ミニ四駆第1次ブームにおいて『ダッシュ!四駆郎』(以下『四駆郎』)の中心になっていたのは、父を目指す「親子」の物語と、現実に肉薄しようとする「ホビー」の美学が結びついた、垂直的な構造だった。しかし強く成熟の物語を志向していながら、いやむしろそれゆえに、模型が現実に肉薄しつつ決して到達することがないように、四駆郎が大人になった姿は描かれることはなかった。

 連載の前回(参照)で、第2次ブームを支えた『爆走兄弟!!レッツ&ゴー』(以下『レッツ&ゴー』)およびその続編『爆走兄弟!!レッツ&ゴーMAX』(以下『レッツ&ゴーMAX』)において、ミニ四駆が「魂を持った乗り物」という想像力を宿したことを確認した。

 それでは「魂を持った乗り物」から、果たしてどのような成熟のイメージを引き出すことができるのだろうか。引き続き、『レッツ&ゴー』シリーズの展開を追いながら、レーサーたちの成熟がどのように扱われていたのかを確認していきたい。

地平線の彼方から、今ここにあるミニ四駆へ

 結論から言えば、『レッツ&ゴー』の登場人物たちが成熟した姿は、基本的に描かれない。それどころか、『四駆郎』と比較するとラストシーンは極めて淡白なものだ。

 『レッツ&ゴー』最終巻では、烈と豪の所属する日本代表チーム「TRFビクトリーズ」の世界グランプリ(WGP)における戦いが描かれる。TRFビクトリーズは、そこでライバルであるイタリア代表チームやドイツ代表チームを破って勝利する。しかし物語における描写は決勝レースの一部分の決着のみにとどまり、果たしてTRFビクトリーズが優勝できたかどうかはわからないまま終結してしまう。TRFビクトリーズが最終的に優勝したことがわかるのは、続く『レッツ&ゴーMAX』1巻の冒頭においてだ。ただしここでも驚くほど描写は簡潔で、総ポイント数最多で優勝した旨が、台詞で説明されるのみである。

▲第1回世界GP、終了の瞬間。 『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(1)』8-9p

 おそらくは『レッツ&ゴー』の連載終了時点では、既に『レッツ&ゴーMAX』という続編の企画は固まっていたと思われる。アニメや模型の展開など、さまざまなメディアに横断的に展開した本作にとって、連載時期などの関係上不本意なラストになってしまったのではないか、と想像することもできるかもしれない。

 しかし満を持して描かれたはずの『レッツ&ゴーMAX』のラストでも、やはりレースの決着は白熱したものにならない。物語における最終レースは、世界王座に輝いたTRFビクトリーズに、烈矢と豪樹たちルーキーチームが挑戦するという構図になっている。ルーキーチームは健闘するのだが、当初強敵として現れながらやがてルーキーチームに加わったネロのマシンが、それまでの攻撃的なスタイルが祟って走行不能になってしまう。このトラブルによって、ルーキーチームはあっさり敗北してしまうのである。

▲ルーキーチームはピットイン中にあっさり敗北する。 『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(7)』62p

 むしろ力を入れて描かれているのは、レース後に行われる、豪と豪樹の個人的なレースの方だ。レースを終えたにもかかわらず走ることをやめないふたりに感化され、参加チームから大会運営スタッフ、観客に至るまで、誰もが走り出す。結局豪樹が豪を上回ることはないのだが、「ぬかさせねぇ!」と言う豪に、豪樹は「ぬかす!」と主張しながら何度も挑戦していく。

▲サーキットを飛び出し、公道を走りながら言い合う豪と豪樹。 『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(7)』88-89p

 そして最後は、偶然その場に居合わせた少年にカメラが移り、次のメッセージで幕を閉じる。

ミニ四駆が好きだ。だから、ぼくたちは走り続ける。

▲物語完結のページ。 『爆走兄弟レッツ&ゴーMAX(7)』94-95p

 こうした描写の温度差は、『レッツ&ゴー』シリーズの美学をよく表している。こしたてつひろはおそらく、レースに勝利することをあえて軽く描くことによって、勝敗が必ず決まるレースが構造的に内包する垂直的なヒエラルキーを慎重に退け、代わりに水平的な拡張を通じて得られる関係性こそを重く描いた。「ぬかす」か「ぬかされるか」、つまり順位や勝敗は、そのときどきによって変化する一時的なものに過ぎないというわけだ。

 「走り続ける」という美学は、『四駆郎』でも語られたものだ。この連載では、『四駆郎』における「ホライゾン」というキーワードを、父を目指す「親子」の関係と、現実を目指す「ホビー」の美学が結びついたものとして整理した。『四駆郎』においては、ミニ四駆はあくまで「ホライゾン」へと至るための手段であった。実際、大人になった四駆郎は自然にミニ四駆を卒業し、父親と同じようにラリーに挑むレーサーになったことが示唆されていた。

 一方で『レッツ&ゴーMAX』のラストシーンに至って、もはやミニ四駆は手段でないことが宣言されている。「ミニ四駆が好きだ。だから、ぼくたちは走り続ける」――走り続ける理由は、むしろミニ四駆の方にある。ミニ四駆はここに至って、走る目的そのものになったのだ。これは実車を追いかけながら連綿と続いてきたミニ四駆が、独立した文化としての確立を高らかに宣言した記念すべき瞬間と言えるだろう。

戻ってきた少年たちと来たるべき少年たち

 『レッツ&ゴー』シリーズと成熟の問題を考える上で、『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!』(以下『リターンレーサーズ』)に触れないわけにはいかないだろう。『リターンレーサーズ』は、2014年からこしたてつひろ本人によって連載されている、シリーズの正式な続編である。実際の時間と同じ20年の時が作中でも流れており、烈や豪が大人になった姿が描かれていることから話題を呼んだ。必然的に、『レッツ&ゴー』と『レッツ&ゴーMAX』から「ミニ四駆が好きだ」から「走り続ける」ことを止めなかった少年たちの、理想の成熟のイメージが描かれることが期待された。

▲『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!(1)』

 実際の物語は、端的に言って、登場する男性キャラクターのほぼ全員が、理想的な成熟とはほど遠い状態にあるように描かれている。

 豪はF1レーサーになっているが、無茶なドライビングスタイルから成績は思わしくなく、家には空の酒瓶が転がり生活は荒れ果てている。そこに、豪にそっくりな少年、翼が家にやってくる。翼を預かるよう依頼してきたのは元レースクイーンの翼の母親なのだが、豪は彼女のメッセージについて極めて冷淡な反応をしており、翼の存在についても「俺の子じゃない」と言い張り徹底して認めようとしない。

▲大人になった豪。 『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!(1) 』p7
▲ダンボール箱に入った翼と邂逅し、豪とレースクイーンとの関係が示唆される衝撃的なシーン。 『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!(1) 』p12

 豪以外の元TRFビクトリーズのメンバーも、成熟という意味ではおおむね似たような状況だ。父親の後を継いで大財閥の当主となった藤吉は、自己管理の欠如から太りきっており、ハーレムを築いて多数の女性に身の回りの世話をさせている。Jはモデルタレントとして人気を博していて一見成功しているように見えるのだが、商業戦略や契約といった「大人の事情」がまったく理解できず、最終的に事務所を辞めることになる。リョウは弟の次郎丸と共にトラックの運転手となっていて働いてこそいるものの、社会と積極的な関わりを持っているようには見えない。烈は宇宙開発に携わるエンジニアとして社会的に活躍しているが、その烈だけが海外への留学を機にミニ四駆と訣別したことがはっきりと描かれていることは、皮肉でさえある。

▲『リターンレーサーズ』において、大人になった藤吉が初登場するシーン。VRで初恋の相手・ジュンそっくりのキャラクターとの逢瀬に耽溺し、恋敵を札束で退けようとする腐敗ぶりを見せる。 『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!(2) 』p44

 「ミニ四駆が好きだから走り続けた」かつてのファンたちが、実際に成熟を迫られる年齢になって烈や豪たちのこうした姿を目の当たりにしたとき、共感したのか、それとも幻滅したのかは、意見が分かれるところであろう。確かなのは、こうした大人たちの物語は単行本の2巻の半ばで描かれなくなり、その後は豪が中学生だった頃の物語へと転換し、当時の『レッツ&ゴー』の雰囲気を色濃く残した展開へとなっていったということだ。これが当初からの戦略だったのか、それともなんらかの理由で方針の変更を余儀なくされたのか、作品を読むだけでは明確にすることはできない。

 『リターンレーサーズ』は「成長したミニ四レーサー」というモチーフをテーマにすることによって、ミニ四駆のもたらす成熟を正面から描くことになった。しかしそこで描かれたイメージとは、「強い男性」になろうとする意志こそが成熟を失敗させるということだった。成長した豪は、F1レーサーとしての勝利を目指し、トロフィーとしてレースクイーンを手に入れることによって、むしろ理想の状態から遠ざかっていく。言い換えれば、ミニ四駆というスポーツを離れて現実社会と接続しようとする意志が、逆説的に理想の成熟から豪たちを遠ざけていく。

 それゆえ『リターンレーサーズ』は、レーサーとしてスランプに陥っていた豪が、ミニ四駆を通じて子供の頃の気持ちを思い出す、つまり現実から切断されたスポーツとコミュニティを取り戻すことによって救済される物語になっている。『リターンレーサーズ』における「リターン」という言葉は、おそらく読者のもとへ烈や豪たちの物語が帰還するという意図で選ばれている。しかし成熟のイメージという意味では、失敗した「大人」たちが「子供」へと戻っていく物語を的確に名指してしまっているとも言える。

▲ミニ四駆に触れることで、子供の頃の姿が大人になった豪に重なる。 『爆走兄弟レッツ&ゴー!! Return Racers!!(1) 』p27

 一方、『リターンレーサーズ』からスピンアウトするかたちで2017年から連載されているのが『レッツ&ゴー!!翼 ネクストレーサーズ伝』(以下『ネクストレーサーズ』)だ。これは『リターンレーサーズ』に登場した(おそらくは)豪の息子である翼と、烈の息子である(ことが示唆される)駿が、かつての父親たちと同じようにミニ四駆のレーサーとしてレースを繰り広げる物語だ。『リターンレーサーズ』がかつての「コロコロコミック」を読んで育った青年をターゲットにした新雑誌「コロコロアニキ」の創刊に合わせた目玉連載だったのに対して、『ネクストレーサーズ』はより低年齢層をターゲットにした「コロコロイチバン!」に連載されている作品である。

 興味深いのは、駿と翼の物語において、ミニ四駆は学校の部活動という枠組みの中で取り組まれることだ。烈と豪は、あくまでレーサーとして、アスリートとして、ミニ四駆の大会というオープンなスポーツに参加していた。しかし駿と翼は、学校という保護された空間、モラトリアムの象徴の中で、顧問の教師から指導を受けながらミニ四駆に取り組んでいくことになる。

▲「ミニ四駆部」を設立する駿と翼。 『レッツ&ゴー!! 翼 ネクストレーサーズ伝(1)』p58

 連載がはじまってからそれほど時間が経っていない(2018年掲載時点)ためこれからの展開がどうなるのかはまだわからないが、駿や翼が安全で閉じた学校の部活動を通じて成熟していく、社会に接続されていく姿が魅力的に描かれていくと想像することは、少なくとも現段階ではかなり難しい。

 つまりかつての少年たちに向けた『リターンレーサーズ』においては、ミニ四レーサーたちは成熟にことごとく失敗して子供の領域に帰還し、いまの少年たちのために描かれた『ネクストレーサーズ』においては、学校の部活動という安全な閉じた領域こそがミニ四レーサーの聖域となった。すなわち、『レッツ&ゴー』は、水平的な拡張を志向するスポーツとして社会からミニ四駆を切り離すことによって、成熟を拒否したのだ。

(続く)

この記事は、PLANETSのメルマガで2018年10月17日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2021年4月1日に公開しました。