前回はエクスカイザーが確立した勇者シリーズの基礎構造について次のように整理した。前身となる『トランスフォーマーV』においてジャン少年とスターセイバーが「子」と「父」の関係であったのに対して、コウタ少年とエクスカイザーは相補的な関係にある。本稿では、「魂を持った乗り物」という想像力の特徴を、その主体の曖昧さ、中間性・相互性に見出してきた。勇者シリーズは、完全に人間から分離した「魂を持った乗り物」が、人間と相互作用しながら互いに成熟していく構造を持った。これは子供がおもちゃを率いて遊び、一方でおもちゃに理想像を見出すことで成熟していく遊びの構造と対応することで、子供が子供のまま成熟のイメージへと接近することを可能にしている。ゆえに勇者シリーズは、単に物語としてだけではなく、玩具として高い強度を持つ想像力を提示したのである。

それでは「谷田部勇者」の残りの作品についても、この構造を基準に見ていこう。

■「兄」を導入した『太陽の勇者ファイバード』

『勇者エクスカイザー』に続いたのは、『太陽の勇者ファイバード』(1991年)だ。本作は世界観を『勇者エクスカイザー』と同じくし、その9年後を描いた作品とされている。これは後の勇者シリーズが基本的に世界観の繋がりを持たないことを考えると例外的である。とはいえ、いくつかの設定にその名残はあるものの、これは映像作品中ではっきりと名言されない。玩具それ自体にも特に連動する要素がないこともあるし、そもそもこうした年表的世界観設定が玩具の想像力に与える影響は限定的である。そのためこの設定は本稿ではさほど重要なものと見なさないことにする。

では本作の玩具とそれにまつわる想像力について、順を追って見ていこう。まずエネルギー生命体である宇宙警備隊が地球のマシンに宿った結果が主役ロボット・ファイバードであり、これは『勇者エクスカイザー』と同様の構造である。しかし最大の特徴は、ファイバードが宿ったのが、人型――成人男性型のアンドロイドであったことだ。「火鳥勇太郎」と人間の名前を与えられたファイバードは、主人公となるケンタ少年と生活を共にすることになる。ファイバード=火鳥勇太郎は、高い知性を持ちながらも地球の常識に疎い。ケンタ少年はそんな火鳥勇太郎を「火鳥兄ちゃん」と呼び慕う一方、彼に人間的な生活やコミュニケーションを指導していくことになる。そして危機が訪れれば「火鳥兄ちゃん」はファイヤージェットと呼ばれる航空機と合体し、巨大ロボットの肉体を得て、敵と戦うのである。

▲『太陽の勇者ファイバード』のポスター。火鳥勇太郎が加わっている。
勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)p33

注目すべきなのは、やはり「勇者」に成人男性の姿が与えられたことだろう。『勇者エクスカイザー』において、「勇者」はあくまで家のスポーツカーか巨大ロボットであったため、日常において少年とロボットの活動範囲は限定された領域でしか重ならない。しかし「勇者」が人間の姿であれば、少年とロボットの生活範囲はほぼ完全に一致する。これはドラマの選択肢を飛躍的に拡げる、作劇上たいへん優れたアイディアであった。想像力のレベルでは、『勇者エクスカイザー』で示された少年とロボットの関係性を、「(擬似的な)兄弟」というかたちでより直接的に提示する効果があっただろう。実際、賢く勇ましくありながらどこか常識外れなところを持ち合わせる火鳥勇太郎は、魅力的なキャラクターとして人気を博した。

ここで火鳥勇太郎が「父」ではなく「兄」と設定されたことは重要である。「親子」の垂直的な構造から「兄弟」という水平的な構造へのシフトについては、『爆走兄弟レッツ&ゴー!』への分析を通じてすでに触れた。スターセイバーが明確に「父」であったことを考えれば、火鳥勇太郎をケンタ少年の擬似的な「父」とすることも可能だっただろう。しかし勇者シリーズはそうすることを選ばず、火鳥勇太郎を「兄」と設定し、地球の常識を持たないゆえにケンタ少年の助けを必要とする相補的な存在と置いた。ここから遡れば、コウタ少年と相補的な関係を築いてきたエクスカイザーもまた「父」というよりは「兄」であったと考えることができる。本稿が「魂を持った乗り物」という概念で説明しようとしているもの――ヒトとモノが相補的に成熟していくビジョンは、勇者シリーズの構造的特徴であり、20世紀末の同時代的な感性でもあるのだ。

■玩具としての「火鳥兄ちゃん」

そして玩具の構成もこの設定を反映している。火鳥勇太郎は3cmほどの小さなフィギュアとして表現され、ファイアージェットのコックピットに搭乗可能である。そしてこの火鳥勇太郎のフィギュアは、ロボットに変形したファイアージェットの胸部中心に折りたたまれて合体する。すなわち人間型アンドロイドから巨大ロボットへという身体の変化を、玩具としても表現する構成になっている。

▲メイン商品である「武装合体ファイバード」。ファイバード、武装合体したファイバード、火鳥勇太郎のフィギュア。火鳥勇太郎は折りたたまれてファイバードの胸部中心に合体する。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p12-13

しかし「火鳥兄ちゃん」が作劇上優れたアイディアであった一方で、玩具としてはいささか扱いが難しいところもあったように思われる。『勇者エクスカイザー』において、少年とロボットが相補的に機能する関係性が子供と玩具の関係性と同期していたことはすでに指摘した。しかし玩具において3cmとなった「火鳥兄ちゃん」は、当然のことながら子供と生活圏を同一にするわけではない。またその「火鳥兄ちゃん」が生活する空間が、玩具として用意されているわけでもない。確かに玩具のギミックとしては特徴的で面白みのあるものではあったものの、当然のことながら玩具は「人」ではなく「モノ」であるわけだから、同じく「モノ」である自動車のほうが、もしかしたら子供と玩具の関係を適切に表現できていたかもしれない。

これは本稿に引きつけて言えば「魂を持った乗り物」がなぜあくまで「ヒト」ではなく「乗り物」でなくてはならないのか、という問いをもたらす。この問いに端的に答えるならば、玩具が乗り物と同じ「プロダクト」であるから、ということになるだろう。

ここで注目したいのは、第二作目であるファイバードの時点ですでに、子供がどの対象にどのように移入すべきなのか、という点に見直しが入っていることである。これを毎年続くシリーズに対して新味を加えなければならない商業的な制約によるものだとすることもできる。しかし一方で、玩具展開を前提とした他社のシリーズ、スーパー戦隊やウルトラマンや仮面ライダーは、ヒーローと視聴者の関係、もっと言えば玩具と子供の関係をその成立当初から(少なくとも20世紀末時点までは)ほぼ動かしていないことを考えれば、これは勇者シリーズのひとつの特徴といってよいだろう。こうした試行錯誤は、勇者シリーズという作品群がそれだけ難しい問いに答えようとしていた証であるとここでは考えたい。ロボットと子供の関係をどのように切り結ぶことが、ヒトとモノが相補的に成熟していく理想の成熟のイメージを提示することになるのか。勇者シリーズを通じて模索され追求されていくこの問いが、第2作目であるファイバードの時点ですでに発生していることは記憶に留めておきたい。

小さなフィギュアというギミックは、勇者シリーズにおいて再び採用されることはなかった。とはいえ、それをもって想像力の不一致とするのはいささか早計ではあろう。もしかしたらそれは単に子供が小さな「火鳥兄ちゃん」をなくしてしまう、というだけのことだったのかもしれない。筆者が幼少期にこのおもちゃで遊んでいたときのことを思い返してみると、「火鳥兄ちゃん」をたいへん気に入りポケットに入れて持ち歩いていた記憶があり、その結果は言うまでもない。とはいえ、子供とおもちゃの「生活圏」はやはり重なっているようで重なっていないのだ――ということはできるように思われる。

ちなみに「小人形が乗り込むマシン」という観点からは、当然同じタカラから先行して発売されていたダイアクロンとの関連も論じるべきであろう。玩具開発史的には「火鳥兄ちゃん」は先行するダイアクロンの引用あるいは発展形とみなすこともできる。詳細は後にダイアクロンの項目で論じることになるため、ここではダイアクロンにおけるフィギュア「隊員」が、遊び手そのものの目線とシンクロする点をもって「火鳥兄ちゃん」とは異なる想像力を持つことを述べるに留めておく。

■「武装」するロボットと脱税

さて、それではモチーフについても論じていこう。今作において、ファイバードたち宇宙警備隊が身を寄せるのは「天野平和科学研究所」である。これは天野博士(ひろし、という人名であるが、おそらく学術博士でもあるだろう)によって設立された民間の研究所で、宇宙のマイナスエネルギーを観測した天野博士が、その災いから人類を守ることを目的として設立されたものだ。ファイアージェットも元はレスキュー用の航空機として開発されたものと設定されており、戦う際は武装を搭載した別の支援戦闘機フレイムブレスターと合体する。これは玩具にも反映されており、頭部と胸部のデザインが大きく変わることでパワーアップした印象を与えるギミックとなっている。航空機という「鳥」が「炎」をまとうことで、戦う存在へと変わるわけだ。ファイバードとチームを組むサンダーバロンは特殊作業ビークル群の合体ロボットであるし、同様にガーディオンはパトカー・救急車・消防車という緊急救助車両の合体ロボットである。ファイバードは一応「武装」前にもいくつかの武器を搭載しているものの、そのすべてを折りたたんだり格納することを徹底している。こうしたギミックは、「本来は非戦闘用のマシン」が、危機に際して「やむを得ず武装する」という構図を強調する表現であると見ることもできるだろう。

こうした手続きの意味は、敵対勢力と突き合わせるとよりその色彩を明確にする。敵は宇宙皇帝を名乗り地球を支配しようとするマイナスエネルギー生命体ドライアスと、Dr.ジャンゴという悪の科学者のタッグである。つまり一種の帝国主義と、それを支援する科学技術の組み合わせ――政治と科学の短絡が争いを呼ぶ悪しき存在として設定されているわけだ。一方で、天野平和科学研究所は民間の研究施設であり、ファイバードたち宇宙警備隊もあくまで侵略という「犯罪」に抵抗するために戦う警察組織ということになっている。

そしてこの政治からの分離という価値観は徹底されている。天野平和科学研究所の財源は先祖の山々を売却した資産であるのだが、驚くべきことに天野博士は巨額の脱税を行うことでその資産を研究に費やしたことが語られる。税金として収めるよりは自分で世のために役立てたかった、と天野博士は語る。もちろんDr.ジャンゴのように破壊と侵略に加担するのは悪だが、脱税も犯罪である。しかしファイバードの美学においては、税金を収めることはある政府に肩入れすることであり、それは科学の純粋性を損ね、政治との短絡というドライアス側の価値観に接近することなのである。これは作劇上のご都合主義を説明する単なるディティールではない。第一話から登場し、長いシリーズを通じてたびたび語られ続け、最終話においてとうとう真実が明かされる、天野平和科学研究所の本質にかかわる重要な設定なのだ。

また『勇者エクスカイザー』が主に日本を舞台にしていたのに対して、『太陽の勇者ファイバード』では世界を舞台にした国際色豊かなエピソードが見られることも重要だ。ドライアスはときに地震兵器や気象兵器を使って、「地球」を単位に侵略を行う。Dr.ジャンゴは自分がノーベル賞を得られないことに憤慨するし、ケンタ少年が想いを寄せるクラスメイトはニューヨークに引っ越す。さらにはアメリカがドライアスに支配され、それを宇宙警備隊が開放、大統領に感謝されるエピソードさえ描かれる。

こうした設定は「お宝を奪う」という目的を持った「海賊」と戦う『勇者エクスカイザー』を継承しつつも、かなり踏み込んだものである。20世紀に対する反省からグローバリズムの文脈で平和を求める方向性が、世紀末の同時代的なトレンドであったことはすでに何度か述べた。グローバリズムにおける警察的な役割とは、戦後の世界秩序においてアメリカが果たそうとしたものであり、それはむしろ政治的な力を持った科学――強大な軍事力によって実現され、そしてそれゆえにさまざまな軋轢を生んだ。そして日本もまた、戦争の放棄という日本国憲法の理念と、日米安保という現実の間で揺れ動くことになった。その立場に対して脱税を描いてまで「政治的でないこと」を貫く美学、そして科学や技術に対する礼賛は、日本の戦後民主主義的な色合いを強く感じさせるものだ。天野平和科学研究所の掲げる「平和」とは、政治からの分離を含んでいる。そしてその美学が、玩具のデザインとも手を取り合っているのである。

■平和を求め、蘇る不死鳥

「平和」という価値観の強調は、2号ロボのデザインを見るとさらに興味深いものとして立ち現れてくる。本作における2号ロボ「グランバード」は、「ファイアーシャトル」と名付けられたスペースシャトルから変形する。エクスカイザーに対するドラゴンカイザーがそうであったように、ファイバードとグランバードは基本構成を同じくしている。つまり小さな火鳥勇太郎がロボットに合体し、それが支援戦闘機「ブレスタージェット」によって武装することで完成する。大気圏内を飛行する航空機であったファイアージェットに対して、より遠い宇宙へ出ていけるスペースシャトルがモチーフになっているのは、宇宙開発に向かう平和的な科学の発展を象徴しているだろうし、地球/宇宙というふたつの存在を対比させてもいるだろう。ファイバードが剣と砲を武器とし、グランバードが銃とミサイル(もしくはロケット弾)を武器としているところも対照的である。

▲2号ロボ「ジェット合体グランバード」。構成としては「武装合体ファイバード」と同一であるため、「ジェット合体」となっているのは差別化のためだろうが、モチーフの配置にいささか未整理な部分も感じさせる。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p12-13

そしてファイバードとグランバードはグレート合体して「グレートファイバード」を構成するわけだが、ファイバードの支援戦闘機であったフレイムブレスターは剣となり、グランバードの支援戦闘機であったブレスタージェットは盾となる。ここでもエクスカイザー/ドラゴンカイザーで見られた、対比的な存在を統合することで完全な存在となる理論が継承されている。

▲「最強合体グレートファイバード」。支援戦闘機を武装にすることで余剰パーツを出さない工夫が見てとれる。肩に大きなキャノンを備えた姿は、この形態自体に「武装」というニュアンスを感じさせる。
勇者シリーズトイクロニクル(ホビージャパン)p16

注目したいのは、グレートファイバードの胸に大きく鳥のマークが配置されることだ。これは玩具においてもかなり広い面積に大きなステッカーを使って印象的に表現されている。考えてみれば、ここまで『太陽の勇者ファイバード』というタイトルに含まれる「火」と「鳥」が果たしてなにを意味するのか考察してこなかった。

グレート合体する前のファイバードの胸には、日輪と、その中に輝く鳥が配置されている。これはアニメーションにおける演出と突き合わせて考えれば、不死鳥をかたどっていると見てよい。これは悪ある限り何度でも立ち上がる不屈の精神性を象徴したものであり、科学技術という力を平和のために使い続けること、悪に屈さず戦い続けることをイメージさせるものといえるだろう。

前作のエクスカイザーが西洋の騎士をモチーフにしていたこととの対比を考えれば、もしかしたらこの太陽とは、日本を象徴するニュアンスを持っていると考えることもできるかもしれない。ドメスティックな舞台と「騎士」というヨーロッパ〜アメリカを感じさせるモチーフを組み合わせたエクスカイザーは、「海賊」の略奪への対抗を焦点にした。この文脈では、ファイバードはちょうどエクスカイザーの反転と見なすことができる。すなわちグローバルな舞台において、徹底した政治からの分離による平和という日本戦後民主主義的な価値観を持つ「太陽」を組み合わせる。そしてそれは帝国主義的な「政治」による侵略に対抗するシンボルとなるのである。

このことは、ファイバードを生んだ天野博士のデザインについて考えることで、また別の意味合いを帯びる。天野博士のデザインは、明確にアルバート・アインシュタインをモデルにしている。第一次世界大戦を通じて平和主義者として戦争に反対し、第二次世界大戦ではユダヤ人としてアメリカに亡命したアインシュタインがここで引用されていることは偶然とは言えない。

▲天野博士のデザイン。明らかにアインシュタインをモデルにしている。
勇者シリーズデザインワークスDX(玄光社)p55

「原子爆弾の製造に関わった」というのはアインシュタインをめぐるよくある誤解のひとつだ。もしこの誤解に基づくアインシュタインのイメージが採用されていたとしたら、我々は「太陽」にもうひとつのイメージを読み込むことができるようになる。それが侵略に対抗する抑止力になる構図は、果たしてどのような意味を持つだろうか。アインシュタインの引用から太陽を原子力爆弾に象徴される第二次世界大戦と結びつけるなら、それは戦火に焼かれた日本が帝国主義の過去と戦い、政治性から徹底して距離を置きながら、科学技術によって経済大国として再生していく物語と読むことも可能である。それはまさに、世紀末に日本が求めた成熟のイメージのひとつのかたちであるだろう。

こうした読みはさすがに仮定の上に仮定を積み上げすぎかもしれない。とはいえ本作が「宇宙エネルギー」のような強大な力を前にしたとき、それを国際平和のために利用できるかという問いを突きつけていることは間違いないし、そのためには科学を政治から徹底的に分離することが必要だったという価値観を持っていることも確かだろう。アメリカン・マスキュリニティを描き出すところからスタートしたトランスフォーマーは勇者シリーズとして変奏され、ここに至ってほぼ完全に日本独自の文脈、独自の成熟のイメージを獲得した。そして勇者シリーズが次のステップとしてなにを求めたのかは、続く『伝説の勇者ダ・ガーン』について考えることで明らかになる。

(続く)

この記事は、PLANETSのメルマガで2023年9月5,12日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。
あらためて、2023年11月30日に公開しました。

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