ひたすら「同じもの」を食べてみよう

 さて、前置きが長くなったが、ひとつだけ確認しておきたいことがある。それは、この「食べ歩き」という「あそび」のコツは、「同じものをたくさん、いろいろな種類を食べてみる」ことだ。カレーライスならカレーライス、ホットドッグならホットドッグ、チョコレートならチョコレートなど、君が好きなものをひたすら食べてみるといい。つまり、この本で言う「食べ歩き」とは、いろいろな食べ物を味わう喜びではなく、ひとつのものをしつこく掘り下げていくものだ。
 なぜならば、同じものをたくさん食べ続けると「違いがわかる」ようになるからだ。そうすると、この店の味はこうだったけれど、あの店の味はこうだったなとひとつの食べ物の中での違いを楽しむことができる。単に食べて、飲んでおいしかった、おいしくなかったと感じて終わるのではなく、なぜあるものはおいしく、なぜあるものはおいしくなかったのかその「理由」を考えるのが「面白く」なっていくし、細かい違いがわかるようになっていくとより深くその食べ物や飲み物を味わうことができるようになるのだ。

 たとえば僕は「天下一品」というラーメン屋のチェーン店をもう20年以上食べ続けている。ここはもともとは京都のお店で、いまは全国にチェーン店ができている。鶏の皮をペーストにしてつくったドロっとしたスープが特徴で、僕は20年ほど前に京都に移り住んだとき、このラーメンに出会って衝撃を受けた。僕は北海道に長く住んでいたので、札幌風の味噌ラーメンを中心に有名店もそれなりに食べ歩いていたけれど、この天下一品の鶏の皮のビスク(素材を砕いてペースト状にしたスープ)でつくるラーメンはとにかく「個性的」だった。
 そして、ここからが重要なのだけど、いまや全国に200店舗以上ある「天下一品」のほとんどはフランチャイズ経営だ。フランチャイズ経営とは、本店と契約してお店の名前やレシピを使う許可をもらい、別の人がお店を出す仕組みだ。これらのお店では本部から送られてくる麺とスープなどの基本的な材料を使うことだけが義務づけられていているのだけど、「天下一品」では、細かい味付けやアレンジはお店ごとにかなり違っているのだ。

▲僕の青春、「天下一品」のこってりラーメン。濃厚でどろっとしていて、パンチ力のある味付けで……僕がラーメンに求めるものの99%がここにある。残りの1%とはなにか。それは「食べても太らないこと」で、僕はまだその1%の奇跡に出会っていない。

 僕は京都に住んでいる頃に、偶然このことに気づいた。たとえば僕が住んでいる下宿にいちばん近かった天下一品の花園店(いまはもう、なくなってしまったお店だが)は、ラーメン一杯に高菜ご飯がつく平日昼のサービスランチが690円だった。そして通っていた大学から一番近かった北野白梅町店では、自家製のたくあんとキムチが無料で食べ放題だった。僕は近所の「天下一品」を食べ歩くうちにこうしたお店ごとの違いに気づいて、そして、そのうち自分の好みに合った「マイベストな天下一品」を探すために食べ歩くようになった。これは、いま思えば僕の始めたいちばん最初の「食べ歩き」だった。
 そして、食べ歩くうちに店ごとに麺の茹で方、スープのアレンジが少しずつ、でも確実に違うことに気づいていった。天下一品のラーメンのスープは、鶏の皮だけではなくたくさんの野菜や薬味がブレンドしてあって、とても複雑だ。そして店ごとのアレンジで、その中のどの要素が際立つかが変わってくる。違いがわかるようになることで、僕はこのスープの中に含まれたたくさんの、複雑な味と香りがよりはっきりとわかるようになっていった。これが「食べ歩いて比べること」の面白さなのだと、僕は初めて気づいたのだ。

フローズンヨーグルトを食べ歩く

 こうして、僕は「食べ歩き」をはじめたのだけど、それをひとりあそびの「趣味」として本格的に始めたのは、2012年にロサンゼルスに旅行したときのことだ。そのとき、僕はロサンゼルスの大学に留学していた友人を訪ねて、夏休みにひとり旅行に出かけた。はじめてのアメリカ西海岸だった。数日間滞在したのだけど、そのとき街でやたらと目についたのがフローズンヨーグルト屋さんだった。
 友人の話によると、こちらでは随分前からアイスクリームよりも脂肪分の低いフローズンヨーグルトを食べることが流行していて、すっかり定番のデザートとして定着しているということだった。

▲2012年の9月、僕がロサンゼルスで出会ったフローズンヨーグルト。あれから9年、僕はいまでもフローズンヨーグルトを食べ歩いている。

 僕は子供のころから、さっぱりとして甘酸っぱいものが好きだった。だからヨーグルトもほぼ毎日のように食べていたので、せっかくだから良さそうな店に連れて行ってほしいとお願いした。そして、結論から言うと、僕はこの食べ物に夢中になった。さっき書いたように、アメリカでのフローズンヨーグルトの流行は「食べても太りにくいアイスクリーム」としての流行だ。だからお店では「いかにアイスクリームに味を近づけるか」が求められることになる。なので、お店にいくとバニラ味や、チョコレート味のフローズンヨーグルトが並んでいる。フローズン「ヨーグルト」と聞くと、甘酸っぱいものが出てくると考える人が多いと思うし、僕もそれを期待していたけれど、それは間違いだった。
 しかし、僕は多くのアメリカ人たちとはちょっと考え方が違っていた。
 僕が好きなのは「アイスクリーム」ではなく、あくまで「ヨーグルト」だった。そしてさらに僕はそもそもアイスクリームがそれほど好きではなくて、冷たいお菓子には「さっぱりとしたもの」を求めていて「こってりとしたもの」はあまり求めていない。だからコンビニエンスストアで「スーパーカップバニラ」と「ガリガリ君」があったら、ほぼ100%ガリガリ君を選んできた。
 だから僕は、このフローズンヨーグルトにハマった。ただし僕は「食べても太らないアイスクリーム」としてではなく「アイスクリームほどこってりしていない、よりさっぱりした食品」として好きになったのだ。そして、そもそもヨーグルトが好きな僕は、バニラやチョコレートなど、アイスクリームの定番のフレーバーに近づけた味のものではなく、酸味の利いたフレーバー、つまり何かに似せたものではなくてヨーグルトそのものの味が楽しめるものが気に入った。これは僕のために生まれた食べ物なのではないか、と僕は真夏のカリフォリニアで感動に打ち震えた。

 そして帰国後の僕は東京都内のフローズンヨーグルト店を調べて、片っ端から食べ歩いた。その中でいちばん味が気にいったのは、銀座三越の地下にある「スノーラ」のフローズンヨーグルトだ。このお店のフローズンヨーグルトは、舌触りがちょっと他のお店とは違う。フローズンヨーグルトなので基本的にはなめらかなのだけど、ほんの少しだけ、ザラッとしたものが混じっている。そのせいか、口に入れるとしっとりとした甘さが舌に残る。ヨーグルトそのものは口の中ですぐに溶けてしまうのだけど、ほんの少しだけ、ザラメのような成分が舌の上に残って少し後に溶ける。このちょっとした時間差が、味を丁寧に舌に伝えてくる。とても繊細にコントロールされた舌触りだと、いつもうっとりしてしまう。
 僕がいつも買うのは、やはり基本のフレーバーのイタリアン・タート(プレーンヨーグルト)だ。お店のメニューとしてはそこに真っ赤なチェリーソースがかかるのだけど、僕はお店の人に頼んでソースなしで出してもらう。Instagramの「映え」を考えたら白と赤の鮮やかなコントラストを演出するのが正解なのは僕もわかっているのだけれど、あのソースは僕には甘すぎて、せっかくのフローズンヨーグルトの清涼感を台無しにしてしまう。この種の西海岸式のフローズンヨーグルトは、アイスクリームのようにフルーツやフレークなどのトッピングができるようになっていることが多いのだけど、僕はヨーグルトの味を純粋に味わいたいので、絶対に追加しない。こうして、僕は何もかけないイタリアン・タートをこの7年持ち帰りつづけている。

▲僕が東京でいちばん好きなフローズンヨーグルトは銀座三越の「スノーラ」。イタリアンタートをスロップ無しで食べるのがいちばんおいしいと僕は確信している。

 ちなみにこのスノーラというお店は銀座の他には京都の河原町三条の近くにもあった。僕はその頃仕事で、しかも夏場に京都に行くことが多かったのでむしろ京都のお店によく行っていた。それが何年か前に、ある日突然「リニューアルのためにしばらく閉店します」という張り紙が出現し、それからもう4年も5年も経っているのだけれど、あれから一度も京都店の扉は開いていない。いつの間にか、看板もなくなってしまった。お店のホームページにはまだ「リニュアールオープンの準備のために一時閉店中」だと書いてある。僕はその言葉を信じて、京都のスノーラが再び開く日を待っている。

▲今はなき、京都河原町蛸薬師のスノーラ京都店。出張のとき、ここでデザートを買うのが僕は好きだった。

 僕の住んでいる高田馬場の近くで言えば、新宿東口のビックロの1階に入っているメンチーズというお店がある。どうやら、ロザンゼルスのチェーン店の日本進出1号店らしいのだれけど、ほとんど情報がなくてよくわからない。僕はとりあえずフローズンヨーグルトが食べたくなると(銀座まで出るのがおっくうだと)このお店に足を運ぶ。お客のほとんどは若い女性で、男性は10人に1人くらい彼女に無理やりつきあわされているっぽい彼氏がつまらなさそうにスマートフォンをいじっているのを見かけるくらいだ。この店に僕のような中年男がひとりで突撃すると相当目立つのだけど、何度か行っている間にすっかり慣れてしまった。
 ちなみに数年前、僕はこのお店に僕よりも20歳くらい年上の(つまり当時50台半ばの)男性、それも身長が185センチ近くあって、胸板が異常に厚い身体を黒いスーツに包んだ男性を連れ込んだことがある。その人物は決してプロレスラーでもなければ一般的に反社会的勢力のメンバーだとか呼ばれることのある何者かでもない。彼は井上敏樹さんと言って、職業は脚本家だ。僕が個人的にとても尊敬している物書きの先輩なのだけど、その日は、どういういきさつかは忘れてしまったが、彼が僕に服を見立ててくれるということになっていた(たぶん、いつもTシャツとジャージを着ている僕を見かねたとのだと思う)。
 そして当日、僕と井上さんは新宿伊勢丹のメンズ館の1階で待ち合わせたのだけど、もう一人、僕の買い物に付き合ってくれる約束をしていた人が遅れてくると電話があった。そこで、僕は近くに僕の好きな店があるんですけれど、と井上さんを連れてこのメンチーズに足を向けた。

 平日の午後、学校帰りの女子中高生でごった返すフローズンヨーグルト屋さんに、このような風体の人物を連れて行ったらどうなるか、想像がつかなかったわけではない。僕はちょっと意地悪ないたずら心を抑えられなかったのだ。しかし、結果は予想以上のものだった。僕たちがお店に入ると、一瞬でその場の空気が凍りついた。店内には高校生くらいの女子が数名と、大学生くらいのカップルが一組いたのだけれど、それまで楽しそうに話していた彼女たちは急に声を潜め始めた。全身を黒のスーツで身を包んだ大柄で筋肉質の熟年男性(井上さん)と、30歳前後のジャージの男(僕)の二人組──。歌舞伎町が近いこともあったのだと思うけれど、明らかに彼女たちは僕らを反社会的組織の偉い人とその舎弟かなにかだと解釈していた。そのとき食べたフローズンヨーグルトの味を、僕は覚えていない。そしてそのとき以来、僕はこのお店に足を運んでいない。

[了]

この記事は、「よりみちパン!セ」より刊行予定の『ひとりあそびの教科書』の先行公開です。2021年3月4日に公開しました。
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