サウジアラビアで働く人々とサウダイゼーションの今

 近年、観光ビザが解禁されて変わりつつありますが、かつてサウジアラビアは世界有数の入国しにくい国と言われていました。ですが、それは旅行やバカンスで訪れることが難しかったという意味であり3300万人近くいる人口のうち約800〜900万人近くは移民人口(経済移民)であると言われています。その移民人口の構成は非産油国のアラブ諸国、東南アジア、アフリカなど、数多くの地域からサウジアラビアへ働きに来ている人々です。この出稼ぎ労働者と言える層が、サウジアラビアのブルーカラー及びホワイトカラーの多くの部分を占めていました。
 これはサウジアラビアだけでなくUAEやカタールなど中東の産油国で主に見られる光景だと言えます。私は2011年から7年ほどの間に1年に1〜2回ほどサウジアラビアを訪れる機会がありましたが、毎年行くたびに感じることで、ホワイトカラーだけではなく、様々な分野、特にサービス業においてサウジアラビア人が就業する比率が全体的に増えているという点が挙げられます。
 ここまで読んで、「自国の経済を回すには自国民が働くのは当然では?」と思う方もいるでしょう。しかし、人口が少ない産油国においては今まで産油国の経済(特にブルーカラーや一部ホワイトカラー)を支えていたのは移民労働者が主だったのです。

▲リヤドの移民労働者バングラデシュ人(右)とサウジ人(左)、著者

あまり働かない?アラブの若者たち

 しかし、経済活動のすべてを移民任せにするわけにもいきませんので、サウジアラビアには「サウダイゼーション」と呼ばれる制度が存在しています。サウジアラビアで営業活動、業務を行う会社では、雇用する労働者の一定数をサウジアラビア人により構成しなければならないという制度です。
 この制度は、現地に進出する企業にとってはなかなか難しい制度と言えます。なぜか? それはサウジアラビア人で優秀な人材の多くはやはり高待遇かつエリートの典型例と言える現地の省庁や公社、大手企業に勤めたがるため、日本企業に務めるサウジ人は場合によっては勤労意欲に難ありのサウジアラビア人を雇わなければならないという現実があります。
 もちろん個人差は大きくありますが、いざサウジアラビア人を雇っても、1日中新聞を読むか、同僚とおしゃべりをするか、携帯をいじるだけなのに高給取り、というサウジアラビア人労働者に悩まされた外資系企業や日本企業の方々の怨嗟の声は過去多くありますし、一部では現在進行形の問題とも言えます。ちゃんと会社に来ればまだいい方で、会社にも来ない社員まで存在しています。現地の方々の名誉のために申し上げますが、もちろん優秀かつちゃんと企業活動に従事するサウジ人もいます。

 とある某産油国の国立病院にて人事部に勤務している私の友人は
 「今日は英語のメールを5件書いて送ったから疲れたよ」
と1日の就業時間内における自身の圧倒的な業務パフォーマンスを私に自慢気に話してくれたりしました。とある王立病院の人事部にいる彼の1日は朝職場へ行って新聞を読み、自身のFacebookを確認し投稿してアプリゲームに興じた後にいくつか業務用のメールを確認して返信し、昼の2〜3時に帰宅する彼は年収900万円近くでした。産油国の多くでは所得税がかからないため年収=手取りの収入になります。もちろんこれは極端な例ではあるかもしれませんが、こういう人が少なからずいるという事実は間違いありません。
 なぜこのような勤労意欲の低い人たちを雇わなければならないのか? これはサウジアラビアのサウダイゼーションという制度に起因しており、自社内における現地人比率維持のために雇っているというケースによるものと言えます。この制度は勤労意欲に乏しいサウジアラビア人を甘やかすだけの制度とも言えるのですが、そうでもしないとサウジアラビア人が進んで雇用されるということは難しいという実態によるものかもしれません。現地進出企業・外資系企業は必要コストとして甘んじて受けるしかありませんが、サウジアラビア人社員を名ばかりの管理職にする、もしくは中央政府や現地企業の血縁に強い人材や有力部族の関係者などを採用してビジネスを円滑に進めるための存在として確保する、などの方法を対策として取ってきました。
 もちろんネガティブな要素だけでなく産油国でもエリート層、もしくは超エリート層の方々の知力、見識は素晴らしいものがあり、そのような方々を雇えればいいのですが、現地に進出した企業がサウジアラビア政府の高級官僚並みの給与提示ができない、またそのようなエリート層は民間企業に行きにくいという事情があります。このサウジ政府や公社などがもたらしている高給は、サウジアラビアが原油を軸とした鉱物資源から得られる莫大な収入をベースにしたものであり、資源高が続く限り維持されてきたものでありました。 

外の国を知ったサウジアラビアの若者たち

 ところが近年、この石油資源の価格変動に伴い、政府や公社などがこの高給をこれから増加する若年層に対して維持することができるのかが怪しくなると同時に、サウジアラビアの街中を見ていると、こうしたサウダイゼーションに基づく雇用の仕組みが徐々に変わってきたのではないか、と感じる機会が多くなりました。人口構成、世界のエネルギー潮流など様々な要因が、それまで勤労意欲に乏しかった国民に対し、国家レベルで変革を行わなければいけない段階に入ってきたのではないかと言えます。
 まず現地の若者たちに大きな変化が起きました。海外での生活を知る若い層が大幅に増えたのです。前国王陛下であるアブドッラー国王陛下は2005年から自身の名を冠するアブドッラー国王奨学金プログラムを行い、より多くの若者たちを海外に留学させる仕組みを採っていました。日本にも毎年70人前後の多くの留学生たちが手厚いサポートを受けて勉強しに来ていました。
 その後のサルマン国王陛下の治世になると世界各国の留学生たちへの支援は少なくなり、多くの留学生たちがサウジアラビア本国へ帰国するという現象が起きました。これに合わせ、アメリカに留学していたサウジアラビア人学生たちがサルマン国王陛下訪米のタイミングに合わせ全員で直訴を行い、アメリカ滞在の留学生への支援を再度充実してもらう、という出来事もありました。
 当初サルマン国王陛下は前国王のアブドッラー国王に比べて保守派の印象が強かったため、これからサウジアラビアは若者を外に出さず内側に籠る国になるのだろうか、と考えられてきました。しかしこの留学制度を経験した若者たちは現在ちょうど20代後半から30代中盤までの、まさに働き盛りの層となります。留学と言っても決して生温い環境だけで育ったわけではないので、上の世代に比べて意欲と能力が高いと言えるでしょう。では、この海外に出た、たくさんの若者たちはどのように活用されるのでしょうか?
 その状況が変わってきたのは、サルマン国王陛下の息子であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下が表に出るようになってからです。

▲ムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下 ©ArabNews

サウジアラビア王位継承と国内改革

 さて、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下のお名前が出てきたので、ここで少し話を変えて、ここ最近起きたサウジアラビア王族の王位継承権についてお話ししたいと思います。このムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下は若手の希望の星として大人気であり、サウジの未来を担う改革の旗手として見なされている人物です。彼はリヤド州知事から副皇太子、皇太子と未来の国王候補までの、すなわち王への道を一気に駆け上がってきた人物と言えます。
 サウジアラビアの王位継承権は、王族、特にサウード家の中の各派閥間におけるパワーバランスで決定しています。一部の例外やお家騒動を除き、基本的には国王は終身制とも言えるかたちで、その崩御後は皇太子が王位を継ぐというのが通例です。前のアブドッラー国王陛下の時代に皇太子だったサルマン皇太子殿下(当時)の次の王位継承権にムクリン殿下という方がいました。アブドッラー国王陛下が亡くなられた後、継承権の移行に合わせてサルマン国王陛下とムクリン皇太子(当時)という体制となりましたが、この数ヶ月後にムクリン皇太子は廃位され、代わりにムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子(当時)が擁立されました。

▲中央:サルマン国王陛下 右:ナーイフ皇太子殿下 左:ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子殿下(すべて2017年3月時点の称号)©Vision2030

 さらにこのとき、ムハンマド・ビン・サルマン殿下が新たに「副皇太子」というポジションに着任し、かなりの権限をその下に集中させていました。2017年時の年齢は国王81歳、皇太子57歳、副皇太子32歳という、ある意味順当な、強いて言うならば副皇太子の若さが目立つ構図で、彼こそが若年層人口を国民の過半数を占めるサウジアラビアの未来を担う若手の代表たる存在であることを意識させられます。
 ちなみにこの3人はすべてスデイリ閥とも言えるサウジアラビアの有力部族出身の血統でもあります。特にサルマン国王陛下とムハンマド・ビン・サルマン副皇太子殿下(当時)は直接の親子関係であることから、サルマン国王陛下の自分の直接血統に後を継がせる、ということを明確にした意思表示と言えます。そして大方の予想よりもかなり早かったのですが、前回までで述べてきたカタール国交断行騒動の中でムハンマド・ビン・ナーイフ皇太子殿下は廃位され、ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子が皇太子へと昇格することになりました。これはサルマン国王陛下が生きている間に自分の息子であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下を国王にする筋道を立てていたと言えます。そしてムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下の下、2016年4月に「サウジアラビア・ビジョン2030」という石油依存型経済からの脱却と投資収益による国家建設の改革案が進められるようになりました。

 このビジョン2030が派生して親日家でもあるムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下のもと、2016年9月時点で「日・サウジ・ビジョン2030共同グループ」というチームが立ち上がり具体的なプロジェクトリストをまとめ、2016年10月と2017年3月に閣僚級会談が2回行われるという急ピッチでビジョン2030の骨子固めは進んでいきました。

経済産業省「日・サウジ・ビジョン2030」公表資料より

若者に未来を託すサウジアラビア

 この新しい改革の旗手たるムハンマド・ビン・サルマン皇太子殿下と共に、サウジアラビアの若者を取り巻く環境は今後どのように変わっていくのか、予想をしてみたいと思います。その前にまずサウジアラビアの年代別人口ピラミッドを見てみましょう。

▲出典:CIA Factbook Saudi Arabia 2016

 グラフを見ると、若年層人口が多く、特に20代〜35歳までの層が特に厚いと言えます。人口が約4倍ではありますが、日本の人口ピラミッドと比較してみるとその層の違いは顕著と言えます。これを見ているとサウジアラビアの若者たちはかつての日本の団塊の世代のように入試や就職などの様々なステージでかなり激しい競争が行われるのではないか、と考えられます。

▲出典:CIA Factbook Japan 2016

 人口の次は経済状況についてです。サウジアラビアの財政における大きな問題は、何度も申し上げているように国庫のほとんどを石油収入によって賄っていることです。この石油価格に変動する経済は、例え方としてはどうかと思いますが極端に言いますと今年は年収1200万円(石油1バレル120ドル)で生活していた家庭が、支出はほとんど変わらないが来年から年収300万円(1バレル30ドル)になる、さらに翌々年は年収450万円……というようなアップ&ダウンを繰り返す状況と言えます。

▲出典:石油1バレルあたりの価格表 ©️ロイター通信(2017年8月末時点)

 このような国家は原油価格が高い時は問題ありませんが、近年は石油などの化石燃料以外の代替エネルギーの開発、シェールガス開発など様々な要因があり、なにか事件が起きても原油価格の上昇が見込みにくくなりました。そうなると増加する自国民の雇用も考慮をすると、自国民による国内産業の育成と発展を通じて国家を成長させる戦略に切り替えるしかない、という状況になってきました。
 ちなみに、この状況にいち早く気がつき石油以外の産業育成に取り組んだ国(首長国)にドバイがあります。ご存知の方も多いかもしれませんがドバイでは、あまり石油は産出されずアラブ首長国連邦の石油、天然ガスの埋蔵量の90%近くはアブダビ首長国から算出されるものです。ドバイはある意味では、元々石油産出の少ない産油国だったため、生存戦略としての国家運営として観光や物流拠点、ハブ空港としての役割などを確立させてきたと言えます。

▲出典:「UAE (アブダビ)の資源開発状況」JOGMEG作成 アブダビに集中する油田とガス田

 さて、サウジアラビアの国家戦略としての大きな課題は、国内の改革に合わせて産業振興を行い、若年層を世界に通じる人材へ鍛え、その若年層の雇用を吸収するという重大な任務があります。実はこの若年層の雇用吸収というのは、国家の存亡をかけた重要課題と言っても過言ではありません。
 失業率という数値は、一見産油国からすれば縁のない話に見えますが、仮に原油価格下落による財政悪化により所得配分が充実して行われない場合どうなるのか? 
 その結果は多くの国民が「現時点での統治体制を疑問に感じてしまう」という事態が発生してしまいます。一部の王族や有力部族だけが豪奢な生活を行い、多数の国民が良い生活できていない、という状況になれば、王はその資質を問われ、新たな革命が起き追放される可能性があります。このような王国転覆の動きに対しては、わずかな芽であっても王制を敷く産油国の政府はものすごく敏感に反応します。
 このように、これまで働かずとも維持できていた体制が崩壊しつつある今、雇用を生み出し国民を働かせるという施策を、王制を維持したまま行うという難しいバランス取りを産油国各国は行わなければいけない状況なのです。

カルフールに見る働く若手サウジアラビア人

 2017年9月、ありがたいことに、自分のInstagramやTwitter上での活躍を評価してくれたフランス資本のスーパーマーケット、カルフール・サウジアラビア本社からご招待を受けたので、それに合わせて近年のサウジアラビアの雇用問題とカルフールがどのようにそれに対処しているのかをインタビューさせてもらいました。

▲リヤドのグラナダモールに併設されるカルフールオフィス
▲左:サウジアラビア・カントリーマネージャー、フェデリック・レヴィ氏、右から二番目:人事本部長のムハンマド・アル・モサイード、右端:教育担当部長

 カントリーマネージャーのフランス人レヴィ氏は、昔神戸に5年ほど住んでいたため関西弁が理解できて、名刺交換もわざわざ日本式で行ってくれる、なかなかお茶目なボスでした。カルフールは中東地域に着々と店舗展開をしており、サウジアラビア国内では次々とショッピングモール建設計画に合わせて他のスーパーと競合しながら着実にシェアを広げています。

「私たちカルフールはサウダイゼーションというサウジアラビア人雇用の問題について真っ正面から取り組むことにしました。サウジアラビア人はプライドが高く、数年前であればスーパーマーケットで働く、などの選択肢はなかったでしょう。しかし、我々は業務内容の階層を分けることでその問題に対処することにしました。」

「カルフールではサウジアラビア人の若い男女をレジ打ちや窓口対応などの動かない業務に配置することにしました。品出しやディスプレイ、値札付け、購入品の袋詰めなどは従来の移民労働者を使っています。これによりサウジアラビア人のプライドが維持できるかたちになります。」

▲レジ打ちを行う若いサウジアラビア人男子、数年前では見られなかった光景

「ここでは女性もレジ打ちを行い、男性が女性のレジ打ちのレーンに入っても一切問題ありません。実際女性の方が手際良く作業を行いますね。カルフールという外資系スーパーという“雰囲気”もあるのでしょうが、基本的に男性は男性レーン、女性は女性レーンに並ぶということなくスムーズにレジを回転させることができます。当たり前のことではないか、と思うかもしれませんが、その当たり前がこの前までちゃんと機能していなかったのです」

▲レジ打ちをするサウジアラビア女子たちとレーンから出る男性客(カルフールにて撮影許可了承済み)

「確かに政府の仕事や公社の仕事などに比べてサウジアラビア人の給料は低いかもしれません。ですが、我々はサウダイゼーションという仕組みの中でうまく役割を決めて教育をしっかりと行い、業務を全うさせるのみです。アラブ地域ではヨーロッパや先進国のようにレジカウンターがなくなる支払いの仕組みが導入されるのはまだまだ先だと言えます。ですから、サウジアラビア人をしっかり教育をしてカルフールではサウジアラビア人が丁寧な対応をする、ということが一つの価値になり得るのです」

 実際カルフールのスタッフは丁寧に作業を行い、顧客に対する態度はとても良く、業務中におしゃべりはするものの、これが新しいサウジアラビア人が働く様子なのか、と筆者も強く驚きました。それと同時に教育担当の方の苦労を強く感じました。

ナウルの崩壊とサウジアラビアの努力

 このようなサウジアラビア人が働いている様子に感動している私の文章を読んでいる方々──特に、勤労戦士日本人の観点からすると「サービス業において何を当たり前のことを言っているのだ?」と感じるかもしれません。しかし、「石油の呪い」をかけられて勤労意欲がなくなった国民を、再度汗水垂らして働かせることの難しさは想像を絶するものがあります。
 皆様はナウル共和国という国家をご存知でしょうか? 20世紀初頭にリン鉱石の発掘により莫大な収入を得た結果、1980年代に世界でもっとも国民所得の高い国となり国民は無税、全年齢層に対して年金支給、医療も教育も無料となり元々漁業と農業で細々と暮らしていた国民生活を大きく変えました。     
 しかし、1990年代後半にはリン鉱石の採掘衰退により経済が崩壊、財政破綻に陥り現在では諸外国の援助を主要な外貨獲得手段としている国です。このようなレンティア国家(天然資源収入など国内経済活動と関係のない利益が直接流入する国家)は立ち直ることが相当大変であることは、今のナウル共和国を見ればよくわかります。今後はレジ打ちのような単純作業だけではなく、様々な分野で活躍できる人材を育成しなければならず、それが国家の課題となっているのです。
 2017年、私はとある教育プロジェクトに携わるためサウジアラビアへ向かいました。次回以降は、今後のサウジアラビアや産油国がレンティア国家から脱却するべくどのように具体的に動いているのか、例を挙げて紹介してみようと思います。

▲カルフールのサウジ人ジェネラルマネージャーと著者

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2018年5月2日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年3月11日に公開しました。
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