▲早稲田大学准教授・石岡良治さん。アニメから現代アートまで、視覚文化のリテラシーは日本最強と呼ばれる伝説の人物。

知的情熱があれば、自粛はむしろ好機で

──いま、東京を始めとする大都市は行政府から軒並み外出自粛要請が出されている状態なのですが(✳︎2020年4月27日収録)、今日は、多くの人々が在宅を半強制されているなか、改めて知的引きこもり生活の泰斗でいらっしゃる石岡さんに、その方法をお伺いできたらと思っています。よろしくお願いします。

石岡 いえいえ。こちらこそ。よろしくお願いします。

──まず石岡さんは、このコロナ禍のなかで、どんな1日をどういう生活サイクルをしているのかを伺いたいんですが。

石岡 いつもは2時、3時ぐらいに寝て朝は8時から9時ぐらいに起きるんですが、いまはちょっとずれて、4時に寝て10時になっちゃってますね。そういう意味では、多くの人がそうであるように生活時間は思いっきり狂っています。

──起きたあとは、どういうふうに過ごしてるんですか?

石岡 まず食事しますよね。毎シーズン、ニコ生のほうではアニメの定点観測をやっているので、(✳︎編集部注: PLANETSチャンネルで放送中の「石岡良治の最強伝説」)そのために、朝にレコーダーで5、6本ぐらいのアニメをバーッと見ています。でも最近はアニメの数が減っているんですよ。だからそのかわりに、バンダイチャンネルとかdアニメストアとか、いくつか入っているチャンネルのものを見ています。今日はふと思い立って初代ウルトラマンの最終回を見てました。ゼットンにウルトラマンがやられる回です(笑)。

──(笑)。なぜ初代ウルトラマンなんですか?

石岡 今、Netflixで配信されていたCG版の『ULTRAMAN』がテレビで放映されているじゃないですか。僕は先にNetflixで見ていたんですが、改めてテレビで見て「ああ、初代ウルトラマンに毒蝮三太夫とか出てたな」とか思い出してしまって。そういうちょっとした連想からですね。

▲『ウルトラマン』

──動画のサブスクリプションサービスは何に入られているんですか?

石岡 dアニメストアと、Amazon Primeと、Netflixと、あとはバンダイチャンネルですね。

──それは、どういう使い分けをされているんでしょう?

石岡 バンダイチャンネルは、古いロボットアニメを見るために入会しています。昨年PLANETSさんから出していただいた『現代アニメ「超」講義』を執筆する際に、かなり見ました。
 Amazon Primeは、数年前で言うと『仮面ライダーアマゾンズ』とか、そういう限定コンテンツを見るために使ってますね。Netflixはアニメ自体をそれほどフィーチャーしていないんですが、他の番組がワールドワイドな展開を意識してるが故に、無理やりグローバルな感じの雰囲気を醸し出していて、独自制作されているものは、見ていておもしろいなと思っています。dアニメストアは、定点観測用のベースとしてはわりと多いです。あとはニコ動も、コメントが流れるやつは見るようにしています。

 だから普段は、まずdアニメストアを見て、次にニコ動のアニメを見るって感じですかね。Netflixは、基本的に映画を観るのに使っています。また最近ではAmazon Primeで『復活の日』とか、わりと王道のものを観ていますね。
 いま映像を見る経験は、必然的に後ろ向きにならざるを得ないのが実情だと思っているので、知見を溜めるためにも、古いものを多く見ようと思っています。

▲『復活の日』

──なるほど。本来だったらアニメの定点観測のために、朝起きたらまず深夜アニメをチェックするというサイクルなのだけど、いまは放送がないので、その代わりに、過去のものを復習しているということですね。ちなみに、そのなかで、最近気になったものはありますか?

石岡 5月のニコ生で『AKIRA』をやるって言ってしまったので、今は1980年代の捉え直しをやろうとしています。80年代はわたしにとってはリアルタイムだったので、当時空気に感じられていたものが、「そうか、こういうことだったのか!」という具合に、答え合わせをしている感じです。当時リアルタイムには経験していなかったコンテンツを今見ると、子どものころの空気感を知っているがゆえにビビッときますね。

──80年代の空気に触れるために見たものって、具体的に挙げるとどんなものですか?

石岡 すでに何回か見たものも改めて見直そうという気分で、愚直にいろんなものを見ていますね。先ほど挙げた、小松左京原作の角川映画の『復活の日』とか。大林宣彦監督が亡くなったので、とりあえず尾道三部作は一回見直しました。あとは漫画ですね。大友克洋で言うと『童夢』と、『気分はもう戦争』とか。いま『AKIRA』もちょうど見終わって。漫画とアニメの、けっこう細かい比較をしたりもしています。

▲『AKIRA』

 あのあたりのポリティカルフィクションめいたものを見ていると、押井守はこの80年代の大友克洋のモードを引き受けるところから始めている気がするんですよね。あまりそういう見られ方はしないんですが、意外と大友フォロワーっぽいな、と。こんな感じで、だいたいすでに知っているコンテンツのリンクを緊密に結びなおすみたいなことをやっています。

 これは余談ですが、今は昔と違って「だれも見たことがないものを見た」ということで他の人と差別化することができない。だから、若い人が今昔のものを見返すとしても、わりとメジャー作品でもかまわないと思うんですよ。これはわたしが2014年に出した『視覚文化「超」講義』の頃から言っていることなんですが、後追いの人が当時の人の思い入れと関係ない形で作品を見直すという見方は、わりとアリだと思っています。わたし自身も身体は年をとっていくんだけれども、特にカルチャーの経験を持った人が老害化していく原因って、リアルタイムで見た経験から「これとこれはこの流れで見なければいけない」っていうセットリストを作り替えないことにあると思うんです。わたしもいまはリンクを結びなおしつつ、昔駄作だと思ってたものがそんな駄作でもないかな、とか、当時ほど怒りが湧いてこないな、とか、そういうことを感じています。

 ちょうど今日『遅いインターネット』を1周読み直したんですが、吉本隆明の読み直しがおもしろいと思っていて。80年代は日本経済が最強の時代で、けれどもせっかくのボーナスタイムを日本の政治や文化は同時代には浪費していたと思うんですよね。正直『AKIRA』の舞台である2020年代の廃墟は、その発想に至る動機がだいぶしょぼいと思うんです(笑)。日本は豊かだけれども、その豊かさは一瞬にして無になるかもしれない、みたいな危惧が背景にあって。そういうのを今見ると、このとき日本はすごく繁栄していたがいまは繁栄してないぞ、とか思ってしまいますよね(笑)。

 『AKIRA』はよく予見性があると言われますが、わたしはちょっと違うと思っています。80年代から現在に至るまでの40年近くで、日本の社会、文化、経済など多方面で様々な出来事があって、その歩みによって文脈は勝手に付加されていくものじゃないですか。今はこういう、文脈が後から付加された作品の意義をとらえ直していくことは、非常に重要だと思っています。

 たとえば日本の音楽シーンでは長い間ポップミュージックの批評が大きな位置を占めてきましたが、2010年代後半は特に、ジャパニーズシティーポップの読み直しが非常に流行りましたね。具体的には1970年代後半くらいの、まさに日本が高度消費社会になって、アメリカやイギリスのミュージシャンにあこがれてLAのスタジオで録音したような日本のシティポップのアルバムです。これらは当時の日本のカルチャーには、ファンが考えるほどにはそうたいしたものを残さなかったかもしれないのですが、たとえば数年前には竹内まりやの『Plastic Love』の新作MVがYou Tubeにアップされたことからもわかるように、シティポップは海外を中心としていま再評価されつつあります。日本のオーセンティックなシティポップ業界だったら大瀧詠一と山下達郎周辺で止まってしまうところが、女性シンガーの竹内まりやを起点に再ブレイクしたという点が、日本違う形でヒットした良い例だと思うんですよね。

 わたしはリアルタイムでシティポップは聞いていないんですけれども、同じ時代を生きていただけに、文脈がちょっとわかってしまう。そういうゆるやかな過去のカルチャーの流用というものを、わたしなりに後追いで辿りなおしています。

──な、なるほど……(うっかり各論に踏み込んでしまった結果、石岡さんが止まらなくなり、すごく面白いのでこのまま聞いていたいのだけれど、このあとどう戻したらいいかわからなくて焦り始めている)

石岡 宇野さんが『遅いインターネット』でも触れられていましたが、映像の世紀における物語コンテンツとしての映画には、今ではかつてほどには覇権としての有効性がない。わたしはそこに、精神分析的人間精神モデルも入れていいと思ってるんです。

 特に90年代は、20世紀の映像コンテンツのどん詰まりをよく表しています。具体的にはサイコホラーで、ヒロインはだいたい過去に性的虐待などの辛い目に遭っていて、そのトラウマを癒す、みたいな話が非常に流行っていましたよね。あれは精神分析モデルの末期的な状況でもあったと思っていて、80年代を考えるということは、それを捉え直すことでもあるんですよね。

 そう考えると大友克洋はやはりおもしろい。彼はフランスのバンドデシネ作家のメビウスの描き方をほとんど真似しているわけです。メビウスはまさにフランスのバンドデシネに、シュルレアリスム的な夢の風景を取り入れた人ですね。この夢の風景というのは、まさに精神分析的な個人のトラウマスぺースとか、夢のインナースペースの世界のことです。メビウスはそうした合理的ではない夢の空間をぐにゃぐにゃ描くのではなく、緻密な線で描いたところに特徴がある。ところが大友はメビウスに倣って緻密な線で描いているにもかかわらず、描いているものがソリッドなんですよ。

 特に、漫画の『AKIRA』は2巻が最高傑作だと言いたい。鉄雄が地下にブーンって降りていくところが超かっこいいんですよ(笑)。そこ以上にかっこいいシーンは『AKIRA』全編を通してなかったです。地下の原子炉がありそうな場所に降りていくと「アキラ」ってカタカナが書かれていて、突然イケメンの子どもがパッと現れて鉄雄がたじろぐ場面があるんですが、あの場面はメビウスのような非合理的なスペースがソリッドな線で描かれている。大友は具体的な建物を描かせると非常に精密なんですよね。

 ところが、漫画版を読んだあとにアニメ版を見ると、鉄雄がぐーっと降りて人間のアキラに会う場面が、その代わりに女性のケイがいた、という場面に変わっている。ネタバレになりますが、アキラという少年は存在しなかったというふうに描かれているわけですよね。押井守が『アヴァロン』でやったような「現実は存在しなかった」というオチはこれに似ているのではないか。

▲『アヴァロン』

 話を戻しますが、大友は漫画の世界では、70年代までの日本の漫画から描線をスッとシャープにさせたとか、手塚治虫的な、デフォルメの記号性とは違う形で漫画を定義しなおした、写実性の権化であるかのように言われることが多い。もちろんそれは間違ってはいないんですが、メビウスとの関係を考えると、大友はメビウスが妙にリアリスティックになった存在だと思うんですね。しかしながら大友のなかでは、漫画版のセッションと、映画版の『AKIRA』セッションでは全然違うものを描いていると。

 わたしは今敏にたいして両義的な評価をしているんですが、その理由もわかりました。今敏がやりたいことって漫画と映画の2つのセッションがずれるという、いわば『AKIRA』なんですよ。ただ、その現実と夢の二重性のモデル化が、たとえば『パーフェクトブルー』では、先ほど挙げた90年代ドラマに典型的な、元アイドルのヒロインがヌードになって性的なトラウマを負っているところにストーカーがやってくるみたいな、そういうドラマに落とし込まれてしまう。

▲『パーフェクトブルー』

 このモデルの現代版を考えると、クリストファー・ノーランの『インセプション』モデルはなかなか強烈だと思います。つまり精神分析モデルに代わるものとしての夢空間ですよね。このあたりのモデルのずれをたどりなおすべく、今はフロイトの全集を買いこんで読んでいます。

▲『インセプション』

 ただ、フロイトを読み直すときに、人文インテリって「フロイトに帰れ」ってやってしまいがちだから(笑)。帰れないところをちゃんと確認しながらいいところを見つけなきゃなっていうことには注意を払いたいと思っています。

──すごいですね。『AKIRA』を語るための80年代文化の再読からここまでくるんですね……。

▲石岡さんのお部屋に積み重ねられたブックタワーその1。イタリア映画の本やフレーゲの著作集、統計学や微分積分の入門書のあいだにPS4ソフトまで挟まっています。

石岡さんの1日 漫画の読み方

──石岡さんの生活のほうに、やや強引に話を戻していきたいんですが。午前中はそうやってインプットに使って、だいたい何時ごろまでやるんですか?

石岡 日によって違いますよね。『AKIRA』を見るとしたら一日中見たりします。わたしは同じ映像を反復して見るのが苦にならないというか、好きなんです。ちょっとおおげさかもしれないけど、TikTokやTwitterで動物のおもしろ動画が1分から2分くらいのものが流れてきますよね。2、30分のアニメぐらいだったらその感覚で、一度普通に見たあと、全体を見直すために倍速で「へえーふーん」って見てしまう。

 これは現代アートから学んだものの見方なんですが、現代アートのインスタレーションは空間のなかにループする数分間の映像を設置して、その空間自体に演出を施す映像という形で表現されたものが多い。いまの映像経験というものは、昔の平面的な時間経験のイメージというよりも、立体的な彫刻を触るような仕方で映像をより身近に享受する感覚が、YouTube、スマホと、段階的に世界中に広まった。わたしは、その時間を自分なりに伸ばしていきたいと思っています(笑)。いつか映画一本ぐらいがそういうふうに見えるまで、ちょっとトレーニングしようかなと思ってるところですね(笑)。映像の世紀というものに対するイメージを、映像を見る感覚の側から鍛えて変えていくということをやっているとも言えます。

──素晴らしいですね。たとえば25分のアニメも、倍速で繰り返し見ていくことによって、どんなことに気づくんですか。

石岡 一般的にはトリビアな細部を見つけるためですよね。たとえば1コマだけ、変なものが映ってるとか、深夜アニメだったら一瞬だけエロいものが映っているとか、そういうものを見る人が多い。でも、実は倍速で流すとそういうトリビア的な細部よりも、構造みたいなものが見えてくるような気がするんです。錯覚ですけどね。

 昨年出した『現代アニメ「超」講義』にも書いたことですが、アニメって、必ずしもおもしろくないものでも、「このバリエーションがきた」「こんなふうにいじってきた」といった、他作品との差分で充分おもしろく見れるんです。
 蛙って動かないものは見えないからこそ、動いているハエをぺロッって食べるじゃないですか。そういう感じで、差異を検出するために、ほとんど差異がないものを見ていて。ひとつのチューイングガムをめっちゃ噛んで変な味を細かく抽出する、みたいな。
 その差は一個一個の構造の差異です。『現代アニメ「超」講義』の終わりでは「アニメユニバース」「アニメの神話論理」といった言葉を使いましたが、その作業をもう少しいろんなものに広げてみる。それは日常からトレーニングしないと身につかないので。

──じゃあそのトレーニングも含めたインプットをやってると、ほぼ1日が終わってしまう感じですか?

石岡 いや。でももちろん飽きるので(笑)。飽きたら本を読んだりしています。わたしはこの十数年くらい、部屋が狭かったせいで漫画を買うのをやめていたんですよね。だから、漫画は電子版を積極的に買うようにしようと思っています。

 漫画を熱心に買っていたころのわたしは『ユリイカ』で特集されるような作家性の強い漫画家の作品を全て読むという読み方をしていたんですが、いまは暇なので、アニメを見るときに原作までさかのぼるために読んでいますね。そういう意味では、漫画に関しても、いまアニメに対してやっているようなことをちょっと意識して読んでいます。

 あとは漫画を読むときは、アニメのメディアミックス作品との差異を考えながら読んでいますね。大友克洋を読んでるとわかるんですが、商品として大量に流通するメディアミックス作品に対して、古典にはそれとは違う力があることがわかります。そういう意味では漫画の古典ってなんだろう、ということもぼちぼち考えていきたいと思っています。

 ここしばらく漫画から遠ざかってしまっていたので、一応グローバルなコミックカルチャーに触れておきたいとも思っています。バンドデシネ古典やアメコミの古典を見て、グローバルなコミックスカルチャーのなかでの日本の漫画の良さと、そんなに良くもない部分とかを精査したいですね。どうしても日本語環境では、放っておくと日本の漫画とアニメのすごさだけを称賛しがちになってしまうので、できるだけすごくない試練にかけて残ったすごさというものを改めて記述したいという気持ちがあります。

 わたしは日本文化は基本的に衰退局面にあると考えています。そのなかでの最良の成果ってなんだろうなって考えたときに『AKIRA』は確実にそのひとつだな、とか思うわけです。今はそういうふるい分けを考えながら、批評や研究、英語とか日本語の学術書を読んでる感じですかね。

──そのバンドデシネとアメコミの古典って、具体的にはどのあたりなんですか?

石岡 アメコミと言うと、ちょうどジャック・カービーという人の伝記を買ったんですよ。『ジャック・カービー アメコミのキングと呼ばれた男』という本なんですが、日本語訳が去年の12月に出てるんです。その本を読みながら、一点、日本のアメコミマニアが掘っていない鉱脈を見つけたと思っていて。ジャック・カービーは1940年代、50年代に、女性向けの『Young Romance』という、要するにラブストーリーコミックスを描いていた人なんですが、ストーリーも実際価値観もかなりマッチョなんです。だいたいムキムキの男と恋に落ちて終わるみたいな。そういうストーリーを同時に多数描いてたことを調べて。

▲『ジャック・カービー アメコミの”キング”と呼ばれた男』

 ポップアートの起源のひとつに、イギリスのリチャード・ハミルトンという画家がいますが、そういえば彼の作品のなかに『Young Romance』のポスターが壁に貼ってあるものがあったなと思って。(*参考 )おもしろいのは、その手の価値観っていまのアメリカでは消えているんです。いまのアメリカからしてみると、どう考えてもセクシズムの臭いが強い。60年代のポップアートの女性のヌードとか、ああいったものはアメリカで言うと40年代50年代ぐらいの、カウンターカルチャー以前の、トランプが取り戻したがってるような、古き良き50年代の保守的な時代のロマンスなんですよね。

▲『Young Romance』

 わたしは『視覚文化「超」講義』を書いていたときに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や50年代のメロドラマを見て楽しんだんですが、それをコミックス分野でも見てみたいと思って読んでみたんです。そうすると、いまのアクションヒーローのヒロイン像は、40代から60年代くらいの変なロマンスコミックに由来していなくて、むしろハーレクイン小説に延々と残り続けてるんですよね。たとえば、よくMCUは雑にポリコレ的だって言われますが「マイティ・ソー」シリーズだけすごくレディコミ臭いわけですよ(笑)。あれって「リケジョのわたしがムキムキの神様と恋に⁉」みたいな話じゃないですか。わたしはあれを「これ、おもしれえな」と思って少女漫画マインドで見ていて。そういうロマンス小説の系譜がアメコミを見てたら出てきておもしろかったんですよね。

▲『マイティ・ソー』

 あと、メビウスは別の名義で西部劇のコミックスを描いてるんです。彼の本名はジャン・ジローっていう名前なんですが、ジャン・ジロー名義で「ブルーベリー(Blueberry)」シリーズという西部劇作品を描いていて。日本語になったのは一冊しかなくて、まだそれしかまだ読めていません。一応フランス語は読めなくはないので、時間ができたらこのシリーズも読もうかなと。

▲『Lieutenant Blueberry 1: The Iron Horse』

 日本語にまったく訳されず、日本では全然紹介さないコミック作品っていっぱいあるんですよね。「コルト・マルテーゼ(Cort Maltese)」シリーズというイタリアのコミックスは作者がユーゴ・プラットという人で、絵だけ見ると、モンキー・パンチみたいな感じなんですが(笑)。ストーリーは簡単に言うと、文学的香りを漂わせる冒険ものみたいな感じですね。荒木飛呂彦やモンキー・パンチなど、ソースが日本のコミックスにないようなコミックスを描く人のスタイルを考えると、さっきの西部劇漫画とか、そういうのも無視できないと思うんです。

▲『Corto Maltese: The Golden House of Samarkand』

 だからそういう冷戦期エンタメの中でも、アーティスティックな方ではなくて、雑多な方のビジュアルカルチャーというものを見直して考えていきたいなと思っています。こういう風に、ごくふつうに漫画の世界の歴史をいろいろ比べていきたいという感じですね。

──なるほど。石岡さんはこのコロナ禍で、家にいる時間が増えたことをほぼそういうインプットに使って、映像に飽きたら漫画や活字のほうに行くと。それでだいたい一日が終わっていくというか。

石岡 終わっちゃうんですよね(笑)。今は多様なインプットシーズンにしたいと思っているんですが、わたしの欠点としてアウトプットが弱いことと、体が弱くてビビりなので。バンバンアウトプットしていかないともったいないなとも思っています。体を動かす習慣もなくて、やっぱり体力が落ちてきてるので、そこを改善したいなとは思っています。

▲石岡さんのお部屋に積み重ねられたブックタワーその2。哲学、文学、精神分析学等々の和洋書が重なり、まさに石岡さんの知の地層です。先ほどお話に出た「バンド・デシネ」についての本もあります。(昨年刊行のご著書『現代アニメ「超」講義』があんなに下に……!)

図書館のアーカイブ機能は変化する 情報の探し方

──大学に通わなくなったことによって起きた変化はありますか?

石岡 図書館に行けなくなったことが痛いですね。図書館は大学の機能で最も重要なものの一つだと思っていて。もちろん推奨はしないんですが、わたしはたとえ授業をサボったとしても、図書館でその分を補完できればいい、くらいに思っていたんです。図書館には自分ではなかなか買えない辞典や辞書、全集などにアクセスできるわけですが、それが思いのほか貴重だったということに気づきましたね。
 そう考えると、日本のカルチャーの失敗が、特に人文系とアート系のデジタルアーカイブ化の致命的な遅れにあるということが今回の件ですごく露呈していますよね。ちょうど3月の頭くらいに2週間くらいアメリカのワシントン大学で授業の教え方についての、いわゆるFD研修をした際に、ワシントン大学のアカウントをいただいたんです。そのアカウントでアクセスすると映像アーカイブを使えたり、図書館の本をデジタルオンラインでのPDFにしてダウンロードできたりするサービスなどが、すごく充実しているんですよ。
 大学の授業を遠隔でオンライン化するとなると、アーカイブ化とセットでなければちゃんと機能しない。にも関わらず、日本は強制的にzoomなどの手段を使う状況に無理やり放り込まれている。今はアーカイブ機能がない時点で、特に人文系、文学部系の学問のバリューがめちゃくちゃ下がってるんですよ。その機能不全状況に気づかされましたね。

──石岡さんが私生活の方で新しく導入したことはありますか?

石岡 さっき言ったようにフロイトの全集を買ったことですね。そもそも買うつもりはなかったんですが、もしこの状況が1、2年と続くとなると、百科事典を買ってしまうかもしれないです(笑)。
 なぜ事典かというと、幼少期の知的関心を持ったときのあり方を思い出すきっかけにもなっていて。私は子供の頃、家が裕福ではなかったので、なかなか百科事典を買うことがなかったんですが、一度だけ、何十万円かする子供用の百科事典を親がセールスマンに騙されて買っちゃったんですよ。学研の小学校1年生から6年生までの全教科が載っているもので、全十巻+五十音順事典のセットでした。
 私はその事典のおかげで小学校3年生のときに6年生の内容を読んでいたんです。その結果、小学校のときは先生がせっかく授業設計してるのに開始早々「それって〇〇ですよね」とか言ったりして先生に嫌われるとか。そういう嫌なガキだったんです(笑)。

 よく、わざわざデジタルで辞典を買うんだったらWikipediaで良いじゃん、という声も聞きますが、やはりWikipediaだと少し弱いんです。今の私なら、もちろんネットの情報からのフィルタリングをすることはある程度できるんですが。
 マウンティングに使う権威主義は良くないとはいえ、ある種の攻略法として既存の学問の一部を知ることで、Wikipediaでダメなゴミ情報をフィルタリングしやすくなると思うんです。百科事典のシステム性みたいなものに一度でも触れておくことで、その落差を振るいにかけていけば、わりとフェイクニュースを見抜くことはできると思っていて。とはいえ、私も時々騙されるんですけどね。

 多分この時期が終わったらいろいろな学問のデジタルアーカイブ化は急速に、強制的に進んでしまう気がする。これは半分希望的観測ですが、多分急速に対応しないと大学なんかも成り立たなくなっちゃうと思うので。その時に今言った図書館の機能がどれくらいリカバリーされるのかですよね。
 図書館の使い方も変わってくると思います。美術館では何時から何時までのチケット、とかチケット制をとっているところ、あるじゃないですか。あんな感じでタイムシェアリングという形で、人を減らした、時差的なアクセスとかに変わってくると思うんです。それってパーソナルコンピューター以前の、私も知らない大昔の巨大な据え置き型コンピューターの「マシンタイム」を何時何分からか予約して使う、みたいな感じですよね(笑)。冷戦期のそういう古めかしい、既に誰も忘れていた制度が部分的に復活しちゃうんだろうなと考えると面白い。でもそれは「復活」ではなく、テクノロジーによって当然、現代化されたかたちになると思うんですけどね。そういうことを予期しながら備えていかなければならないと思っています。

──なるほど。

▲石岡さんのお部屋に積み重ねられたブックタワーその3。フロイト全集8巻の上にあるのは週刊少年ジャンプで連載中の『チェンソーマン』! 中央のタワーはなつかしのゲームボーイアドバンスのソフトがずらり。

差異を検出することで、日常を豊かに

──まだまだ色々聞いていきたいんですけど。石岡さんの前半の話をまとめると、もう石岡さんにとってはこのコロナ禍による大学の閉鎖というのはよりアーカイブを深掘りしていくための好機であるということですね。石岡さんのような知的情熱と訓練された身体ががあれば、むしろ今日の「自粛」は豊かな知的生活をもたらしてくれる。しかし多くの人は逆にどうすれば石岡さんのような汲めども尽きぬ知的情熱を持てるのかっていうところが気になると思うんですけど、そこについてはどう思いますか?

石岡 そうですね。私の原点はゲームにあって、一言でいうと、ある時期に思想書のほうがゲームよりも攻略し甲斐があるな、と思ったことに尽きるんですよね。それは私がゲームが下手くそだったからなんです。アクションゲームの腕が中2か中3くらいで頭打ちになってしまって、アーケードゲームの難易度にはついていけなかったんです。一方でその頃にはちょうどアドベンチャーゲームやRPGで物語を享受するジャンルに移行する人が多かったんですが、私はそのジャンルはいまいちハマらなくて。むしろファミコンの『ウィザードリィ』でひたすら虚無の作業プレイをする方が好きだったんです。初代『ウィザードリィ』って、グレーターデーモンっていう強い敵キャラを増殖させながらぽんぽん殺していくと経験値が高まるという定番化したプレイスタイルがあったんですけど、「よし、今日は2時間デーモン狩ろう」とか、そういうことばかりやっていた(笑)。私はそういう意味では文明がディストピア化したらそういう虚無プレイに楽しみを見つけるかもしれないかなと(笑)。

▲『ウィザードリィ』

 そういう意味では、一方では文化の産物を高度に組織化した作品とかあるじゃないですか。そうした素晴らしい芸術作品の精密なストラクチャーを読解するといった方向ももちろん大好きなんだけど、スマホゲームの作業的なポチポチでも良いんじゃないか、という側面も、もう一方にはあるんですよ。
 ただ、実際に虚無な感じで『ツムツム』とか『マインスイーパー』をずっとやってる人と私の何が違うのかな? あんまり違わない気もするんだけど(笑)。ああいうのでいうと、わたしが多くの人文系の人と違うのは、虚無の面白さが好きなところじゃないかな。たとえば普通「すばらしい交響曲を聴いてごらんなさい。『マインスイーパー』なんてものとは桁違いの素晴らしさと経験を得るでしょう」ってお説教しますよね? 私は逆で、そういうすごい交響曲を聴いたら『マインスイーパー』がめっちゃ楽しいんじゃない? と思ってしまう(笑)。
 でも、やっぱり悲しいのが、高齢になると若い時に比べて好奇心は確実に下がってますね。

──下がってるんですか!? 僕にはそう思えないんですけど(笑)。今減退期なんですか?

石岡 いやだって、たとえば中川(大地)さんのお勧めもあって、PS4の『十三機兵防衛圏』というゲームを買ったんだけど、まだパッケージすら開けてないんですよ。これとかに手を出すパワーがなくなってるのが自分の衰えだと思いますね。
 そういう意味ではアテンションの総量はやっぱり下がっていることは否めないんですよ。だから恐ろしいんです。私、多分相当アクティブかつエネルギッシュに見えると思うんですが、逆に言うと10代の俺はなんだったんだってなりますけど(笑)。あれだけ動き回って暴れまわってたのにっていうか、暴れてはないんだけど(笑)。

▲『十三機兵防衛圏』

──僕からしてみると、石岡さんってインプットに対しての知的情熱って僕の何倍もあって、どうすればそれがそんなに維持できるんでしょうか。

石岡 敢えて言うと、古本屋に行くことで培われたのかもしれない。古本屋って新刊の本屋に比べると目当ての本を見つけに行くとめちゃくちゃ効率悪いわけですよね。まず脳内で探している本を50冊くらいに絞ってから探さないといけないわけです。
 ただ、たとえば東京堂や青山ブックセンター、ジュンク堂なんかに行けば、絶対良い本はあるじゃないですか? わたしは貧乏だったし郊外にいたので、そうじゃなくて、地元のしょぼい本屋や、ほとんどゴミしかないようなブックオフでひたすら掘り出し物を見つけるとか、そういう砂金の山から金を探り当てるようなことを普通にやっていましたね。そういう意味では縛りプレイの数は死ぬほどやっていて、しかもそれらの大半が徒労に終わっていて、すごく無駄なんですよ(笑)。
 大学院時代は、必要もないのについつい4日おきくらいに同じ駅前のブックオフに行って「ほしい本、またなかったな」っていうことばかりしてました(笑)。そういうのに躊躇がないんですよね。「今日はアニメの本が5冊セットで入荷している。まとめて誰かが売ったな」みたいな、しょぼいブックオフの品揃えにもちょっとした変化を感じ取るレベルまで通っていました(笑)。

──なるほど。そういう鍛錬があれば引きこもり生活っていうのはむしろ宝の山になりそうですよね。今の情報環境や社会状況でこの記事を読むような若い人たちが、石岡さんのような訓練を積むとしたらどんなアドバイスがありますか?

石岡 わたしは高校生くらいのときに本を読む前にブックガイド本を何冊か買って読んでいました。そういうものに「この本はダメだ」とか書いてあると、逆に気になるじゃないですか。そういう感じで、その記事で提供されているメニューの、裏メニュー的なものを探すつもりで読んで見るとかしていましたね。でも今は、基本的にどの分野でも最初に与えられたセットメニューの質のレベルは数十年前に比べて格段に高いと思うんですよ。

──さっきの質問で僕が石岡さんに聞きたかったのは、石岡さんってやっぱり若い頃からブックオフ縛りプレイみたいなことをすることによってある種の情報収集の訓練をしてきたわけじゃないですか。それを今やるとしたらどういうかたちがあるか、ということなんですよね。
 たとえば今、ブックオフの縛りプレイをしようと思っても、もうブックオフそのものが開いてないし、そもそもAmazonのマーケットプレイスとかの存在で、そもそも古本屋巡りという文化が死んでいる。多分僕が古本屋巡りをやっていた最後の世代だと思うので……。だから現代の情報環境下で、どう石岡さん的な訓練を積んだら良いのかをお伺いしたいんですが。

石岡 そうですね……。たとえば今だったら、Amazonのマーケットプレイスって病原菌系のコンテンツは全部高いんですよ(笑)。でも、価格比較サイトやメルカリといったものを適当に掘れば1個くらいは安いものが一瞬出るんです。単純な話で検索ワードがありますよね? そういうものを適度に放り込むと割りて出てくるんです。あの通知の検索ワードっていうものをバンバン書いていけばいいんですよ。ちょっと面白そうなやつをこの瞬間だけの検索にするんじゃなくて、そのワードを通知に入れておけば10日くらい探せばたまに出てきますよね。そうしたら即買うみたいな(笑)。
 そうだ、私がシアトルに行ったときにメルカリで探してる本が出たんですけど、メルカリって日本からじゃないと買えないんですよ。私が見つけたのに「買うボタン押せない」って言ってるうちにその1時間後に売れてたんですけど。俺はアメリカにいたから負けたみたいな(笑)。デジタルセドリバトルというか、さっき言ったブックオフで見るってやつと近いのかなと(笑)。

──すごく具体的な話でそれはそれですごく面白いんですけど、古本がどうこうというよりは、もうちょっと抽象化されたレベルで、どうすれば石岡さんって芸術的な建築を見るようにマインクラフトを延々とできるのかを考えてみたいんですよね。

石岡 そうそう! 『あつまれ! どうぶつの森』でひたすら変な部屋ばかりを作るみたいな(笑)。

──でもこれが今の環境下においては知的生活の条件になっているわけじゃないですか。そのスキルは結構訓練しないと身につかないと思うんですよ。どうやったら石岡さんは身につくと思います?

石岡 どうやったら身につくのかな? 私の場合は飢餓感も大きかったから……。

 人間って生き物なので、何らかのインパルスがあったら反応しますよね? その反応を変えていくことを意識したらどうでしょう。たとえば僕はゲームが下手くそだったんです。ゲームって失敗したプレイの方を覚えちゃうとだめなので、そこから脱するように学習し直さなければならないわけです。たとえばいつも同じところでジャンプして失敗してしまうとしたら、そのパターンを崩せないと上手くならないじゃないですか。わたしはそういうのが苦手なんですが、人によっては相対的に切り抜けるのが得意なものって誰でもあると思うんです。

 よく自己啓発では生活の習慣ではなく、習慣を身につけるもっと手前の、つい動いてしまう行動レベルみたいなものが大事だと言われますが、この時期はそういったことに普段よりも気を向けやすいと思います。たとえば私はわたしはつい咳をしてしまうのが癖なんですが、それが癖だと気づいたのは最近になって周囲から白い目で見られたからなんですよ。

 そういう風に環境が違うところに放り込まれると、普段みんながやってきたちょっと得意なこととかちょっと好きなことがそれぞれ違っていることに気づく。そのバリエーションを増やすことが大事です。主題によっては大体みんな役に立たないと思ってる自己啓発本だろうとなんだろうと、手にした素材がちょっとダメな素材くらいだったら、調理法や、それに対する振る舞い方のレベルで接続の仕方を変えられるんじゃないかと思うんです。

 たとえばさっき言ったように、一回すごく良い本屋さんの棚を見た後に地元方の古本屋に行くみたいなことですね。舌が肥えた人がB級グルメにもう一回戻るみたいな感じ。こういうときは、感じ方が変わるんですよね。そういう意味では「いつもの」とは違う、ちょっとズラすという訓練を積む。このズレを手掛かりにして、「うん?」って引っかかったらそこをリサーチするとか。
 たとえば今だったらYouTubeなどの動画で語学などの分野の独習はほとんど可能だと思います。でも、実際にはみんなは落ちている宝の山を組織化しない。つまりレッスン1はやるけど、レッスン45までやれって言われてそこまでやる人はあまりいないと思うんです。だいたいみんなレッスン1をパーっと見て、レッスン3くらいまでで飽きてやめてしまう。
 そういう意味で、わたしも昔に比べて映画を見るのってかなりダルくなってるんです。今は長時間の視聴体験が厳しい時代だと思うんですよ。すぐ飽きてしまうし、その時間に体験が見合っていない。でも、5分面白い映像があったら、その5分を反復するのでも良いと思うんですよ。私は全然わからない本を無理やり読んでみたりもしました。そのときはすごく嫌だけど、本なら30ページくらい全然わからないんだけど読むとかできるじゃないですか。そういう感じで、ルーチンワークと違うセットメニューを一個くらい入れると良いんじゃないですかね。特に好奇心があるうちは1日1個くらい、しかもイージーにドヤるためのツールってあるじゃないですか。「これを知れば自慢できる」みたいな。

 たとえば「〇〇な映画5選」「イチ押しのアルバム5選」などの初心者向けの動画でもいいんです。一個のコンテンツを深く掘り下げるのはどうしても無理がある。一冊の本をずっと延々と暗唱して、そこに世界の全てがあると思い込むのは無理がありますよね。私だったら、5個くらいのリストをいっぱい探してクロス検索をするとか、ある分野のランキングをいくつか見つけて、ランキングとランキングをつき合わせてみますね。
 私の場合は芸術や人文についてですが、それじゃなくても構わない。「この乾電池よりもこっちの乾電池の方が効きが良い」とか「同じものの味が店によって違う」といった、日常生活におけるほとんどない差異をどんどん広げてみる。私なりに解体して話すとこんな感じなのかな。

──素晴らしいアドバイスだったと思います。今日は貴重なお話をありがとうございました。身が引き締まる思いでした。僕も頑張ります。

[了]

この記事は宇野常寛が聞き手を、石堂実花が構成をつとめ、2020年5月25日に公開しました。
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