多くの国家にとって、最も基幹的な公機能のひとつ「教育」。しかし社会に適合する標準的な「国民」を再生産すればよかった時代はとうに去り、いまの教育に求められているのは、「いかに個々の資質や状況に応じた多様性を尊重しつつ、社会を変えうる個人を育むか」の標準化です。この矛盾に満ちたミッションを、現役官僚・橘宏樹さんがチェックします。
「GQ──Government Curation」のこれまでの連載記事は、こちらにまとまっています。よかったら、読んでみてください。
端的に言うとね。
橘宏樹と申します。国家公務員をしております。この「Government Curation(略してGQ)」は、霞が関で働く国民のひとりとして、国家経営上本当は重要なはずなのに、マスメディアやネットでは埋もれがちな情報を「官報」から選んで取り上げていくという連載です。本稿に懸ける僕の志についてはこちらで述べさせていただきました。
7月を迎え、東京では外出自粛の緩和は進んでいますが、感染者数は減りそうで減りません。ウイルスの脅威は相変わらずなのに、報道される感染者数が一時期に比べたら減ってきたことで、不自由な日々に倦んでしまった心の弛みが止められなくなってきています。希望の持てない鬱々たる気分でズルズルと過ごしている、というところでしょうか。実際、僕自身の気分がそうです。明るいニュースはJリーグとプロ野球の開幕くらいでしょうか。しかし、サラリーマンの状況は全然マシな方です。飲食業や宿泊業は軒並み瀕死です。家賃が払えず閉店に追い込まれる店舗は数限りない状況です。地方でも、インバウンド需要が激減したことで、特に高級海産物や肉牛、花きの値段が大きく崩れ、危機に瀕している生産者は多いです。
政府の経済対策は、国会で可決された補正予算の事業規模は1次と2次を合わせて200兆円を超えます。海外でこれほど大規模の財政出動を行った国はありません。
補正予算は可決されたものの、執行が大変です。地方自治体や政府系金融機関は、大変忙殺されています。みなさまのお手元に10万円の給付金は届きましたでしょうか。申請からどのくらい経ちましたでしょうか。電子行政の実情が露呈しているところです。
さらに、世界の問題はコロナだけではありません。アメリカでは、黒人男性が白人警官に暴行され死亡した事件を機に、黒人差別反対運動が激化して一部が暴徒化すらしています。これに対するトランプ大統領の強硬な姿勢には批判が集まり、アメリカ社会の分断が深まる様子が伝えられてきます。また、中国政府による「香港国家安全法」の立法決定によって、一国二制度によって守られてきた香港の自由は危機に瀕しています。
ちなみに、今国会では前々回取り上げたスーパーシティ法案も可決されました。拙稿もTwitter上でだいぶリツイートされたりと、広くお読みいただけたようで嬉しく思いました。
さて、今回のGQでは、コロナに翻弄され疲労感が募るなか、ついつい視野も思考も近視眼的に陥りがちな昨今、実は、中長期的な大変革の実行も着々と進行している、というようなお話をピックアップしたいと思います。テーマはずばり、教育です。
文字どおり、一般社会人が学校教育の場で教壇に立つことを、もっと進めようという事業です。具体的には、学校現場と外部人材をつなぐ仕組みを整備するために必要なものを把握するため、教員免許は持っていないが優れた知識経験等を有する社会人等(に与えられるのが「特別免許状」)や、教員免許を持っているが教職に就か(け)ず民間で活躍してきた人材が、教育現場に関わる場所を増やそう、優良事例を創ろう、という事業です。そして、どういうイイ効果があるか、課題があるか、必要なものは何かを調査します。事業予算は約3,000万円程度です。
余談ですが、行政用語では、なんちゃらかんちゃら事業に「促進」と差し込まれている場合は、たいてい、その準備のための調査や体制整備(ハード≒建物やIT等のインフラ)かソフト(≒研修への補助金)を意味することが多いです。一般の感覚で、ガンガン促進していくってことか! と思って聞いていると、ちょっと肩すかしな内容の事業であることも多いかもしれません。逆に、行政官は、促進事業、と聞くと、ああ、本丸じゃない話なんだね、という予見を抱きます(笑)。
しかし、この学校教育における外部人材の活用「促進」事業は、調査分析にとどまらず、外部人材が教壇に立つ事例創出も目的にしている、と強調されています。これから文科省が進める教育革命の「前触れ」という意味が強く滲んでいます。たかだか3,000万円の公募事業なのですが、真実は細部に宿る、と申しますとおり、教育革命の本質が反映されていたり、意外と根本的な要議論ポイントが見受けられたりしました。今回のGQでは、コロナに負けず、文科省が粛々と展開している教育革命の内容をざっくり解説したいと思います。
第3期教育振興基本計画(2018-2022年)
教育については、ちょうど2年前の今頃、本稿で、5年ごとに作成される、国の教育政策の最も基本となる「教育振興基本計画」の第3期(2018-2022年)が閣議決定されたことを取り上げました。
この稿で僕は、第1期(2008-2012年)及び第2期(2013-2017年)の教育振興基本計画と比較するなかで、この15年間で、個人に教育をほどこす目的が、大きく変わってきている。すなわち「社会に適応する個人にする」→「厳しい社会でも生き抜いていける個人にする」→「社会を変えていける個人にする」と変遷している、と読み解きました。個人と社会の関係についての見方が、ある意味で逆転してきてすらいるのです。
そして、この「社会を変えていける個人に育てていく」第3期教育振興基本計画を具体化するべく、平成末期には約10年ぶりに指導要領が改訂されました。新指導要領は、小学校では2020年度、すなわち今年の4月から全面実施されています。(中学校は2021年度から、 高等学校は2022年度から実行されます。)
今春、コロナの影響で卒業式や入学式が開けなかったといったニュースの陰に隠れて、小学校ではついに「社会を変える個人」を育てる新指導要領が移行期間を終えて全面実施となったことは、お子さんが小学校に通っている方以外では、どのくらい知られているでしょうか。
新指導要領のポイント:3つの柱、3つのキーワード、3つのポイント
▲学習指導要領改訂の考え方
文部科学省ウェブサイト「平成29・30年改訂 学習指導要領、解説等」より
では、小学校の新指導要領はどのような内容になったのでしょうか。文部科学省自身が示す改訂のポイントはこちらです。幼稚園教育要領、小・中学校学習指導要領等の改訂のポイント(スライド3枚に収められていますが、文字がびっしりなのでこちらに画像を貼るのはやめました。)
まず、教育の目的は、①知識及び技能、②思考力、判断力、表現力等、③学びに向かう力、人間性等の「育成すべき資質・能力の三つの柱」を育成することである、と大目標が定義されました。そして、全ての教科がどの柱の育成に資するか紐づけられるよう再整理されたとのことです。つまり、何をどれだけやれば、どの目的に繋がるのか、アウトカムに至るインプット集のロジックモデルが整備されたわけで、教育課程の論理的精緻化、EBPM(Evidence Based Policy Making)化が進んだと言えると思います。EBPMについては、今後の日本行政が進むべき基本的方向性として、以前拙稿でも取り上げました。
そして、新指導要領において着目するべきキーワードも3つです。すなわち、「社会に開かれた教育課程」、「カリキュラム・マネジメント」、「主体的・対話的で深い学び」(「アクティブ・ラーニング」)です。それぞれについて何を意味しているかは、リンク先を参照していただいたり、適宜検索していただけたら色々解説が出てくると思いますが、僕から身も蓋もなく言い換えてしまうと、「社会に開かれた教育課程」とは、生徒が教師以外からも学ぶ機会を拡大すること。「カリキュラム・マネジメント」とは、教えろと命じられたものをただ教えるのではなく、何をなぜどのように教えるのか、ロジックの噛み合わせをそれぞれの教育現場でよく考えて実施しろ、ということ。「主体的・対話的で深い学び」(「アクティブ・ラーニング」)とは、生徒の好奇心や主体性を焚きつけて、詰め込まれるべき量の知識を自ら学び取っていくよう仕向ける教育法を取ること。を基本的に意味していると思います。
しかし、僕がこの「新指導要領等の改訂のポイント」の内容全体を読み解く上で重要だと考えたポイントは次の3つです。①外国語教育の強化とプログラミング教育が入っていること。②不安と戸惑いに襲われそうな教育現場へのフォローが入っていること。③最大のキーワードである「社会に開かれた教育課程」を実現するのは誰か、ということ。順に補足説明します。
外国語教育の強化とプログラミング教育
まず、2020年度から英語が小学3・4年生で外国語活動として、5・6年生で教科としてスタートします。幼少期から英語を教えるべきだ、いや、まずは日本語をしっかり教えるべきという論争が決着したかたちになります。こちらの文部科学省作成の動画では、Why do you think うんちゃらかんちゃら、の文法なんて教える必要はなく、「Why?」で十分伝わるんだから、まずは「Why?」と聞くことを教えるべきだ、といったことが語られています。国際社会で生き残れる人間に育てようという意識が強く伺えます。
▲小学校の外国語教育はこう変わる!前編(文部科学省/mextchannel)
そして、プログラミング教育の導入です。これは本当に大きいと思います。コンピュータの基本構造を理解して使いこなせる、自分でプログラミングができる人材でないと、生き残っていけない時代が既にやってきています。また、すごいプログラムやアプリを開発することで、個人でも社会課題の解決を大きく前進させることができたりする可能性もあります。テクノロジーを使いこなす個人を増やすことは人類の希望も個人の未来も明るくしてくれるでしょう。
▲みらプロ 足立区立大谷田小学校公開授業(文部科学省/mextchannel)
ちなみに、PLANETSの日刊マガジンでの連載 プロデューサーシップのススメ #02 データシティ鯖江から始まったウェブ新時代 では、カリスマ的プログラマの福野泰介氏が「IchigoJam」という1,500円の組立てパソコンキットを用いて、鯖江市の小学生に向けたプログラミング授業を展開し、大好評を博している様子が書かれています。
教育現場へのフォロー
2つ目のポイントは、教師へのフォローです。学校教育の現場では、教師の負担が非常に重くなっていることは広く知られているところだと思います。膨大な事務作業、部活動の顧問、モンスターペアレントへの対応、少人数・対話型教育でのきめ細かい準備やコミュニケーションなど、過酷な労務環境です。これでは人材の確保も難しい状況です。
そんな状況下では、やれプログラミングだ、アクティブラーニングだ、と、難しそうでやったことのないシゴトを増やされても対応できない、という現場の悲鳴や反発が予想されます。これに対し「新指導要領等の改訂のポイント」では、「我が国のこれまでの教育実践の蓄積に基づく授業改善の活性化により、云々」「小・中学校においては、これまでと全く異なる指導方法を導入しなければならないと浮足立つ必要はなく」「これまでの教育実践の蓄積を若手教員にもしっかり引き継ぎつつ、授業を工夫・改善する」「運動部活動ガイドラインの策定による業務改善などを一層推進」といった、「ベテランのみなさん安心してください! みなさんのこれまでのやり方が全否定されるわけじゃないですよ! これまでどおりのやり方にちょこっと工夫が加わるだけですよ!」と、なだめるような書きぶりが目を引きます。
「社会に開かれた教育課程」を実現するのは誰か
3つ目は、やはり、新指導要領の最大のキーワードが「社会に開かれた教育課程」である、ということだと思います。事実、このキーワードは学習指導要領解説【総則編】小学校学習指導要領(平成29年告示)解説の「今回の改訂の基本方針」の冒頭に出現します。より詳しい説明は、以下のとおりと示されています。
▲社会に開かれた教育課程(これからの教育課程の理念)
文部科学省ウェブサイト「平成29・30年改訂 学習指導要領、解説等」より
「これからの社会を創り出していく子供たち」「社会や世界に向き合い、関わり合い」というフレーズに、第3期教育振興計画の特徴である「社会を変えていける個人にする」という姿勢が反映されていることが見て取れると思います。また、「学校教育を学校内に閉じずに」とあるのは、これまでは閉じてきた感があるという認識の裏返しなのでしょう。
▲社会に開かれた教育課程の実現について(文部科学省/mextchannel)
そして、文科省の説明動画によれば、学校を社会に開くためには「地域と学校が組織的継続的に連携協働していくこと」が重要であり、そのためには「コーディネート機能を強化するべく地域と学校との連絡調整を行う地域学校共同活動推進員の配置」が特に重要であり、「そうした人材の育成確保によって、持続可能な体制づくりを推進していくことで、従来の個別の活動のネットワーク化を図り、組織的で安定的に活動を継続できる仕組みづくりにつなげていく」と述べています。
要は、地域と学校の間をコーディネートする「地域学校協働活動推進員」なる存在を新設して、社会のことを教えてくれる地域の人材を教育現場に連れて来よう、または子供たちを連れ出していく場所を地域の人に世話してもらおう、というようなイメージを描いているのでしょうね。また、教員の労務負担がさらに増加しないよう、人手を増やそうという意図も読み取れます。
まとめ:外部人材は地域の人だけなのか
このように、新指導要領においては「社会に開かれた教育課程の実現」というものが、極めて本質的に重要であるということ、具体的には、どうやら、地域社会と学校の連携が主にイメージされているということ、そして、今回の官報「学校教育における外部人材の活用促進事業の公募」は、「社会に開かれた教育課程の実現」の先鋒として繰り出された一手として位置づけられることがおわかりいただけたと思います。
こうした理解を得た上で、再び「学校教育における外部人材の活用促進事業の公募」の、公募要領等を読み直してみますと、若干の疑問が浮かんできます。実は、上述のとおり外部人材の活用≒地域との連携と言っている一方で、公募要領等の外部人材の要件に、地域の人材であること、といった限定は特に加えられていないようなのです。ここは、少々曖昧な運用になっているということかもしれません。事例収集の段階では間口を広くしておきたい、ということかもしれません。
ともあれ僕は、個人的には、この曖昧さを歓迎します。なぜなら、子供たちが「社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、向き合い関わり合」っていくためには、「地域社会に閉じず」に、もっと広く、社会や世界の様々な業種や場所で活躍する社会人と触れ合うこともまた、大事だと思われるからです。
この点、特に、同窓生は貴重な戦力になると思います。NHK「課外授業 ようこそ先輩」が記憶にある方は多いと思います。先輩後輩の絆のようなものは、なんとも甘美で、ロールモデルから素直に学ぶ姿勢や気分を整えてくれます。拙著『現役官僚の滞英日記』でも、欧米の大学では、同窓生の巨大で良質なネットワークが学生の学びや就職において極めて決定的な役割を果たしていることを述べました。同窓生のネットワークコミュニティを手入れするだけのためのコーディネートの担当者を雇用していたりします。実際、このくらいのコストを投下してもお釣りが来ると思います。地域の複数の中高で一人、こうした同窓生コーディネーターを雇用するだけでも全然違うと思います。実際、全然公立の小中学校では、それこそOB・OGが引き続きその地域で生活していたりして、母校の後輩を喜んでサポートするということもあることでしょう。
実は僕自身も、母校の高校に呼ばれて、今の仕事について語ったこともあります。何を語ろうか考えた結果「やりたいことが見つからなくたって、生きていける。僕は結局、自分の好きな人と同じことをやってきただけの人生を送っているようだ、それで結構幸せだったりする」といったような気づきを得て、それを伝えたら、それぞれになかなか響くところがあったような多くの瞳を見つけることができました。20年前の自分に向かって今の自分の有り様を整理して語ることは「外部人材」側にとっても有益だと思います。
もっと言うと、教育とは、公とは、社会とは何かを主権者である僕たちがよくよく考えるためには、生涯学習やボランティアもさることながら、実は、いっそ日本の全国民が、一生のうち一定期間は、必ず教師や公務員を経験するような制度にしてしまってはどうか、などと夢想することもあるのですが、それについてはまた別の機会にお話しできればと思います。
[了]
この記事は2020年7月6日に公開しました。
Banner Photo By Gorynvd/Shutterstock.com
これから更新する記事のお知らせをLINEで受け取りたい方はこちら。