都内から40分で出会える自然

 今回、編集部が出かけたのは、東京都八王子市にある東京都立長沼公園です。新宿駅から電車でおよそ40分ほどの京王線「長沼駅」から徒歩5分ほどの場所にあります。

▲公園内マップ(参考

 戦前は多摩御陵、戦後は1950年代のレジャー開発など、東京から一番近い自然一体型レジャーランドとして多くの人が訪れてきた多摩の自然は、1960年代の多摩ニュータウン開発のあおりをうけてその多くが失われました。この長沼公園は、昔ながらの多摩の自然が残っている、貴重な場所となっています。(編集部注:落合俊也「鳥山建築の系譜」『住宅建築』2015年10月号より*)

 「公園」と言いつつ園内の高低差はおよそ100メートル近く。ちょっとしたハイキングが楽しめる小高い山、といった風貌です。小野さんは2014年頃から、この公園の森に足を運ぶようになり、今では月に2〜3回くらいの頻度で、通っているそうです。
 今回はこちらの数あるハイキングコースを案内してもらうことになりました。
 小野さん直伝の準備運動で日頃凝り固まった筋肉が少しだけほぐれたところで、森林浴体験のスタートです。

▲公園に入る前に、まずは神社にお参り。境内で軽い準備運動からスタート。
▲コースの説明をする小野さん。「今回はこちらのサバイバルルートでいきます!」

触れて見つけて、香る自然の豊かさ

 森に入ってまず目に飛び込んできたのは、まばゆいほどの若葉色。取材時はちょうど東京の桜がピークを超えた4月某日。見上げると、霞んだ晴れ空の日差しに優しく覆いかぶさる木々の薄緑色が広がります。思わずため息をつきたくなるような淡いコントラストに、目を細めながら歩みを進めます。

 森林の中を歩きながらよく見ると、木も葉も同じものは一つもないことに気づかされます。たとえ同じ種類の、同じ木であっても同じ葉は1枚もない。途中、小野さんの指導で小径を一人ずつ、間隔をあけて歩くソロウォークの時間がありました。そのときのことを、編集長の宇野はこう述べています。「道の右と左、山の頂き側と麓側で『音』が、具体的には虫の羽音、鳥の声、風にゆれる葉たちの音が明確に違っていたことに気づいた」と。それは、自然の豊かさを目で、耳で、鼻で、肌で感じる時間でした。

▲先頭を行く小野さんは何度も立ち止まり、木に手を伸ばします。「この葉っぱ、なんだと思います?」
▲小野さんに教えていただいた葉っぱたち。左上から、朴の葉、クロモジ、山椒、桜の葉
▲森から染み出した水で流れる小川のほとりに植生していたクレソン
▲倒木にびっしり生えたきのこたち

▲日の当たる葉、地面に落ちたどんぐりから出た芽、満開の花々

 若葉が日を透かす温かい道から逸れて、小川沿いの少し急勾配なぬかるみを歩いていると、目の前に突然鬱蒼とした竹林が現れました。周辺に落ちている木の棒を拾い「叩くとそれぞれまったく違う音がするんです」と話す小野さんに倣い、我々も適当な木の枝を手に竹を叩きます。高い音、低い音、こもった音……確かに、竹によって聞こえる音の種類が異なります。

▲竹の葉で空が覆われ、日がほとんど入りません

 リズミカルに竹を叩き「今のは『聖騎士ダンバイン』のオープニングテーマののイントロだったのだけど……」と申告してくる編集長を全員で無視して竹林の間を進んでいると、先頭の小野さんが「あれっ!?」となにかを見つけた様子。近くに寄って見てみると……

 枯れ葉に覆われた土の中からにょきっと頭を出している三角の芽。……そう、たけのこです。小野さんによると、例年このあたりでは4月後半頃から見られるそうですが、今年は気候のせいかだいぶ早いとのことでした。

森のにぎやかさに気づくお昼寝体験

 途中、小野さんの誘導で森の中でゆっくりと呼吸をしながら、森と自分と向き合う時間を過ごしました。場所は「徹子の部屋」のようにゆっくりとお互いを知るための空間をイメージして「なぎさの部屋」と名付けている森の中のやや開けたスペース。携帯電話のテザリングを駆使してときどきここで仕事もしているそうです。この日は、各々持ってきたシートにごろんと寝転がり、空を見上げます。

「目を閉じてみてください」という言葉に従い目を閉じると、さまざまな音が耳に飛び込んできました。「コツコツコツ」という何かを連打する音(あとから聞いたところによると、キツツキが木をつっつく音だそうでした)や、「ホーホケキョ」といううぐいすの鳴き声、さわさわとした葉ずれの音、虫の飛び交う羽音、そして遠くの水の音……。目を閉じただけで、それまでは気づかなかった森のにぎやかな側面が浮かび上がってきます。それはとても贅沢なひとときでした。

 目を閉じていたのはほんの数分でしたが、体感はそれよりもずっと長く、目を開けたときは世界を見る目が変わったような、なんとも不思議な気分になりました。小野さん曰く、慢性的な不眠症の方でも、森の中で横になるとコトンと眠ってしまう人もいるんだとか。

 山の尾根に沿って数分ほど歩き、ようやくみはらし台に到着! ここまで、山に入って2時間半ほどでした。八王子市が一望できる風景に思わず歓声が上がります。登山道はひとまずここで終了です。

囲炉裏を囲んで、いただきます!

 山頂を経て、膝も笑いはじめたところでほどよい疲れとともに一行が向かったのは、ごはん処「鎌田鳥山」。公園内にあるこちらのお店はなんと創業100年ほどの歴史を持つ焼き鳥屋さんです。囲炉裏を囲んで、おいしい焼き鳥とむぎとろご飯をいただきました。

▲雰囲気のある入り口。
▲入り口から二階へ上がると、広い座敷に囲炉裏が並びます。
▲目にも鮮やかな鳥肉と野菜たち。なんとこちらの串は1本ずつご主人が竹を削って作られているそう。
▲囲炉裏に並べて、じっくり焼いていきます。
▲焼き鳥を堪能したあとに出てきたのは、おいしいお味噌汁!
▲女将さんに麦とろごはんをよそっていただきました。
▲編集長「今までの人生の中で最高の麦とろごはんです!」

小野さんと「風の谷」

 おいしい食事を取りながら、小野さんご自身についても伺いました。

「小さい頃から、山でずっと遊んでいる子供でした。父が海の仕事をしていて、海が好きだったので『なぎさ』という名前をつけてもらったのですが、普段から海で仕事をしていた父は、休みの日には海から離れ山へ行きたかったようで、週末はいつも家族で山へキャンプへ行っていて、気づくとわたしは森が好きになっていました」

 都会人を森へと案内する森林セラピストとして活動してきた小野さんですが、現在の社団法人を立ち上げるまでは、もともとはある種の「副業」として森に関わっていたそうです。

「自然の中でゆっくり過ごすことをコンセプトにしたホテルにかかわっていたときに、ホテルのプログラムで始めたのが森の案内だったんです。
 2005年くらいに、国が『心と身体の健康のために森を歩く』といったプロジェクトを始めたんです。私は大学を出てからしばらく心のケアの仕事をしていた時期があって、その時の経験と森の案内を組み合わせてプログラムをつくると、いいものができるのではないかと考えて始めたのが今の仕事の始まりです」

 「風の谷」の活動理念のひとつにあるのは「都市のオルタナティブをつくる」。小野さんはこれが、自分の森に対するスタンスと合致していると語ります。

「私は特に『森の中に住みたい』というわけではなくて、どちらかといえば現代の都市で生きる人たちがもう少し森と関わりながら生きていくと豊かになると考えていて、その方法を見つけたいんです。私は森の専門家ということで、『風の谷を創る』の活動がある程度軌道に乗ってから加わったメンバーです。だから、既にある程度まとまっていた『風の谷を創る』の問題意識が自分に近いな、と考えて参加しました」

 小野さんはいま「風の谷を創る」で『森と田園』班に所属し、特に「風の谷」にあるべき森のかたちを考えているそうです。「もちろん、難しいですよ(笑)。でも『こうあらねばならぬ』ではなく、自分たちの理想を少しずつじっくりと議論していけるところがこの運動のいいところだと思っているので、それを忘れずに進めていきたいです」

▲お店の前で、記念に1枚!

五感が研ぎ澄まされる、森林浴のススメ

 膨れたお腹をさすりつつ「鎌田鳥山」を背に山道を下った我々を最後に待ち受けていたのは、ふもとに広がる大迫力の桜並木でした。散り始めではありますが、木によっては満開のものもあり、しばし、贅沢な眺めを堪能しました。

 巨大な桜の木の下に来ると小野さんはリュックサックを地面に置き、枕代わりにしてゴロンと寝転がりました。
「こうやって寝っ転がると、桜を独り占めしている気分になるんです」

 真似して寝転がると、視界の端から端まで青空と桜で埋め尽くされ、思わず声が漏れました。これ、街中ではなかなか真似できない、贅沢なお花見方法だとは思いませんか?

 見事な桜をあとに帰路で編集長が小野さんにこんなことを話していました。

「今日1日歩いて、鳥の鳴き声が聞き分けられる人間になりたいと思ったんです。森を半日歩いて、とても驚いたことが『音』や『匂い』といった視覚以外の要素の大きさで……。当たり前だけど、森は相対的に視界が効かない。一見、木々や花々に目を奪われて、それはそれで圧倒的な体験なのだけど目の前のものしか見えない。それを補うのが聴覚や嗅覚で、視覚よりも聴覚や嗅覚のほうが遠くに届く空間だというのを、初めてはっきりと自覚しました。
 森って視覚だけじゃなく、音や匂いでも味わうものだったんですね」

 確かに、半日ほど自然に触れて感じたのは、普段都会でいかに周囲の環境に対して感覚を閉ざしているかということでした。小野さんは「時間軸を二つ持てる」こともまた、森と生きることの楽しさであると語ります。

「ビジネスの時間軸で言うと、今月は決算期だとか、『こういうことやらなきゃいけない時期』というのが決まっていますよね。ただ、ふと山のことを考えると『そろそろたけのこが出てくるから忙しい』とか、『そろそろ舞茸が取れるから山に行かなきゃな』とか、思うわけです(笑)。森に通うようになると、人生の時間軸をもう一つ持てる。これが楽しいんです」

 小野さんの言葉を思い出しながら帰りの電車に揺られていると、沿線の風景はあっという間に密集した住宅地やビルへと変わっていきました。

 都心からたったの40分。日常へ戻るスピードの速さに行きは感じることのなかった寂しさを噛み締めつつ、心地よい疲れとともにふと目を閉じると、耳の奥でにぎやかな鳥の鳴き声が聞こえてくるような気がしました。

[了]

この記事は、蜷川新が撮影を、石堂実花が執筆をつとめ、2021年4月26日に公開しました。