行基の功績──奈良の大仏だけじゃなく、サウナを広めた第一人者だった?

猪子 今回はまず、2020年11月より九州の御船山楽園で開催中の「チームラボ 廃墟と遺跡:淋汗茶の湯」について話をしたい。まずサウナに入ってもらい、ととのって脳を開き、身体感覚を広げてもらう。その状態で、遺跡が点在する森の中にある廃墟のアート群の中で佇んで、お茶を飲むというものなんだ。お茶は『EN TEA』の丸若さんに、緑茶の瞑想的な側面、つまり緑茶が本来持つディープリラックスする側面を最大限高める製法プロセスで作りだした「月茶」を選んでもらって、サウナの後にいい状態で飲めるように、サウナ中に時間をかけて抽出するんだ。

▲「チームラボ 廃墟と遺跡:淋汗茶の湯」

宇野 そういえば去年、猪子さんと御船山に行ったときに一緒にサウナに入ったよね。そのときにこの構想を話していたと思うんだけど、実現したわけだ。

猪子 アートとサウナの取り組みは、実は、2019年から行っている。毎年7月から11月頭まで御船山楽園で行われる夜の森の展覧会「かみさまがすまう森」でもセットチケットを販売したりして。それを去年から、「かみさまがすまう森」を行っていない11月から6月くらいまで、廃墟のアート群という昼間から見られる屋内作品を中心にして、サウナとアートとお茶の体験を、「淋汗茶の湯(りんかんちゃのゆ)」と呼んで常設の展覧会を始めたんだ。

 ところで、日本のサウナのはじまりはいつかわかる? 実は、飛鳥時代や奈良時代で、奈良の大仏を造った行基も、その時代にサウナを造って広めた一人だという説があって。

宇野 へえ、面白いね。

猪子 この展覧会の御船山楽園のサウナは、1300年前に行基が彫った五百羅漢の洞窟の横にあるんだ。当時の日本の風呂は、湯に浸かる風呂ではなく蒸し風呂、つまりサウナだったんだ。

宇野 行基は全国を行脚していたから、そういう説が出てくるんだろうね。

猪子 そう。当時は大衆に仏教を直接教えちゃいけなかったから、行基は法を犯して無断で布教する、大犯罪者だった。でも実際は、仏教を広めるだけではなく、布教した後、たくさん治水工事をして、多くの民の命を救ったり、豊かにしたりしたんだ。というか、治水工事をするために、仏教が必要だったとも言えるかもしれない。当時、人々が、治水工事をしたら豊かになるかどうかなんてわからない。歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリも、人類が集団で協力し力を合わせることができたのはフィクションを共有することができたからだと言っていたけど、民衆を組織して大工事をするためには、ある種の宗教が必要だったと思うんだよ。

 そうして豊かになって、行基はヒーローになった。飢饉がなくなったり、米がたくさんとれるようになったりして、精神的な面ではなく、実質的に豊かになったというわけ。一方で、天然痘が流行って、政権の中でも人がたくさん亡くなると、大衆の支持が厚かった「大犯罪者」の行基に頼り、いきなり最高位を与えて奈良の大仏を作らせた。そして、奈良の大仏のお寺には、蒸し風呂があったんだ。それが、功徳湯という、初めて庶民に風呂を施す活動で、都市部での風呂のはじまりだと言われているんだ。やがて、東大寺以外の多くの寺院でも功徳湯が行われるようになっていったとされている。
 行基はその他にも、現存する日本最古の蒸し風呂の一つといわれている塚原のから風呂も造ったとされているんだ。

 今でも神社では境内の手水舎で手水を行うように、日本の神道では古くから、滝や川でけがれを祓う禊ぎ、つまり水浴をしていたことも関係するのかもしれないんだけど、どうも、蒸し風呂の後は、冷水をかけていたみたいなんだ。ここからは憶測だけど、お寺に蒸し風呂を作れば、別に仏教に興味があるわけじゃない人も、風呂に入りたくてお寺に来るようになる。そして、蒸し風呂に入り、冷たい水を浴びて「ととのった」状態で、仏教を教えられると、もうすんなり頭に入ってきて、仏教を信じる。そのことで、集団での大規模工事が成功するようになったんじゃないかと思って。
 現代の日本の銭湯が公衆浴場として街中にあり、値段が決まっていて、緊急事態宣言下でも開いているのは、奈良時代にできた施しの風呂が起源なんじゃないかなと。

アートとサウナの歴史的背景:淋汗茶の湯

猪子 まだ続きがあるんだ。時が流れて室町時代になると、「婆娑羅(ばさら)」趣味が流行し、新興豪族が出てきて、「俺が風呂作ってやるよ」と風呂ぶるまいをはじめるようになる。そうして生まれたのが「淋汗茶の湯」という文化。蒸し風呂に入った後の休む場所に、お香を焚いて、屏風を飾る。そして、酒を飲んで茶を飲む。これがすごい流行って、婆娑羅は名ばかりの権威を軽んじ、下剋上文化の下地になっていく。織田信長がうつけものを演じたのは、婆娑羅の発展型なわけ。

 ただ、こうした淋汗茶の湯を「下品すぎる」と批判する流れも出てくる。その筆頭が、「一休さん」で知られる一休宗純。茶と禅は一体であり、蒸し風呂に入ってアートを見て、酒を飲んでお茶を飲むなんて禅と一体ではないと。そして、こうして「茶禅一味」を掲げた一休さんに影響を受けて、「わび茶」を創始したと言われているのが、村田珠光。一休さんに会う前の若いころは淋汗茶の湯に頻繁に出入りしていたらしいのだけど、彼は僧だったこともあり、豪族のような大盤振る舞いではなく、茶はもっと精神的なものだと主張した。それで面白いのが、新興豪族の方もそうした「わび茶」の世界に惹かれて、淋汗茶の湯の中心人物が、村田に弟子入りしちゃうんだよ。それ以降、茶の文化が淋汗茶の湯から、侘び寂び(わびさび)のほうに一気に舵を切った。

 その100年後くらいに、村田の弟子の弟子として出てくるのが、千利休。面白いのが、わびを大切にする利休が、織田信長や豊臣秀吉など権力の傍らにいる一方で、淋汗茶の湯は、下剋上にもつながる反権威的な文化になっているという事実。何にしろ、サウナに入って、お香を焚いてアートを観て、酒飲んでお茶を飲んでいた淋汗茶の湯が下剋上の文化的土台となっていたのが面白いなと思ったんだ。

宇野 行基の時代は、仏教と治水工事がセットで、聖なるものと俗なるものが一緒だったわけだよね。つまり行基は、等身大の生活の知恵から仏陀の教えまでをシームレスにつなぐ、物語を語ることのできる総合知識人だった。

猪子 そう。工学的な知識もあったから、土木工事もできたし、陸にサウナも作れた。

宇野 そして、時代が下って聖俗が分離していく中で、行基の隔世遺伝として出てきたのが婆娑羅大名だというのが猪子さんの解釈なんだね。つまり、猪子さんの考えでは聖俗の境界線を消失させる行基ー婆娑羅のハイブリッドな想像力と、両者を切り分けて制度化する利休的なミニマリズムとの対立がこの国の文化を作ってきていて、いま、猪子さんや丸若さんが行基伝説のある御船山にやってきて、かつて婆娑羅大名が生み出した文化を再興しているというわけだ。聖と俗を往還していた行基と同じように、21世紀の日本で、まさに聖俗の境界のないボーダレスなものを作ろうとしている。

▲御船山楽園ホテルのサウナ「らかんの湯」

現代のサウナブームの文化的背景:マンガとSNS

猪子 あと、もともと行基からはじまり、淋汗茶の湯のような風呂とアートとお茶の文化に結実していった歴史を踏まえて、現代のサウナブームを眺めると、面白いことが見えてくる。まず、2008年頃、サウナ愛好家たちによる情報発信・交換がSNS上で始まり、2009年にマンガ家・タナカカツキさんが『サ道』と題したエッセイの連載を開始、サウナ・冷水・休憩を繰り返すことによってもたらされる特殊な状態「ととのう」ためのプロセスや方法論が、マンガによって可視化され始めたんだ。2011年にエッセイ版『サ道』が出版され、この頃は、「ととのう」ではなく、「サウナトランス」という言葉が採用されていた。そして、サウナ愛好家の濡れ頭巾ちゃんが、2011年、ブログ開設当時に「ととのったー!」と言語化し、それがSNS上を中心にサウナ愛好家に浸透していき、2015年に『マンガ サ道』の連載がはじまり、「ととのう」という言葉が採用され、本格的に広がっていく。つまり、サウナブーム以前から、暗黙的に引き継がれてきた温冷交代浴による特殊な状態が、SNSによる広がりと、「ととのう」という言語化、そして、そのプロセス・方法論がマンガによって可視化され広がることで、多くの人が「ととのう」ことを体験し、多くのサウナファンをつくっていった。それが、この約10年の中で起こり、現代のサウナブームと繋がっていったと思うんだ。
 しかし、サウナ愛好家たちが、以前より暗黙的に引き継いできた「ととのう」入り方は、いつからなのだろうか? 日本の蒸し風呂は、江戸中期(17世紀初頭)に、お湯につかる現代の風呂にかわっていく。逆に、現代のサウナは、東京オリンピックの前後に、日本にフィンランドから入ってきた。しかし、フィンランドに行くとわかるように、もちろんフィンランドには湖が多くあり、湖の傍のサウナでは湖に飛び込むのだけど、街中のサウナには必ずしも水風呂があるわけではないんだ。

 一方で、なぜか日本の銭湯には、古いところでも水風呂がある。銭湯は、サウナがなくても水風呂があるんだ。田舎で生まれた人は、おじいちゃんに、風呂の最後に「冷水を被れ」といわれたことがあるかもしれない。つまり、熱いお風呂に入った後に水に入る習慣、熱い状態から冷たい状態になる文化は、ずっと続いていたのかもしれないんだ。

 医家による随筆としては日本における最古のものの一つで、鎌倉時代後期(13世紀後半)の宮廷医、惟宗具俊による医学随筆集「医談抄」に、蒸し風呂の後、冷水をかけて洗う話が出てくるの。つまり、蒸し風呂の時代から、蒸し風呂の後に冷水をかけていたわけ。
 おそらく、奈良時代(8世紀)に、寺に功徳風呂として、民衆への施しの風呂、つまり公共の風呂ができた頃から、蒸し風呂の後に冷水を被っていたのかもしれない。少なくとも、奈良時代にできた施しの風呂は、銭湯という公衆浴場として街中に残り、被っていた冷水は水風呂に変わり、千年以上、温冷交代浴が暗黙的に引き継がれてきたのかなと思う。それこそ、蒸し風呂に入った後に冷水をかぶっていたかもしれない、行基の時代から。
 そして、そのことがインフラと文化基盤となって、つまり、街のどこにでも公衆浴場があり、そこには必ず水風呂があるという状態になった。そして、サウナが入ってきたことによって、サウナには必ず水風呂があるというインフラになり、サウナの温冷交代浴による「ととのう」へと発展していったのかもしれないな、と。
 みんなサウナが好きすぎて、フィンランドばっかり注目してるけど、実は違うんじゃないかと思ってさ。

宇野 「フィンランドじゃなくて、行基だろ!」っていう(笑)。

猪子 「フィンランドに行っても街のサウナに水風呂ないから! サウナは風呂の代わりだから!」みたいなね(笑)。フィンランドには国民二人あたりに一個くらいのサウナがあるみたいだけど、日本の湯船もそれくらいはあるはずだよね。

宇野 熱いものと冷ますものを往復するというモチーフを、行基的な聖俗の往復に重ね合わせて考えるのも面白いかもしれないね。

猪子 たぶん行基の時代は、禊ぎのような宗教的な意味で、水をかぶっていたと思うんだ。だけど、蒸し風呂を入った後に水かぶると、こっそり気持ちよくなっちゃう(笑)。そういう俗的な理由で慣習化したのかもしれない。

宇野 要するに脳内麻薬が出て、神秘体験が得やすくなるということだと思うんだけど、そもそも宗教的な体験とはこういった身体的なアプローチを含むものだからね。

 そういうことを踏まえても、入浴体験の一部にアートを組み込むことは、いま日本から発するアートとして、すごく意味のあることだし、猪子さんが今まで取り組んできた、アートという制度に対しての問題提起にもつながっていると思った。ただ美術館に行って鑑賞することだけがアートではない、という話にね。

猪子 2021年に東京オリンピックが開催されたとして、世界中から来る人々を迎えるうえで、既存の価値観の範疇で高級さを作り出そうとしても勝てないと思って。ニューヨークやロンドン、そしてドバイや上海などの方が、はるかに高級だから。でも逆に、来る人々に高級な状態になってもらって、つまり、サウナでととのってもらって、アートを見せるのは面白いんじゃないかと思ったんだ。それは一周半回って、ニューヨークやドバイよりも未来じゃないかと思うし、少なくとも権威がある場所や高級な場所にアートを置くことよりも、意味があることだと思うんだ。

宇野 ラグジュアリーなものを追求しても、欧米や中国の都市には絶対に勝てない。では、そのとき大抵の日本人はどう考えるかというと、西欧人のオリエンタリズムに漬け込んで禅のイメージを押し出して、ミニマルなもので勝とうとする。でも、今回猪子さんがやろうとしているのは「それだけじゃないだろう?」ということなんだと思うんだよ。禅的なものの活用までは誰でも思いつくのだけど、そこからもう一捻りして、むしろ、婆娑羅的なハイブリットなものをぶつけてみようというのが今回のプロジェクトだと思う。

 たとえば新しいパブリックアートのようなものを作ろうとするとき、ヨーロッパ的な都市の広場に、社会問題に対する問題提起的なオブジェを置くような従来のアプローチを、日本でやることの意味はそんなにないと思うんだよ。そうではない形でのパブリックなアートのあり方を僕らは考えるほうがずっとおもしろくて、今回の作品はそのひとつの入り口になると思う。そもそも銭湯という存在が面白くて、公衆の場で見ず知らずの人に全裸を晒す、そして大抵の人は特にだれとも対話することなく、黙々と洗体という極めて個人的なことに従事するという、プライベートとパブリックがシームレスにつながっている空間なんだよ。正直、今回の展覧会の話を最初に聞いたときは「サウナかー」と少し懐疑的になったんだけど、こんなに面白い話だとは思わなかったよ。

猪子 あは、面白いでしょ! 

「超自然的な現象」に直面したとき、人は脳を持っていかれる

猪子 しかも、田舎で蒸し風呂を作ってまわっていた行基が、奈良の大仏の横に蒸し風呂を作ったのと同じように、僕たちも2021年3月には、六本木のクラブの跡地に「チームラボ & TikTok, チームラボリコネクト:アートとサウナ 六本木」というアートとサウナの展覧会を半年間だけオープンするんだ(笑)。着たまま汗をかける館内着を着てもらって、サウナに入って、冷却した冷水のシャワーを浴び、アート浴エリアで休憩して、またサウナに入って冷水のシャワーを浴びて……全体的にかなり巨大で、アート浴エリアが3つあって、それぞれで休めるようになっている。

▲「チームラボ & TikTok, チームラボリコネクト:アートとサウナ 六本木」

▲チームラボリコネクト用に製作した館内着(上着のみ、オリジナル)

宇野 「アート浴」っていい言葉だね。なかなかのパワーワードだと思う。

猪子 メインの一つは、『空中浮揚』。これはマカオの「teamLab SuperNature Macao」やマイアミの「Superblue Miami 」にある『質量のない雲、彫刻と生命の間』と同じく、「生命と非生命の間にある彫刻」を模索することによって「生命とは何か」を考えていく作品なんだ。球体はゆっくりと浮き上がり、空間の中腹に留まったり、空中を上下したりする。生命は、エントロピー(無秩序の度合いを表す物理量)が極大化に向かうとされている宇宙の中で、その方向に反している。つまり生命は、古典的な物理の法則に反する、超自然現象なんだ。一方で、生命とはエネルギーの秩序ではなかろうかと思っていて、そう考えると、場にエネルギーの秩序をつくると、生命と同じように、超自然現象が起こるんじゃないかなと思って創った。

 面白いのは、超自然現象を見ると、けっこう脳が持っていかれるということ。たとえば、むかしから、神道では、超自然的に積まれた岩が信仰の対象になったりしている。たぶん、自然界の法則を超えて不自然すぎて、神秘性を感じてしまうんだと思う。超自然現象によって、人々の認知そのものが変化し、その認知の変化が人々を「日常とは違った状態」へと導くんじゃないかと思っていて。

▲『空中浮揚』

宇野 面白いね。他にはどんな作品があるの?

猪子 もう一つも超自然現象をテーマにしているんだ。空中に光の線が立体的に固定されている作品。空間に無数の光の線が浮いているのは、おかしいよね。

宇野 なるほど。猪子さんの考えは面白いし、とてもよくわかるのだけど、僕はあくまで一つの考えとして、こう捉えてもいいと思う。

 人間も一つの秩序だからこそ、自分とは違うロジックでできている別の秩序に出会うと、「脳を持っていかれる」んだろうね。だからこそ、人間は整ったものに弱いんだと思う。自分と同じくらいのレベルで高度な、でも自分とは違うかたちの秩序がありえるということを目の当たりにしたときに、脳が「持っていかれる」。

 自然物も本来は、草木一つひとつから川の流れ、地形図までがすべて秩序立っているんだけど、人間もその流れの延長線上にあるから、そこまで違和感を覚えないのだと思う。一方で、人間が作ったものは、自然とは別ルートで出てきた高度な秩序が生まれている。自然には存在しない秩序、人間と同じくらい高度で、でも人間とは明らかに違ったロジックで作られた秩序にぶつかったときにこそ、人は脳を持っていかれるという解釈もできるのかもしれない。

猪子 それから、ニューヨークのど真ん中にあるマンハッタンのグランドセントラル駅に、非常に大きなパブリックアートとして作品『Continuous Life and Death at the Now of Eternity II, Grand Central Terminal』が置かれることになった。ニューヨークの日の出とともに作品世界も明るくなり、日の入りとともに暗くなっていく。24時間ゆっくりと変わり続けていて、朝日のときは朝日の光、夕焼けのときは夕焼けの光になる。さらに、1年の時間の流れとも連動していて、季節ごとに咲いていく花々がゆっくりと移り変わっていく。8月の朝は、朝の光の中、8月頃に咲く花々が咲き渡る。

▲『Continuous Life and Death at the Now of Eternity II, Grand Central Terminal』

 こういった長い時間軸の作品は、駅のようなパブリックな場所と合っていると思っていて。展覧会だと毎日観られないけど、駅はそこを利用する人々にとっては、毎日利用するものだから、そこを通る人になんとなく時間と月日を感じてもらえる。都市にいると時間も月日の流れもわからなくなるから。

宇野 展覧会の中でしか観られなかったチームラボのアートが、こうやって街の風景に少しずつ浸食していくことには意味があると思うな。チームラボにはこの作品のように、マクロでは季節に連動していると同時に、ミクロのレベルでは高速で花が咲いたり散ったりしているものが多い。つまりそこでは一つの平面に複数の時間が流れている。半分は外の世界の実際の季節とシンクロしながら、半分はしていない。都市の時間を複数化するアートを、駅の壁にかけておく。そのことがどう街を変えるのか、いまから楽しみだね。

猪子 自分の身体が持つ時間を作品の中に入れることによって、身体が持つ時間、都市が持つ時間、そして、作品が持つ異なる時間が、それぞれが接続したまま交差し重なり合わさる場を創りたいんだ。

現地の“笛吹き”も、作品の一部になる

猪子 あとはついに、日本三名園で展覧会をやるよ。2021年の3月、金沢の兼六園と岡山の後楽園に並ぶ水戸の偕楽園で、『チームラボ 偕楽園 光の祭』を開催する。偕楽園は日本有数の広大な梅の林もあるから、その梅の林をフルに使った作品も創るんだ。

▲『チームラボ 偕楽園 光の祭』

『生命は連続する光 – 梅林』

宇野 いいねぇ。

猪子  九州の御船山楽園で行っている「かみさまがすまう森」は、春の花が咲き渡る時期や、秋の紅葉の時期ではない初夏から紅葉直前までの期間の展覧会にしている。しかし、今回は、偕楽園のもっとも華やかな梅が咲き渡るときに、展覧会を行う。だから、その梅が咲き渡る広大な梅の林も作品にしたんだ。

宇野 たしかに、意外とそこまでストレートな作品はなかったかもね。

猪子 うん、楽しみにしていてほしい。あと、実はこの作品にはすごく面白い仕掛けがあって。偕楽園に視察に訪れたんだけど、最初に行ったときに僕が寝坊して遅刻しすぎて、着いたのが夜になっちゃって全然視察にならず、また違う日に泊まり込みで行ったんだ。今度は同じ過ちを繰り返さないように、前日に現地入りして(笑)。それで、一人で偕楽園の森の中をふらふらしてたら、なんか森の奥の方から笛の音が聞こえてきて。

宇野 すごいね、なにか伝説とか始まりそうだ(笑)。誰が吹いてたの?

猪子 それがね、森の奥から聞こえてくる笛の音に近づいていくと、森の中で人が一人で笛を吹いているわけ。

宇野 え、それで話しかけたの?

猪子 うん。見てた。なんか、「気持ちいいから」吹いているんだなと思って。

宇野 話がよく飲み込めていないんだけど、その人は何をしてる人なの?(笑)

猪子 わかんない。ただ単に、森の奥で笛を吹いていた。

宇野 事実としてわかっていることは、水戸の笛吹きであるということだけ……。めちゃくちゃシュールだね(笑)。

猪子 それで、めちゃくちゃ笛の音がいいの。偕楽園の森やその横の竹林の雰囲気ともすごくマッチしていて。偕楽園の庭は「陰と陽」で構成されていて、華やかな庭園や梅林がある一方、陰の暗い森や竹林もある。その森や竹林の雰囲気に合ってるんだよね。それで「感動しました!」と伝えて、連絡先を教えてもらった。偕楽園の竹林で展示する作品『Walk Walk Walk – 孟宗竹林』は、数百メートルの絵巻に等身大のキャラクターが歩き続ける作品なんだけど、その中にはいろんな楽器を弾くキャラクターがいて、それらのキャラクターが歩くと、楽器の音が聞こえるようになっている。で、楽器を弾くキャラクターがいなくなると、その音色もしなくなるんだ。だから、そういう作品の楽器隊と一緒に、森の笛吹きにも生で吹いてもらいながら、竹林を一緒に歩いてほしいなと思って。

 で、森の笛吹き専用のページを作ってURLを渡しておいて、その日、竹林で吹きたくなったらスマフォからクリックしてもらう。すると笛吹きのキャラクターは、絵巻からどこかに行ってしまって、笛の音が聞こえなくなる。それで、森の笛吹きに、作品の楽器隊に合わせて、吹きながら歩いてもらう。気持ちがいい間だけ吹いてもらって、疲れたら、また、スマフォでクリックしてもらえれば、キャラクターの笛吹きが絵巻の中を歩きはじめて、笛を吹く。

▲『Walk, Walk, Walk – 孟宗竹林』

宇野 彼は作品の一部に組み込まれたと。ほんと何者なんだろうね(笑)。

猪子 しかも、「作品の楽譜を渡したほうがいいか?」と聞いたら、「いらない」と。じゃあ、もう好きなように吹いていただこうとお願いした(笑)。

宇野 いや、けどなんかかっこいいね。

猪子 森の中で見たとき、本当にかっこよかったもん。しかも、なんか仲間もいて、だから、たとえば笙の人と一緒に来たら、笛と笙のキャラクターだけが絵巻から出て行って、笛と笙を生で吹いてもらう。笙の人が先に帰ったら、笙のキャラクターは先に絵巻に戻って来る。

宇野 すごい(笑)。現地の笛吹きたちが、作品の一部になっていったんだね。すごくかっこいい。現地に足を運ぶと、彼らの演奏が聴けるわけだ。

猪子 聴ける日もあるし、聴けない日もある。いつ聴けるかわからない。いい展覧会でいいお客さんだったら、たくさん吹いてくれるかもしれない。

宇野 もう彼の気分にすべて左右されると。アナログの演奏って面白いね。しかしこの形式は、うまくいったら結構広がりがあるんじゃないかな。

 にしても、そんな熱い展開があったなんて。だって、猪子さんが視察をやり直していなかったら、出会ってなかったかもしれないもんね。

猪子 うん、寝坊したおかげ(笑)。

[了]

※この記事は小池真幸が構成をつとめ、2021年3月1日に公開しました。
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