コンサルティングファームから事業会社へ

──まずは今の会社にたどり着くまでのご経歴をお伺いしたいのですが。

岩村 新卒でBCG(ボストンコンサルティンググループ)というコンサルティングファームに就職して、12年間働きました。途中トヨタへの出向を挟み、子供を2回産んでいます。その後、ご縁があって日産に就職しました。

──たしか、太田直樹さん(第1回参照)とはBCGでお知り合いだったんですよね?

岩村 はい。BCGで3年目に名古屋オフィスを再立ち上げするプロジェクトがあって、ちょうど太田さんが人を募集していたんです。そのとき手を挙げたのが、太田さんとの関係の始まりでした。名古屋は再立ち上げということで、土壌を耕すところからスタートさせているような状態で、とても大変でした。東京から名古屋へ移ったばかりのころ、家も名古屋へ移すように、という指令があったんですが、立ち上げたばかりの名古屋オフィスでは仕事がなかったんです(笑)。だから、実際は名古屋にウィークリーマンションを借りて、東京と行き来しながらプロジェクトをまわすという、ちぐはぐな日々でした。
 名古屋オフィスの数年間のうちにトヨタへ出向したんですが、これは私はもともと3年目になったら事業会社に転職しようと思っていたことが関係しています。会社には辞めたい、もしくは辞めずに出向という選択肢で事業会社に行かせてくれたら辞めない、という話をしてみたら、当時はなかった出向制度を太田さんにつくっていただいて。
 その後は日産に転職したんですが、特に車関係の企業に思い入れがあったわけではなく、かなり業界横断的に見ているなかで、たまたまご縁があって入社して、いまちょうど丸3年経とうとしてるという感じです。

──日産では主にどんなお仕事をされているんでしょうか。

岩村 内容は常にちょっとずつ変わっているんですが、日本事業の中期戦略事業部にいます。いわゆる5年6年ぐらいのタームでの中期戦略を練って、それを毎年アップデートしていったり、それを実現していくために各部署と働きかけながら推進していく、いわゆる中計(中期計画)の部署ですね。

──僕みたいな実社会から半分ドロップアウトする人間からすると社会の中枢すぎて、ビビるんですが……(笑)。

岩村 いやいや(笑)。私も転職したときはいろんな人から「コンサルから国内の大企業にいく人なんていないし、やめたほうがいいよ」と言われていましたが、結局3年います。

──事業会社への転職にこだわる理由が何かあったんでしょうか?

岩村 よく言われることですが、コンサルティングは、最後まではできないんですよね。デリバーしたものを実行するのは常にクライアントなので、基本はサポートしかできないんです。あとは、やはりトヨタに出向したときにも思ったんですが、ほんとうに重要な仕事はアウトソースされません。それぞれで学びもあるし、クライアントの出会いもあるので、もちろんどちらも楽しいんですが、やはり、いつまでもいるところではないのかなと思っていました。

土地を再編集することで、関係を結び直す

──「風の谷」に関わられたきっかけはなんだったんでしょうか?

岩村 2018年の3月に太田さんと転職したタイミングで飲んでたときのことです。「いま都市のオルタナティブをつくるというハッカソンをやっているんだ」と言われて、そのワードのすべてが謎だったんですが(笑)、「ちょっと来てみる?」とお誘いいただいたのがきっかけですね。
 実際に活動に参加したタイミングは、ちょうど奥会津に合宿に行く直前でした。ちょうど日産も開発部門が奥会津で実証実験をしていて、太田さんも「そういう話なら、日産の仕事もうまく絡められるんじゃないの? 知らんけど」とか、いつもの調子で喋っていて(笑)。それで、あまり背景を詳しく知らないまま飛び込んでみることにしました。

 風の谷の概要を教えていただいて真っ先に思ったのは、子供のことでした。私は子供が2人いるんですが、こういう社会に2人を産み落としてしまったことに責任を感じていて、「次の世代に希望を残したい」という思いがありました。
 都市を否定するわけでもなく、地元の村おこしでもなく、都市と地方の関係性を見直すという点にも、とても共感しました。私も子供の頃から世界と完全に融合しながら生きてきたタイプではないので、そういう居場所を次の世代に作ってあげたい、という思いもありました。

──その、次の世界に残したい「場所」のイメージをもう少し詳しく聞いてみたいです。

岩村 そうですね……。私は「風の谷」に関わるとき、一種の癒しのようなものを感じています。日々の生活では、家庭のことも含めて、1週間、あるいは1日、数時間の単位でマネジメントしていますが、会社では1年や6年という中期を追いかけています。一方で風の谷は、20年、200年というまったく違う時間軸で物事を見ている。この多層的な時間軸を一瞬で行ったり来たりすることは、とても癒しになるな、と。
 
──最近は地方の視察が始まって、いろいろな土地を見て回っているわけですが、これまで議論してきたことと、実際に視察に行ってみて感じたことなどはありますか? 

岩村 私は「生活オフィス空間」というチャンク(グループ)に所属して、8月までは空間を特に限定せずに、「こういう生活なんじゃないか」「こういう人がいるんじゃないか」「こんな空間があったらいいんじゃないか」という議論をしていました。この議論の中から、重要なコンセプトもいくつか生まれました。
 しかし、9月以降に実際に視察へ行ってから、議論していることを現実に落としこんでいく難しさを改めて感じています。たとえばその土地が持っている個性や、そこに住んできた人々の歴史は土地ごとにまったく異なります。そうなると、やることのスタートポイントが全然違うんですよね。議論で考えてきたアイディアやコンセプトを、今度はその土地に向き合って、もう一度作りなおしていくといった工程が必要だと思います。
 その土地が積み上げてきた歴史や記憶を掘り起こして、編集してまとめて、次の歴史を作っていくための礎になるような場所を、空間として作っていく必要があると思います。たとえば、おしゃれな建物がひとつポーンとあったところで、ただちぐはぐなだけで、あまり意味がありません。やはりその土地に実際に行って向き合いながら、空間を編集するという発想で建てなければ、建物も土地も生きてこない。
 
──僕も視察で行ったとある地方で、ほとんど東京の二子玉川あたりにありそうなセンスの児童公園や道の駅が、耕作放棄された田んぼの中にぽつん、とあったりする風景を見て、そのことを強く感じました。これは厄介な問題で、僕たちはこんなものをこの土地にわざわざつくる必要はないと思うけれど、地元の人はああいった東京ライクなものができて嬉しかったはずで……。僕も地方出身だからその気持ちはわかる。ここがその土地であることを忘れさせてくれるもののほうが、今の日本の地方では力を持っているのは間違いないです。
 だから、そこに都会の人間がぬけぬけと出ていって「土地の記憶を呼び起せ」と説教しても、空回りしてしまうんですよね。「土地を編集しなおす」と言ったときに、「それが正しいから」という理由ではたぶんだめで、ここが「その土地である」ということを思い出すことのほうが、むしろ人を自由にする、ということを気づかせる何かを作らなければならない。

岩村 やはり地方都市には、独特の閉鎖的な雰囲気がありますよね。私は地元が佐賀の唐津で、主人は沖縄出身なので、よくわかるんです。均質的で、閉鎖的で、みんなが誰かの挙動を知っている。そういった慣習を打ち破って、「風の谷」で、多様な人がのびのびと暮らしていくにはどういう状況を作ればいいのか、私もずっとモヤモヤしています。

──そこはたとえばSDGsのような、「マイナスを全部ゼロにしましょう」という発想では、補えない部分だと思うんです。「こうすれば低コストに住めて、都市とは違うロジックで、この規模の居住ができます」ということを示すだけだと、「ここが田舎であるということを一瞬忘れることができます」というストーリーに対抗できない。だからこそ、さきほど令子さんに聞かせていただいたダイアグラムのようなストーリーは重要ですよね。

岩村 本当にそう思いますね。そういう、この「風の谷」での生活にどんな価値があるのかを、きちんと言葉で表現しなければならないと思います。生活様式空間のチームでは、「来年のいまごろには、何か一個作りたいね」と話していたんですが、視察を経てからは「誰に向けた、何の建物なんだ」ということを、改めて考え直す必要があると痛感しています。

生活者の視点から、価値のある場をつくるには

──「風の谷」の今までの活動を振り返って印象的なことは何ですか?

岩村 私は今まで道班、静脈班、モビリティ班、生活オフィス空間班などで議論に参加してきました。道班、静脈班、モビリティ班では、どうすればコストを一番低減できるかなど、どちらかというとハード面を深堀りする議論が多く、知識やテクノロジーの集約などが主な内容でした。その後、生活様式空間班に入ってからは「その土地にどういう人がいるんだろう」ということを、生活レベルに焦点を当てて、もう少し輪郭をはっきりさせていきたいという思うようになりました。

──令子さん個人は、「風の谷」での暮らしをどのようにイメージされていますか? 僕は先日の生活様式空間班の発表資料を見ていて、わりと具体的なイメージを持ってらっしゃる印象を受けたんですが。

岩村 ダイアグラムのスケッチのことですね。発表に向けて、とりあえず妄想を形にしていこう、ということでスケッチをガンガン描きました。同じ班の博人先生(編集部注:慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授の小林博人さん)が「アイディアを出すときはパワーポイントではなく、ペンで書け」とおっしゃっていたので、みんなで実践して。まずは「このタイプの人がいるなら、こういうタイプの空間が合うんじゃないか」といった具合に、まずペルソナを作って、その人にはこういうタイプの空間っていう感じで、切り分けて考えていましたね。
 まず空間を考える上で、家やサテライトオフィスといった「機能空間」を考えて、その空間同士の距離感がどれくらい必要なのかを考えました。そのなかに、何人、どういう人がどういう生活をしていて活動しているかというレベルで意識しながら、ダイアグラムに落としこんでいきました。
 たとえばサテライトスペースの利用者がいるとして、どんな人がいるのかをまず書き込みます。そこから「やっぱりセレンディピティがいっぱいあったほうがいいよね」とか、「一人になるときはなりたいよね」とか、こういったところから、どういう機能空間と空間構成要素を作っていくべきかを言葉に起こしていきました。
 次にその人の一日の生活を想像しました。たとえば、朝に子供を送りがてらシェアオフィスに行きます。そのときに、橋を渡りながら気持ちを切り替えて仕事にいくようなイメージや、教育の場所もすごく近くて、子供たちが近くにいる中で、お昼ご飯を食べるイメージも浮かんできます。こういうことをまとめて、最終的に絵に落とこんでいきました。

──あの発表、良かったですよね。僕はあのダイアグラムのスケッチを読んだとき、はじめて「ここがその土地であることを思い出す」ことのほうが、「忘れる」ことよりも気持ちのいい生活があるんだっていうストーリーの入口が見つかったと思いました。

「風の谷」で今後やりたいこと

──今後、「風の谷」で「こういうことを試してみたい」とか、「こういうことをやってみたい」ということはありますか?

岩村 空間を作るのもそうなんですが、土地の記憶を編集していくということはつまりどういうことなのかを、実際一つの土地を例に掘り起こしてみたいとは思いますね。そのためにはやはり土地を決めて、きちんと向き合って、具体的な何かを作っていきたいです。

──土地を見つけて、そこにひとまず根を張ってみることによって、僕らもノウハウが貯まっていくのでしょうね。
 そういえば、先日の視察でちょっとした登山をしましたよね。僕らが登っていたら、それを見ていた近くの神社の神主さんが心配して頂上まで来てくれて「ここは海の村と狼煙で交信してたらしいですよ」とか教えてくれて……。ああいうことは町役場の人も、なかなか教えてくれないじゃないですか。結局いま土地の記憶として公式に歴史とされてるものは、半分は死んだ歴史なんだな、と改めて思いました。あの神社に行こうと提案したのは令子さんだそうですね? 

岩村 そうです。事前に下調べで霊山を調べていて、神社や歴史がありそうなところがあまり見当たらなかったんですが、この山だけ文献があって。「狼を祀ってる」と書いてあったので、どういうことだと思ったんです。山としても霊山として奉られていたということなので、おそらく記憶として何かいろんなものが集まってるんじゃないのかなっていう思いで提案しました。

──僕はあの神社の裏山に登って、「土地読みの技術」のようなものも、もう一度作り直さないといけないと思いました。当たり前の話かもしれませんが、近代化を進めていく中で、意図的に忘れてきたものの中にこそ、もう一度その土地でなければならない価値を再発見する手がかりがあるんだなあ、と。 
 
岩村 本当にそうですよね。土地の魂を生かしていくためにも、そういうことができる人を、うまく巻き込んでいけるといいなと思います。やはり見ているだけだとわからないことはかなり多いですし。時間をかけてじっくり耕していくべきだと思いました。

▲視察で某県に足を運んだときに、宇野が撮影した風景。
▲同上

──ほかに挑戦してみたいことはありますか?

岩村 やはりこのプロジェクトに関わろうかなと思ったのも、子供のことが大きいんです。子供がいま7歳ぐらいなので、成人になるのが2030年くらい。そこから先の時代を生きていく人たちが暮らしを考えたときに、「風の谷」が選択肢の一つになってるといいなと思います。もちろん、そこに住みなさいと言うつもりはありません。どこで暮らすも自由なんですが、その選択肢の一つに「風の谷」が入っていて、そこと都市を自由に行き来しながら、閉塞感なく将来を考えていくことができればといいなと考えています。そのためには価値ある空間を作らないといけないな、と強く思います。
 ビジネスの面からの効率性から言うと、やはり都市集中の未来は必然です。でも、都市一択の未来は、すごく生きづらいなと思うんです。だから、「そうじゃない選択肢」を残していかないと。

──言ってみれば「愚かなことをする自由」みたいなことですよね。

岩村 そうですね。これは地球全体が豊かじゃなくなるとかいう大義以前の問題で、このままだと次世代の生活や人生が、すごくモノトーンになってしまうのではないか……という危機感からきています。

──そのための選択肢の一つとして、「風の谷」があると良いですよね。今日は貴重はお話ありがとうございました。今後も、ぜひよろしくお願いします。

岩村 とんでもないです。ありがとうございました。

[了]

この記事は、宇野常寛が聞き手を、石堂実花が構成をつとめ、2020年12月14日に公開しました。