異なる論理構造の世界を言葉で結ぶことで見えてきたもの

宇野 この連載は、僕が前から一度じっくりお話を伺ってみたい人のところに出かけていく、という、すごく身勝手なコンセプトではじめてしまったんですが……改めて引き受けていただいてありがとうございます。

篠田 なんと(笑)。こちらこそ、ありがとうございます。宇野さんが書かれたものやインタビューは、シンプルなテーマを「そこまで持っていく?」というくらい、濃密に掘り下げられていて、なんか頭いい人だなあ、すごいなあ、というイメージでいました。

宇野 僕、実は昨年イベントで一緒になってご挨拶させていただいてから、篠田さんのSNSやnoteの書評をよく読んでいて、密かに参考にしていたりするんです。なので、そう言っていただけると、こちらこそ非常に恐縮です。

 そこで、今日はどんなお話をお伺いしようかかなり考えたんですが、僕はいま41で。篠田さんのご経歴を伺いつつ、僕が40代をどう過ごしたらいいかを相談してみたいな、と思っています。

 篠田さんは40代に外資系の食品会社から、「ほぼ日」というまったく違う世界に転職されていますよね。仮に僕が40歳でいきなり、メーカーやスポーツ産業のブレーンに転職するように言われたら、絶対尻込みしただろうなと思うんです。

篠田 確かにそうですね。ただ、まったく重なりがないわけではありません。どちらの職場でも、やる仕事の内容はたとえば、事業計画や予算を組む、といったことなので。

 そもそも私が転職をした背景には、30代の間に成功体験がなくて、ちょっとした閉塞感があったからです。成功体験がなかったというのは言い過ぎかもしれませんが、34歳のときに勤めていたコンサルティング会社に「業績が不十分です。会社をお引き取りください」と言われて、辞めたんですね。がっかりした状態で外資系の製薬会社に転職して、そこで6年間働きました。

 ありがたいことに外資系企業は仕事を頑張ると、年齢や性別関係なく、すぐ昇格するんです。1回目は素直に嬉しかったんですが、次の昇格からは、ポジションが変わっても予算を作ってその通りに業績を着地させるという仕事内容は、永遠に変わらないことに気づいてしまいました。担当する事業部が大きくなったり、地域が広がったり、という変化はもちろんあるんですが、やることはずっと一緒なんだ、ということですね。そしてその「ずっとテーマが変わらない」ということが、私にとってはモチベーションに結びつかないこともわかりました。

 そこで「じゃあ転職しよう」と思っても、そのとき私に見えている選択肢は外資系の大企業ばかりでした。自動車メーカーに行っても、映画会社に行っても、仕事内容は予算を作って管理することで、そこにおいては永遠に変わらない。30代後半で向こう30年くらいは仕事したいのに、今これだけつまらないと思っているのはまずいなと。だから、とにかく今まで考えていた企業とはまったくタイプが違ったのでやってみたいと思いました。これが一番、転職の理由としては大きいです。

宇野 僕は29歳くらいでサラリーマンを辞めて物書きになってるんですが、30でやっと足場を固めて、40でこれからやりたいことやるぞ、と思っていたんです。だから、30代の10年間、特に後半の5年間は選択と集中というか、いろんなものを削ぎ落としていったんですよね。やりたいことは今も昔も無限にあるのだけれど、優先度の高いものだけ残して、低いものを横にどけていった。それが、僕なりの年の取り方だと思っていたんです。

 そう思っていた矢先に篠田さんのインタビュー記事を読んだので、「こういう生き方もあるんだ」と気づかされたところがありました。

篠田 いま伺った私の印象だと、29歳のときの宇野さんの判断は、40歳で転職した私の判断にタイプが近いのかもしれませんね。「30歳は足場を固めて」とおっしゃっていましたが、私は30代で足場を固めた気はありませんでした。あそこで足場を固めてたら、転職するという選択肢は取らなかっただろうと思います。プライベートでも30代後半で子供を2人産んで、職場の変化と子育ての両方が重なったのもあると思いますが、30代の頃に比べて自分とまったく違う価値観や思考を許容する範囲が広がった気がしています。

 たとえば、文章もデザインも、ビジネスの論理とはまったく異なるものですが、論理的に物事が考えられていますから、再現性もあるし、初心者とプロの差もきちんと説明ができます。思えば30代までの私は、クリエイティブの世界は、天才が急に天啓のようにすごいことを思いつくような世界だという、ぼんやりとしたイメージしか持っていなかったんです。でも、ロジックがあるものだからこそ、ビジネスとつなげてきちんと説明できるはずなんですよね。

 まず私がやったことは、この二つの違う論理で動いているものをつないで、お互いが「そういうことだったんですね!」とわかるようにすることです。一度わかってしまうと人に説明したくなりますから、どう説明すれば直接経験したことのない人に「クリエイティブってそうやって営まれているのか」と伝わるのかを常に考えていました。

 違う価値体系のものを受け止めて、別のロジックを持ってきて通訳する。これ、実は子供も一緒なんですよ。子供は子供の勝手なロジックで動いてますから。たとえば「なぜ、ここでそんなに石を拾う!」とか思うんですが(笑)、親なので受容するように努力せざるを得ないんです。

 そうなると、たとえば仕事で「わけわかんない!」という人に出会っても、「この人にだって赤ん坊の時期はあったわけで……」と考えると、まずはきちんと人としてつながれるという実感を覚えたりするわけです。つまり、赤ん坊より日本語が通じるだけはるかにマシなんですよね。大人だったらどんなに意見が合わなくても、一応礼儀として「ちょっといい? 篠田さん」とか話しかけてくれるじゃないですか。でも赤ちゃんはそうではありませんよね。おむつを濡らす前に「ちょっといい?」って言ってくれよって、本当に思いましたもの(笑)。
 そういうことを通して、「自分なりの正解」みたいものだけに拘泥していろんな物事と対峙しがちだったところからはだいぶ変わって、「この人の話、面白いな」と感じられる幅がだいぶ広がりましたね。

 物を書いたり商品を作ったりする人たちは、自分が魂を込めて作ったものを世の中に差し出したとき、それがどう受け止められるか、まったく未知数ですよね。こうした、常にすべての人が「いいね!」と言ってくれるわけではないクリエイティブの世界では、クオリティがものすごく大事なんだとわかるようになりました。極端なことを言ってしまうと、たとえそこで精一杯誠実さを積み重ねていったとしても、誠実さだけではだめなんです。さらに、誠実さとクオリティが揃っていても、見向きもされないことだってある。そういうことを謙虚に受け止めながらキャリアを積んできた人たちから学ぶことは、非常に大きかったです。

宇野 子供とクリエイティブ企業、この二つの圧倒的な他者みたいなものに否応なく出くわすことによって、世界の見え方がガラッと変わったということでしょうか?

篠田 まさにそうです。だから、当たり前だと思ってることがまったく通用しなくて、本当にイライラすることもいっぱいありました。反論するけどうまく伝えられないようなことがやっぱりたくさんあって。こうした機微への解像度が、40代になってかなり高まりました。それによって自分が無意識のうちに大事だと思っていることやよくないと思っていることをひとつひとつ検分して、なぜ自分がそう感じるのか、どこまで普遍性があるのかを考えるチャンスをもらった感じでしたね。

失敗を言語化することで、自分の人生を肯定する

宇野 僕も身の回りにいる人もそうだと思うんですが、40代は自分の人生にケリをつけるためにどうしたらいいかを考え始めるタイミングだと思うんです。会社員としてのルートも見えてくるので、「自分は出世するんだ」とか「それは別にいいから自分の好きなことをやるんだ」と、いま持っているカードの中でどれを選ぶかを考えてしまう。新しいものに出会って自分がガラッと変わっていくようなダイナミックなことには憧れているけど、踏み出せない人が多いように思います。

 つまり、持っているカードにはそんなに納得してないけれど、人間にはいままでの自分の人生を肯定したいというバイアスがすごくかかるので、持っているカードの中から消去法で一番安全なものを選ぶんですよね。だからもう一度、今のカードを全部場に出して、手札を全部変えてみる、なんてことはなかなかできないと思うんです。

 でも、そんな人たちもいまの篠田さんの話を聞いたら、「自分にもこういった生き方があったのかもしれない」と思う気がします。

篠田 私はそれほど大それた冒険をしているというつもりはないんですが(笑)。内心ではわりと「それしかないよな」という、自然な帰結として選んでいることが多いですね。

 これはもしかしたら関係があるかもしれませんが、私が社会人になったタイミングは、男女雇用機会均等法が施行されてからまだ5年くらいのときでした。法律はできたけれど、社会通念はまだ「男は仕事、女は家庭」という役割分担が当然視されていました。だから、いちおう制度はあるのにその選択肢を選ぼうとすると「なんで?」と聞かれまくるような状態だったんです(笑)。ちょうど、今で言うと男性の育休に近いのかもしれませんね。「男と同じような仕事するの?」「結婚したらどうするの?」「出産したらどうするの?」などなど、もう聞かれても困るようなことを聞かれながら就職活動していましたから。

 要するに、自分のキャリア選択は一般的な尺度から見るとやや常軌を逸してると突きつけられ続けてきた。だから、そのぶん柔軟に考えられてたのかもしれません。常に目の前にあるカードを信じ切ってないというイメージですね。

宇野 篠田さんはいろいろなインタビューで、最初にいたコンサルティング会社からいわゆる退職勧告的なものを受けたご経験を話されていますよね。辞めた経緯をメディアで話したり、第三者に見られるかたちできちんと自分の人生に位置付けて話すことはすごく心理的なハードルが高いように思えます。むしろ、それができる篠田さんだからこの10年で他者と出会って、変化することができたのだと思うのですが。

篠田 ありがとうございます。それができたのはすごく幸運な出会いもあったし、自分なりの「こうありたい」という理想像とも関係があると思います。

 私が初めてウェブでキャリアの話をインタビューしてもらったとき、聞き手は私のコンサルティング企業時代の人事採用担当だった方だったんです。私の採用に深く関わったという役割上、私が辞めていく事情や私のパフォーマンスの評価をすべて見ていて、もちろんすべてを知ったうえで、私をインタビューしたいとお声がけしていただいたんですね。

 当時は自分の中で一定の整理は当然ついていましたが、周りの人に退職時の事情をオープンに話すところまでは行っていませんでした。このインタビューで本当のことを話す機会を逃したらずっとどこかで人や自分にも嘘をつき続けることになると直感的に思いました。私は人に厳しくて自分に甘々な人があまり好きではないので、自分に厳しく、とまではいかないまでも、他者が見ている私と自己評価のズレが小さくなるような努力をしてきました。だからこそ、インタビューしていただくときに、自分が欝々としてきた過去10年の出来事をお話しして、聞き手の方がきちんと受け止めてくださったことはとても大きかったと思います。

 ちょうどその2、3年後に、私よりひと世代若い、仕事を頑張っている女性たちによるカンファレンスに呼んでいただいたのも、大きな転機のひとつでした。カンファレンスのテーマは「失敗」でした。どうしても女性のキャリアはサンプルが少ないので、成功談しか出てこないんですよね。だから、みんな「あんなキラキラになれない」と自信を失ってしまう。この非現実的な悪循環を解消したい、というのがこのカンファレンスの狙いでした。おっしゃる通りだと思ったし、とてもありがたい機会でした。

 カンファレンスは私の話を真面目に受け止めてくれる聞き手がいる場だということがわかったので、ちゃんと話そうと思って、きちんと準備をして話をしたんです。そうしたら、当日は参加者から良い感想をいただけました。講演のあとのグループディスカッションで、私と同じようにコンサルで退職勧告を受けた方から「かなり落ち込んでいましたが、今日この場で失敗を共有できました。ありがとうございます」という言葉をいただいたりして。

 こうして失敗や自分の弱さにきちんと向き合うことでもたらされるものを、ひとつずつ教えてもらったように思います。失敗はこれまでのキャリアや人生にとって不可分で、非常に大事な要素になってきます。最近はキャリアインタビューを受けたときにその話をしないと、私の話をしたことにならないな、と思うようにもなりました。

宇野 失敗や弱さ、後悔していることを、しっかりと自分の中で位置付けて言語化することによって、篠田さんのあり方が、いま自由になっている気がするんですよね。それはすごく大事なことだなと思って聞いていました。自分にもそれはすごく欠けている部分だな、とも思います。

篠田 「自由」は良いキーワードですね。少なくともその点に関しては自分にも、他者にも嘘をついてないと思えることが、私にとっては自由なんだと思います。

宇野 やはり人間って、自分の人生を自分の中で了解しやすいものとして位置付けるために、いろんなストーリーを作ってしまうんですよね。そのことによって、一見自分を守っているようでありながら、実はがんじがらめに自分を縛っていて、すごく生きづらくさせているんじゃないかということを、いまの篠田さんの話を聞いていて思いました。

篠田 それは誰しもそうですよね。私はジェンダーにも関心があるのですが、同じことが言えると思います。いつのまにか「女性はこうあるべき」「男性はこうあるべき」という思い込みを持って見てしまう。それが結果的に自分を縛ってしまうことは、少なからずあると思います。

宇野 よく同業者の悪口を言う人がいると思うんですが、今までのお話を踏まえると、それって人間が年をとっていく過程で、どう自分の人生を肯定していくのかの方法論の問題なのかもしれませんね。

篠田 これはよく若い人に言う話ですが、別の業界に目を向けることも大切なことだと思います。たとえば私が経験してきた世界で言うと、管理部門でしっかりスキルを身に着けて、その世界で食べていきたいと思ったら、特に若いうちは、そのスキルで水準が高い人たちがいる職場がいいんです。個人としても学ぶべきことをたくさん持っている先輩に出会えるし、仕組みとしても非常に高度だから、その会社は継続的に水準の高いアウトプットができているはずです。

 でもそうした水準の高い会社では、学ぶチャンスがたくさんあって自分の基礎固めができても「じゃあこの専門分野の中で、自分のスタイルを打ち出してやっていこう」となったとき、それが活かせる場所は社内では意外と少ないんですよね。スキルの高い人が揃っているし、業務手順もそういうすごい人たちが司っているため簡単には変えられない。そのとき、たとえば経理で言えば「経理担当者がいないんです」というスタートアップに行くとか、編集というお仕事であれば、企業の広報部みたいなところに突然転職してみると、個人としての打席はかなり増えるので、むしろ力がついたりします。

 そうやってもともとの業界の小さいヒエラルキーで語られる世界からパッと離れてしまうと、その序列の中で生きている人は「あいつも都落ちしたもんだ」とか「落ちたもんだ」とか言うかもしれませんが、実はこっちのほうがはるかに自由だし、力もつく。自分の持ち味をもっと自由に探せるんです。

 人に悪口を言うときって、実は暇なんですよね。もちろん時間的にはお仕事に忙殺されているのかもしれませんが、本質的に暇なんだと思う。プライベートでも家庭でも、真剣に向き合ってたら、人がどうとかあまり関係なくなりますよね。

 だから、本来は力量のある方が同業者に悪口を言ってしまうのは、その業界の中でしか通用しないヒエラルキーに囚われすぎているのと、そのわりに仕事をしてなくて実は暇であるということ。二つのちょっともったいない現象が重なって現れてしまっているのかもしれませんね。

失敗を受け入れる環境は、自分でつくる

宇野 しかしこうして改めて考えてみると「拗ねずに負けを認める」ってすごく難しいですよね。

篠田 ええ、それはもう大変ですよ(笑)!

宇野 でも、世の中で自分の失敗を認めてる人って、ほとんどの人が「拗ねキャラ」になってると思うんです。「どうせ自分は」とか「自分はこんなもんだから」と、自虐することによって他虐する権利を手にいれて、それをバネに戦う人が圧倒的に多い。それはそれでしんどいことだし、そうなってしまうと無意識のうちに自分の「拗ねキャラ」に引きずられて、できることがすごく狭くなってしまう。だからほとんどの人は、「そもそも自分は失敗していない」というストーリーを作って生きているんですじゃないかと思います。

 でも、失敗と向き合うし負けも認めるんだけど、拗ねずにいることができれば、篠田さんの40代みたいに自由な視界が手に入る気がします。

篠田 「失敗を認めて拗ねない」のはとても立派なことです。ただ、同じ瞬間にそこまで消化しきるのはかなり難しいので、ちょっと時間はかかると思います。

 どちらかというと落ち込んで拗ねる期間を短くするとか、せめてその拗ねっぷりで周りを巻き込まないとか。大人は時間軸や空間軸でネガティブを最小限にする努力をできたほうがいいですよね。だって人間、絶対に何かで失敗するんですから。

 私の場合は、とにかく戦う場所を大きく変えることで拗ねずに済むようにしてきたかもしれません。場を変えたからこそ、仕事上のチャンスは本当にいろいろいただけましたし、尺度が違う場所に移ってしまうことで価値観も広がりました。でも、誰もがそうすればいいというのは違う気がします。人それぞれですから。

宇野 敗北や失敗とポジティブに正面から向き合って自分の人生に折り込んでいくためには、時間と空間のズレのようなものが必要だということですね。

篠田 そうですね。一回目は大変ですが、何度か経験するとその課題に対しての向き合い方が決まってくるんですよね。「これは消化しなきゃいかんやつや。でもいまの私には無理だけど、ちょっとずつやっていこう」とか。空間設計や時間設計を自分でコントロールしやすくなっていく感じです。

宇野 すぐに回復しなくていい、すぐに正当化しなくていいということはすごく救いになる気がしますね。

篠田 そう言えるようになるためには、身近で大切な人間関係が、ある程度はうまくいっていることが大切だと思います。流行りの言葉で言うと、いわゆる「心理的安全性」が感じられる場所があまりに少ないとかなり厳しい。

 私も、自分が回復していくために必要な環境として、そういった関係性や場は以前よりもものすごく意識的に大事にしています。職場だけではなくプライベートの人間関係においても、失敗したときに早めに「私、失敗してると思うんだけど」ということをこちらから言わないと、周りも気を遣って苦しくなってしまいますよね。最近は「そういうことが大事なんだ」とようやく考えられるようになった気がします。

宇野 自分を保つためには、自分の内面だけでは完結できないということを悟るべきだ、ということですよね。

篠田 そうですね。常に人は関係性の中で生きていますから。

 ただ、失敗したときに自分の回復を助けてくれる環境の濃さは、人それぞれで良いと思います。人によっては、むしろ弱いつながりの人に「聞いてください」と言うほうが回復が速いタイプの方もきっといます。だから、どういう強さが適切かは、人によって幅があると思いますね。

宇野 僕としては今日、40代の時間を通じて何をなすべきで何をすべきでないのか、自分の中での棚卸しみたいな作業の手がかりをもらいたくて、篠田さんとお話ししてみようという下心があったわけですが、そのお話を聞いて自分よりも自分の環境のようなところに問題をずらしたほうがいいのかな、と気づきました。僕自身、何もかも自分の内面の問題で決着しようと思うことによって、狭い考え方をしていたのかもしれません。

篠田 そうですね。めんどくさいことはいろいろあれど、私たちが組織というツールを捨てない理由は、まさにそこにあると思います。一人で全部できる人なんていませんからね。

失敗の新しい「価値」を見出すには

篠田 いまお話ししていて、すごく感銘を受けた良い本を思い出しました。『あなたの人生の意味』という書籍なんですが、原題は “The Road to Character” 、つまり「人格を磨く道のり」という意味のタイトルです。著者はアメリカのかなり著名な政治評論家で、「The New York Times」なんかにコラムを持っています。

 この本全体を貫くコンセプトは、人間が追求する二つの人生観です。一つ目は功利的で、いわゆる成功を求める人生観です。簡単に言うと「昇進すれば成功、できなければ失敗」「良い大学に入ったら成功、落ちたら失敗」という考え方ですね。

 もう一つは、まさに人格を磨くことを追求する人生観です。たとえば自分が亡くなったときに、「あの人は社長だったね」と言われるより、「すごい思いやりがある人だったね」「気前が良い人だったね」と言われたい人のほうが多いですよね。この本では後者を磨くことが大事だと述べられています。

 たとえば失敗の経験などは、成功することだけを追求した生き方においては辛いことでしかありませんが、まさに自分の人間性というものを理解していくための大事なステップでもあります。同じ現象に対して、まったく違う立ち位置として考えられるということですね。当然これはどちらかだけが大事というわけではなく、両輪です。

 この本ではこうしたフレームワークに則って、アメリカの歴史上の著名人10人の話が取り上げられています。「成功していたが、実は人格的に破たんしていた」とか「めちゃめちゃな失敗をしたことで、人格が成熟して立ち上がっていった」など、その道のりだけにフォーカスしてさまざまなエピソードが書かれています。
 
 この本の背景には「あまりに功利的な人生観ばかりが流通している状態はバランスを欠いている」という問題意識があります。著者自身も成功を追い求めた結果自分の人生の不幸を招いた経験があるそうで、こういう事例をたくさん示すのがいいんじゃないか、という趣旨の本だったんですね。
 
宇野 僕は7、8年前からビジネス畑の人たちと接する機会がそれまでに比べてぐんと増えたタイミングがあったのだけれど、僕がそれまで主に触れてきた文化産業の世界に比べて、「成功したい」と首からプラカードを下げているような人が多いことにビックリしたんですよね。「成功それ自体が目的たり得る」というのが、ちょっと恥ずかしい本音としてではなく、堂々と掲げていい世界になっていることを、知識としてはもちろん知っていたけれど、実際にそういう世界に頻繁に触れるようになると、ちょっとついていけないな、と痛感したのを思いましました。
 
篠田 私もそういう傾向が強かったと思うので、そこに何が起きているかを説明すると、実はその人たちにはビジョンや目的がないんですよ。でも、言いつけられた複雑なことを理解して、努力する能力はあるという、この組み合わせだと思います。

 与えられた難しいお題は解くんです。解くと褒められるから解き続けますよね。そうやってお勉強もできたし、著名とされる企業にも入ったり、ベンチャーであれば、わかりやすく企業価値が上がってきた。他人が決めた、わかりやすいけど難しいものさしに対して努力をする能力を磨いてきた人たちがはまりやすいのが、おっしゃった人たちのパターンだなと思います。

 ただ、そういう人は自分の動機と向き合ってこなかったので、世の中の常識や価値尺度みたいなものが規定してくれないと、自分の成功を規定できないんです。そうすると、当然成功することそれ自体が目的になるし、その努力の仕方を磨くことで生きてきたので、それ以外の生き方もあまり知らないという状態に陥ってしまう。

宇野 その袋小路から自由になるためにも、失敗や傷への向き合い方を考えることが有効だということですよね。

篠田 はい。まさにそうです。場所を変えて、別の価値尺度で測ると「え⁉」という場所に思い切って行ってしまう。そのほうが、呪いから解放されやすい。

宇野 あと必要なものは、今日のお話で言うと、時間ですよね。「自分はこの傷を治すのに5年かかった、10年かかった」というのを、一般的には無駄な時間だとか、遠回りしたと考える人が多いかもしれませんが、逆にその時間が一番大事なんでしょうね。その遠回りで触れた目的外のものしか、人間を本質的には変えないように思います。

篠田 比べるものでもありませんが、無駄ということは絶対にありません。先ほどの『あなたの人生の意味』に当てはめて考えると、「失敗して回復するまでの道は回り道だ」という価値観は、成功を追求する人生観における価値観ですね。いま宇野さんがおっしゃったように「その時間に意味があった」と考えるのは人間性を磨く人生観における価値観です。

 ただ、この二つの価値観は、どちらも重要だと思います。成功そのものが目的たり得ないという反面、自分の人生の目的に対して意識が向いていない人もいます。意識が向いてないから成功しようと頑張っている他人に対する解像度も低くなってしまう。もちろん逆も然りで、こういうことが、多くの人に起きてしまっているようにも思えます。

宇野 そうですね。僕もいまお話を伺っていて、自分の人生を顧みていました。今日は本当にありがとうございました。

篠田 こちらこそ、ありがとうございました。

[了]

この記事は宇野常寛が聞き手を、石堂実花が構成を担当し、2020年10月19日に公開しました。