろ本物なのではないか、ということが書かれています。素人性と専門性についても触れられていて、この点に関してはもう少し深めて考えてみたいと思っています」(鞍田さん)

「一人になれる」ことはなぜ重要か?

 さらに鞍田さんは、自分の物語を生きはじめるためにも、「一人になれる」ことが必要ではないか、と話を展開させました。

「茂木健一郎さんは『孤独になると結果が出せる』(廣済堂出版、2020年)という本の中で、『孤独』を『ロンリネス(ひとりぼっちが寂しいこと)』『ソリチュード(一人でいること)』『アイソレーション(孤立)』に分類されています。ここで言う『ロンリネス』、つまり一人になりたくないのに一人になってしまったとか、『アイソレーション』、孤立している人を放置するということではなく、『ソリチュード』の状態、つまり結果を出すため・自分自身の幸福のためにあえて自ら一人になる、孤独に耐える・孤独を楽しむ時間が重要ではないかと思います。こら研の研究員も、本当は一人になりたいにもかかわらず一人になるのが苦手な方、人に合わせられないのはワガママだと悩む方は多いですが、他者に気を取られず、自分に集中する『ソリチュード』に慣れていくと、自然と自分の物語が動き始めるように感じています。

孤独になると結果が出せる

「これなら結果を出せる! 」と思えるプランがあるのに、 実行過程のネゴシエーションを考えると一気に気持ちが萎えてしまう。 クライアントや上司を説得しなきゃいけないのは仕方ないけど、 考えの古い先輩や頭の固い同僚にわけのわからない横槍を入れられそうで、うんざり……。 自分だけではなくみんながムダと思っているのに、 「決まりだから」という謎の理由でやめられない作業があり、 それに時間をとられて肝心の仕事が進まない……。 そんなとき、他人の意見に振り回されていては、大きな結果は出せません。 無理して人に合わせるのはリソースのムダです。 しかし、頭ではそうわかってはいても、ついつい「同調圧力」に屈してしまい、 もやもやとした思いを抱え込んでいる人が多いのではないでしょうか? 周囲に流されそうな場面で、最強の心の支えとなるのが、「孤独を知ること」です。 いまの日本では、孤独を寂しくツライものとして必要以上に避ける風潮がありますが、 芯を外していてはいつまでたっても本当に求めるものにたどり着くことはできません。 孤独こそが脳の本質なのです。 その峻厳な事実と逃げずに向き合えば、すべてが好転し始めます。 孤独は脳にどんな良い影響を与えるのか、 孤独と上手につきあうにはどうすればよいのか、 なぜ孤独な人は結果を出せるのかなどを、 本書では最新の脳科学の知見に基づいてていねいに解説していきます。 一歩踏み出したい人の背中を力強く後押ししてくれる1冊です。

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また、内的世界の拡張には、宇野常寛さんの『ひとりあそびの教科書』(河出書房新社、2023)がその豊かさを存分に伝えてくれていて、大好きな一冊です。他者へ集中していた意識を、昆虫やフィギュア、日々のルーティンや慣れない土地への旅など、別の世界へ視点をズラすだけで、一気に目に入る景色が変わります。『他人の物語から自分の物語へ』『共感するのをやめてみよう』といった話も大切で、オープンダイアローグにも共通する点があります。オープンダイアローグは、リフレクティングを含め、様々な働きによって、『ちゃんと聞いてもらえた』という実感をもたらし、答えを出すことではなく、対話を続けることそのものを目的としています。聞き続け、話し続けることで、普段は出てこない内なる声がだんだんと湧き上がってくる。『共感しない』というルールは、『他者性』、つまり人と人は異なり、分かり合えることはないという前提の上で、異なるからこそ分かり合おうと他者を尊重する姿勢のあらわれです。他者を尊重しながらも、自分と明確に区別して声を重ねていく中で、自分との対話が深まり、いつの間にか感情が昇華されたり納得感をもって次に進めるといった、化学反応のようなものが起きていきます。

孤独になることで得られる没入感や超集中状態=フロー体験は、幸福度を上げるとも言われています。ポジティブ心理学の第一人者ミハイ・チクセントミハイの言葉に『フロー体験こそ、幸せのカギである』というものがあります。フローモデルにおける成長はまっすぐ進むわけではなく、最初は分からないことが多く不安が強いものの、スキルがつくと徐々にワクワクに変わり、慣れてくると退屈になってくる。この繰り返しを続けながら、他の人との違い『差異化』や、社会貢献やつながりを求める『統合化』が少しずつ進み、うろうろと真の幸福に向かっていく。これを自己実現の最終段階としているようです。フロー体験を起こす条件としては、挑戦レベルが自分のスキルよりやや高いことが挙げられますが、それ以外にも、対象への自己陶酔感、自分がコントロールできている感覚、直接的なフィードバックがあることが重要とされています。さらに集中とリラックスが必要で、孤独になれる環境設定も欠かせません。うちはまだ一階も二階もオープンになっていて全員が顔を合わせるような空間になっていますが、新たに個別ブースをつくって、みんなと繋がったり、1人になれたり、その日の気分や状況によって行き来の練習ができるようにしていこうかな、と考えています」(鞍田さん)


 一人になったり他者と繋がったり、どちらも生きていく上で必要ですが、その行き来を実現するために心身の状態を理解したり、体へのアプローチとして注目されているのが、ポリヴェーガル理論です。背側迷走神経、腹側迷走神経、交感神経の3種類から自律神経系を捉え直す理論で、最近ではトラウマ治療にも応用されている、と鞍田さんは説明します。

「ポリヴェーガル理論は、理解が進みやすいよう、青/赤/緑と色を使って説明がなされることがあります。『青』は、背側迷走神経がうまく働けばリラックスできるけど、安心・安全の土台がないと凍りつきが起こる状態。『赤』は、交感神経がほどよく働けば活動のスイッチが入るけど、安心・安全の土台がないと攻撃になってしまう状態。そして大事なのが『緑』の腹側迷走神経で、第三の自律神経とも言われ、これが安心・安全を育む力やつながりを持とうとする力になるそうです。この『緑』は、たとえば人と会って笑顔で目を合わせるといったことでも育っていきます。こら研には『ご自愛コーナー』があって、ツボ押しやアロマミスト、アイピロー・へそピローで体を温めたりもできる。体がゆるむと『緑』が育ちやすくなり、『緑』が育つと、一人でいても安心でき、みんなでいてもリラックスできるようになっていくんですよね」(鞍田さん)

「インクルージョン(包摂)」は目指すべきゴールか?

 プレゼンテーションの終盤で鞍田さんが紹介したのが、精神科医・神田橋條治による1976年の論文「『自閉』の利用:精神分裂病者への助力の試み」(荒木冨士夫との共著)でした。

「まだ統合失調症が精神分裂病と呼ばれていた時代、自閉症状をなんとかするために作業療法を促したり、気分を上げようと周りが頑張ってアプローチしたりするものの、どうしても自分の殻に閉じこもってしまう。そこで神田橋先生は、逆のアプローチを取られたそうです。自閉症状には、回復のための働きが内包されている。だから自閉というのは、同時に自己治療なんだと。『したくないことをしない権利』の方が『したいことをする権利』より基本的人権なのではないかと。むしろ、『自閉能力』『拒否能力』を尊重する姿勢が、治療上有益に働くのではないかという経験や仮説に基づいた22の症例が紹介されていて、当時の精神医学界は驚き、常識が覆っていった。

いまだにこうした考えは主流ではないようですが、この『自閉の利用』も、今後さらに深掘ってみたいなと思っています。わりと有名なエピソードに、神田橋先生が病棟の患者さんへ『一番自閉的なのは誰か?』と尋ねたら、『いつもにこにこしている看護師長さんだ』と答えたという話があります。看護師長さんやわたしたち支援者は、感情を持っていかれないように殻や境界線をしっかり守ろうとする働きが、無意識にも意識的にもあると思うので、そういうところを感覚的に鋭く捉えて、こういうやり取りが生まれたのかなと感じました」(鞍田さん)

 こうした「『自閉』の利用」の考え方は、近年の政策動向にも接続しています。2025年1月、厚生労働省は引きこもり支援の新指針を発表し、齋藤環らによって「ひきこもり支援ハンドブック〜寄り添うための羅針盤〜」も更新されました。ここには、ひきこもり支援は自立ではなく「自律」がゴールなのだと明記されています。

「斎藤先生は『ケアとしての就労支援』(日本評論社、2018)という本の中で、働くことがケアになるともおっしゃっているので、働くことを肯定されてきたはずなんです。でも『ひきこもり支援ハンドブック』では、ひきこもり支援のゴールは就労ではなく自律だとされた。ひきこもりの就労支援に関して、就労準備支援(働くための機会を提供したり、そのための金銭管理などを扱ったりする支援)を行った自治体の半数が断念したという報道もありました。理由としては『対象者が必要性を理解しない』『新しい環境に拒否感がある』と。結局、自治体がいろいろやってみたものの、自閉の殻を破りきれなかった。その中で、今回大きく方針が動いたように、常にみんなで視点を広げたり、アップデートできるのは、とても安心だなと思います」(鞍田さん)

 プレゼンテーションの最後に、鞍田さんは大きな問いを投げかけました。インクルージョン(包摂)は本当に目指すべき唯一のゴールなのか、という問いです。UNESCOの「インクルーシブの原則」によると、障害のある方を取り巻く社会モデルとして、排除/分離/統合/包摂があり、現在はインクルーシブやオープンな場作りが推奨されることが増えてきました。しかし現場の感覚としては、その方向性にそのまま乗ってよいのか迷いがある、と鞍田さんは率直に語ります。

「特に公教育の分野で議論が盛んですが、インクルージョンが必要な場面もたくさんあります。ただ、こら研やムジナを利用されている方のなかには、普段は精神疾患や軽度知的障害を開示せずに生活されている方もおられます。目には見えないので、友達やご近所さん、学校や職場の方のほか、ご家族が知らないこともあります。そのような殻をもつことを許容されてほしいなとも感じます。センシティブな話題に触れる機会も少なくないため、心理的安全性を保障することも大切になってきます。こら研もムジナも、人前に出るのが好きな方に話していただく機会をもったり、イベントなどではオープンにして活動を知っていただく機会を設けていますが、普段はクローズドにして、一般の方が出入りできない形をとるなど、セミオープンな場として開いたり閉じたりするようにしています。

開示していない方には、『自分は健常の友だちと一緒に育ってきたから、その時の自分を残しておきたい』という方もいらっしゃいます。人は一枚岩ではなく、さまざまな顔がある。いろんな場を持てているほうが健康なのかなと思うことがあって。だから、インクルージョンに向かっていくことが必ずしも正解かというと、すべてを統一するのは難しそうだなと。排除は問題外として、消極的分離ではなく、積極的分離もあってほしいし、障害分野にかかわらず、自由に行き来できたり、自由に選択できること、ゆらぎや迷いも許されることが重要だと感じています。常に何かのラベルを貼ることを強要されるのではなく、色々なラベルを貼り替えてよいはずですし、ゆらぎや迷いも許されてほしいなと。その意味で、たくさんの多様な取り組みが社会の中に点在していけば、より豊かで個人が満たされやすい環境が生まれていくように思います。次のテーマとして取り組んでいきたいですね」(鞍田さん)

この記事は小池真幸が構成・編集をつとめ、2026年5月28日に公開しました。