僕が普段楽しんでいる「ひとりあそび」で、いまいちばん好きなことは何かと言うと、それは「走る」ことだ。
 でも、こんなことを言うと、走ることがなんで「あそび」になるのだろうと疑問に思うかもしれない。「走る」ことはつらく、苦しいことで、楽しいことでも、おもしろいことでもないと思っている人のほうがきっと多いはずだからだ。

 けれど、実際に走ってみるとそれがとても自由な行為だと分かる。人間は乗り物に乗っているときに、どれくらいの速度でどういう道を通るか、自分で選ぶことはそれほどできない。バスや電車は自分で操縦できないし、自動車やオートバイは法律で道ごとに走る速さが決められている。自転車は通れない道がとても多い。
 自分の足で歩くとき、人間は少し自由になる。身体が入っていけるところなら、どこをどう移動してもいい。でも、散歩が好きな人は知っていることだけれど、やはり気がついたらだいたい一定の速さで歩いている。それはそのときの自分の身体と、その土地の状態(暑かったり寒かったり、どろんこ道だったり)で自然と決まっていく。それは自分の身体とその土地とが馴染んでいる証拠で、それはそれで気持ちのいいことだ。
 でも、もっと自分の意志で自分の身体を自由にできる気持ちよさを味わいたいなら「走る」ほうがいい。「走る」とき、人間は完全に自分の身体を、自分の好きなように、好きな速さで扱うことができる。急いでもいいし、ゆっくりでもいい。法律やレールに、スピードや進むべき道を決められてもいない。人間はひとりで「走る」とき、「自分のことは自分で決める」快感をいちばん味わえるのだと僕は思う。

▲僕(宇野)がいまいちばんハマっている「ひとりあそび」は「街を走ること」だ。これは朝のランニング中に撮った写真。ただ「走る」と聞いても、何が楽しいか分からないかもしれない。でもこれは一生楽しめるあそびなので、これからその魅力を伝えられたらと思う。

 実はかくいうこの僕も、君たちのような10代のころは、基本的に身体を動かすことが嫌いで、特に走ることが大嫌いだった。おそらく運動やスポーツが好きな人たちの中にも、「走る」ことが好きな人はそれほど多くないかもしれない。体育の授業や部活動の中でも、(陸上部でもなければ)「走る」ことは体力づくりのための基礎的な訓練という位置づけで、より(別の競技のための)高度な技術を獲得するために苦痛を我慢して行うものだとされていることが多い。それは「走る」ことそのものが求められる陸上競技でも同じで、辛く、苦しいことを我慢して走り切るとタイムが縮み、競技に勝つことができる。そのために根性や忍耐が「走る」ことには常に求められているというわけだ。これで「走る」こと自体が好きになるなんてことは、本当に難しいことだと思う。
 そもそも僕は子供のころに喘息もちで身体が弱かったこともあって、運動が苦手だった。だから、体育の時間なんて本当に苦痛以外のなにものでもなかった。体育のある日はそれが理由で学校に行きたくないと心から思っていたし、中学校の後半からは単純にサボるようになってしまった。高校に入ると、進学校だったこともあってますます体育の授業には身が入らなくなり、形式的に期末試験で行われるペーパーテストまでほとんど白紙で出していた。イラストを見て柔道の技名を答える問題の解答欄に、ふざけて「ライダーキック」とか書いたりもした。今でも覚えているが、卒業間近のある日、体育の林先生が僕のそばに寄ってきて、こう言った。「自分はもうすぐ定年退職だ。35年以上の教師生活で心残りがあるとしたら、宇野の体育の授業を3年間担当して、ついに一回も身体を動かす楽しさを教えることができなかったことだ」と。
 そんな僕が、いまは走ることが人生の最大の楽しみの一つになっているのだから驚きだ。

 おとなになった僕が走ることを始めたきっかけは、なんだかものすごく中年の事情で申し訳ないのだけれど、30代前半のある日、健康診断を受けて医者に注意されたことだ。あんたこの数年で急に太っているよ、これは絶対に生活を改めないとそのうち大きな病気になる、と。子供のころ、身体が弱く病気がちだった僕は高校生の頃から健康になり、このころは滅多に医者にもかからなくなっていたので、これはかなりショックなひとことだった。たしかに20代なかばのころに比べて、このときの僕は20キログラムほど太っていた。
 僕は一念発起して、ダイエットを始めた。1日の摂取カロリーを厳しく制限して、ジムに通ってウォーキングマシンで運動し、そしてときどき走った。ほぼ毎日、自宅から約2.5キロメートル先の新宿東口のヨドバシカメラまで走っていって、トミカを1台買って戻ってきていた(これはあとで取り上げる僕のミニカー集めのきっかけになっている)。何か目標があったほうが「やりがい」をもって走ることができると思ったのだけど、それは大きな間違いだった。長距離を走ることに慣れたいまとなっては2.5キロのランニングは気楽な準備運動のようなものなのだけど、あのころはそれが本当に苦痛だった。あのころの僕は「痩せる」という目的と、ヨドバシカメラでトミカを買うという「ご褒美」のためだけに、走るという「苦痛」を我慢していたのだ。そして、半年ほど経って予想以上に痩せることに成功すると(80キログラムほどあった体重が20キロほど落ちて、60キロほどになった)、僕はパッタリと走ることを止めてしまった。「目的」を果たしたので、苦痛を我慢する必要がなくなったのだ。

 しかしこのときのランニングの習慣が意外なところで芽吹くことになった。それから何年か経って、『走るひと』というランニング雑誌から取材依頼がきた。アスリート以外で「走る」習慣のある人をいろいろな分野から紹介するという企画を毎号続けているらしく、どこかで僕が走っているらしいという噂を聞いたのだという。
 僕は、取材にやってきた編集長の上田唯人さんに、最近はまったく走っていないのだけど、と前置きしたうえで、かつてダイエットのために続けていたランニングについてまとめて話した。対して上田さんは、「競技スポーツ」と「ライフスタイルスポーツ」の違いについて話してくれた。競技スポーツというのは、マラソンやサッカーや野球や柔道など、僕たちが知っている「スポーツ」のほとんどのものが含まれる。これは「競技」であり、他の誰かに「勝つ」ことが目的になっている。そして一方の「ライフスタイルスポーツ」とは、身体を動かすことそのものを楽しみ、運動することそのものが「目的」になっているスポーツのことを指すという。ヨガや太極拳、そして上田さんが注目している趣味としてのランニングがこれに当てはまるという。上田さんが言うには、実はここしばらくは、20代、30代の若い世代を中心に、競技スポーツをする人よりもライフスタイルスポーツをする人のほうが増えているというのだ。

 僕は上田さんのこの話に、とても惹かれた。理由は二つあって、一つは僕が子供のころから「体育」というものに抱いていた苦手な気持ちが生まれる理由を説明してくれていたからだ。そしてもう一つは僕がこの取材の少し前に、自分のつくっている雑誌(「PLANETS」という)で2020年の東京オリンピック/パラリンピック特集を組んだのだけれど、この特集を通して考えようとしていたことと通じるところがあったからだ。
 僕は2020年の東京オリンピックの開催には、いろいろな理由で反対している。そして反対だからこそ、もしどうしても開催するのであれば、どうせなら、こういうオリンピックとパラリンピックにしようぜ、という夢の企画を、仕事仲間のジャーナリストやアーティスト、社会学者や建築家たちといっしょに考えて、一冊にまとめたのだ。
 このとき僕が考えたのが、日本の「体育」的な価値観の見直しだった。僕が「体育」嫌いだったことはすでに書いたけれど、僕はこのとき、なぜ自分はあれほど「体育」が嫌いだと感じたのだろう、とその理由をはじめて考えたのだ。そして、いろいろと調べていくうちに、日本の「体育」のやり方が、実は現在のスポーツ研究の世界の中において、批判されていることを知った。
 日本の「体育」的な、ひたすら苦痛を我慢して目標を成し遂げるというやり方や、集団に合わせる規律訓練を重視するやり方は、現代的な「スポーツ」研究の世界では否定されている。こうしたやり方は、たとえば工場や戦場などで支配者が扱いやすいようにし、ネジや歯車のような人間を量産することには向いていても、それぞれの個人がもつ潜在的な身体能力を解放し、引き上げるためには効果的ではないのだ。
 だから僕は、2020年の東京大会を通じてこの国の「運動する」文化を、「体育」ではなく「スポーツ」へアップデートする機会にしようと考えたのだ。そうしてできあがった一冊を読んだことが、上田さんが僕のところに取材に来たもう一つの理由だった。彼は、僕と仲間たちが考えた新しいオリンピックの企画案に、「競技スポーツ」ではない「ライフスタイルスポーツ」としてのランニングの楽しさに近いものを感じたのだと僕に話してくれたのだった。

▲上田さんと僕。これは2018年の写真で、知り合った頃の彼(その数年前)は松田龍平風だった。

 そして僕はこのときのことをきっかけに、もう一度走ってみようと考え始めた。
 ダイエットをがんばっていたころ、僕は「痩せる」という目標のために苦痛を我慢して走っていた。そうじゃなくて、今度はたんに走ってみようと思ったのだ。小学校に上がる前、近所の道路や公園を、何も考えず、好きなように走ることが楽しかったように、「目的」なんかないほうが、走ることそれ自体の楽しさに純粋に触れることできるんじゃないか、と考えたのだ。
 
 こうして僕は再び走り始めた。今度は何かのためじゃなくて、走ることそのものを目的に走ってみた。タイムも距離も、気にしないことにした。疲れたら歩くし、のどが渇いたらコンビニエンスストアで水を買うし、やめたいときにやめると決めて走り出した。最初は朝に近所の公園を走ってみた。びっくりするくらい、気持ちよかった。僕が住んでいるのは東京のどちらかと言えば街中なのだけど、朝の空気は澄んでいて、公園の緑の中を走り抜けるだけで、気持ちよく汗がかけた。僕はこのとき30代も半ばになっていたけれど、はじめて身体を動かすことそれ自体が、心から気持ちいいと思えた。このとき僕は、自分が嫌いだったのは、「みんな」に合わせ、「敵」に勝つために、あるいはなにか「目的」を果たすために苦痛を我慢する「体育」であって、決して身体を動かすことそのものではなかったのだ、と改めて気づいた。こうして、僕はたちまち「(ライフスタイル)スポーツ」として身体を動かすことに夢中になっていった。もうご褒美のミニカーは必要なかった。走ること自体が、ものすごく楽しく、気持ちよかったからだ。
 走るというのはとても不思議な気持ちよさのある行為だ。少し前にも触れたけれど、人間は歩くときも、そして乗り物に乗って移動するときも、ある一定の、だいたい同じような速度で移動する。歩く速さは多少は自分の意志で変えられるけれど、それでも時速4キロが3キロになったり、5キロになるだけで大きな変化はない。しかし、走るときはその速度を自分の意志で大きく変えられる。時速25キロくらいで全力疾走することもできれば、時速10キロくらいでゆっくり走ることもできる。もちろん、その中間もある。つまり「走る」とき、人間は一番自分の「速度」を自由に決めることができる。僕はこんな「自由」が、走ることの気持ちよさを大きく生み出していると思う。世界に対するかかわりかたを、とても自由に、自分ひとりで決めることができる。これは「みんな」に合わせる運動を強制される「体育」や、「敵」に勝つことを目的にした「競技スポーツ」では味わえないものだ。

 最初は近所の公園を3キロほど走っていた僕は、すぐに物足りなくなって、5キロから7キロほどを走るようになった。これくらい距離が伸びると公園の周りを何周もしなくてはいけなくなって、さすがに飽きてくる。そこで、僕は街に出ることにした。まず自宅のある高田馬場から、2.5キロメートル走って戻ってくる(つまり往復5キロメートル走る)ようになった。そのうち走り慣れると距離はもっと伸びて、合計10キロメートルほど走るようになった。休日など時間のあるときには、自宅から10キロ走ったところで遅めの朝ごはんを食べて戻ってくることが多くなった。

▲僕は高田馬場の自宅から約5キロメートル先の新国立競技場まで走って戻ってくることが多い。僕が走り始めたころ、この建物はまだ建設中で僕はこの競技場が少しずつ完成していくのを数日おきに確認するのをとても楽しみにしていた。

 こうして街を走ることで、街の見え方は大きく変わった。
 東京に住む人はほとんどの場合、鉄道を使って移動している。ほかの地方と比べて自動車を使って移動することが少ない。街そのものが世界的に見てもかなり大きいので、職場や学校が近くにないかぎり徒歩や自転車で移動することは少なく、複雑に発達した鉄道を使うことが多くなる。たとえば僕が住んでいる高田馬場から歩いて30分くらいのところに雑司が谷という街がある。鬼子母神という古い神社がある静かな街なのだけれど、たぶん高田馬場に住んでいる人は、雑司が谷がそれほど「近い」街だという認識している人はほとんどいないと思う(走ると10分から15分でついてしまう)。むしろ距離的には少し離れている池袋や新宿はもちろん、ずっと離れている中野や飯田橋のほうが「近い」と感じている人がとても多いはずだ。なぜならば、それは雑司が谷は電車で移動しづらい場所にあるからだ。高田馬場駅前から雑司が谷駅前は歩くと30分近くかかるけれど、実は電車に乗っても乗り換えの関係で同じくらいの時間がかかってしまう。対して池袋や新宿へは電車で約5分、中野や飯田橋へは10分あれば着いてしまう。直線距離も歩いたときにかかる時間も雑司が谷までのほうが短いのに、鉄道を使うと逆になってしまう。その結果として、多くの高田馬場の住民は雑司が谷をこれらの他の街より「遠く」感じてしまっているのだ。
 要するにいつも鉄道で移動していると、僕たちは自分たちの住んでいる土地の位置や方角についての感覚が、かなり鈍くなってしまう。しかし自分の身体で移動すると、それを取り戻すことができるのだ。

 高田馬場から南に走ると、まずは諏訪町と昔呼ばれていた住宅街を通る。高田馬場は大学や専門学校の多い「学生の街」なのだけれど、この諏訪町には昔から住んでいる人が多く、比較的住人の年齢層の高い、とても落ち着いた地区だ。さらに南に走ると、大久保という朝鮮半島出身の人たちが多く住む街がある。最近は韓国のアイドルグループやミュージシャンの人気で、君たちのような中高生の女子も含めて休日はごったがえす街なのだけど、走っていくとその手前の、大久保の中でも北側に位置する、お菓子メーカー「ロッテ」の工場がかつてあった土地やその周辺が、いまは大規模な再開発を経て大きなマンションや展示場に変わってしまっていることに気づく。高田馬場も大久保もどちらかといえば雑然とした街なので、開けた空間に大きな建物が並んでいるのはこの地区だけ。まるで別世界のようだ。
 そしてそのままさらに南に走ると、テレビでお馴染みの新宿の駅前を過ぎて代々木に抜けていくことになる。このあたりは、南西に明治神宮や代々木公園、東に新宿御苑と緑に囲まれていて、走っていてとても気持ちのいいエリアだ。自分の住んでいる街の土地や景色が、こんなふうに成り立っているのだということが、走るととても良く分かる。
 もしも一つの街のことを詳しく味わいたいのなら、散歩のほうがいい。僕はランニングが好きになる前は、都内をよく散歩していたし、自分のラジオの番組を持っていたときは、毎週六本木の放送局まで歩いて向かっていた。時間をかけてゆっくり歩くほうが、それぞれの街のことをじっくりと体験することができる。しかし、街と街のつながりや違いを感じるのなら、走るほうがいい。ほんの一区画離れただけで、まるで別の世界が広がっていることに気づくことがよくある。
 また、「街」という人間が作ったものではなく、「土地」という自然のものについて触れたい場合も、走ってみるほうがいい。
 僕の住んでいる高田馬場には神田川が通っている。神田川はだいたい、新宿区と豊島区という隣り合う区の境目を走っている。そしてこの川沿いは、東京の都心の中では高い位置にある新宿区や豊島区の中で例外的に低い土地になっている。だから高田馬場から走って、神田川を超えることは、一度坂を下って、また上ることを意味する。走るとこういった土地の起伏がはっきりと身体を通して伝わってくるのだ。

▲ランニング中に撮影した神田川。高田馬場はこの川の流れる北側だけ土地が低く、そこからさらに北の目白に向かって急に土地が高くなる。そこには緑地が多く残っていて、野良猫や昆虫がたくさん住んでいるエリアもある。

 僕は青森県の八戸市という港町で生まれて、父親が転勤の多い仕事をしていたために、長崎県の大村市や、千葉県の四街道市、北海道の帯広市や函館市を転々としてきた。その後、実家は札幌市に落ち着いて、大学に入ってからの僕はしばらく京都市に住んでいた。そして、東京に引っ越してきたのは20代の後半になってからだ。
 僕は最初、この東京という街にあまり馴染めなかった。僕がこれまで住んだ街で好きだったのはなんといっても京都で、それにくらべて東京はどこかセコセコしていて、余裕がなくて、みんな急ぎすぎていて、あまり好きになれない街だな、とずっと思っていた。電車に乗って用事のある場所を回っていると、灰色のビルの塊にしか見えなかった。
 しかしこうして走るようになって、街の見え方が変わった。走ることで、いま自分が暮らしているこの東京という街の歴史や自然がもつ魅力に、はじめて気がつくことができたのだ。青山霊園の静かな緑、学習院女子大学前の桜並木、神宮外苑の都心の中にぽっかり開けた広い空──どれもそれがそこにあることそのものを知らなかったわけではなかった。でも、それは単にその場所があるということを「点」として知っているだけだった。その場所がどんな起伏の土地に、どんな川の流れに沿って存在しているのか、土地の「つくり」のようなものも含めて「線」や「面」で理解することができたのは、走るようになってからだった。

 走るとその街の魅力が、違った角度から見えてくる──。そのことに気づいた僕は、それから出張のたびにいろいろな場所をひとりで走ってきた。大学の仕事でよく通っていた京都を筆頭に、国内では大阪で、札幌で、盛岡で、金沢で走った。故郷の八戸でも走ったし、神戸でも、福岡でも走った。外国でも走った。ソウルで、上海で、香港で走った。台北でも、パリでも、シリコンバレーでも走った。僕は出張のたびに必ずランニングシューズとランニングウェアを持っていって、その街を走ることにしている。
 そしてこれは特に外国の街を走っているときに感じるのだけれど、走っているときだけ僕はその街の住人になることができる。街を歩いているときは、どれだけ慣れていても僕らは余所者だ。その街に住んでいない人間だ。だから目に入るものとか、気になるものがその街に住んでいる人とはまるで異なるので、振る舞いですぐに分かる。僕はかつて京都に7年ほど住んでいたけれど、そこに住んでいる人と旅行客では、同じ街を歩いているとは思えないくらい、目を向けるものや気にすることが異なっているのを実感していた。
 しかし、走っているときだけは別だ。住人と旅行客の振る舞いに差が出るのは、それぞれの目的が違うからだ。住人が日常の暮らしのために街に出るのに対して、旅行客は非日常の特別な体験を味わいに来ている。だから目に入るものも違えば、振る舞いに差も出るのは当たり前だ。ところがランナーになったとき、住人と旅行客の差はなくなる。たとえその人がその街の住人だろうと、他の街からやってきた旅行客だろうとランニング中は、つまり「走る」ことそのものを目的に走っているときは、その差はまったくなくなるのだ。
 僕がよその街を訪れたときに、走ることでその街の一部になることができたと感じるのはそのためだ。
 街を走る人は、その街の風景の一部なのだ。
 そのせいか、街を走っていると特に外国ではすれ違いざまに見知らぬ人から挨拶をされることがたまにある。これは単に歩いているときはほぼないことで、僕はこれがとても嬉しい。こうして走っているとき、ランナー同士はお互い相手が自分と同じように「走る」ことそのものが目的なのを知っている。だからすれ違うほかのランナーは競争して勝たなければいけないライバルでもなければ、一緒に何かを達成するための仲間でもない。ただ、同じ場所にいて、同じように走る気持ちよさを感じている一瞬の共感だけがある。その共感を確認するために、ランナー同士は挨拶を交わす。僕は遠くの街で走ったときのこの一瞬に、自分がどこの国から来て、どこの土地で育ったとしても関係なく世界中の人々とつながれると実感できるのだ。

▲パロアルト(アメリカ)滞在中に毎朝走っていたスタンフォード大学の構内。ここは本当にランナーが多くて、すれ違う人もよく挨拶をしてくれた。
▲仕事でパリに行ったときは、セーヌ川に沿って毎朝走った。テロの翌日でも、あたり前のように走っている人が多かったのがとても印象に残った。
▲広島への出張のついでに1泊した尾道の海沿いを走ったときの写真。尾道は海沿いだけを走ると1.5キロくらいで街の端まで出てしまうので、山側に走ってお寺巡りをするのがオススメ。

 さて、ここまで読んで、「じゃあ自分も走ってみようかな」と思った人がいたら、どう始めたらいいのかについて簡単に教えておこう。この本の読者には中学生と高校生が多いはずだ。実は僕がこの「走る」という「あそび」を紹介したのは、この「あそび」がとても中学生や高校生に向いていると考えたからだ。
 なぜならば、まず、ランニングはお金があまりかからない。君たちのうちほとんどの人は学校の体育の授業のために運動靴を持っているはずだ。基本的にその靴さえあれば、ランニングはできる。つまりゼロ円で始められるのだ。もし次にその靴を買い換えるときは、初心者向けのランニングシューズを選ぶといい(アウトレット品を買えばそれほど値が張るものではない)。ランニングシューズには、タイムを縮めたいと思っている人向けのスピードを重視したタイプのものと、僕のように走ることそのものを楽しんでいる人に向けた足に負担のかからないことを重視したタイプのものとがある。もちろん、僕がオススメするのは後者のランニングシューズだ。お店の人に聞けばどのシューズがそれにあたるかはすぐに教えてくれる。
 走り始めるとすぐに分かると思うのだけれど、多くの中学生や高校生の場合、5キロや10キロを走って体力的につらくなってへばってしまう、なんてことはあまりないだろう(自分の中高生時代のことは棚に上げておく)。最初は3キロでもつらいと思うかもしれないけれど、週に1度か2度のペースで2、3ヶ月くらい続けると、5キロや7キロを走っても平気になっていく。1年もすればたいていの人は10キロくらい走らないと物足りなくなるだろう。しかし問題はむしろ「足」だ。体力よりもむしろ足が痛くなってきて、あまり走れなくなる人が多い。屈伸などの準備運動や走るときの注意も大事だけれど、本当に重要なのは足に負担をかけないシューズを履いておくことだ。特に走り始めて数ヶ月後くらいには、走ることが楽しくなって足の負担を顧みずどんどん走り、怪我をする人が多い(僕もそれで痛い目に遭ったことがある)ので要注意だ。

▲僕がいま履いているランニングシューズ。アウトレットで安くなっていた去年のモデルを手に入れた。この写真だとよくわからないけれど実はスター・ウォーズのコラボモデル。

 走るのは、やはり朝がオススメだ。夏場も暑すぎない(冬場に寒すぎると思うかもしれないけれど、寒さのほうは、冬になっても路面が凍結しないくらいの気候の地域なら、走っているうちにほぼ気にならなくなる)し、前の節でも書いたように朝の街に出ると、普段過ごしている街が違った顔を見せてくる。いつもとは違った人たちが通り、いつもとは違った鳥が鳴いている。こうした街の別の顔にふれるだけでも、朝に街を走る価値はあると僕は思う。
 
 あと、もし君たちがスマートフォンを持っているのなら、ランニングをサポートするアプリケーションを活用するといい。走っている間にそのアプリケーションを使用すると、自分の走ったコースや距離、心拍数や消費カロリーなどを自動的に記録してくれる。僕はタイムを縮めることや筋力トレーニングにはまったく関心がないのだけれど、こうした数字を眺めながら「今日は暑かったからペースが遅いな」とか「はじめて走ったコースだけれど、実は100メートルも高低差があったのか」とか、その日のランニングをめぐってあれこれ考えるのは、ほかのあそびにはない、独自のおもしろさがある。

 ちなみにいま僕は、毎週水曜日と土曜日か日曜日のどちらか(たまに両方)、つまり週2回か3回のペースで10キロメートルの距離を走って、だいたい月に100キロメートル走ることを目安にしている。たまに、しっかり身体を動かしたいときには15キロか、20キロを走ることもある。ランニングを楽しむコツは、無理をしないことだ。苦しいことを我慢して走り、そのご褒美として目的を果たすのではなく、走ること自体を楽しむことだ。だから疲れたら休むし、歩くし、のどが渇けば飲み物を買って飲む(僕は夏場に10キロのランニングで、2回から4回も飲み物を飲むことがある。そのせいで、好きなドリンクを売っている自動販売機に異様に詳しくなってしまった)。
 何かのために走るのではなく、走るために走ること。それが走るというあそびの楽しさに気づくための、唯一にして最大のコツだ。

[続く]

この記事は、「よりみちパン!セ」より刊行予定の『ひとりあそびの教科書』の先行公開です。2020年11月2日に公開しました。
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