都会のカブトムシをさがして

 僕は子供のころ、具体的には小学校の1年生から4年生くらいまで、昆虫採集が好きだった。当時僕は長崎県の大村市という街に住んでいた。細かく説明すると、僕は父親の転勤で、子供のころ2回ほどこの街に住んだことがある(一度引っ越して、また戻ってきた)のだけど、2回目に住んだのが小学生のころで、家のそばには田んぼや畑や原っぱがたくさんあって、少し足を延ばせば雑木林にも行けた。そこで、それまで図鑑でしか知らなかった虫にたくさん触れることができるようになって、僕は虫採りに夢中になった。蝶やバッタを捕まえてくることもあれば、蓑虫の羽化の観察記録をつけようとしたこともあった。しかし、なんといってもいちばん好きだったのは、夏にカブトムシやクワガタを採ってきて飼うことだった。水槽に腐葉土を敷いて、木の枝や落ち葉で身を隠す空間をつくり、交換しやすい場所に餌場をつくる。僕だけの世界をつくりあげて、そこに捕まえてきた虫たちに住んでもらう。そこで虫たちが動き回るのを見るのが、とにかく面白かった。とくにカブトムシが好きで、幼虫から育てて羽化させたこともあった。

▲夏の森の虫では、やっぱりカブトムシがいちばん好き。

 ちなみに昆虫採集が好きで何年も続けている人は、どちらかと言えばカブトムシよりクワガタムシが好きな人が多いように思う。カブトムシは日本にはほぼ1種類しかいないのだけど、クワガタムシはノコギリクワガタやコクワガタ、ミヤマクワガタなど何種類もいる。ノコギリクワガタやコクワガタはあまり珍しくないけれど、ミヤマクワガタやオオクワガタはなかなか見つけることはできない。クワガタムシが好きな人は、珍しい種類の虫を獲ることにこだわる人が多い。でも僕は珍しい種類の虫を見つけることにはあまりこだわっていない。どちらかといえば、いろいろな場所で見つけることにこだわっている。意外な場所で、こんな場所にもカブトムシがいたのかと驚くような発見をしたときがいちばん嬉しい。だからむしろ、1種類しかいないカブトムシのほうをよく探している。同じ虫をいろいろな場所で探すのが、僕の楽しみ方なのだ。
 それにやっぱり、カブトムシは虫の王様だ。夏の森の樹液が出ている木はいろいろな虫たちの集うレストランのようなものなのだけれど、そこは同時に過酷な競争の場所でもある。大きくて、強い虫がいちばんいい場所を確保している。そして、夏の森でいちばんいい場所を確保できるのはカブトムシだ。(次にいい場所を確保できるのは大きなクワガタムシやススメバチで、カナブンやガはこれらの虫がいるときはあまりいい場所にいられない。)もちろん、強くて大きいことだけが価値じゃない。たとえば僕は昆虫の写真を撮るのが好きなのだけど、カミキリムシやタマムシ、それにもちろん蝶にはすごくきれいな種類が多くてカブトムシのような地味な虫よりも全然「映える」写真が撮れる。でも、子供のころからの癖でやっぱり森に入るとまずカブトムシをいちばん最初に探してしまう。

▲高みを目指し続ける男。

 いまも昔も、なぜ、これほど虫に惹かれるのだろうかと思う。それはたぶん、虫が人間ととてもかけ離れたものだからだ。
 犬や猫と違って、虫は人間と意思の疎通ができない。僕という個人を認識してもくれない。この生き物は間違いなく僕らとはかけ離れた世界のとらえ方をしていて、異なる法則のもとで生きている。虫を気持ち悪いと感じる人は多いけれど、それは人間からの遠さによって生まれてくるものだと思う。犬よりも猫よりも、牛よりも豚よりも、鳥よりも魚よりも、虫は人間から遠い。何を考え、感じているのかわからない。だから人は虫を不気味に思う。そして同じ理由で僕はそれを面白いと感じるのだと思う。

 しかし小学校の高学年になって、北海道の帯広市に引っ越したあたりで僕はだんだんと虫採りに出かけなくなっていった。理由はいくつかあって、まず北海道にはカブトムシがほとんどいなかったことがある。クワガタムシはそれなりにいるのだけど、やはり僕はカブトムシのほうが好きだった。それに、このころからは僕の興味は自然や科学よりも歴史や物語のほうに移ってきた。具体的には、家で日本の戦国時代や三国志などの本を読むことや、スタジオジブリや「ガンダム」シリーズなどのアニメを観ることが多くなっていった。こうしたことが重なって、僕は夏が来てもカブトムシを探しに行かなくなっていた。

 でも、それから20年ほど経ったある日、30代になったばかりの僕はふと、今年の夏はカブトムシを探しに行こう、と思い立った。
 たまたま当時、僕の事務所を手伝ってくれていた学生が、カブトムシ獲りの名人だった。彼は東京のはずれというか、ほとんど埼玉に近いところにある大学に通っていたのだけれど、その大学の近くにある森林公園にカブトムシがたくさんいるのだと彼は僕に教えてくれた。彼の話を聞いているうちに、僕はだんだんと子供のころのワクワクとした気持ちを抑えられなくなった。ちょうどこのころ、僕はこの本のまえがきに書いたような「お酒を飲む(ことで、人間関係を確認する)」以外の大人の「あそび」を考えたいなと思っていたので、興味のありそうな友人たちに声をかけて、実に20年ぶりくらいにカブトムシ獲りに出かけていった。彼に案内されたそこは建売住宅の並ぶ住宅街の中のすぐそばにある比較的大きな公園の中の森で、田舎育ちの僕はこんなところにカブトムシがいるということに、衝撃を受けたものだった。

▲2012年8月3日夜、僕はこの夜およそ25年ぶりにカブトムシを探しに夜の森に出かけた。この夜をきっかけに、僕はそれから夏はひとりでカブトムシを探しに出かけるようになった。

 それから僕は毎年、夏になると夜にいろいろな場所に足を延ばしてカブトムシを獲りに行くようになった(基本的なことなのだけど、カブトムシは夜行性なので夜の9時ごろから、早朝までの間でないと、なかなか遭遇できない)。最初のころはいろいろな人に声をかけて、みんなでワイワイと出かけていった。夏の夜に大勢で森に出かけるのは、ちょっと変わったピクニックとしてものすごく楽しかった。森の中を、セミに驚いたり蚊に悪戦苦闘したりしながら、懐中電灯を片手にカブトムシを探し回るのはまるで宝探しのようだった。カブトムシのいる森のある公園や緑地はだいたい駅から結構離れていて、15分から20分くらいは歩くことになることも多い。その行き帰りの道を、コンビニエンスストアで飲み物やアイスキャンディーを買って行儀悪く飲み食いしながら歩くのも楽しかった。そしてそんな街外れに出かけるとだいたい終電を逃すので、どこかのファミリーレストランとかカラオケボックスで朝まで過ごすことになる。捕まえたカブトムシを眺めたり、手に這わせたりしながら、仲間たちの話を聞いていたのもいい思い出だ。今でも夏が来るたびに、僕は1回か2回はこうやって「みんな」でカブトムシを探しに出かけている。

 そしてここ数年、僕はそれとは別に「ひとり」でカブトムシを探しに出かけるようになった。ひとりでも獲りに行くようになった理由はいくつかあるのだけど、いちばんの理由は、たぶん僕の周囲の人間で僕だけがカブトムシそのものにこだわっていたからだ。他の仲間たちは、「久しぶりに虫を獲るということをしてみたい」とか、「夜のピクニックに出かけたい」とは思っていたけれど、実際にカブトムシに出会えるかどうかにはそれほどこだわっていなかったのだと思う。
 しかし、僕は違った。僕はカブトムシに触れることそのものが好きだった。
 ひとりで行くときは夜よりもむしろ朝が多い。朝早く起きて、近所ならランニングを兼ねて走っていくし、少し離れたところなら自転車に乗って、カブトムシを探しに行く。
 もちろん、カブトムシは夜行性なので夜の方が出会える可能性は高いのだけど、僕は朝の森が好きなので、この時間に探しに行くことが多い。この本を読んでいる君たちも中学生や高校生が多いはずなので、夜中に出歩くよりはだんぜん早朝に早起きして出かけるほうがおすすめだ。
 そして、なるべく短い間隔で、できれば毎日、同じ場所の、同じ木を見に行く。それを毎年繰り返す。そうすると、今年はこの木にたくさん樹液が出ているのでたくさん見かけるなとか、梅雨が長かったのでお盆を過ぎてもまだたくさんいるなとか、そういったことがよくわかるようになってくる。カブトムシの幼虫は土の中にいる白い芋虫だ。その幼虫は梅雨に入る前あたりで、幼虫から蛹に変態する。それから1ヶ月ほどで羽化して6月下旬から7月の梅雨の晴れ間の暑い日あたりから、主に夜に活動して樹液を吸うようになる。夏が本番に近づくとだんだん数が増えてくる。梅雨が長引いたり夏の気温があまり上がらなかったりすると、成虫が出てくる時期も遅くなる。だからカブトムシを通じて、自分が住んでいる土地の気候の変化や、森の移り変わりを感じることもできるのだ。

▲すれ違い続ける男と女。

 夏の早朝、ひとりきりで森に向かっていると、普段住んでいる街が違って見える。この季節の朝は、日差しが刺すように強いのだけど、昼間ほど蒸し暑くはない。だから僕はこの時間が夏の太陽をいちばん気持ちよく楽しむことのできる時間だと思っている。
  そして夏の森の朝は賑やかだ。人間はまだ眠っている時間なのだけれども、早朝から鳥や虫たちは(種類によっては)活発に活動している。こうしていると、人間たちの世の中がどのようなリズムやルールで動いていても、必ずしもそれだけがすべてじゃないんだということを思い出す。
 ひとりで来ると、他の人と会話をしたり気を使ったりしないぶん、森の匂いや音ももっとはっきり感じることができる。カブトムシを探すときは、虫の集まっている樹液の出ている木を探すことになる。このとき意外と役に立つのが匂いだ。樹液の匂いなのか、そこに集まる虫たちの匂いなのかはわからないけれど、ちょっと酸っぱい、こもったような匂いがする。そしてその木の周辺は近づくとカブトムシやクワガタだけではない、いろいろな虫──カナブンやスズメバチなど──の羽の音がする。その1本の木の周辺だけが、異様な匂いと騒がしい羽音に溢れ、そこは森のなかでも、ちょっと特別な空間になっているのだ。そして、たった数メートル先に道路や住宅がある場所に、普段はまったく接しない生き物たちがひしめいているのだ。こうした特別な空間を探して、誰とも話さずに目と鼻と耳を使って木を1本ずつ見て回る。この時間、僕は普段とは違う頭と体の使い方をしている。それはとても気持ちのいい体験だ。僕はこの時間がとても好きなのだ。

▲女同士の激しい闘い

 そして、こうやって毎年探し回るうちに、実は東京の真ん中のほうにも、たくさんカブトムシがいることに気づいてきた。そう、意外とみんな知らないのだけれど、カブトムシは都心でも、ちょっとした公園の林や住宅地の庭の木にいたりする。だからここ数年は、なるべく都心でカブトムシを探すことに凝っている。もちろん、そこにいるとわかっている場所に出かけたほうが確実に出会えるのだけど、「もしかしたらここにいるかもしれない」という場所に出かけるときは、まるで宝探しのようにワクワクする気持ちを味わうことができる。
 あ、もしかしたらここにはいるかもしれないな、と考えながら街を歩くと、この東京の街もまったく違って見えてくる。気がつけば、仕事や買い物のことを考えているとほとんど足を運ばない地区やただ通り過ぎるだけの道も、クヌギやコナラの木が生えていないかとすごく注意深く見て歩くようになる。夏になったら、ここに行ってみようと思える林を見つけるだけで、その街のその地区の大切さが僕の中でぐっと膨らむのだ。

 ちなみに、かつての僕のような小学生が殺到してしまうのでここには書かないけれど、僕の住んでいる東京の都心の山手線の内側だけでも、既に3箇所ほどカブトムシがいる林を僕は知っている。都心でカブトムシを探そうとインターネットで検索すると、いくつか有名な場所が出てくる。しかし、こういう場所に行っても、実際にはあまり出会えない。なぜならこういう場所は、だいだい夏休み中の小学生が殺到して、またたく間に採り尽くされてしまうからだ。だからインターネットを検索しても出ていない場所を探すのが基本になる。

 コツは、いくつかある。まずは、あまり大きな林でなくてもいいということ。人間にとっては小さい林でも、カブトムシにとっては、数本の木が生えているだけでも生活の場所になる。なので、都心のちょっとした緑の多いエリアでも、十分にカブトムシがいる可能性がある。そしてこれは好きな人には当たり前の話だけれど、カブトムシはクヌギやコナラといったどんぐりのなる木に集まって樹液を舐める生き物だ。だから、基本的には、どんぐりの木がある程度固まって生えている場所を探すといい。こういう場所は少し大きめの公園には珍しくないし、実は、住宅地の中にもあるし、少し郊外に足を伸ばすと大きな道路沿いにもあったりする。(もちろん、果物の汁も好きなので果樹園でも出会うことができるのだけど、それは都心にはまずない。)こういうところを細かく探すと、意外と東京の都心でもカブトムシに出会うことができる。

 東京で言えば7月に入って梅雨が明けて、一気に夏になったなと思う暑い日が訪れたら、なるべく早く出かけることだ。カブトムシはこの少し前のタイミングで羽化して森を飛び回る。秋のころになると寿命で死んでしまうし、鳥にもよく食べられてしまうので、お盆のころから少しずつ数が減ってくる。なので、なるべく7月の間に森に行くべきだ。逆に梅雨明けが遅い夏は、なかなか彼らは出てこない。こういう夏はむしろ8月に入ってからピークを迎えることになる。カブトムシと森で出会いたければ、とにかくその夏の、それも自分が住んでいる街の気温の上がり方を細かく把握しておくことだ。しかしこれはそれほど難しいことじゃない。毎朝起きて、ん、今日は暑いなとか、意外と涼しいなとか誰もが感じるはずだけから、この感覚を大事にするだけでいいのだ。

 そして最大のコツは、カブトムシに出会えなくてもがっかりしないこと、だ。
 夏の夜や早朝の街に、公園に、森に出かけるとたとえカブトムシに出会えなくても、たくさんのものに出会うことができる。
 たとえば、僕は夜にカブトムシを探しに行って、セミの羽化に出会うことがよくある。茶色の蛹の皮がゆっくりと破れて、長い羽がゆっくりと伸びていく。羽化中のセミの身体は、白く透き通っていてとても神秘的だ。はじめてそれを目にしたとき、僕は蚊に刺されるのも構わずにずっとその木の幹を離れず、なんども、なんども写真を撮った。しかしどれだけアングルや照明に凝っても、肉眼で見るセミの羽化の美しさには敵わなかった。だから、それから僕はカブトムシを採りに出かけるたびに、同じくらい一生懸命セミの羽化を探している。

▲深夜の森で見つけた羽化中のセミ。神秘的で、とてもうつくしい。

 同じように、夜の世界には昼間には出会えないたくさんの生き物がいる。夜行性のトカゲにも出会うし、場合によってはタヌキやハクビシンにも遭遇する。うっかり寝坊して朝の少し遅めの時間に足を運ぶとカブトムシは退場し、カナブンの大群が樹液に群がっていることがよくある。エメラルドグリーンのカナブンが密集して樹液を貪ってるのを見るのも僕は好きで、たまに動画を撮ってSNSにアップロードするのだけど、友人たちからは気持ち悪いからやめてほしいと言われたりもする。

▲ザ・カナブンワールド

 ちなみに大人になってからの僕はカブトムシを見つけても「採らない」。自然に生きているカブトムシを写真と動画に収めて、満足して帰る。別にカブトムシは自然のまま生きるのが幸せだと考えているわけではなくて(たいていの動物は基本的に人間にきちんと飼育されたほうが、苦痛なく長生きする。もちろん、それが動物にとって幸福かどうかはわからないけれど、少なくとも安定して食料にありつけて、天敵のいない環境で暮らすことはできる)、たくさんの人に、特にかつての僕のような夏休みの小学生にカブトムシを見つけてほしいと思うからだ。
 去年は友人に頼まれて、彼の子供(小学2年生と、6年生の姉妹)を近所の森に連れて行った。その日は、運良くたくさんのカブトムシに遭遇して、ふたりは何匹か捕まえて帰り半月ほど飼って、夏休みの自由研究に観察日記をつけたあと、元の場所に返したらしい。このとき僕は思った。子どもたちが自然に触れることはもちろん「勉強に」なるのだろうけど、それ以上に僕は、こうやってちょっと視点を変えて、足を延ばしてみるだけで、自分たちの住んでいる街のすぐ近くにいつもとはまったく違う世界が広がっていることを実感できる「面白さ」や「気持ちよさ」のほうが伝わるといいな、と。こうした体験を子供のころにしているかどうかで、大人になったときに世界を見る目が変わってくるのではないかと、僕は考えている。世の中には、自分が普段生きている世界とは違う仕組みやルールで動いている場所がたくさん、それも意外と身近にあることを知っているだけで、単純に世の中の楽しみ方がぐっと増えると思うからだ。

[続く]

この記事は、「よりみちパン!セ」より刊行予定の『ひとりあそびの教科書』の先行公開です。2020年10月15日に公開しました。