高田馬場にあるとんかつの名店「とん太」。僕(宇野)は、この店のとんかつがどこよりも一番おいしいと思っています。今回はそんな僕が愛してやまないこの店のご主人に、話を聞きに行きました。およそ40年間営まれてきた店のこと、ふわふわのとんかつの秘密から、ご主人のこれまでの人生のこと……。長年カウンター越しで聞けなかった色々な話を、向かい合って思う存分聞いてきました。
端的に言うとね。
「手仕事ならいいかな」大学卒業後、とんかつ屋の道へ
宇野 これは僕がずっと前から、一度ちゃんと話してみたかった人に話しにいく連載なんです。なので今日は僕が大ファンで、もう10年くらいよく食べにきている「とん太」のご主人のお話をぜひ伺いたいと思ってやって来ました。
高橋 よろしくお願いします。
▲「とん太」のご主人、高橋有三さん。僕(宇野)はこのお店にもう10年以上通っている。お話をするようになったのは2012年ごろから。
宇野 さて、どこからいきましょうかね……。僕、実はまだご主人のお名前とか知らなくて(笑)。
高橋 私ね、高橋有三といいます。1948年生まれの72歳。一番最初の団塊の世代です。妻は真理といいます。(以下、高橋有三さんは高橋、奥さんの高橋真理さんは高橋(真))
宇野 ご主人のご出身はどちらですか。
高橋 生まれは飯能ですが、ほとんど東京です。父親が松坂屋デパートの外商部にいたので、転勤で1年くらい青森市内に行って、その後が港区の芝。東京タワーのそばにある巴町というところに住んでいました。東京タワーがあったところは昔野っ原だったんだよね。
宇野 じゃあ東京タワーが建っていく過程を全部見てるんですね。
高橋 ええ、全部。
宇野 どういう経緯で料理人になられたんでしょうか?
高橋 明治学院大学に行っていたんですが、団塊の世代でしょ。だから、学校が荒れてた。商学部っていうところにいたんですが、いただけですね。当時は荒れていない学校なんかなかった。このまま就職するのもあれだし……ということで。
宇野 学生運動にはコミットされてたんですか?
高橋 私はノンポリだから「ああ、やってんな」という感じで見ていて、ほとんどしていないです。ただ、学校にみんなで泊まり込むとか、そういうことはやりました。別に積極的にゲバ棒持ってやってたわけじゃないけど、それでも何らかの影響はありますよ。就職するときにもその空気を感じていて、「会社に入るのもなんだな。手仕事みたいに、自分と向き合える仕事だったらいいな」と思ったんです。あと、私は人見知りするんですよ。だから、就職も嫌でしたね。知らない人と会うのは一番苦手です。人前に立っているのも恥ずかしい。……宇野さんもそんな感じでしょう?
宇野 僕もそうです。若い頃、ドロップアウトに近い感じで、26、7ぐらいまで働いてなかったので(笑)。
高橋 なんとなくわかりますよ(笑)。
宇野 いきなり修行を始められたんですか?
高橋 そうですね。親父がデパートにいたので、とりあえずデパートの食堂に入れてもらって、働き始めました。その後は店を持ちたいと思っていたので、いろんな店を見て回ろうと思って、芝にあるフレンチのレストランで働きました。そこで働いて何年か経ってから、錦糸町でとんかつ屋をやっていた先輩が東駒形に支店を出すから手伝ってくれと言われて「いいですよ」ってことで、それでとんかつ屋を始めました。
宇野 そうなんですか! 意外な気がします。それがとん太の始まりなんですね?
高橋 そうですね。東駒形では2年ぐらい働きました。それから自分の店を出そうと思って、都内のいろんなところを見て回りました。1976年だから、44年前かな。当時、この辺はこの前の道路(新目白通り)ができたばかりで、道路が広いし、バスも通って、すごくにぎやかになるんじゃないかと思ったんだよね。10年後ぐらいにもっと人も増えるだろうと思ったんだけど、結局、人通りの少なさは全然変わらなかった(笑)。開店したばかりの頃は「なんでこんなとこへ店出したんだ。ここは昔は砂利場って言われて、最下層の人たちが住んでたんだよ」ってお客さんに言われたよ。ただ、ここは裏手に神田川があるんですよ。あるお客さんには「水が出るところは人も集まるから大丈夫だよ」って言われたりもしてね。……それにしても、人はまったくいなかったですね。
宇野 1976年ごろの高田馬場って、どんな感じだったんでしょう?
高橋 駅前にはまだBIGBOXがなくて、小さいお店がたくさんある飲み屋街だった。この裏に大正製薬の工場があったから……そうそう、大正製薬の本社も、今とは違って木造3階建てでした。最初の頃はそのあたりのサラリーマンのお客さんが多かったので、お昼の一時だけ忙しかった。
宇野 僕は2006年ぐらいに東京に出てきてそこからずっと高田馬場にいるんですが、もうその時点で「とん太」は有名でしたよね? インターネットで「高田馬場 おいしい店」って検索するとすぐに出てきた記憶があります。
高橋(真) インターネットが出てくるまではまったく誰も知らない場所だったんです。そういうのが出てきてから「なんかこのごろ変だね」って話してました。
宇野 じゃあ、インターネットで話題になるまでの30年間は……。
高橋 30年間、もうあれだよな。
高橋(真) 誰も知らない店ですよ。基本的に昼メインで、それ以降はお客さんゼロ。だから、最初の頃は出前もやっていました。夕方も残業している会社には出前がけっこう出ていたんです。
▲奥さんの真理さん。いつも定食につく味噌汁の具をワカメ、シジミ、豚汁の3種類からどれにするかきいてくれる。ちなみに僕(宇野)のイチオシは豚汁。
開店から日々変化しつづけるとんかつ
宇野 僕はご主人が揚げるとんかつって他で食べたことがないくらい、個性的だなと思っているんです。とんかつというと、普通はもっときつね色に揚がってて、衣が固くて、甘辛いソースで食べるもの、と思っている人が多いと思うんです。でもとん太に来ると「とんかつってそういうものだけじゃないんだ」と、概念が変わるんですよ。肉も衣も、信じられないくらい柔らかくて、ふわっとしていて、もう豚肉を使った別の料理という感じじゃないですか。そこが僕は衝撃でした。
いったいこれって、どうやって揚げているんですか? 揚げ物の世界には全然詳しくないんですが、低温で揚げられてますよね?
高橋 そうですね、あんまり極端に高い温度でいれちゃうと肉が硬く締まっちゃうので、わりと低めの温度で揚げています。あとはやっぱりパン粉と油と肉。どれひとつ欠けてもだめ。
揚げ方は40年間特に変わっていません。もともと修行していたお店も、こういう傾向のとんかつだったので。ただ、開店当初はパン粉から作っていましたね。今はパンが手に入らなくなっちゃって、できなくなっちゃいましたけど。
宇野 そういう細部へのこだわりは独立前からあったんですか?
高橋 それは、やり始めてからじゃないかな。
宇野 そこから出発して、だんだん今のスタイルに近づいていったんですね。ご主人の工夫のなかで、「これはすごく意味があったな」と思うものはありますか?
高橋 それは明らかにはわからないですね。最初はお昼にしかお客さんが来なかったから、定食以外のメニューは出なかった。それが徐々に夜にもお客さんが来るようになって、上ロース、特ロースが出るようになってきました。とはいえ、とんかつ自体は今も少しずつ変わってる……と思いたいですね。
宇野 僕が10年前食べていたとんかつに比べても、いま食べてるとんかつは進化してるわけですね。
とんかつだけじゃない、工夫を凝らしたメニューの数々
宇野 あと、僕がいつもご主人の揚げるとんかつがいいと思うのは、とんかつだけじゃなくて、ごはんとかお新香とか味噌汁とかが、異常においしいところなんです。だから、定食としてものすごく完成度が高くて……。特にお新香が、素晴らしいですよね。
高橋 ありがとうございます。そう言っていただけると。
高橋(真) お新香は、命をかけてる。だって毎日そのためにぬかかき混ぜにいってるから(笑)。大根となすはぬか出汁。きゅうりは三五八漬け。40年間同じぬか床使っています。なすはやっぱりすぐ色が変わるから、漬ける時間も、時間差をつけたりしていて。
なるべく季節のものを使いたいけど、とんかつって季節がないでしょう。だから、お新香で「なすの季節」とか「かぶの季節」とか、「アスパラの季節」とか、季節感を出したいんですよね。
宇野 なるほど、そうだったんですね。メニューはずっと変わってないっておっしゃってましたが、ご主人的にイチオシのメニューはありますか? 僕はいつも特ロース頼んでるんですが……。
高橋 特ロースや特ヒレを食べていただければ一番ありがたいですね。
宇野 特ロースを頼むとすると、ご主人的にはどう食べるのが一番いいんですか? もちろん人の好みだと思いますが。
高橋 私はまず何もつけないで食べる。それから塩をつけて食べる。あとはたまに味を見るために、ソースをちょこっとかけたりしますね。
宇野 僕は初めて店に来たとき、やっぱり普通のとんかつと同じように、絶対に甘辛いソースで食べなきゃいけないんだと思い込んでいたんです。なので、そこに書いてある指示に従って、自家製のウスターソースの辛口にケチャップを混ぜて甘辛いソースをつくってみたんです。
もちろんおいしかったんですが、「ふつうにおいしいな」くらいに思ったんですよね。その後何ヶ月か経ってまた来たときに、ごまと塩で食べてみたんです。そうしたら、それが前に食べたときに比べてびっくりするくらいおいしくて、「俺が今まで食べてたものはいったい何だったんだろう!」と衝撃が走ったんですよ。
そのときから僕はいつも塩で食べて、胡麻すらも使ってないんですけど、そういうのもありですか?
高橋 ありですね。
高橋(真) 胡麻はなんで出すようになったんだっけ? 最初からは出してなかったよね。
高橋 うちは、ソースが自家製で、かなり辛口なんですよ。だから必ず「濃いソースないの?」って言われてたんですよね。だから胡麻を出したり、ケチャップと合わせるように勧めるようになってきたんだよね。塩を出すようになったのはもっと前です。
宇野 あと、僕はとん太のカキフライがすごく好きなんです。カキフライは、どんな工夫をされていますか?
高橋 あれも、温度と揚げすぎないことですね。あれも、握る手加減でパン粉のつき方が変わってくるから。そうすると味が変わってくるんですよね。
宇野 その繊細なコントロールの賜物なんですよね。そんな話聞いちゃったら、もう勢いでかっこめないですよ(笑)。
店主の世界観が垣間見える店内
高橋(真) やっぱり何でもこだわるものね。一時期焼きものにこだわって。あれは全部作ったものなんですよ。
宇野 え、ここの焼き物、全部ご主人が作ったんですか⁉
高橋(真) まだ暇なときに。お店が終わって、お家に帰って、ろくろ回して、焼いてたよね。まだ若かったから。父と一緒に住んでるときは、一軒家で、煙がもくもくでも平気だったので。ろくろ回して、電気窯で焼いてた。忙しくなってからはできなくなっちゃった。一時期これ、売ってたんですよ。昔はとんかつよりもこっちのほうがよく売れた(笑)。
宇野 そんなことがあったんですか。それはいつ頃の話ですか?
高橋(真) 2、30年? もうちょっと前かな。
高橋 これは火襷(ひだすき)って言って、藁巻いて焼くとそういう色になるんです。
宇野 すごいですね。これは我流ですか?
高橋 習いにいきましたね。
宇野 じゃあとんかつを盛ってるお皿も……?
高橋 これは出来合いのものですね。お漬物の器には、まだ使っているものもあるかも。
高橋(真) はまるときははまるよね。あとは写真に凝ってたときもあったよね。
宇野 ご主人、多趣味ですよね。僕はいつも来るたびに思っていたんですが、音楽がお好きなんだなって。クラシックもジャズも聴きますよね? いつも、お店にはかかってないんだけど、お会計したりとか、お手洗いお借りしたときに、このCDラックが見えて。仕込みのときとか聴いているのかなと思って。
高橋(真) 大音量で聞いてますよ(笑)。
高橋 そうですね。高校でブラスバンドやって、大学でオーケストラに入っていたので、演奏会にもよく足を運びます。一時期はN響の指揮者で、パーヴォ・ヤルヴィって人が好きで追っかけてました。
宇野 じゃあお休みのときは……。
高橋 休みは、仕込み。朝、決まった時間に肉屋が来るから、それには来てなきゃいけないので。
高橋(真) コロナの前はよく音楽会に行ってたよね。
あと3年。自分たちなりのペースでつづけていきたい
宇野 高田馬場って、とんかつで有名なお店がすごく多いですよね。以前、とんかつマニアみたいな人が、高田馬場がとんかつのメッカになった最初の起点はとん太であると言っているのを聞いたこともあります。
高橋 そうですか。ありがとうございます(笑)。
高橋(真) それは一番古いってことじゃないの? 45年もやってるから。
宇野 僕もなりくらさんに行ったことあるし、他の有名なところも行ったことはあるけれど、ご主人の揚げるとんかつが一番好きで。よく「俺はとん太派だぜ」って公言しています(笑)。
高橋(真) 人それぞれですからね。
宇野 僕がこのお店に来させていただくようになってから10年ぐらいですが、ネットの影響ですごく混むようになりましたよね。営業日が少なくなったのはその影響でしょうか?
高橋 そうですね。
高橋(真) お昼終わって、夜始める間でごはんも食べられないし、座りもできないくらい忙しくて。だんだん年にもなってきたし。ちょっとこれは続けるの無理だね、ということで、お昼はひとまずギブアップしました。
宇野 時々、何かのメディアに取り上げられた直後に、ブワーっと客がつめてきて、その後1週間いきなり休んだりするじゃないですか。あれはやっぱり冷まそうとしてるんですか?
高橋 (笑)。とん太はよく休むって、よく言われるな。いまのお客さんの数くらいが、ちょうどいいよね。
宇野 僕はいまだに覚えてるんですが、7、8年前、ご主人に最初に話しかけられたとき、いきなり「あなたテレビ出てるでしょ」って言われたんですよね。ちょうどあの頃出ていたのはNHKの「ニッポンのジレンマ」かなんかだと思うんですが、「そういうの見ていらしたんだ」と思って。
高橋 人見知りだから、しゃべるときはつっけんどんです(笑)。
宇野 「とん太のご主人ってお客に話しかけるような人だったんだ」と思って。寡黙に揚げていらっしゃるイメージがあったので、すごく嬉しくて、光栄でした。そのことが自慢で、近所に住んでいる知り合いに「とん太のご主人に俺は認知されてる、話しかけられてる」って言いまくってます(笑)。
高橋 しゃべるのあんまり好きじゃないからね。黙って揚げてるのが一番いいんですよね。
高橋(真) 私は人の顔が覚えられなくて名前は覚えられるんだけど、こっちはね、名前は覚えられないけど、人の顔は一度来れば絶対にわかるんだって。
宇野 それはすごいですね。僕は本当に、高田馬場で一番おいしいものはとん太のとんかつだと思ってるので、大変だと思いますが、できる限り続けていただきたいって一方的に思ってるんです。
僕が今回ご主人とお話したいと思ったのは、自分が年をとっていく中で、若い頃は気乗りしなくても望まれることは何でもやろうと思っていたんですけど、数年前からもっと自分のペースに切り替えようと思って。そのとき、とん太のご主人がどれだけネットとかでバズってても「休むときは休む!」というところに、すごくご自身の世界をしっかり守っていらっしゃるなとずっと思っていたんですね。そこでお話を伺わせていただいたんです。ご主人は今後、どのようにお店を続けていかれる予定ですか?
高橋 うーん。この前はコロナで2ヶ月休んだでしょ。あの後は仕事を始めるのがやっぱり辛かった。3年おきの契約なので、ちょうど今年で店の契約が切れるんですよ。だからもう1回コロナのようなことがあったらもう終わりかな、とか、それともあと3年頑張るかい? とか話してますね。
宇野 とん太のとんかつ食べられなくなると寂しいな……。あと3年、がんばっていただきたいという気持ちもありつつ、でも無理はしてほしくないな、と一ファンとして思います。弟子などは取られないんですか?
高橋 いないですね。最初のころは出前やってたから若いのがいたんですけども。
宇野 一方的な素人のイメージなんですが、揚げ物はやはり、職人の腕がすごくものを言う世界な気がします。
高橋 そうですね。まったく個人的なものです。だから、人が変わったら変わっちゃいます。
宇野 せっかく世の中から距離をとるために職人の道を選ばれたのだから、世の中のニーズで生き方を決めないほうがいい気がしますよね。あくまでご自身のペースで。だからこそのこのクオリティだという気もしますしね。
高橋 そうね……。うちはお客さんに本当に恵まれたよな。いろんなお客さんがいて。
高橋(真) ありがたかったね。
高橋 よく食べてよくしゃべって。昔から来るお客さんには「見てる人は見てるから」って言われましたよ。だからがんばってやれって意味なんでしょうね。見てる人はね、必ずいる。
高橋(真) でもやっぱり40年揚げてきて、いまも一つだって手抜きしないよね。見てるとわかる。
宇野 僕も世間から適切に距離をとって、その分いい仕事をじっくり仕上げていこうと思います。今日は、すごくいいお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
[了]
この記事は宇野常寛が聞き手を、石堂実花が構成と写真撮影を担当し、2020年11月9日に公開しました。
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