アメリカのユダヤ人の成功法 ~成功率を高めた4つの「こだわり」~

▲正統派ユダヤ人が多く住むブルックリンのウィリアムズバーグ地区にて。散歩する家族。
▲正統派ユダヤ人が多く住むブルックリンのウィリアムズバーグ地区にて。散歩するカップル。

 さて、第4回では、ユダヤ人コミュニティの力強さの現状、具体的にはエリート層に占める「率」の高さについて述べました。「率」が高い、ということは、コミュニティ内にある種の勝ちパターンが共有されていて、その成功の果実が数世代にわたって積み上がっている可能性を示唆します。第5回では、在米(特にニューヨークの)ユダヤ人がいかにして成功を積み上げてきたか、その歴史を振り返るとともに、彼らの「成功法」について、日本人にとって特に参考になりそうなポイントに焦点をしぼりつつ洞察を試みます。僕は、彼らの非常に特殊な歴史的・文化的事情に起因する「4つの『こだわり』」がうまく連動して相乗効果を発揮してきたことが、在米ユダヤ人の社会的地位を大きく押し上げたのではないかと考えています。

⓪在米ユダヤ人のルーツ

 現在の在米ユダヤ人の圧倒的大多数のルーツは、1880 年代から 1920 年代までの30年間に、ロシアで起きた「ポグロム(破壊)」と呼ばれる大規模なユダヤ人迫害と極貧生活から逃れてきたロシア系ユダヤ人です。この時期に250万人以上のユダヤ人が米国入りしたと言われています(2020年のユダヤ人人口は全米で約750万人)。ちなみに、残りの少数派はドイツ系ユダヤ人移民なのですが、彼らはもっと前から米国入りして全国に散らばっており、白人社会にほぼ溶け込んでしまっていました。もちろんナチスの迫害から逃れてきたポーランド系・オーストリア系・ドイツ系ユダヤ人もいますが、さらに後発の少数派です。
 ロシア系ユダヤ人移民の多くは、衣服をつくる職人でした。人間なら誰もが使う普遍商品を生産できる「手に職」を持った人々です。20 世紀初頭のニューヨーク市の衣服産業は、米国全土の既製服のシェアの約半分、婦人服では75% を占めており、さらに衣服労働者の約8割までもがユダヤ人だったと言われています。体力勝負の肉体労働では黒人やインド人などにはかないませんし、肉体労働よりは労働付加価値の高い産業で遮二無二働いたのが彼らの出発点でした。

▲正統派ユダヤ人が多く住んでいる「ウィリアムズバーグ」と、最近開発が進むイケてる地域「ダンボ」は隣り合わせ。雰囲気のギャップが激しい。

▲賑わうダンボ地区。マンハッタン橋を覗くこのスポットはInstagramでも大人気。

▲ダンボ地区の芝生。ブルックリン橋越しにマンハッタンの摩天楼を眺めてくつろぐ休日のニューヨーカー。

①土地への「こだわり」

 そんな彼らが極貧からのし上ることができた要因には、まず「土地への『こだわり』」があると思います。特に、ロシア系ユダヤ移民第一世代は、過酷な環境の下、低賃金で長時間働くと同時に、狭い家に多くの下宿人をおいて家賃収入をコツコツ貯めていきました。アメリカでは、急に帝国に襲われて土地を追い出され、着の身着のまま追い出されることはありません。安住の新大陸で初めて土地の所有に目覚めることができたわけです。そうして、じわじわと不動産業界に進出していきます。
 すると不動産業で大当たりした在米ユダヤ人が続々と出てきました。勝因は、そもそも不動産業界には白人富裕層による支配があまり行き届いておらず参入障壁が低かったこと、特殊な生活文化を共有するユダヤ人同士の紹介ネットワーク内で借り手・貸し手を探しがちだったので、ユダヤ人以外に富が搾取されることが少なかったこと、宗教上の理由で人口をどんどん増やしていたので、閉じた社会内でも需要が拡大し、ユダヤ経済圏が発展していったこと(第二次大戦後は、ホロコーストで失われたユダヤ人口を取り戻すべく、さらに拍車をかけて「産めよ増やせよ」にいそしんでいます。)、衣服産業も不動産業も、戦後のアメリカの超好景気に上手く乗れたこと、などなどの事情だと言われています。資本蓄積を順調に進めて、マンハッタンにも多くの物件を所有するようになると、入居してくる他民族の若者、野心的な若い芸術家や音楽家などとの交流も増え、時代の先を読んで出資するセンスもまた磨かれていくことになります。

②クローズド・ラビ・システムへの「こだわり」

 2つ目のポイントは、ユダヤ特有のコミュニティの結束です。彼らの生活水準や社会的地位がぐんぐん上昇するにつれ、外部社会すなわち、非ユダヤ人との経済関係も深まっていきます。特殊な生活習慣を持ち、ヨーロッパで長年差別されてきた彼らが、住み慣れない土地で米国白人支配者層とうまく渡りあっていくには、人脈や経験・知見を結集して対処する体制を組むこと、すなわち、ユダヤ人コミュニティの「団結」が必要でした。

 ユダヤ・コミュニティの団結の中心は、伝統的に、「ラビ(司祭)」という宗教的指導者が担っていました。日本でいえば、村のお寺の和尚さんのイメージでしょうか。コミュニティ内では非常に尊敬されていて絶対的な権威(と権力)を持っていました。揉め事や悩み事があると、家庭内のプライベートな案件から警察に言えない筋悪案件まで、全てラビの下に持ち込まれ、助言・審議・指導がなされます。第一・第二世代がビジネスを大幅拡大していった時代は、内なる立法・司法・行政をラビが一手に担う「ラビ・ガバナンス」や、ラビの下に人脈や経験・知見が蓄積され、必要な者に再分配される経済的な指導体制「ラビ・プロデュース」がほどこされる、いわば「クローズド・ラビ・システム」が要所要所で機能して、ユダヤ人コミュニティメンバーの対外的な信用や名声が損なわれないようコントロールされていたようです。
 とはいえ、今日では、世俗化したユダヤ人家庭もかなり多くなり、各世帯へのラビの影響力もかなり落ちているでしょう。裏を返せば、ユダヤ人はアメリカ社会のなかで十分な生活基盤を築くことができたので、クローズド・ラビ・システムに依存する必要性が低まっているということなのかもしれません。

▲ユダヤの聖典「タルムード」の一部。白い空白の内側あたりが聖典の原文で、周りに歴代のラビ達による注釈や議論が書き連ねられている構造とのこと。僕は一文字も読めませんけれど……。

③教育への「こだわり」

 3つ目のポイントは、教育への「こだわり」です。ユダヤ人は、蓄積した財産を惜しみなく子供の教育に注ぎます。出エジプト以来、迫害を受ける度に土地や財産を捨てながら生き延びてきた人々にとって、知識や情報、教育への「こだわり」は「チエは頭の中にある。殺されない限り奪われない。」というユダヤのことわざ通り、デフォルトです。お金はあればあるだけ、教育に注ぎ込むというプリンシプルが根付いています。さらに、一般的にユダヤ系の母親は子供を甘やかさんばかりに溺愛すると言われており、そのなかで、強い自己肯定感が育まれるとも言われています。甘やかし過ぎるのは一見良くないことに思えますが、溺愛はそれ自体、家の外での過酷な迫害との間で精神的なバランスをとるためのチエだったのかもしれません。現代の米国社会では迫害は和らいではいますが、幼少期にしっかりと自己肯定感が培われていれば、起業や受験などの過酷な競争のなかでも、最後まで自分を信じて踏ん張れる人間に育ちそうですよね。裏返すと、もし仮にユダヤ系の若者から、妙に自信満々だなあ、人を上から見ているなあという印象を受けることがあったとしても、それは、ユダヤ教的選民意識がどうとかいう以前に、あふれ出る自己肯定感に(特に日本人が)なんとなく気圧されているだけである可能性も高そうです。こうした教育のチカラによって、移民第一世代は貧しくとも、第二世代以降では、医者や弁護士など高学歴な専門職がどんどん増え、中産階級入りしていく世帯が爆発的に増えていったわけです。第4回で述べた「高学歴人口は全米平均の2倍」の理由が読み解けてきますね。

▲ウィリアムズバーグ地区のユダヤ教の教会「シナゴーグ」。あちこちにたくさんのスクールバスが停車していて、子供の多さを物語っています。

④チャレンジへの「こだわり」

 そして、4つ目のポイントは、チャレンジへの「こだわり」です。順調に資本蓄積と教育投資を重ねながら第三世代に至るなかで、相続財産(カネ)と学閥的なエリートネットワーク(コネ)の両方を駆使できる人々が増えてきます。その上、ラビの求心力は落ちていても、緩やかに残っている伝統的なクローズド・ユダヤ・ネットワークにもアクセスできます。この特別なコネは非ユダヤ系ビジネスとの競争では良いスパイスとして効いてきます。いわば「独自のコネも持つハーバード卒の地主弁護士」が生産されていくわけです。もはや無双状態と言えるでしょう。僕が『現役官僚の滞英日記』で描写したカネ・コネ・チエを循環・増幅・駆使する英国エリートにも酷似してきます。

橘宏樹『現役官僚の滞英日記』

 しかも、この無双人材たちは積極果敢に新しい分野へ挑戦をしていきます。新卒一括採用も終身雇用制度もありませんから、良い大学を出た後、最初は手堅く大企業や法律事務所に勤務したとしても、客を掴んでビジネスの仕方を覚えたら、どんどん転職して、チャンスを見つけて起業していきます。

 では、在米ユダヤ人はなぜチャレンジをするのか。それは、チャレンジを続けないと生き残れないくらい、アメリカの資本主義社会の競争が激しいという点に尽きるでしょう。ユダヤ人に限らない社会条件です。ただし、ユダヤ人は、平均的なアメリカ人よりも、チャレンジへの敷居が低そうに見えます。というのも、例えば、小さい頃から、ある日いきなり土地を奪われ追い立てられる日々を暮らした祖先の苦労話を(場合によっては祖父母から彼らの苦労話を直接)聞かされて育っていると、世界の中心にしてGDP世界最大の国アメリカで起業することなぞ、大したリスクに感じられないでしょう。また、成功するまでの努力コストについても、移民第一世代のブラック手工業時代に比べれば、大したことではないという感覚を持ち得ます。加えて、溺愛されて育って自己肯定感も強ければ、メンタルもかなり不屈でしょう。ユダヤ人の苦難の歴史に育まれたリスクやコストへの耐性は、競争社会アメリカにおいて優位に働きそうです。

 また、第4回で述べたように、多くのユダヤ人は、白人エリート支配の弱かった不動産・金融・メディア・小売・ITなどの分野で成功をおさめていますが、考えてみれば、いずれも未来を先取りする前のめりの姿勢が必要な分野ですよね。これから値上がりしそうな土地に積極的に投資する不動産、新参者や挑戦者にどんどん融資する金融、新しい流行やスタイルを一早く紹介するメディア、新しい商品を安く広く消費者に提供する小売、そして新産業そのものであるIT。在米ユダヤ人は、普通のアメリカ人ならば腰が引けるようなリスクでも、ものともせず、次代を先取りして(いると人々に思わせて)勝ち筋を見出していったものと思われます。

 そのリスク・テイキングな商魂の本質は、ユダヤの格言、「あなたの持ちものを欲しがる人に売ることをビジネスとは言わない。ビジネスとは、あなたが持っていないものを、欲しがっていない人に売ることをいう。」に凝縮されています。
 手元にないものを人に売るのは、普通、リスクです。納品日までに入手できなかったらどうしよう、と不安になります。そして、ニーズのないものを売りつけるのも、普通に考えると不可能です。買ってもらえないリスクは高いですし、押し売りすれば嫌われるリスクもあります。
 でも、ここでちょっと世界史を紐解いてみると、この格言にぴったり当てはまる具体例が見つかります。何でしょうか。それは、香辛料貿易です。シルクロードとか、大航海時代とかの時代に、地中海の商人がアジアから安く仕入れた胡椒を西欧貴族に高く売って莫大な利益を挙げたという、あの香辛料貿易です。
 当時、ユダヤ人金融業者はアラブ商人から香辛料を独占的に買い付けることができるヴェネチア商人に融資していました。手元に香辛料は持っていませんでした。また、香辛料は、本来生活必需品ではありません。なくても肉は食べられます。しかし、西欧の王侯貴族は、いつの間にやら、医学的な効果がある、美味しくなる、いい香りがつく、高級なもてなしとして見栄が張れる、などと考えるようになり、いつの間にやら、当然のように高いお金を払って香辛料を買い漁るようになっていました。最初からニーズがあったものではないのです。このように、香辛料貿易は、「あなたが持っていないものを、欲しがっていない人に売る」の格言を文字通り体現したビジネスだと言えそうです。
 そして、多くの読者の方々もきっとお気づきのとおり、この格言は、上記の金融・メディア・小売・ITすべての業界にも当てはまりそうですよね。例えば、IT分野でメタバースの仮想現実(VR)ビジネスなんてどうでしょうか。「既に持っているもの」を「欲しがっている人に売っている」というよりは、ユーザーにまだ見ぬ冒険を提供し、まだ見ぬニーズを自ら掘り起こさせていますよね。METAのザッカーバーグ氏がユダヤ系だからというより、彼をとりまくユダヤ系大資本には、こうした先取的チャレンジに大きく先行投資するセンスがあるということなんだろうと想像します。かつてユダヤ金融がヴェネチア商人に融資したように。つくづく、このユダヤの格言は次代を超えて彼らの動き方にハマってくるなあ、と思います。と同時に、今の日本人にはなかなか難しいだろうなあ、とも考え込んでしまうところです。

▲五番街に面したレゴブロックのショーウィンドウには生け花のレゴが

小括

 と、つらつら述べて参りましたが、整理すると、ニューヨークのユダヤ人の成功のポイントは、まず、移民第一・第二世代は、①安住の地アメリカで爆発した不動産への「こだわり」。②ラビの下に団結するクローズド・システムへの「こだわり」。③伝統と化した教育への「こだわり」。という、苦難の歴史を辿ったがゆえに抱かれるようになった3つの特徴的な「こだわり」が、戦後の好景気と上手く噛み合いながら機能して、ユダヤ人の所得水準や社会的地位を押し上げたこと。
 そして、移民第三・第四世代は、これらの3つの「こだわり」の果実である、①′安定した不動産収入、②′クローズド・ラビ・システムのレガシー(遺産)としてのクローズド・ネットワーク(大英帝国のレガシーとしてのコモンウェルスによく似ていますね)、③′専門知識と学閥ネットワーク、すなわち①′カネ・②′コネ・③′チエの3つの資本をバランスよく循環・増幅させたこと。さらには、これらを土台にした積極果敢な④チャレンジによって、特にニュー・エコノミー分野でどんどん成功を重ねていった、ということなんだろうと思うわけです。

 加えて、これら4つの「こだわり」の間の連動性にも要注目だと思います。すなわち、不動産収入が教育投資を可能にしたこと(「①土地→③教育」)、教育が先進知識を与え進取の気性を育みチャレンジするチカラを与えたこと(「③教育→④チャレンジ」)、クローズド・ラビ・システムがリスク・マネジメント機能を果たしてチャレンジを支えたこと(「②ラビ→④チャレンジ」)、ビジネスのチエを豊富に含んだユダヤ教典(に通じるラビ)が子女教育に影響を与えていたこと(「②ラビ→③教育」)、安定的な不動産収入がチャレンジを可能にする余裕を生んだこと(「①土地→④チャレンジ」)、入居者との出会いによって投資センスが磨かれたこと(①土地→③教育→④チャレンジ)、です。

▲4つの「こだわり」は連動している
▲ウォールストリートの高層ビルからの夜景。手前からブルックリン橋。マンハッタン橋。ウィリアムズバーグ橋。3つの頭文字を取ってBMWと呼ばれます。この高層ビルの持ち主もユダヤ系なんだろうなあ…

日本との比較。4つの「こだわり」の視点から。

 拙著『現役官僚の滞英日記』では、英国エリートの勝ちパターンを分析して、「無戦略を可能にする5つの戦術」があると述べましたが、在米ユダヤ人においては、さしずめ「成功率を高める4つの『こだわり』の連動」がある、と言えそうです。

 では日本と比較してみるとどうでしょうか。どのような示唆が得られそうでしょうか。まず、この在米ユダヤ人の成功譚には、規模は異なりつつも日本の高度成長期とよく似ている部分がありますよね。
 まず、(ニューヨークの)ユダヤ移民第一世代では、土地を追われた極貧の人々が、❶普遍商品である衣服を生産し、❷人口増加とともに拡大するユダヤ・コミュニティ内の住宅需要に応えながら、❸不動産投資によって経済成長を遂げたわけですが、戦後日本の高度成長期でも、敗戦の深手を負った人々が、製造業に大量就職して遮二無二働き、❶普遍商品である自動車等を生産して、❷ベビーブームによる内需拡大に乗って経済圏が拡大し、❸余剰資金が不動産に大量流入してバブル景気を迎えるという流れがありました。つまり、❶普遍商品生産でモーレツ労働。❷人口増による内需主導型経済の拡大。❸不動産価格の上昇。この3点は日本とNYユダヤの経済成長における類似点と言えそうです。

 一方で、大きく異なる部分も多いです。4つの「こだわり」ごとに比べてみます。
 まず、「①土地への『こだわり』」では、不動産価格の上昇がコミュニティ経済を押し上げたと言う点では似ていても、経緯も本質もその後の展開も、大きく異なります。まず、日本の地主の家系は、ユダヤ人のように土地を追われてきた人は少ないでしょう。また、不動産収入を教育に活かす「①土地→③教育」の「こだわり間連動」は現代日本ではどのくらい機能しているでしょうか。戦前ならば、地主が村の英才に資金援助して帝大に行かせて、娘を嫁がせて跡取りにする(夏目漱石『虞美人草』に描かれたような)典型が見られました。しかし、戦後はどうでしょうか。日本のマンションオーナーたちは、家賃収入を子弟の教育投資にどのくらいまわしているでしょうか。さらなるチャレンジを促したり、また、最先端を走る若い入居者との交流によってセンスや事業評価能力を磨いて異業界へさらなる攻めの投資を行っているでしょうか。日本のデベロッパーの動きを見る限りはあまりそのような印象を受けませんよね。
 続いて、日本における「②クローズド・ラビ・システム」に相当する、クローズド・コミュニティや「ラビ」的存在は、高度成長期にも、ある程度見出せたと思います。少なくとも昭和中期くらいまでは、県人会や同窓会は、ちょいちょい人脈や情報を仕入れて就職や社内競争に利用できたクローズド・コミュニティであったと言えるかもしれません(「②ラビ」→「③教育」)。また、大企業では出向や天下りなどによる人事交流によって広がったネットワーク上の人々が、本社を中心としたクローズド・コミュニティであるところの「ケイレツ」を構成し、出向者・OB・現役社員らが互いに援護しあってきました。さらに、この援護関係の延長線上には、「護送船団方式」「日本株式会社」と呼ばれた、国際競争を生き抜くべく団結した巨大なメタ・クローズド・コミュニティが存在していたと言えそうです。また、「ラビ」的存在、すなわち、コネとチエの蓄積と再配分を司るコミュニティの司令塔については、県人会、同窓会等においては幹事が、「ケイレツ」では本社の総務課・人事課が、そうしたラビ的機能を果たしていたと言えそうです。さらに「護送船団方式」「日本株式会社」においては、自民党の幹事長や派閥の領袖、大蔵省や通産省の幹部がグレイト・ラビ的な機能を担っていたことでしょう。
 では、今の日本では、一般的には、どういうクローズド・コミュニティが機能していて、誰が「ラビ」を担っているのでしょうか。慶應同窓会の三田会が強いという話を聞くくらいでしょうか。ユダヤ・コミュニティでも、確かにユダヤ・ネットワークは要所で機能していますし、成功したユダヤ家族では、資本のチカラでユダヤ・ケイレツの差配を効かせていますが、世俗化が進むなかで、なんでもラビに指示を仰ぐような家庭は一部の宗派を除いてかなり減っています。メンバーの生活の箸の上げ下ろしまで面倒を見ていたクローズド・システムへの依存や「こだわり」が衰退傾向にあるのは、ユダヤでも日本でも、同じかもしれません。

▲マンハッタン区役所の入る合同庁舎。現マンハッタン区長マーク・レヴィーン氏はユダヤ系です。

 そして、日本における「③教育への『こだわり』」ですが、戦後の高度成長とともに、確かに大学卒は増えました。受験戦争も熾烈になり、高学歴なら大企業に入れて高収入を得られるという認識も共有されていきました。しかし、新卒一括採用・年功序列・終身雇用制の下で、高学歴の労働者は、もっぱら組織内部の減点主義による競争にさらされました。在米ユダヤ人のように、教育によって得た専門知識とネットワークを駆使して、外に出て起業し高額所得を得ていく、という流れが主流になってはいません。日本では高学歴な人ほど保守的だったりもして「③教育→④チャレンジ」の連動が在米ユダヤ人に比べて非常に弱いと言ってよいでしょう。それでも、見る限り、最近の20代以下の若い日本人には、YouTuberがなりたい職業の上位にくるなど、旧世代の軛(くびき)から自由で、独学自習の成果をチャレンジに活かしていく気風も育っているようですから、楽しみです。

 最後に、「④チャレンジへの『こだわり』」に関しては、日本人は在米ユダヤ人に大きな差をつけられていると言わざるを得ないでしょう。現代日本にチャレンジが不足していることについては、既に多くの議論が費やされているので、ここで深堀りはしませんが、僕が思うに、チャレンジしない理由は、端的に、チャレンジする必要を感じていないこと、すなわち、現状に満足しているからなんだろうと思います。悪く言えば、リスクやコストをマネージするチャレンジによって、社会発展や子孫のために様々な問題を解決するよりも、衰退や閉塞感と馴れ合う方を選んだ、その方が楽だったという選択の結果が「失われた30年」の実像なんだろうと僕は思います。しかし、チャレンジは本当に必要ないのでしょうか。価値観の異なる複数の超大国と隣接し、石油と小麦と半導体を輸入に頼っているのが、日本の現実です。僕自身は、このことにひしひしと危機感を感じています。日本が有事の際に国際社会から見捨てられないようにするためには、海外投資のみならず、円安下ならば当然として、円高であっても世界に必要とされる商品を産出することによって外貨を稼ぎ、各国と経済的相互依存を強め、国内の雇用や所得水準を維持することが必要だと考えます。この点、まさに今の台湾がよい実例でしょう。なので僕は、地方からの海外輸出をプロデュースするNPO法人ZESDAの活動に参加し、草の根からチャレンジを行っているところです。

NPO法人ZESDAのウェブサイト

 というわけで、今回は、在米ユダヤ人の成功要因について、観察からの洞察を述べるとともに、日本との比較を行ってみました。
 もちろん、第4回でも概観したように、ユダヤ人と一口に言っても本当に様々で、全てのユダヤ人が成功してるわけでもありませんし、違う勝ち方で成功しているユダヤ人も大勢います。「連動する4つの『こだわり』」も、あくまで、ニューヨークのユダヤ人を観察するなかで、日本人が特に学ぶべきポイントなのではないか、日本と比較すると面白いのではないか、と思ったポイントをちょっと整理したに過ぎません。実証性のない世迷言も多かったかもしれませんが、日記ということでご勘弁くださいませ。少しでもみなさんのご参考になりましたら幸いです。

次回は、ユダヤ人と日本人との歴史的関係性について述べてみたいと思います。

(続く)

この記事は、PLANETSのメルマガで2022年7月4日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2022年11月17日に公開しました。
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