コミュニケーション過剰な時代に、意思疎通できない「植物」と共に暮らす

 ここ数ヶ月、人生で初めて、「園芸」というものに興味を持つようになった。近所の小さな園芸ショップの店先を眺め、たまに小さな観葉植物の鉢を買っていくだけなのだが、これがけっこう楽しい。一つ数百円の小鉢が、日によって少しずつ違うラインナップで並べられており、「今日はどんな植物が出ているのだろう?」とささやかなワクワク感が得られる。気に入ったものがあれば、買って帰り、部屋に置くようにしている。
 そして何より、植物を育てるという営みの奥深さ。といっても、たまに水をあげたり、日に当ててあげたりくらいしかしていないのだが、これが意外にも難しい。植物によって、水をあげるべきタイミングや、日に当てるべきかどうかが異なる。さらには、知らぬ間に葉っぱが茶色くなっていたりと、日によってコンディションが上下する。
 もちろん、言語的コミュニケーションは一切通じない。かなり面倒な同居人であることはたしかだ。しかし、常にSNSやインターネットに接続され、意思疎通の海に溺れそうになる現代だからこそ、だろうか。コミュニケーション不可能な他者とのかかわりが、なぜだか心を落ち着かせる。毎日数分だけでも世話をすることによって、生活に彩りと安息が加えられている感覚がある。それも、たった数百円で、枯れない限りずっと楽しめる優れものだ。
 周囲の知人からも、コロナ禍を機に植物を育てるようになったという声を、ちらほらと聞く。筆者は首都圏のベッドタウンで生まれ育ち、現在も都市部に住んでいる。幼少期はいわゆる昆虫少年で、カブトムシやクワガタに目がない時期もあったが、基本的に、自然にはあまり触れ合わずに生きているタイプの人間だと思う。しかし、ここにきて約20年ぶりに、生き物と共にある生活のみずみずしさを味わっている気がする。

 都市部において、いかに「自然」とのかかわりを紡ぐか。都市化が進行しつつある昨今、重要性がますます高まるであろうこの問いを考えるべく、ある人物をたずねた。話をうかがったのは、「人と植物の距離をもっと近づけたい」という想いのもと、ビジネスと研究、アートを〈横断〉しながら活動している、プランツディレクターの鎌田美希子さん。「多肉植物ブーム」への問題意識から立ち上げたクッション『TANICUSHION®︎(たにくっしょん)』などを通じた空間緑化事業を手がけるロッカクケイ合同会社を経営しながら、千葉大学大学院園芸学研究科博士課程で、オフィスにおける植物の効果を研究。2019年にオフィスを植物による植物のための空間とした展示『Office Utopia』を実施、2020年に微生物を主題として初の個展『(in)visible forest』を開くなど、アーティストとしても活動中だ。
 マクロトレンドとしては都市化がますます進行しつつある中で、私たちはいかにして植物との関係性を取り結んでゆけばいいのか? 「土から離れて暮らしてしまっている」都市における、人と自然のあるべき関係を議論した。

現代人が直面する「プランツ・ブラインドネス(植物への盲目)」

「20代半ばで東京に出てきて最も驚いたのが、人々の植物への無関心さです。多くの人が植物に興味がなくて、私が植物の話をしても、『ああ、草ね』くらいのリアクションしかされない。昔から植物が心の底から好きだった私にとって、とてもびっくりさせられることでした」

 鎌田さんは穏やかな口調で、こんな経験を語ってくれた。筆者はこの言葉を聞いたとき、周りを見渡しながら「あぁ、そういうことか」と、深い納得感を得ていた。
 というのも、鎌田さんの生活そのものが、「植物のことを心の底から好き」を体現していたからだ。今回の取材は、鎌田さんのご厚意により、(もちろん十分に感染対策を講じたうえで)自宅にお邪魔するかたちで行われた。取材前は、いちインタビュアーの分際でパーソナルな空間に足を踏み入れることに、恐縮する気持ちもあった。しかし、お邪魔した途端、そんな気持ちも吹き飛ぶほど驚いてしまった。室内の所々に観葉植物などが置かれているのはもちろん、まるで植物園のように、さまざまな植物が敷き詰められた壮観なベランダがあったのだ。

 こうしたかたちで植物とかかわっていたら、東京に住む人々が植物に「無関心」だと感じてしまうのも当然だろう。しかし一体、鎌田さんはなぜ、ここまで植物に惹かれているのだろうか? 一般に植物の良さといえば、癒やしやかっこよさ、かわいさといったポイントが思い浮かぶ。しかし、鎌田さんには、それらよりも先に来る感情があるという。

「植物は面白いんですよ。私は東北の田舎で生まれ育ったのですが、当たり前に自然に囲まれた環境で育つ中で、植物が大好きになりました。自宅には花やサボテンがたくさんあり、すぐ横に小さな畑がある。母の実家は農家で、田畑に連れていってもらうこともありました。小学校には、田んぼのあぜ道や林の中を通りながら、30〜40分かけて歩いて通学。学校の裏には大きな雑木林があって、放課後は毎日そこで遊んでいました。植物好きが高じて、小遣いを貯めて食虫植物を買い集めたりするようにもなりましたね。変わった子どもだったと思うのですが(笑)、親もけっこう付き合ってくれまして。ドングリを植えるための植木鉢を一緒に焼きもので作ってくれたり、『あそこの山に生えている、ギンリョウソウという腐生植物が見たい』と言うと、その場所に連れていってくれたり。最初は食べられるものから興味を持ったのですが、キイチゴがたくさん林になっていたり、ブドウが8月頃になるとやわらかくなったりと、毎日いろいろな植物を見て、触れて、時には口に入れて、その変化を感じられるのが、とても面白かったんです」

 こうした植物に対する好奇心は、本来は万人が兼ね備えている可能性があるものだと、鎌田さんは考えている。かつて、レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』において、子どもは誰でも「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性」を持っている点を指摘した。しかし、現代においては、人が植物に対して過小評価をする傾向を示す「プランツ・ブラインドネス(植物への盲目)」が問題視されているという。たとえば、家が壊された跡地の土に雑草が生えていても、多くの人は気にもとめない。そもそも、地球上の生物の総量のうち、植物は約9割を占めるという。その植物たちが光合成によって酸素を生み出すことで人間が生きられているにもかかわらず、「火災によって山林が大きく失われた」という一大ニュースでもない限り、あまり意識にのぼってこない。

「植物とかかわりたいという欲求は、多くの人が持っていると思うんです。人間は本能的に自然とのつながりを求めるとする『バイオフィリア』という概念があり、私たち人間は、生命に対して愛着を持つ本能があると言われています。コロナ禍に際しても、自宅で過ごす時間が増えた影響で、家で植物を育てたいという人が増えましたよね。知り合いの鉢の卸売業者さんも、コロナ禍でとても忙しくなったと言っていました。たまたま幼い頃の私がそうだったように、自然とのインタラクションを重ねる中で、植物の面白さに気づくことができれば、無関心ではいられなくなるはず。たとえば、ちょっとでも自分で育ててみるようになれば、自ずと周りの植物が気にかかるようになると思います」

 この鎌田さんの言葉は、園芸超初心者の筆者としても、大いに実感できるものだ。曲がりなりにも自身の手で育てるようになってから、道端の草木や近所の家のガーデニングの豊かさに、出会い直した感覚がある。ライターの村田あやこは“路上園芸鑑賞家”として、住宅や店舗の前などで営まれる園芸や路上空間で育まれる緑を「路上園芸」と名付け、その撮影・記録を行っているが、まさに「路上園芸観察」の魅力を知った気がするのだ。

自らの手で土に触れることで、愛着が形成される

 鎌田さんは、植物の最大の面白さを「変化する」点に見出している。変化するがゆえに、生き物だということを感じられ、愛着も湧く。少し世話をサボるとすぐに元気がなくなったり枯れてしまったりする一方で、水をあげたり少し日に当ててあげたりするとすぐに復活することもあるダイナミズムは、たしかに面白い。「動く時間のスケールが人と違うので、ずっと同じかのように見えますが、確実に変化し続けています。タイムラプスで何時間か撮ってみると、けっこう動いていたりするんですよ」。
 「変化するものを愛でる」という論点を聞いて、筆者は人と対話するぬか床ロボットの『NukaBot(ぬかボット)』を想起した。人が話しかけることでぬか床のコンディションを確認し、糖分やpH、乳酸菌などを測定するセンサーとスピーカーを内蔵したぬか床のほうも、発酵具合のモニタリングや手入れの催促をする。あくまで人間の手でかき混ぜることを重視しており、かき混ぜを自動化することはしない。人間の皮膚にある常在菌がぬか漬けの味に影響を与えていることに加え、対話を通して自発的に手入れをする仕組みを作ることで、ぬか床に感情移入をしてユーザーが愛着を持てるようにする意図があるからだ。変わりゆくものに、多少なりとも自分の手でかかわるプロセスを経ることは、生き物への愛着形成を後押しする要因の一つなのだろう。鎌田さんも、「触ること」の意味は小さくないと考えている。

「庭の片付けや植物の植え替えは、けっこう面倒くさいです。植物が『水をくれ』と言うわけじゃないので、こっちがいろいろ察してあげる必要もありますし。でも、土を触りながら園芸作業をしているとき、とてもマインドフルな感覚が得られるんです。日々の暮らしがデジタル優位になったいま、頭で考えたり目で見たりすることばかりで、身体の感覚がないがしろになっていますよね。そんな中で、自分の指先や手を使って何かと触れ合う時間が、とても尊いなと思っています。そうしてフィジカルに身体を使っているときが、結果的に、良いアイデアも一番浮かびやすい。入院患者や介護施設の入居者さんなどが、園芸作業をすることで心身の元気を取り戻していく『園芸療法』という療法があります。私の研究室でも研究している人がいますが、できる範囲で、苗から育てて収穫、そしてそれを食べるプロセスまで全部やることがすごく重要だとのこと。植物の変化を見ながら、実際に手を触れて育てていくことが、とても大事なのだと思います」

 植物と共に生きる際、「その植物のことをきちんと知ること」が何よりも大事だという。当たり前に聞こえるかもしれないが、昨今の園芸においては、これが十分になされているとは言い難いという。記事後半で詳述するが、鎌田さんは不確実な知識にもとづく多肉植物ブームに対して問題意識を抱き、空間緑化プロダクトを開発したこともある。それほど、「知る」ということが十分に顧みられていないのだ。

「まずは、その植物が何かを知ってもらうことがとても大事です。たとえば、一口に観葉植物と言っても、必ずしも『室内だけで健全に育てられる』わけじゃないんです。観葉植物は、もともとジャングルの下層の、たくさんの大木の陰で育っていたがゆえに、屋外のように燦々と光が差し込まない屋内環境でも生きられる「耐陰性」という性質を持つ植物のこと。ですから、光はそこまで必要としていなくても、風通しや空間湿度は必要だったりします。そうした基本的な理解から混同されていることが多くて。コロナ禍で園芸への注目が高まったとはいえ、育てることよりもかっこよく飾ることに重きを置かれがちな印象を受けます。でも本当はもっと、『共に生きること』についての議論も必要なはずです。ちなみに、置き場所と最低限のケアさえ間違えなければ、枯れることは本当に少ない。少しくらい葉っぱが茶色になったからといって、病気にかかっていることはそう多くありません。光と水と風、この3つがとても大事なので、その適切な扱い方をしっかりと知ることが大事です」

 「育て方さえ間違えなければ枯れることは少ない」と鎌田さんが言うように、園芸の特徴として、その取っ付きやすさがある。安価なものであれば数十円〜数百円から始められるがゆえの、大衆性。その歴史を紐解いても、日本では平安期以降、当初は大陸から輸入された上流階級の文化として始まったのが徐々に民主化していき、江戸時代には庶民も含めた、世界的にも目をみはるほどの園芸文化が花開いたと言われている。

都市だって十分面白い。「自由な土」を増やし、感性を育てたい

 誤解してほしくないのが、鎌田さんは決して、「都市を捨てて山間部に帰れ」という類の議論をしているわけではない。エマ・マリス『「自然」という幻想──多自然ガーデニングによる新しい自然保護』では、「手つかずの自然こそ至高、自然を元の姿に戻すべき」という価値観はアメリカで作り出された「カルト」であり、実現不可能な幻想であるという点が論じられたが、鎌田さんも「手つかずの自然」というものはないと考えている。

「自然というものは、人間はもちろん、さまざまな要素が関わりながら、常に変化を続けていくものです。何を『自然』と感じるのかも、人によって全然違いますしね。そもそも、仮に『手つかずの自然』というものがあったとして、それに近い状況に置かれたら、とても怖いと思うんです。人間にとっての基本的な生命の安全が担保されていないので、クマやヘビが出てくるんじゃないかと不安になってしまい、本当の意味でのサバイバル状態になる。すると、面白がったり癒やされたりするどころではなくなるでしょう」

 存在しない「手つかずの自然」を追い求めなくとも、都市部にだって十分、面白い「自然」はある。実際、鎌田さんは都心に住んでいるにもかかわらず、「都市の自然」を心から楽しんでいた。

「ドングリをたくさん拾い集めて、植えて芽を出させる活動を勝手に行っています(笑)。それから、アゲハ蝶の幼虫を育てる“蝶活”もしていて、十数個ものサナギを、部屋の中の自分で作ったサナギポケットに入れていますね。二週間くらい経つと蝶になって出てくるのですが、そのドラスティックな身体の変化や羽化の瞬間の感動が素晴らしいんです」

 メノ・スヒルトハウゼン『都市で進化する生物たち』では、都市こそが生物たちの進化を促す場所になっていることが論じられていたが、鎌田さんはそうした都市で独自の進化を遂げる生物たちの面白さを、存分に味わっているというわけだ。

 都市にも十分に「面白い自然」があるにもかかわらず、なぜ私たちはプランツ・ブラインドネスに陥ってしまうのか。その根本的な原因を、都市部の人々が「土から離れて生きている」点に、鎌田さんは見出す。

「東京に来たとき、何か植物を育てようと思ったら、わざわざ土を買ってこなければいけないことに驚いたんです。大きく育ちすぎた植物を地面に移植してあげたいと思っても、どこにも植えられない。道路の横であれ、マンションの中の植え込みであれ、ちょっとでも植えたらその土地の管理者によってすぐに引っこ抜かれてしまう。都市はコンクリートばかりで、自由にできる土がないんです。植え込みや花壇はあっても、区切られたスペースにただ土と植物を入れて、『はい、緑がありますよ』と言っているだけ。すべてを人間の管理下に置こうとして、他の生命たちに自由を与えていない。それだと、生き物たちが自由に水を飲む場所すらなくなって、都市環境の中でも生きられるカラスやハト、ゴキブリや蚊ばかりが増えていく、歪な状況になってしまいます。自然や植物を実際に見たり触れたりする機会も少なくなってしまい、それについての教科書的な知識を頭に入れることはできても、感性と結びつけるのが難しくなってしまいます。その状態だと、たとえ山に行ったとしても、そこまで面白くないと思うんですよね」

 土と離れて生きていることは、パンデミックを進行させる一因にもなっていると鎌田さんは見ている。コロナ禍が本格化しはじめた2020年2月、ソニーコンピュータサイエンス研究所の舩橋真俊は、「健全な表土と、それを相乗的に支える動植物の循環。それらを最低限の労力で高水準に保つための感染症や寄生生物の存在。それらのサイクルとバランスを人間の産業活動の根幹に取り戻す」ことの必要性を説いた「表土とウイルス」という論考を発表した。折しも微生物をテーマにした個展『(in)visible forest』を準備中だった鎌田さんは、それを読んで「ああ、やっぱり」と思ったという。微生物や細菌類などさまざまな生命が渦巻き、競争状態にある土では、ウイルスが侵入してきても、すぐに競争に負けていなくなってしまう。しかし、コンクリートの上だと細菌や菌類の種類が少ないがゆえに、競争に晒されることなく、ウイルスが残りやすい。この連載の第4回で話をうかがった伊藤光平さんも「ヒト由来の微生物に加えて、森林や土壌といった自然由来の微生物も室内に住まわせることで、病原微生物の増加を抑えられる」と語っていたし、ロブ・ダン『家は生態系──あなたは20万種の生き物と暮らしている』でも屋内生物の役割とその上手な付き合い方が説かれているというが、「私たちはもっと多様なものの中にいたほうがいい」と鎌田さん。

「土があれば、いろんなものが育めるんですよ。ミミズも虫もいるし、細菌も微生物もいっぱいいる。植物が生えたら、そこに虫が食べに来て、その虫を食べに鳥が来る。花が咲いてチョウが来て、子どもを生む。死んだら土のなかで分解されて、植物が吸収し、また新たな栄養分になる……そうした循環が回っていきます。本来地球が持っている循環やルールを完全に無視して、ゴミを焼却処分したりしているからこそ、パンデミックのような悪いことが起こっているのだと思うんです」

 それゆえに鎌田さんは、都市に「自由な土」を取り戻したいと考えている。たとえば、都市の土地の一定割合を「自由な土」にする政策を作る。そこで遊んだり、生ゴミを埋めてコンポストにしたりすることで、都市空間や、さらにはそれに触れた人々の腸内にまでも、生物の多様性が取り戻される。そんな好循環を回したいと、鎌田さんは考えている。

多肉植物は誤解されている──空間緑化ツールを開発した理由

 自らが生まれ育った環境と、都市部の「土から離れた」環境との違いに驚き、「人と植物の距離を近づけたい」という問題意識を抱くようになった鎌田さん。その活動の端緒は、オフィス向けの緑化を手がけるところからはじまった。先述のように自然に囲まれて育った鎌田さんは、「大好きな植物の研究をしてみたい」という想いから、大学では農学部に進学。生命科学を専攻し、農学研究科を修了したのち、野菜の種を開発するメーカーに就職した。その会社を辞めて東京に出てきたのが、20代半ばのときだ。

「東京にはいろんな人がいて、いろんな刺激的な世界があって、とても楽しかったです。でも、やっぱり自然が少ない。コンクリートだらけだし、毎日朝から晩まで、とても無機質なオフィスで過ごしている。何かが足りない、これは何かおかしいのではないか。そう感じるようになって、もう一度原点に返り、植物を広める仕事をしたいと考えるようになりました。植物が感じさせてくれる、ワクワクや楽しさ、癒やしをもっとみんなに気づいてもらい、生活の中に取り入れてほしいなと」
 
 まずは働きながら、室内に植物を飾るための「インドアグリーン」の知識を学ぶための学校に一年間通った。その後、はじめは知り合いベースで、オフィスや家の緑化を手がけるように。仕事の傍らフリーで行っていたこの活動の延長で、現在のロッカクケイ合同会社での緑化事業を本業とするようになった。
 ロッカクケイが手がけたプロジェクトの一つが、多肉植物たちのユニークな形や魅力を再現した室内緑化ツール「TANICUSHION®︎(たにくっしょん)」だ。たにくっしょんを立ち上げた2015年当時、園芸業界は空前の多肉植物ブームに湧いていた。多くの人々が多肉植物の面白さやかっこよさに惹かれ、高価なサボテンも流通するようになったが、「水をあげなくても育つ」「室内だけで育てられる」といった謳い文句に、違和感を覚えていたという。

「当時、私も『オフィスにサボテンを置きたいんだよね』という相談を受けることが増えました。ただ、多肉植物にまつわる知識が、正しく伝わっていないもどかしさを感じまして。サボテンは本来、雨が少なくて、直射日光がガンガン当たる場所で生き抜くために、あのような水を貯めやすい形で進化しているんですね。だから、日本のような高温多湿な気候にはあまり向いていません。それから、室内に置くと太陽の光量が少なくて、丸かったものが途端にひょろひょろとして(徒長して)いき、やがて枯れてしまいます。『サボテンは外で生きる植物。室内に置きたいなら、代わりに多肉植物をリアルに再現したクッションを置きましょう』という想いから、室内緑化ツールのたにくっしょんを作ることにしたんです」

「たにくっしょん」には、アガベやエケベリア、ダシリリオンなどの種類がある。抱きしめたときに心地よい素材感や、一つひとつの植物にそっくりなフォルムにも徹底的にこだわり、日本の職人が心を込めて手作業で作りあげているという。

 その他、クッションで祝い花を表現した『Iwai-bana』なども手がけ、植物の施工などにも手を広げたが、「好き」という気持ちだけでビジネスを成立させることに限界も感じるように。オフィス向けの緑化サービスとしては、レンタルの貸鉢やリースの植物を置き、週に一度だけ業者がメンテナンスし、弱ったら知らないうちに取り替えられているというものが主流だという。しかし、鎌田さんは「そういうことはしたくなかった」。「植物を愛でて、一緒に生活する仲間として迎え入れてほしい」という想いが根底にあったからだ。
 とはいえ、植物に触れてこなかった人々にとって、継続的に適切な世話をすることは簡単ではない。そもそも、経営判断としては、「植物にコストをかけよう」というジャッジを下すこと自体が難しい。感覚的に良さは感じるものの、メンテナンスの手間をかけてまで導入する根拠を示しづらいのは、想像に難くないだろう。

研究でエビデンスを示し、アートで直感に訴えかける

 クッションを作ったのは一つの“代替案”であり、本来やりたかったのは、本物の植物を扱うことだ。その上、緑化ビジネスは費用対効果が示しづらい──そんな閉塞感を覚えていたとき、目の前に現れた新たな選択肢が「研究」だった。
 知人がベンチャー企業を経営しながら博士号を取得したということを聞き、「え? そんな選択肢があるの?」と驚いた鎌田さん。調べてみると、植物が人に及ぼす効果を研究する「人間・植物関係学会」の存在を知る。もともとバイオ系の研究室出身の鎌田さんにとって、園芸セラピーやオフィス緑化、病院緑化の効果についての研究は、とても新鮮に映った。

「研究というアプローチを使えば、緑化ビジネスの効果を証明するエビデンスが見つけられるかもしれない。そう思って、強く興味を持ちました。たまたま近い時期に、人間・植物関係学会が秋田で開催されると知って、一人で飛び入り参加。小さな学会なので、みなさん良くしてくださって、その中にいま私が所属している千葉大学大学院園芸学研究科の研究者がいたんです。それでゼミにお邪魔するようになって、受験して入ることになりました」

 千葉大学大学院の園芸学研究科は、国立大学法人としては日本で唯一の園芸学の研究科だという。千葉大学のキャンパスの多くが置かれている西千葉ではなく松戸に単体のキャンパスを構え、遺伝子組み換えからランドスケープまで、学際的な観点から植物の研究がなされている。
 鎌田さんが選んだ研究テーマは、オフィスにおける植物の効果。オフィスに植物が置かれていることで、働く人のストレスや仕事に対する印象がどう変わるのか、心理テストやアンケート調査、印象評価、ストレスホルモンなどの生理的な指標をもとに研究している。執務スペースのみならず、休憩室に着目して、そこに植物を置くことによる効果も研究しているという。
 研究対象をオフィスにしたのは、「緑化ビジネスに活かしたい」という直接の動機によるところもあるが、何よりかねてより鎌田さんが抱いていた「都市における人と植物の距離を近づけたい」という問題意識に直結するものだ。国連の予想によると、今後もますます都市人口は増えていき、2050年までには世界人口の数十%が都市に住むようになる見込みだという。だからこそ「いかに自然に戻すか」ではなく、「どうすれば都市の中に自然を取り入れていけるか」という研究に意義を感じ、都市の中でも多くの人が一日のうちの大半を過ごすオフィスを選んだのだ。
 そしてビジネスと研究に加えて、鎌田さんの3つ目の軸となっている活動が、アートである。

「研究の成果って、やっぱり多くの人には伝わらないんですよ。いくら良い論文を書いても、それを読む人がものすごく少ないのはもどかしいなと感じていました。そんな折にたまたま、私がこうして庭を作ったり蝶を育てたりしている活動を見て『アートをやらない?』と声をかけてくれた友人がいて、挑戦してみることになりました。まさか自分がアーティストとして展示するようになるとは思いませんでしたし、いまでもあまりアーティストという自己認識はありませんが、もっと感覚や感性に訴えかけるアプローチが必要だと感じていたので、やってみたいなと」

 2019年には、アートフェア「GRADATION 代官山」において、オフィスを植物による植物のための空間とした展示『Office Utopia』を実施。多くの来場者が「気持ちいい」「楽しい」といった感想を口にしてくれ、「私がやりたかったのはこれかも!」と思うほど、植物の良さをダイレクトに伝えられた手応えがあったという。
 2020年には、銀座のギャラリーART FOR THOUGHTで、微生物をテーマに初の個展『(in)visible forest』を開催。ちょうどコロナ禍になりはじめた時期に開催が決まったというが、「分解者として大事な役割を果たしているのに、なんとなく嫌われ者になっていた『目に見えない生き物』への認識を、変えてほしいなと思っていました」。現在は、美しく咲いた花が朽ち、次第に微生物によって分解される姿を可視化した『フラワーコンポスト』という作品を作っているという。

「これって要は、カビが生えて腐っていく過程を見せている作品なんです。みんな自分の家の冷蔵庫のイチゴにカビが生えたら、『うわー、汚い』と思って捨てるじゃないですか。でも、家には置きたくないであろうカビや菌類であっても、瓶に綺麗に入れて作品として展示すると、『面白い』『可愛い』と言って見てくれるんですよ。売り物にするのも難しいですし、そういう機会を提供できるのはアートならではだと思っています」 

店頭に出すことのできなかった花や装花に使われなかった茎や葉など、本来破棄されてしまう素材を利⽤して制作されたフラワーコンポスト。2021年春には、渋⾕区・神宮前のブティックホテルTRUNK(HOTEL)で展示された

小さな規模で少しずつ展開すると〈横断〉しやすくなる

 「人と植物の距離を近づけたい」。その想いを胸に、ビジネス、研究、アートと〈横断〉的に活動している鎌田さん。なぜ〈横断〉できているのか? そう聞くと、「ロールモデルがいるわけではない」と前置きしつつ、こう答えてくれた。

「研究に関わる人間がこういうことを言うのはあまり良くないと思うんですが(笑)、私は将来の予測を立てたりするのがとても苦手で。感性や感覚、ひらめきなどを大事にしているので、思いついてやりたいと思ったり、ワクワクした気持ちが湧いてきたりしたら、その気持ちに正直にやってみるようにしています。その結果としていまがあるだけで、『あれもやって、これもやって、こういう人になろう』と考えたことはないんですよ。ただ、いま改めて振り返ってみると、全部小さい規模でやっているからこそ、いろいろと手を広げられているのかもしれません。会社も実質的には私だけの一人会社ですし、もしこれが一人でも従業員を雇っていたりしたら、『ちゃんとビジネスを大きくしなければ』と守りの思考になってしまい、研究やアートに挑戦してみようとは思わなかったのではないでしょうか。そもそも結構怖がりなので、会社をやめるのも怖かったですしね。いつでも遊び心を持ってフットワーク軽くいるために、小さな取り組みをいくつも持っておいて、適度に保険をかけておくことは大事だと思います」

 今後は、「植物に対する愛着はいかにして形成されるのか」のように、ビジネスには直結しなさそうだが人間の本質に迫る研究や、アートをきっかけにもっと周りの人を巻き込み、たとえば枯れた花をゴミではなくアートの一部にして街の土に還元していく活動などに挑戦していきたいという。
 「一瞬一瞬が違うもので、変化し続けることが基本原則」。そんな存在である植物に、多大な熱量を注ぎ続ける鎌田さん。デジタルメディアに囲まれ、日常が言語的コミュニケーションで埋め尽くされている現代だからこそ、言語的コミュニケーションが取れない植物に手で触れあいながら、なんとか共に生きていこうとする時間は貴重だろう。そうしたささやかな、しかし手触り感のある時間を幼少期から積み上げてきたからこそ、鎌田さんは「小さな規模」の取り組みを、手触り感のあるレベルで少しずつ展開し、〈横断者〉たりえているのかもしれない。スケールを第一とするのではなく、良い意味で「身の丈に合った」規模で広げていくこと。筆者も少しだけ植物に興味を持ちはじめた人間として、都市の中に隠された手触り感のある時間、そして小さな身の丈に合った取り組みの大切さを、あらためて認識させられる時間だった。

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2021年9月21日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年11月4日に公開しました。photo by 高橋団

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