1、不確実性を思考する

本連載もそろそろ終わりに近づいている。私はここまで、世界文学の中心を占める小説を、広義の人類学的対象として捉えてきた。人類の諸文化がそれぞれ世界理解の型をもつように、小説もいわば特異な人工知能として、世界を思考し、解釈し、再構成する力をもつ。人類と小説はドン・キホーテとロシナンテのように、異質な隣人として共生関係を結んだ。人間は小説を利用して、世界を了解し直す。その一方、小説は人間の利用を利用して、その流通の版図をグローバルに拡大してきたのである。

小説とは、隣人である読者=人間の心を巻き込みながら、思考を引き延ばす装置である。それは人間の心そのものではないが、人間の心の諸機能(知覚、想像、情動、想起、予測……)を擬態する能力をもつ。私は小説を、人間の心の動きを言語的なレベルに翻訳した《心のシミュラークル》と考えたい。この心の似姿は、ときにかえって本物の心以上に複雑怪奇な多面体として現れるだろう。心と言語を結合させた小説が、ウイルスのように流行し、人間の思考の不可欠の隣人になったのは、それ自体が人類学的現象として注目に値する。

心のシミュラークルとしての小説の流行は、ヨーロッパ近代において、思考の意義が更新されたこととも関わる。その指標として、思考そのものを思考した一七世紀のパスカルの『パンセ』を挙げておこう。

パスカルは「人間の尊厳のすべては、考えのなかにある。だが、この考えとはいったい何だろう。それはなんと愚かなものだろう」と記した。彼によれば、思考は人間の尊厳の根拠になるほどには偉大であり、それでいて非常に愚かで卑しいものである。思考は確実なものや堅固なものは何一つ与えない。ゆえに、人間が多くの不確実なもの、具体的には「航海」や「戦争」に賭けるのは当然である。「人が明日のため、そして不確実なことのために働くとき、人は理にかなって行動しているのである」[1]。デカルトが懐疑の果てに、思考しつつある我(コギト)という根源にたどり着いたのに対して、パスカルは存在の根源にいわば「賭け続ける我」を発見した。

もとより、パスカル自身は小説家ではないが、彼の洞察はその後の小説の時代の予兆になっている――近代小説の歴史はまさに航海と戦争という「賭け」によって導かれたのだから。思考はもはや確実な地盤に到る技術ではなく、不確実性の海における賭けの連続に等しいのではないかというパスカル的な問いに、小説というジャンルは新たな活力を与えた。小説とは、さまざまな不確実性を織り込んで思考し続けるための装置なのである。

では、小説という特異な思考装置は、いかなる進化史をたどって構成されたのか。それが私の取り組んできた問いである。この問題にアプローチするにあたって、私は文学史をさまざまな角度からリプレイし、得られた結果を多層的に重ね書きするようにして記述してきた。この作業を世紀の区切りを基準として、もう一度実行しておきたい。

2、《場を超える場》としての海――ダンテからメルヴィルへ

一四世紀のダンテの『神曲』地獄篇第二六章で語られるオデュッセウス(ユリシーズ)の物語は、強い印象を与える。「この世界を知り尽くしたい」という知の欲望に駆り立てられたギリシアの英雄オデュッセウスは、家族を捨てて仲間たちと禁断の航海に出るが、地中海をめぐり、スペインやモロッコを横目にジブラルタル海峡を越えようとしたとき、神意によって船を転覆させられる。「やがて私たちの上には海がまたもと通り海面を閉ざした」[2]。不確実性への賭け=航海は、神の力によって封印されたのである。

西に向かう「狂気の疾走」を強制終了され、神の禁止を破った罪によって地獄の火で焼かれるダンテ版のオデュッセウス――その苛酷な姿は、不吉とされた西方にあえて旅立ったコロンブス以降のヨーロッパ人の存在様式を、見事に先取りしている。ダンテはここで、未来の探検の時代を明晰に「予言」しつつ、峻厳に「拒否」したのだ[3]。のみならず、『神曲』のオデュッセウスは後の文学上の冒険者たち、特に『白鯨』のエイハブ船長の先駆けにもなった。ボルヘスが指摘したように、両者はともに「刻苦と豪胆さによってわが身の破滅を招く」のであり、その最期の言葉まで似通っているのだから[4]。

ただ、『神曲』の場合、世界=海への欲望は、地獄・煉獄・天国から成る三位一体の神学的構造のなかに拘禁された。ダンテは〈世界〉への欲望を予告しつつ、それを厳しく断罪した。オデュッセウスの船が沈められ、海が閉ざされたとき、世界もまた閉ざされたのだ[5]。

逆に、およそ五〇〇年後の一九世紀の『白鯨』になると、海=世界はもはやこのようなリジッドな構造に収容されず、むしろ不確実性に満ちた不定形の時空として現れる(第六章参照)。海をワープするように移動する鯨の出現は、確率的に推測するしかない。鯨を追跡するエイハブは、オデュッセウスのように特定の場(地獄)に束縛されず、船員たちもろとも《場を超える場》、つまり脱領土化された海に没入してゆく。『白鯨』には土台を失った〈世界〉における、ほとんど愚かしいとも言える賭けの連続が記録されている。不確実性を思考するメルヴィルは、尊厳と愚かさが「賭け」において両立するというパスカル的問題を、小説の核心に据えたのである。

、〈世界〉に響くダイモンの声――ラブレーと海

ここで、ダンテとメルヴィルのあいだに一六世紀のフランソワ・ラブレーを挿入してみよう。ラブレーの奇想天外な小説『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の「第四の書」(一五五二年)では、巨人族のパンタグリュエル一行が神託を求めて航海に出る。彼らは後のガリヴァーのようにさまざまな部族の住む国を巡り、その奇妙で珍しい習慣や暮らしぶりを記しながら、当時の反動的な教会や医者に対して、強烈な批判を浴びせてゆく。

この文化人類学的な探検は断片的なエピソードの連続であり、『神曲』のような厳格な構造をもたない。大船団を組織したパンタグリュエルらは「出エジプト」の詩編の朗誦に見送られ、暴風雨にさらされながら未知の島に気安く上陸し続けては、ときに巨大な鯨を退治し、ときに派手な戦争も引き起こす。この聖書のパロディのような多産多死の航海は、陽気であり、しかも危険に満ちている。パンタグリュエルの考察によれば、航海者は「死にながら生きており、生きながらも死んでいる」[6]。ラブレーの海は生にも死にも属さない別の人間、オルタナティヴな人間を浮上させる。そして、この生と死のあいだを放浪する航海の終わりに、パンタグリュエルの心に突然謎めいた声が響く。

「ううん、なにやら」と、パンタグリュエルがいった。「急に、後ろから引っぱられるような気持ちがしてきたぞ。〈この場所に上陸するなかれ〉と命じる声が、遠くから聞こえてくるような気がするのだ。心のなかで、そのような気持ちの揺れを感じるたびに、わたしは、こうやって引き止められた方向に進むのをあきらめて、その場所を立ち去ったことを、それでよかったのだと思ったし、あるいは反対に、わが心が勧めた方向に従って進んでいった場合もあるけれど、それもまた、それでよかったと思っているのだ」

パンタグリュエルは祝祭的な船旅の終わりになって〈この場所に上陸するなかれ〉という禁止の声を耳打ちされる。興味深いことに、彼の部下は、この不思議な声を「ソクラテスのダイモン」として説明する[7]。プラトンの『ソクラテスの弁明』によれば、ダイモンはソクラテスが間違いを犯しそうになったとき、それに「反対」する神霊の声として現れた。この不可視の霊的な声は、ソクラテスに「何をすべきか」は一切教えず、その代わり「何をしてはならないか」を告げたのである。

『神曲』のオデュッセウスを束縛した神の厳格な禁止とは違って、「ソクラテスのダイモン」の唐突な声は、内的であり謎めいている。だが「その行為は間違っているから引き返せ」という内なる否定の力は、パンタグリュエルの旅の性質を劇的に変える。この宣告に従うようにして、世界を陽気に航海してきたパンタグリュエルの物語は、慌ただしく閉じられる。そのとき、快活な探検の旅は終わり、進むべきとも退くべきとも決められない根源的なあいまいさが立ち現れてくる。

世界進出に反対する「ソクラテスのダイモン」の声をきっかけとして、パンタグリュエルの心に未知の揺らぎや迷いが生じること――この奇妙な展開は、ラブレーとほぼ同年に生まれたラス・カサスが、新世界の悪を批判したことを思わせる。ラス・カサスはヨーロッパの言論空間に「その行為は間違っているから引き返せ」というダイモンの声を、キリストの霊とともに響かせたと言えるだろう。この見地から言えば、陽気なパンタグリュエルをあいまいな心境に導くダイモンの声は、新大陸でのジェノサイドを引き起こした黒い歴史への応答ではなかったか。

この内的な禁止の声を振り切るには、ときに常人離れした異常な意志が要求される。現に、ダンテ版のオデュッセウスの狂気を引き継いだ『白鯨』のエイハブは、慎重さを求めるスターバックの声を無視して、決然と海に乗り出した。裏返せば、狂気の力なしには、自己はただちにあいまいさや不確実性に呑み込まれてしまう。それが〈世界〉との接触の帰結である。

一四世紀のダンテは神学的な構造のなかで、不確実な〈世界〉への誘惑を断ち切った。しかし、ポスト神学時代になると、〈世界〉は「ソクラテスのダイモン」のような不可解な力、禁止を発する超自我の声を呼び覚ます。小説は確かに人間を中心にするが、その人間は自己とは別の力によってあらかじめ規定されてもいるのだ。私は先ほど、小説を「さまざまな不確実性を織り込んで思考し続けるための装置」と呼んだが、その思考は人間を超えた霊的な声に先行されている。

4、陰謀とゴシップにくり抜かれたシェイクスピア的主体

この「あらかじめ」の問題を考えるのに、私はラブレーやメルヴィルの巨人的な小説だけでなく、ラブレーの死のおよそ十年後に生まれたシェイクスピアを道標としたい。なぜなら、シェイクスピアの作品では、劇が始まる前に多くの重大な出来事があらかじめ起こっているからである。

例えば、一七世紀初頭の『マクベス』の観客は、幕が開いて早々に、怪しげな陰謀を企む三人の魔女に出会うことになる。この奇妙な発端は何を意味するのか。詩人マラルメの秀逸な批評によれば、それは仕組まれたアクシデントである。魔女たちは本来隠されるべき舞台裏の存在であるのに、うっかり観客の前に暴露されてしまった。「この傑作にあって、幕が単に、一瞬、早く開いてしまったのであり、ために宿命の企てる陰謀が露呈させられたのだ」[8]。軍人マクベスは国王を暗殺するが、このクーデターは魔女の予言と陰謀に踊らされただけである。マクベスの主体性はあらかじめ大幅にくり抜かれている。この点で『マクベス』はアンチ・ドラマとすら言えるだろう――なぜなら、劇の始点の魔女たちが、すでに事実上の終点を予告しているのだから。

『マクベス』に限らず、シェイクスピア劇は陰謀の先行性、あるいは人間の「遅れ」を構造化している。そして、この「遅れ」の作用を最も強く受けるのが、社会システム内部の他者である。批評家のレスリー・フィードラーによれば、シェイクスピアは四種類の他者の元型、すなわち女性(『ヘンリー六世・第一部』)、黒人(『オセロー』)、新世界の先住民(『テンペスト』)、ユダヤ人(『ヴェニスの商人』)を作中に書き入れた[9]。これらの他者は、ヨーロッパ社会のヒエラルキーのなかで、あらかじめその存在の意味を規定されている。魔女が登場しなかったとしても、これらの劇ではしばしば社会の側の悪意や陰謀が先行しており、他者はそこに遅れてやってくるのだ。

なかでも、ヴェニスを舞台とした『オセロー』は、レイシズムの前史を捉えた重要な作品である。一六世紀末の段階では、人種差別はまだ大規模な体制や教義にはなっていなかったが、それでもすでにアフリカ出身の黒人には奇形や怪物に近いイメージが与えられ、白人たちの嫌悪を向けられていた[10]。黒い肌をしたムーア人のオセローは、流浪の末に国際都市ヴェニスに受け入れられ、多大な功績をあげた軍人だが、その反面、彼は異常なよそものとして否定的な評価を下されてもいる。オセローは社会の中枢にいて名声を獲得しながら、その社会に帰属していない。

ここで重要なのは、ヴェニスにとっての潜在的な怪物オセローが、軍事力のみならず語りの力によって象徴的な力を獲得したことである。彼は自らの功績を言葉巧みに宣伝し、このプロパガンダによって自らの権力と地位を増進させる。ヴェニスの良家の娘デズデモーナがオセローと結婚するのは、彼の語りの力によって認識を操作されたためである。アラン・ブルームが指摘したように「デズデモーナは、彼[オセロー]の物語ゆえに彼を愛する」。デズデモーナはヴェニスの提供するあらゆる価値観、その最善のものにすら満足できないでいる。そこに彼女が、異邦人オセローとの不釣り合いな結婚を選ぶ要因があった[11]。

要するに、オセローの語りはリアリティの基準を攪乱し、ありそうもないことを引き起こす。デズデモーナはその境遇も肌の色も、何から何まで自分とは正反対のオセローをことさら結婚相手に選ぶが、この異例の結婚は、不可解なほどに強烈な悪意にさらされて破局を迎える。この悪意を具現化したのが、オセローの部下の軍人イアーゴーである。

オセローを執拗に陥れるイアーゴーは、ゴシップの化身のような人間である。イアーゴーの言葉は常に教訓的・格言的である。つまり、彼は自らに固有の言葉を話すのではなく、社会にあらかじめ流通している教えを戦略的にサンプリングし、それをオセロー夫妻への誹謗中傷の言葉として効果的に機能させるのだ。ゆえに、イアーゴーが「彼を取り巻くすべての人々の忠実な鏡」(アラン・ブルーム)と見なされるのも不思議ではない[12]。

シェイクスピアの描くヴェニスは、香辛料貿易で栄えた開放的な国際都市というだけでなく、ゴシップと自己宣伝の充満した不穏な都市でもある(この性格は、貿易商とユダヤ人金融業者を法廷で対決させる『ヴェニスの商人』にも当てはまる)。オセローは黒い肌の移民であり、性的に放埓という噂を立てられている。その一方、美貌のデズデモーナも若い男を漁っているのではないかという性的な好奇心にさらされている。つまり、事実はどうあれ、性的なゴシップがこの異例の有名人カップルをあらかじめ取り巻いている。

したがって、ゴシップと確執を増大させるイアーゴーは、悪意の創作者ではなく、共同体の欲望を反射した悪意のシミュラークルである。彼の陰謀によって、オセローは自身に向けられた不定形の悪意には関心をもたず、妻であるデズデモーナにこそ悪意を認める。この致命的な誤解が嫉妬、つまり「緑色の目をした怪物」を肥大化させ、オセローを自滅へと導く。

もとより、イアーゴーは伝統的な道化役の変形だが、シェイクスピアはそこに「人種差別的トリックスター」という特異な性格を付け加えた[13]。彼は、社会の通念やルールと戯れながら、その悪ふざけを強烈な悪意へと横滑りさせるジョーカーである。彼の特徴は、自ら事の真相を探ろうとせず、真偽不明の伝聞情報だけでオセローへの悪意を膨張させるところにある。

俺はムーアが憎い。世間じゃ、やつが俺の女房の布団にもぐりこみ、俺の代わりを務めたという。本当かどうか知らんが、こういうことにかけちゃ、俺は単なる疑いでも許しちゃおかない。ムーアは俺を信用している。だから、なおさら騙すのには好都合だ。(第一幕第三場)

オセローを失墜させるためには、イアーゴーは屈辱的な被害者(寝取られた夫)を演じることも辞さない。ジョーカーである彼にとっては、事実ではなくゴシップやジョークこそが本物であり、フェイクを現実に変えるためには、自他の人生を犠牲にしても一向に平気なのである。

こうして、イアーゴーは『マクベス』の魔女と同じく、劇全体に浸透した不可視の悪意や陰謀の代理人として現れる。主人公のオセローやマクベスの主体性は、あらかじめ陰謀とゴシップによってくり抜かれている。そのことが、軍人である彼らから誇りや自信を奪い取り、その心境をあいまいで不定形なものに変えてしまう。ラブレーが「ソクラテスのダイモンの声」によってパンタグリュエルを不確実な心に導いたとしたら、シェイクスピアはその声の対応物を魔女の陰謀やゴシップの悪意に求めた。主人公の身体に危害を加える代わりに、むしろ彼の信念と尊厳をあざ笑い、不確実なものに変えること――この心の不毛化にシェイクスピア的な「悪」の本質がある。

5、一六世紀――知の解放、ひび割れた世界

世界文学の進化を考えるとき、一六世紀に最初のブレイクスルーがあったことは明らかである。文学の主人公の中心はしばしば「壺」のようにくり抜かれ、その周囲に不定形なものや不確実なものが浮上した。一六世紀後半の哲学者ジョルダーノ・ブルーノが「無限」の概念によって、地球であれ太陽であれ、特定の中心をもつ宇宙像を破棄したように、一六世紀の世界文学にも、自我の中心性を解除する力が書き込まれたと言えるだろう。

このブレイクスルーは、当時の知の解放運動とも隣接する。世紀末から一七世紀初頭にかけて活動したシェイクスピアおよびセルバンテスに先立って、ラブレー、ラス・カサス、ホセ・デ・アコスタ、エラスムス、トマス・モア、ルターら革新的な人文学者や神学者が一六世紀の知の推進者となった。科学史家の山本義隆によれば、このような人文的な運動は、大学に独占された知を解放する「文化革命」の到来を告げるものである。ジョルダーノ・ブルーノのスコラ学批判の対話篇やガリレオの『天文対話』は、大勢に理解できるイタリア語で書かれたが、それらは既得権益層である教会の強い反発を買いながらも、続く一七世紀の「科学革命」を準備した[14]。

さらに、一六世紀から一七世紀にかけての革新は、ヨーロッパだけで起こったわけではない。出版革命の起こった一六世紀以降の中国でも、官僚予備軍である民間の知識層が、やはり俗語(白話)で書かれた小説を刊行した。これもまた知の解放運動として捉えられるだろう。シェイクスピア劇や『ドン・キホーテ』とも時代の近い『水滸伝』が、この文化革命のシンボルであったことは、すでに述べたとおりである(第四章参照)。イアン・ウォットは一八世紀イギリスでの小説の勃興を、経済力をもつ中間層の誕生と結びつけたが[15]、中国ではすでにそれ以前に、科挙をめざす教育の副産物のような形で、小説の読者層が広がっていた。

ここで重要なのは、シェイクスピア劇と同じく『水滸伝』の世界像にも、あらかじめ亀裂が入っていたことである。『水滸伝』は好漢の物語の「前史」として、横柄な政府高官がうっかり妖魔を解き放ってしまうエピソードから始まるが、これは『マクベス』の幕が一瞬早くあがり、魔女たちの陰謀が暴露されるアクシデントとよく似ている。『水滸伝』はテクストに先行するコンテクスト、つまり当の小説を創設した小説外の事故や陰謀をも、テクストにおいて露見させたのである。

もとより、テクストの起源を明らかにすることそのものは、中国小説ではなじみ深い手法である。現に、『三国志演義』の冒頭では「分」と「合」の反復という歴史哲学が示され、『西遊記』では山頂の石卵が猴(サル)に変化するという神話が語られ、『紅楼夢』(原題は『石頭記』)では物語の語り手である石の来歴が語られるのだから。ただ、『水滸伝』のプロローグは、これらの神話的起源とは異質の印象を与える。なぜなら、傲慢にして卑小な政治家のもたらしたアクシデントに始まる『水滸伝』では、もはや神話では救済できない政治の頽廃が、世界をあらかじめくり抜いているからだ。

不治の病にかかり、根底的にひび割れた世界――それが『水滸伝』の原風景である。『水滸伝』のエピソードを家庭化しながら、快楽と消費のゲームを延々と書き綴った『金瓶梅』は、このひび割れをいっそう深化させ、底なしのニヒリズムへと導いた。これらから言えるのは、中国の小説が哲学とは異なるやり方で、世界を了解する特異な精神状態を象ったことである。

二〇世紀中国を代表する哲学者の牟宗三によれば、中国哲学は古来より「憂患意識」において世界を了解してきた。牟の考えでは、中国的な主体性は、理知的・論理的なものではなく、世界を強く憂える感情から生じる「道徳性」にルーツをもつ。宗教の起源に宇宙に対する「恐怖意識」――キルケゴールの言う「おののき」――があり、それが人間の意識を神に向かって上昇させるとしたら、中国哲学の起源には強烈な「憂患意識」があり、そこをめがけて世界(天命)が下降してくる。中国の哲人政治家(聖人)は、この世界を受信するアンテナのような憂えの感情に根ざして、道徳的な世界の実現をめざした[16]。

超越的な神を求める代わりに、内在的な憂患意識のなかに世界をインストールすること――このような主体化のプログラムは、確かに中国のエリート知識人(士大夫)の精神史を特徴づけている。小説もその例外ではない。ただ、『水滸伝』、『金瓶梅』から一八世紀の『儒林外史』や『紅楼夢』に到るまでに、小説における憂患意識の所有者は政治家や士大夫だけにとどまらず、市民や女性にまで広がった[17]。白話という新たな出版語に根ざしながら、世界を了解する精神状態を市民レベルにまで拡大することが、小説という思想運動の推進力になったのである。

6、一八世紀――世界認識を刷新する小説

再び西洋の状況に戻ろう。一七世紀ヨーロッパの小説は、セルバンテスの『ドン・キホーテ』という巨星から始まったわりに、その進化はいささか低調であった。フランスではコルネイユ、ラシーヌ、モリエールという古典主義を代表する三人の劇作家が活躍する一方、シャルル・ソレルの『フランシヨン滑稽物語』――『デカメロン』やスペインのピカレスクロマンの遺産を継承したエロティックな諷刺小説――から、心理小説の先蹤となったラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』に到る小説が書かれたものの、セルバンテス死後数十年の小説の歩みは、総じて「不規則で緩慢」であった[18]。
その反面、一七世紀には重大な知的変革が相次いだ。ニュートンやライプニッツらが科学を飛躍させる一方、デカルトやジョン・ロックを契機として哲学の「主観性への転回」が生じた。
あえて単純化すれば、一八世紀の小説は、一六世紀の〈世界〉と一七世紀の〈主観〉を合流させたと言えるだろう。例えば、スウィフトの『ガリヴァー旅行記』は、巨人が船で架空の諸外国をめぐるラブレーの『ガルガンチュア』と似ているだけではなく、ラス・カサスの記述したジェノサイドの問題も取り入れていた(前章参照)。さらに、ラブレーの愛読者であった一八世紀後半の牧師ローレンス・スターンは、ディドロによって「イギリスのラブレー」と呼ばれた[19]。ともにアイルランド生まれのスウィフトとスターンは、一六世紀的な〈世界〉への志向を、一八世紀の小説のテーマとして再創造したのである。
その一方、一八世紀の小説家たちはリチャードソンの書簡体小説を筆頭に、主観性を際限なく引き延ばす技法を作り出した。書簡とは「思考の延長」を可能にする瞑想的なアプリケーションである(第一一章参照)。小説の創作した主観性は、一七世紀の哲学的なモデルへの批判的な応答という一面をもちあわせていた。現に、スターンはジョン・ロックの自我同一性の哲学を支える観念連合説をパロディにするようにして、奇想天外な小説『トリストラム・シャンディ』(一七六七年完結)を書いた。このとき、スターンの思想は同世代のスコットランドの哲学者ヒュームと近接する。ヒュームはロックを批判しながら、自我の感覚を移ろいやすい知覚の束と見なしたが、それは脱線や不確実性を強調したスターンの小説と共鳴するものであった。
一八世紀の小説は一七世紀の哲学とは異なるやり方で、主観性の探究のための新たなルートを開削した。それは、欲望の機能の評価という新たなプロジェクトにも差し向けられる。ジャック・ラカンによれば、一八世紀フランスのディドロやサドらの企て――それは挫折するのだが――は「欲望の自然主義的解放」とでも呼べるもの、つまり「快楽人間」の思考を追求した。それは神に対する挑戦であるだけではなく、欲望が何をなしうるかのデモンストレーションになった[20]。このような欲望の検証も、一七世紀の哲学には欠けていたものである。
その際、神の重力を逃れようとする一八世紀の小説が、散文の時間性を利用したことも見逃せない。言語学者ロマン・ヤコブソンによれば、詩(verse)がラテン語の語源的に「規則的回帰という概念」を含むのに対して、散文(prose)は同じく語源的には「前進」を示す[21]。詩の言葉は、過去への回帰的視線と未来への期待を、現在のなかに包摂しており、時間を重層的に重ねあわせている。逆に、散文はこのような回帰性をいったん手放し、前進する時間にアクセントを置いた。それが、ガリヴァーやクルーソーのような一八世紀の冒険者たちに推進力を与えたのである。

7、グローバリズムをくり抜く地震

こうして、一八世紀の新興の小説家=散文家は、オープンで不確実な世界への冒険を活気づけた。ただ、ここには面白い逆説がある。それは、進歩的な冒険者に集中すればするほど、その主人公をあらかじめくり抜いている力が目立つことである。小説を読むとき、われわれは主体という「図」にフォーカスするだけでなく、主体の背後にあって主体をあらかじめ規定する「地」を考慮に入れなければならない。なぜなら、小説ではしばしばこの図と地の反転が生じるからである。
この問題を「地震」をモデルに考えてみよう。ヴォルテールが『カンディード』で一七五五年のリスボン地震の惨禍を取り上げる以前に、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』はすでに島の地震で生き埋めになる恐怖を記していた。島のクルーソーは、自分一人のための衣食住の場所を建設しようとする。彼の労働は「もつこと」と「住むこと」の充実によって「あること」(存在)を根拠づける作業であった。しかし、この建設の途上で不意に地震が起こり、クルーソーを驚かせる。

地震というできごとそのものに、ぼくはひどく面食らった。こんな感覚は味わったことがなかったし、他人から話に聞いたことさえなかったものだから、死んだように全身が麻痺してしまった。大地が動くので、まるで波に揺られたように吐き気を覚えた。(一一八‐九頁)

堅固な大地が、未知の地震によっていきなり海に変わってしまう――このアクシデントが、クルーソーの存在を揺るがし「吐き気」を催させる(なお、前章で言及したアフリカ人オラウダ・イクイアーノの自伝でも、ヨーロッパで地震を初めて体験したときの恐怖が記されるのは興味深い)。自己の核をくり抜くものとして、シェイクスピアが舞台裏の魔女の陰謀を露見させたのに対して、デフォーは大地を海に変える地震によって、クルーソーの心身を麻痺させた。ここには、自己の中心化によって、かえって自己の脱中心化も加速するというパラドックスがある[22]。

大地での居住可能性の喪失という危機は、意外にも、後のカントの見解とも共振する。リスボン地震の直後に、若きカントが地震の自然学的な分析に取り組んだことはよく知られている。彼は地下の洞穴に蓄えられた「火」が地震を引き起こすと予想したが、それは今から見れば当然誤りにすぎない。ただ、より重要なのは、不可視の地下が複雑なネットワーク(多様な迷路)で一つに結びついているというカントの見解である。「自然は、われわれの眼やわれわれの直接の探求に対して隠しているものを、その作用によって打ち明ける」。地震が打ち明けるのは、地上ではなく地下こそが、真にグローバル(全球的)な世界だということである。地震の教えを真摯に受け入れるとき、人間は世界の住人ではなく、むしろ「異邦人」として理解される。

人間ははかないこの世の舞台上に永遠の庵を結ぶようには生まれついていない。人間の全生涯ははるかにもっと高貴な目的をもっているのだから、この世の無常がわれわれには最大で最重要に思われるもののうちにすら垣間見させる破滅はみな、みごとにこの目的に合致してはいないであろうか。[23]

ヴォルテールにとって、地震が「すべては善である」と信じ込んだ神学者たちのたわごとへの挑戦であったとしたら、カントにとって、地震は哲学的な教えである。住処を破壊する地震は、人間の目的が「地上の富」の追求とは別のところにあることを教えている。なぜなら、地上の幸福を達成しても、それはいずれ地震によって解体される運命にあるのだから。

人間の目的を地上で完結させてはならない――このカントの戒告は、クルーソーへのコメントのようにも読める。クルーソーは大地と海を横断し、地上に住居を築くが、この活動の背後にはいわば地下のグローバリズムがあった。デフォーが示したのは、地上のグローバルな主体性をくり抜き、麻痺させ、不安定にする力としての地震である。興味深いことに、デフォーはその後も、主体とその背後の力をともに象り続けた。女性の一人称の自伝的小説として書かれた『モル・フランダース』や『ロクサーナ』は、グローバルな主体を女性化しつつ、その存在をくり抜く危機を克明に描いている。

特に、一七二四年に刊行されたデフォー最後の長編小説『ロクサーナ』では、その主体性が家族によって麻痺させられる。ロクサーナはフランス生まれだが、幼くしてロンドンに渡り、完璧なイギリス人になりきる。その後、社交界に出入りするようになった彼女は、結婚して五人の子を産むものの、その生活が破綻してからは上流階級の愛人となって栄達の道を歩む。この「悪徳」の暮らしは、結婚関係に縛られない女性の自由の表現でもあった。

しかし、ロクサーナは自分の置き去りにした娘を気にかけるようになり、密かに援助するが、今度は娘が母との血縁関係を証明しようと躍起になり始める。今の生活を脅かされたくないロクサーナは、シスターフッドで結ばれた女中のエイミーをスパイのように活動させ、娘から逃れようとするが、それは最終的に娘の殺害というショッキングな事件で終わる。上流社会でさまざまな仮面をかぶり、ヨーロッパを横断しながら生き延びてきたタフなロクサーナが、ついに自らのドッペルゲンガーのような家族の侵入によって破局を迎えること――この女たちの物語では、血のつながった自己のシミュラークルこそが、自己を足元からくり抜く地震となった。

8、自己の中心化と脱中心化――スターンのモダニティ

このような脱中心化の運動を極限に導いたのは、やはりローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』である。この小説はイギリスの紳士トリストラム・シャンディの自伝として書き出されるにもかかわらず、人生の記述の精密さを期すという言い訳のもとで、主人公の生まれる前の親たちのエピソードが膨張し、自伝をのっけからハイジャックしてしまう。本来は前に直進するはずの自伝的な散文が、通常の軌道から外れ、謎めいた回転運動を始める――この言葉の渦には、トリストラム・シャンディの自己以外のものたちが大量に巻き込まれてゆくだろう

しかも、この常軌を逸する運動は、小説を成り立たせる文字の中心性をも解体した。スターンが小説に黒や白一色のページを挿入したり、大理石模様の挿絵を入れたりと、奇抜なイメージを導入したことはよく知られている。それらはまさに「偶発的なイメージ」の表現であり[24]、そこには二〇世紀の絵画的実験――偶然性を利用したアクション・ペインティングや、「無対象の世界」を追求した抽象絵画――が早くも予告されていた。このような破格の表現を駆使したスターンについて、ニーチェは卓抜な見解を示している。

彼[スターン]の賞賛さるべき点は、完結した冴えた旋律ではなくて、いわば「無限旋律」であろう、――明確な形式がたえず打ち破られ、乱され、不確定なものへと移しかえられ、その結果同時に二重の意味を持つに至るような芸術様式に与えられる名称としての「無限旋律」である。スターンはこういう曖昧性の巨匠である。(『人間的、あまりに人間的』第二巻)[25]

ニーチェが言うように、あらゆる「まじめさ」や「厳粛さ」を嫌悪したスターンは、真剣さと笑い、深遠な思考と滑稽さを共存させた。彼の小説では、知者と愚者の見分けもつかず、作者が読者になり、読者が作者になる(第三巻には、白紙のスペースをもうけ、そこに読者が自分なりに作中の女性像をイメージするよう指示する場面もある)。『トリストラム・シャンディ』を貫く「シャンディイズム」は、このめくるめく転変を――つまりあいまいさや不確実性を――それ自体として生き抜く態度に連なっている。

繰り返せば、文学のモダニティの特徴は、自己の中心化と脱中心化がともに進行することにあった。『トリストラム・シャンディ』はその破天荒な書き方によって、かえってこの近代の特徴を模範的に示している。語り手トリストラムは「脱線」こそが読書の生命だと述べながら「二つの相反する動き、お互いに両立できないと考えられた動きが、この著作に持ちこまれて、しかも融和している――一言でいうならば私の著作は脱線的にしてしかも前進的――それも同時にこの二つの性質を兼ね備えているのです」(第一巻第二二章)と自画自賛するが[26]、この「二つの相反する動き」とは、まさに自己を自己以外のものによってくり抜く運動に等しい。こうして、スターン的な自己はいわば「壺」のように象られるだろう。

私がここまで言及した作品は、いずれも主体の背後の存在に具体的な事件性を与えていた。しかし、スターンの場合、ダイモンの声も魔女も地震も出てこない。始まりも終わりも打ち消すスターン流の無限旋律のなかでは、不確実性の領野は一切の輪郭をもたず、ひたすら拡大してゆく。無軌道性という軌道をもつ流体的な文章のなかで、不確実性を解放しつつ管理すること――それがスターンの発明した驚くべき手法であった。とはいえ、それは孤高の試みというわけでもない。なぜなら、一見して無軌道な進行のなかで、文学的着想を巧みに練り上げてゆくスターンの文体には、当時の社交の場コーヒーハウスで育まれた「談話文化」の作用が及んでいたからである[27]。

9、一九世紀――旅行文学から翻訳文学へ

繰り返せば、ヨーロッパ小説は『神曲』のような包括的な世界像がひび割れた後の文芸ジャンルであり、一六世紀の「世界」との出会いがその進化の起爆剤となった。小説においては、主体(地)が中心化される一方で、主体の背後(図)、つまり主体のコントロールを超えた「世界」も大きくなる。ローレンス・スターンは主体の背後に広がる偶然性の領域にアクセスすることによって、自己の中心化と脱中心化を共存させる「あいまいさ」の巨匠となった。

ただ、「新世界」にアクセスしようとする一六世紀以来の欲望は、一九世紀ヨーロッパの文学では総じて減退したように思える。例えば、一八三九年に刊行されたスタンダールの『パルムの僧院』の血気盛んなイタリア人主人公ファブリスは、ナポレオンのワーテルローの戦争に参加するが、戦争が何かもろくに分からないうちに負傷する。それでも戦争への情熱を捨てない彼は、ニューヨーク市民となり、アメリカの共和党の兵士になりたいという希望を、後見人である公爵夫人に語るが、彼女は即座に「あそこに戦争なんてありゃしません。けっきょくカフェ生活に落ちるのが落ちです。ただ優雅も音楽も恋もないだけの違いよ」と言い切って、ファブリスの渡航を抑止する[28]。

こうして、『パルムの僧院』はアメリカという新世界を不毛で退屈な社会として抑圧するが、奇妙なことに、ファブリスの崇拝するナポレオンも作中にはほとんど姿を見せない。一九世紀小説の主人公らしく、ファブリスの心は移ろいやすく、発作的な情動に支配されているが、それは新世界や英雄が彼の視界から消えたこととコインの裏表である。この世界喪失を経て、外部に向かうはずのエネルギーが行き場を失って内向し、心的な混乱に歯止めがかからなくなる――そのとき、心の二日酔い的なアップダウンそのものが語りの源泉になったのである。

では、このような文学的内向の進んだ一九世紀のヨーロッパでは、何が世界性を保証したのか?それは翻訳である。『パルムの僧院』より十年ほど前に、ゲーテは翻訳こそが文学をネットワーク化し、古い作品をたえず生まれ変わらせると考えた。翻訳によって相互接続された《世界文学》の環境では、一つの作品はすでに潜在的には他の作品となる。ゲーテによれば、生物が発展するように、文学もまた世界的な翻訳ネットワークのなかで有機体のように成長するが、この「ビルドゥング」の運動は他者のビルトインを必然的に伴わねばならない。彼はいかなる文学であれ、異なるものの導入、つまり翻訳がなければ再生されないと考えていた[29]。

ゲーテの世界文学のシステムとは、他なる世界を情報としてインストールし続ける強力な翻訳機関にほかならない。そこでは、新世界(外部)に向かおうとする欲動は、世界市場での内なる翻訳に置き換えられた。一八世紀的な旅行文学から一九世紀的な翻訳文学へ――この推移は文学史における「世界性」の位相が変わったことを顕著に示している。ゲーテに続いて、シュレーゲル兄弟やノヴァーリスのようなドイツ・ロマン派の批評家は、自己に自己以外のものを巻き込む翻訳のプログラムを、留保なく推し進めた。「あらゆるものを翻訳する」というアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの総翻訳の企ては、世界そのものを特定の言語にビルトインしようとする欲望を、雄弁に物語っている[30]。このロマン派の翻訳理論が、万物を電子的なデータに変換するという二一世紀社会の欲望を先取りしているのは明らかだろう。

10、野生の翻訳者たち――メルヴィルとソロー

もっとも、翻訳というテーマを発展させたのは、翻訳を理論的に精密化した一九世紀初頭のドイツ・ロマン派の批評家だけではない。私の考えでは、生態系と直接的にコンタクトした一九世紀半ばのアメリカの小説家こそが、このテーマの刷新に大いに寄与した野生の翻訳者である。特に、メルヴィルの『白鯨』は鯨がいかに加工され、別の物質に変化するかを語り尽くしたが、ここにも広義の「翻訳」があった。

多言語ならぬ多物質を内包した鯨は、別の形態に変換される途上にある。つまり、鯨というオブジェクトは世界市場の商品となったとき、潜在的には常に別のオブジェクトとして存在するのだ。それは、鯨が過剰な翻訳を生み出す物質だということと等しい。現に、メルヴィルの描く鯨の翻訳プロセスは、たんに物質的な次元だけでは閉じていない――というのも、そこからはグローバリズムのエネルギー(捕鯨船の世界進出)や精神のエネルギー(エイハブの狂気)も引き出されたのだから。変幻自在の鯨は、めまいをもたらすほどに多様な集団的欲望を組織する。メルヴィルはドイツのシュレーゲルらのお株を奪うようにして、鯨の「総翻訳」を試みていた。

このような過剰な翻訳にさらされた鯨という巨大な物質からは、対象を個体化する力と集団化する力がともに湧き出てくる。『白鯨』の描く捕鯨船はシンギュラーな船乗りたち、つまりそれぞれに独立した「孤島」(エイハブの狂気!)の集まりであり、かつ集合的な欲望を変幻自在に組織する物質(グローバルな商品!)の貯蔵庫でもあった。単一的であることと集団的であること、極端な変わりにくさと極端な変わりやすさ、翻訳に抵抗するものと翻訳を加速させるもの――メルヴィルはこの両極を、白骨のような外見のピークオッド号に封じ込めたのである。

さらに、メルヴィルと並ぶ野生の翻訳者としては、ヘンリー・ソローの名を欠かせない。歩行しつつ思索し、果実を摘んで食しては木登りを楽しむソローは、森で思考することを一種の運動体に翻訳した。大地を食べるような密接なコンタクトによって、自己を広大な物質環境へと転移させること――この生態的な次元での「翻訳」が、ソローの文学に前例のない野生を与えている。
しかも、このような物質どうしの「翻訳」は、実は生態系そのものがたえず実行していることでもある。ソローの歩く野生の森は、彼の愛した楽器エオリアン・ハープのように、街から流れてくる鐘の音を増幅させる「弦」となり、森の精霊の声を生み出す。今福龍太が注目したように、『ウォールデン』における森の記述には、ヴァイブレーション(震え)という語が効果的に用いられているが、森を「震える弦」と捉えるソローの文体は、後に作曲家チャールズ・アイヴスを驚かすほどの音楽性を獲得した[31]。ソローにとっては、森こそが最上の音楽的な翻訳装置なのである。

その一方、ソロー晩年の傑作『コッド岬』になると、彼の記述の対象は森から海へと移動したが、それは自然観にも質的な変化をもたらした。かつてピルグリム・ファーザーズが上陸したマサチューセッツ州で、ソローは神話的父祖たちのアメリカとのファースト・コンタクトを反復するようにして、コッド(タラの意)のとれる岬を歩く――ただし、ソローの描く海は、神話的というよりはむしろ即物的であった。『ウォールデン』の森や湖が、人間と自然の交流する場であったのに対して、『コッド岬』の海はむしろ「人間のことなど一顧だにしない裸の自然」として現れてくるのだ[32]。

この非人間的な海の岸辺は「難破」と「死」という破局のイメージで満ちあふれている。冒頭から広大な海が「その形状すらしっかり捉えることのできない、いわば別世界」であることを強調するソローは、不慮の海難事故のニュースに接する。彼がコッド岬で最初に直面したのは、難破船の残骸と多くの無惨な遺体であった。しかし、ソローはそのことを嘆く悲しむそぶりを見せない。「そもそも遺体に対して気遣うような態度で接する意味が分からない。もはや屍は蠕虫が寄生し、魚が群がる単なる物体だというのに」[33]。

このアモラルで即物的な態度は、コッド岬が「砂漠に近い不毛の地」であることと対応している。さまざまな漂着物で満たされた「死体安置所」のような海岸は、海の生態系の現実をソローに教える。この悪臭の漂う荒々しい海岸でこそ、ソローの思索は最も自由に動き始める。

海岸はいわば中立地帯のような場所であり、この世界について熟考するにはとても適していると思われる。と同時に特段珍しくもないありふれた場所でもある。いつまでも尽きることなく陸地に打ち寄せる波は遥か遠方まで漂うので、どうにも意のままにすることはできない。私たちは局地的な大雨に見舞われたり、波の白い飛沫や泡を浴びながら、浜辺を這うように進んだ。その際に、私たち人間も海生軟泥から生まれた産物であると、そうつくづく思った。[34]

森が音楽を漂流させるように、海は物質やその匂いを漂流させる。ソローにとって、海は生命を物質に、物質を生命にたえず変換し続ける巨大な翻訳装置である。そして、このアモラルな翻訳装置が、人間社会での利害にわずらわされることなく、世界について「中立的」に考える術を教える。海は何が起こるか分からず、波をコントロールすることもできない。しかし、その不確実性こそがソローの思索を活気づける。思考と不確実性を結びつけたパスカル的なモデルは、ソローにおいて、野生の翻訳として再創造されたのである。

11、二〇世紀――小説という壺

私はここまで「世界から引き返せ」という声に始まる、主体をくり抜く不確実性の領野に注目してきた。ラブレーにおけるソクラテスのダイモンの声、シェイクスピアの魔女、『水滸伝』の妖魔、デフォーの地震、スターンの偶発性、ゲーテの翻訳、メルヴィルの鯨、そしてソローの森や海――これらはいずれも主体の背後や足元にあるもの、つまり主体の計算を超えたものである。
そして、二〇世紀に入ると、それに関わって新たな認識が生じてきた。すなわち、小説というジャンルそのものがいかなる形式上の制約ももたない、本質的に不定形なジャンルであることが強調され始めたのである。

そのような観察には事欠かない。「僕は僕の夜の思想を以て、小説というものは何をどんな風に書いても好いものだという断案を下す」(「追儺」一九〇九年)と言い切った日本の森鷗外から、「すべてを言うことを許容する」というライセンスを発行する「奇妙な機構」として文学を論じるジャック・デリダに到るまで[35]、二〇世紀の多くの思想家において、小説は言葉の可塑性を最大限に高める実験室と見なされてきた。小説の柔軟性・可塑性を際立たせたスターンやメルヴィルが、モダニズムを経て再評価されたことも、この思想的動向に関わっている。

モダニズムの運動もまた、一九世紀以来の翻訳のプロジェクトの一環として捉えられる。例えば、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』は翻訳不可能だとされるが、その不可能性はむしろこの小説が翻訳の集合体であることに由来する。ジョイスは諸国語をアルファベットに変換して圧縮し、新たな合成語を作成した。このジョイス的な翻訳によって、一つの語が潜在的には複数の言語となるだろう[36]。それは、あらゆる所属から解き放たれた場所なき言語、いわば亡命状態の言語なのである。

ジョイスら二〇世紀の作家を経て、小説は高度に可塑的なものになったが、もともと一八世紀のnovelという概念からして、不定形なものであった。実際、一八世紀の読者にとって、novelは未知の散文であり、旧来のジャンルの区分にうまく収まらなかった。今日では『ロビンソン・クルーソー』や『クラリッサ』、『ジョゼフ・アンドリュース』、『トリストラム・シャンディ』等はイギリスの「一八世紀小説」として括られているが、当時はそれらを同種のジャンルと見なすコンセンサスはなかった。novelはromanceという語と、磁石のようにお互い引き寄せあったが、それはnovelの固有の価値がはっきりしなかったことを裏づけている[37]。

アメリカでも一七九〇年以前には、novelというラベルは敬遠された。当時のアメリカの出版社は、例えば『トリストラム・シャンディ』をnovelでなくa sentimental historyとして広告した。ただ、一九世紀になると状況が変わる。スケッチ、囚われの物語、旅行記等を含むノンフィクションの読み物が、むしろnovelとラベリングされたのである[38]。その意味で、novelは純然たるフィクションというよりも、フィクションとノンフィクションのあいだで戯れる自由を作者と読者に付与するジャンルだと言うべきだろう。

要するに、ジャンルを攪乱するトリックスター、あるいはジャンルという概念にとってのエクストラ(余計者)、それがnovelの身分である。してみると、小説は小説的主体と同じく、あらかじめ確実な中身をくり抜かれた壺のようなものではなかったか。面白いことに、ジャック・ラカンに言わせれば、壺とは創造の寓意である――壺は空虚を、つまり虚無(ニヒル)を自らの内部に孕み、かつこの無を満たすという運動を引き起こす[39]。あらゆる創造行為はどこか壺の制作と似ているが、小説にはとりわけそれが当てはまる。

ただ、二〇世紀においては、小説的思考の核心にある不確実性や虚無そのものが、壺そのものを破壊しかねないほどに肥大化したことも確かである。では、小説はこの虚無にどう対応したのか。それを最後の問いとしよう。

[1]パスカル『パンセ』(前田陽一他訳、中公文庫、二〇一八年)二五九、一八三頁。
[2]ダンテ『神曲 地獄篇』(平川祐弘訳、河出文庫、二〇〇八年)三五一頁。
[3]レスリー・A・フィードラー『消えゆくアメリカ人の帰還』(渥美昭夫他訳、新潮社、一九八九年)三四頁。なお、ダンテはホメロスの『オデュッセウス』を知らなかった。『神曲』のオデュッセウスの淵源となったのは、オウィディウスの『変身物語』である。Prue Shaw, Reading Dante, W.W. Norton & Company, 2014, p.122.
[4]J・L・ボルヘス『ボルヘスの「神曲」講義』(竹村文彦訳、国書刊行会、二〇〇一年)五九頁。
[5]オデュッセウスに限らず、『神曲』の登場人物はその終局的な場、つまり人生のファイナル・アンサーを固定されている。E・アウエルバッハ『世俗詩人ダンテ』(小竹澄栄訳、みすず書房、一九九三年)によれば「ダンテが『神曲』に見せてくれるのは、掛け値なしに登場人物たちの最終運命である。地上の束の間の時間は彼らから流れ去り、煉獄にいる例外もあるが、彼らはすでに定められた場所にいる。そしてその場所を離れることは永遠にないだろう」(一四三頁)。
[6]ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル 第四の書』(宮下志朗訳、ちくま文庫、二〇〇九年)二三八頁。
[7]同上、五四六頁。
[8]「『マクベス』における魔女たちの贋の登場」(渡邊守章訳)『マラルメ全集』(第二巻、筑摩書房、一九八九年)四九二頁。
[9]レスリー・フィードラー『シェイクスピアにおける異人』(川地美子訳、みすず書房、二〇〇二年)四頁。二〇世紀になると、シェイクスピアの登場させた他者の文学(女性文学、黒人文学、ラテンアメリカ文学、ユダヤ文学)が浮上した。それは、シェイクスピアの他者イメージの先駆性を物語っている。
[10]マイケル・D・ブリストル「『オセロー』におけるシャリヴァリと除け者の喜劇」アイヴォ・カンプス編『唯物論シェイクスピア』(川口喬一訳、法政大学出版局、一九九九年)一五九頁。
[11]アラン・ブルーム『シェイクスピアの政治学』九三頁。
[12]同上、七五頁。
[13]ジェイムズ・R・アンドレアス「オセローのアフリカ系アメリカ人たちの後輩たち」カンプス前掲書、二一六頁。
[14]山本義隆『一六世紀文化革命』(第二巻、みすず書房、二〇〇七年)五五六、五八二頁。山本によれば、外科医学、代数学、植物学、鉱物学、力学、天文学、地理学等の諸分野の勃興した一六世紀においては、グーテンベルク以降の印刷術を用いて、職人や科学者らが俗語の科学教科書を書き、自らの思考を表明し始めた。それによって、それまでは大学で独占されていた知が、その外へと急速に拡散したのである。
[15]イアン・ウォット『イギリス小説の勃興』第二章参照。
[16]牟宗三『中国哲学的特質』(台湾学生書局、一九六三年)一五頁以下。
[17]ただ、一七世紀中国の作家が出版に強い関心をもったのに対して、一八世紀の文人小説は商業出版に背を向けて、一部のエリート文化人のあいだでのみ流通したことも見逃せない。この点は、『儒林外史』を一八世紀の精神史的変動と結びつけた商偉『礼与十八世紀的文化転折』(生活・読書・新知三聯書店、二〇一二年)の序論を参照。
[18]Ioan Williams, Idea of the Novel in Europe 1600-1800, New York University Press, 1979, p.26.
[19]伊藤誓『スターン文学のコンテクスト』(法政大学出版局、一九九五年)一二頁以下、一一五頁。なお、同書付録の「小説研究の動向」は、英語圏の小説研究の一端を紹介した便利なガイドである。
[20]ジャック・ラカン『精神分析の倫理』(上巻、小出浩之他訳、岩波書店、二〇〇二年)四頁。
[21]ロマン・ヤコブソン『言語芸術・言語記号・言語の時間』(浅川順子訳、法政大学出版局、一九九五年)三〇頁。
[22]さらに、スコットランド生まれのトバイアス・スモレットのピカレスクロマンの名作『ロデリック・ランダムの冒険』(一七四八年)では、故郷を離れた主人公が海軍、劇場、コーヒーハウス、出版界等を満身創痍で駆け巡りながら、多様な人間たちの身の上話やゴシップを我が身に引き写してゆく。ここでも、主人公の中心化と脱中心化が同時進行していた。なお、『ドン・キホーテ』の英訳者でもあるスモレットは、一八世紀において、自らの刊行物をnovelと呼んだ例外的な作家であった。Geoffrey Day, From Fiction to the Novel, Routledge, 1987, p.22.

[23]「地震の歴史と博物誌」(松山壽一訳)『カント全集』(第一巻、岩波書店、二〇〇〇年)二九〇、三一八、三二四頁。
[24]ダリオ・ガンボーニ『潜在的イメージ』(藤原貞朗訳、三元社、二〇〇七年)八一頁。なお、スターンの抽象的なイメージを一九世紀に再来させたのが、ヴィクトル・ユゴーの線画である。ユゴーはコーヒーの染みや使用済みの筆やマッチを使って、偶然性や不確実性を絵画に導入した(同、一〇七頁以下)。
[25]『ニーチェ全集』(第六巻、中島義生訳、ちくま学芸文庫、一九九四年)九一頁。
[26]スターン『トリストラム・シャンディ』(上巻、朱牟田夏雄訳、岩波文庫、一九六九年)一三〇頁。
[27]ヴォルフガング・シヴェルブシュ『楽園・味覚・理性』(福本義憲訳、法政大学出版局、一九八八年)六四頁。
[28]スタンダール『パルムの僧院』(上巻、大岡昇平訳、新潮文庫、一九五一年)一八六頁。逆に、アメリカではエマソンが有名な講演「アメリカの学者」で、古いヨーロッパへの隷属を断ち切ろうとする文化的な独立宣言を掲げていた。スタンダールとエマソンのアメリカ観はまさに好一対である。
[29]アントワーヌ・ベルマン『他者という試練』一三五頁。
[30] 同上、二七七頁以下。
[31]今福龍太『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(みすず書房、二〇一六年)一六三頁以下。ジェーン・ベネット『震える物質』(林道郎訳、水声社、二〇二三年)も、肉食をやめる一方、野生のハックルベリーの実のような「小さなもの」を食べて、物質と同盟関係を結ぶソローの手法を描き出している(一一〇頁以下)。
[32]伊藤詔子『よみがえるソロー』(柏書房、一九九八年)一三〇頁。
[33]ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『コッド岬』(齊藤昇訳、平凡社ライブラリー、二〇二三年)一〇、二三頁。
[34]同上、二六三、二七八頁。
[35]Jacques Derrida, Acts of Literature, ed. Derek Attridge, Routledge, 1992, p.36.
[36]このジョイス的翻訳と呼応するのが、フロイトの精神分析である。性的欲動の「可塑性」を強調するフロイトは、ある欲動が別の欲動に置き換えられるのは常であると見なしながら、諸欲動の舞台である夢について「夢の働きとは夢の思想を象形文字に類似した原始的な表現法に翻訳すること」だと定義する。フロイトによれば、夢の翻訳とは、二つの異なった観念を区別せずに「結合」や「凝縮」を施す作業だが、それはジョイス的な言語操作と共振する。フロイト『精神分析学入門』(懸田克躬訳、中公文庫、改版二〇一九年)二六九、三六三、五五四頁。
[37]Day, op.cit., p.7.
[38]Cathy N. Davidson, Revolution and the Word: The Rise of the Novel in America, Oxford University Press, 1986, pp.40, 152, 170.
[39]ラカン前掲書、一八一頁。

この記事は、PLANETSのメルマガで2024年7月9日、7月17日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2024年9月5日に公開しました。
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