三宅陽一郎 | パサージュ再論──都市の遊歩者から情報の遊走者へ、そして知の遊合者へ
かつてパリを歩いたベンヤミンは、都市の街路(パサージュ)を人々の多様なつながりと創造性を育む場と考えました。その役目を引き継いだはずのインターネットは、過密なムラ社会と化しつつあると、三宅陽一郎さんは指摘します。街から人影が消えたいま、改めてインターネットを新しいパサージュとして再生させるには。そのヒントを探す、人工知能技術者の思索です。
かつてパリを歩いたベンヤミンは、都市の街路(パサージュ)を人々の多様なつながりと創造性を育む場と考えました。その役目を引き継いだはずのインターネットは、過密なムラ社会と化しつつあると、三宅陽一郎さんは指摘します。街から人影が消えたいま、改めてインターネットを新しいパサージュとして再生させるには。そのヒントを探す、人工知能技術者の思索です。
浅生鴨さんといえば、NHK_PRのTwitterの初代「中の人」を務めていた方で、ある意味では震災前後の時期のTwitterの象徴ともいえる人です。あれからSNSをめぐる風景は大きく変わりましたが、プラットフォームごとの「ここは、こんな場所」という空気にのまれず、ウェブメディアを「自分のために」使い倒すには?その極意をうかがいました。
「遅いインターネット」がこのウェブマガジンと、そして僕(宇野)の書いた本というかたちになって1ヶ月。想像よりだいぶ大きな反響をもらっていて、戸惑っているところもあります。そこで今回は上妻世海さんと僕たちが世の中に投げかけた「遅さ」について話してみることにしました。彼は、僕の知る限り社会の「速度」からいちばん自由な人間です。
期間限定で『遅いインターネット』(幻冬舎)の序章と第1章を無料公開します。
いまの、インターネットは「速すぎる」。そして、そのために人間を「考えさせない」装置になっている。いま、世界中で起きていることがそれを証明しているように思えます。世界中が「速いインターネット」に侵食されつつあるいまだからこそ、ゆっくり自宅で読んでみてください。
濱野智史さんはかつて『アーキテクチャの生態系』で、この国のガラパゴス的に発展したインターネットのもつポジティブな可能性を発見する批評を展開し、衝撃を与えた書き手です。しかしあれから10年余りが経ち、「この国の」インターネットに注目する意味はおろか、インターネットそのものが停滞していると彼は指摘します。そんな濱野さんに「遅い」インターネットという宇野の問題提起をぶつけてみました。
世界にはパソコンのキーボードをより快適に、効率のいい入力のために「自作」したり「カスタマイズ」したりする人々がいることをご存知でしょうか。僕(宇野)の友人である井上明人さんもそのひとりです。いつのまにかこの「沼」に落ちていた彼はこう主張します。ここには「あのころ」のインターネットがある、と。これはそんな沼に落ちた男が考えたプラットフォームとその「速度」についての論考です。
西野亮廣さんと知り合ったのは、もう10年ほど前のことです。
気がつけばふたりとも世の中の中心からはそっと距離を置いて、その代わり自分たちの立っている場所にもっと深く潜り込んで、そして遠くまでものを投げる方法を試すようになっていました。時々、こうして会って話すと、やっぱりやり方は結構違うのだけど、同じようなことをしようとしているのだな、と思います。
今日から、「遅いインターネット」というコンセプトであたらしいメディアをはじめます。そしてはじめに、このメディアでどんなことを、どんな「手触り」を読者のみなさんと共有したいのかを書いてみました。思想とか理論とか社会的な背景とか、そういった面倒くさいことは本にたくさん書いたので、ここでは「手触り」を大事にしてみました。
『PLANETS vol.10』で最初に「遅いインターネット」の着想を発表したとき、真っ先に相談に乗ってもらった一人が家入一真さんでした。家入さんはインターネットに何ができて、何ができないのか、そして何をできるようになるべきなのかを僕の何倍も考えて、そして実践してきた人だと思います。そんな家入さんと、このウェブマガジンをはじめるにあたって改めてインターネットの「速度」について考えてみました。