都市の「未知層/静脈」への注目が「循環」をもたらす

 これからのまちづくりや都市開発において、スマートシティ化はいかにして進んでゆくべきなのか。技術楽観主義でもテクノフォビアでもない、あるべきスマートシティのかたちはいかにして構想可能なのか。「庭プロジェクト」の第7回の研究会では、日本におけるデジタル・ファブリケーションや3D/4Dプリンティングの先鞭者として研究や実践を重ねてきた田中浩也さんによるプレゼンテーションをもとに、スマートシティやデジタルものづくりのこれからについて考えました。後編記事では、研究会の前半に行われた田中さんのプレゼンテーション(ポスト・スマートシティの都市を構想する──「デジタルものづくり」から考える|田中浩也)の内容をもとに行われた、参加メンバーによるディスカッションの内容をダイジェストします。
 
 田中さんのプレゼンテーションの最後で触れられていた「都市の『未知層や潜在層』」という考え方に触発されたのが、近年は民藝に関心を寄せている哲学者の鞍田崇さんです(参考:「民藝」の思想的意義──「インティマシー」から考える|鞍田崇(前編))。

「都市の未知層や潜在層、というのは面白い視点だなと思いました。今回はプラスチックに焦点が当てられていましたが、他にもそうした層に当てはまる素材はないのか、もう一度都市を見渡してみたいという気持ちになりましたね。

またプラスチックは、現代においては、かつての藁のような地位にあるのではないかとも感じました。弱くて、摩耗していき、しかも循環していく。もちろんプラスチックはコンクリートと同じように、ある種20世紀の発展の豊かさの象徴でもありますが、これから滅んでいくのではなく、循環していくような未来を描くこともできるのではないでしょうか」(鞍田崇さん)

哲学者の鞍田崇さん(「庭プロジェクト」・ボードメンバー)

 そして建築家の門脇耕三さんもまた、田中さんの「都市の『静脈』を可視化する」という提案にインスピレーションを得たといいます。

「都市の『静脈』を可視化し、別の経済圏を作るべきだという話は特に参考になりました。約20年前に建築家の西沢大良さんが分別についてのエッセイを書いていて、ゴミを分別していくとなぜかものすごくきれいになる点を指摘しながら、この『ゴミ』という概念のよくわからない危うさを伝えていました。その話も思い出しながら、田中さんの活動は、『庭プロジェクト』における『庭』の話とも通ずるなと感じました。

庭というのはプライベートとパブリックの間ですが、製品的なものとゴミ的なものの“in between”(その間)について考えると、デジタルファブリケーションによるゴミの利用もやはりどちらともつかない状態であり、『庭』的だと思ったんです。ゴミとも製品ともつかない状態で、みんながそれを耕している、いじっているというのは極めて庭的な工程だなという気付きを得ました」(門脇さん)

建築家の門脇耕三さん(「庭プロジェクト」・ボードメンバー)

 一方、東京都小金井市で建築的/植物的/民藝的とさまざまなアプローチを組み合わせたケアのあり方を探求・実践している福祉施設「ムジナの庭」を運営する鞍田愛希子さんは、「循環」というキーワードに注目しました(参考:ただ「ある」ことを支えるケアへ──「ムジナの庭」から考える|鞍田愛希子(前編))。

「生活するので精一杯の人たちからするとコンビニはものすごく重宝しますし、そもそも医療や福祉の分野ではものすごくプラスチックの利用が多く、エコやエシカルを売りにする活動をしているムジナの庭でも、やはりたくさんゴミが出てしまいます。そのことにずっとモヤモヤを感じていたので、今日の話を聞き、少なくとも自分たちで生活している中で出るプラスチックぐらいは、もっと循環するものに変えていきたいなと思いました。

また、ムジナの庭がある小金井ではゴミ問題が続いていて、1年に2回市長が変わるなど、市民にとっても生活に直結する大きな関心事です。ここ数十年は、地元住民の反対により処理施設を持たないまま、ゴミの押し付け合いや環境汚染などの問題が発生していて、他市の協力があり成り立っているので、そういう意味でも自分ごととして聞いていました。ゴミ削減やリサイクルに対する意識は高い地域だと思うので、お話しいただいた鎌倉の事例を参考に、何かできることをしていきたいなと」(鞍田愛希子さん)

東京都小金井市の福祉施設「ムジナの庭」を主宰する鞍田愛希子さん(「庭プロジェクト」・ボードメンバー)

「ゴミが出なくなると困る人たち」という視点

 田中さんのプレゼンのに対して、専門である経済人類学の視点も背景にコメントをしたのは、文化人類学者の小川さやかさんです(参考:タンザニアのインフォーマル経済から考える、これからの資本主義経済のかたち|小川さやか(前編))。

「もともと古着の研究をしていたので、リサイクルやリユースのことを調べていたのですが、実はゴミが先進諸国で排出されなくなると困る世界があるんです。第三世界の人たちのほとんどは、プラスチックゴミや中古自動車などに依存して暮らしています。まずはそのことを一つ視点として提示させてください」(小川さん)

「すごく大事な話だと思います。2021年の改正バーゼル法によりリサイクルしたものをこれまでのようには海外に輸出できなくなったことを背景に、日本国内や地域で循環させようという流れが生まれています。ただ、改正バーゼル法は、あくまでも悪い側面だけを見て、中古品という名で実際には汚染されたものを海外に送り届けて、向こうに届いても使えないし、病気になってしまうような状況があったので、輸出を制限したものだそうなんです。しかし、実際には有用品やまだ再利用できるものが輸出されていたわけで、そうしたものを糧に生活している人はたくさんいる。まだ明確な答えはわかりませんが、そういうグローバルな問題まで視野を広げるべきだとは思っています」(田中さん)

デジタルファブリケーションなどの研究者の田中浩也さん(「庭プロジェクト」・ボードメンバー)

 また、パターン・ランゲージ、創造社会論などを研究する井庭崇さんも、自らの提唱する「創造社会」の観点から田中さんの活動についてコメントしました(参考:独創性を目指さない「創造」の話──来たるべき「創造社会」のビジョンを考える)。

「僕の提唱する『創造社会』論の観点でも、田中さんの活動は興味深いなと思いました。たとえば鎌倉野菜のように、鎌倉で集めたプラスチックでつくったもの、が出てくることもあり得るでしょう。それがブランドになって他の地域で売れる、というまでの規模では集まらないかもしれませんが、むしろそのほうが面白い。地元で出てきたプラスチックで作ったアクセサリーを上京しても身につけているとか、日用品として使っているとかいうように、地域とのつながりを感じられるようなことが自然物でなくともできる可能性があって、とても創造的だなと思います」(井庭さん)

「規模という観点では、いまデジタル地域通貨(鎌倉におけるまちのコイン『クルッポ』)は鎌倉市民の1割弱の人が使っていますが、急激にユーザが増えてはいません。デジタル地域通貨を使うような層は、新しい技術や実験を面白がれるアーリーアダプター層だそうですが、新たに鎌倉に引っ越してきた人たちからも好評だという話を聞いたことがあります。新参者にとって、街のローカルでディープな体験はハードルが高いものですが、たとえば『店の掃除をしたら鎌倉の歴史を30分間講義してもらえる』のようなチケットがあって、デジタル地域通過を使えば、ふつうに街を散策するよりも深い体験に出会える確率が高まる、といったことが起こっているそうです」(田中さん)

「ただ、(コインのコミュニティに)参加しなくても資源を捨てることができるなら、利用者をさらに増やす必要はあるのでしょうか? 参加したい人は参加すればいいし、別のコミュニティコインやデジタル通貨、メタバース世界に参加する人がいたっていいはずです。利用者が増えすぎると、結局、大手企業のデジタル決済サービスのようなものになり、逆に面白味がなくなってしまうのではないかとも思いました」(小川さん)

「もちろん、必ずしもコミュニティコインを使う人を増やしていく必要はないと思います。ただ、資源回収・資源投函に対する関心をより強めてもらうことは大切だと思っていて、その意味では3カ月とか半年後に結果を報告できる機能などが重要になってくるのではないでしょうか」(田中さん)

研究会にはボードメンバーのみならず、官/民、社会人/学生入り混じったメンバーが参加し、それぞれの専門性から議論が行われました

「静脈」へのコミットが、市民社会の基盤となる

 そして井庭さんの創造社会論についての言及を踏まえて、田中さんの活動のポテンシャルと課題についてコメントしたのが、評論家 / PLANETS編集長の宇野常寛です。

「井庭さんの創造社会論は、ものをつくることが市民社会の基盤になり得るのではないかという提案です。しかしほとんどの人は『つくる』ことに興味はない。井庭さんはこのハードルを超えるためにパターンランゲージの導入を考えているのに対して、田中さんの取り組みは人間が否応なくかかわることになるゴミ捨て、つまり都市の静脈の可視化、もっといえばゲーミフィケーションを考えているのだと思います。なにかを『つくる』のではなく、『やらなければいけないこと』を『おもしろく』するという発想ですね」(宇野)

評論家 / PLANETS編集長の宇野常寛(「庭プロジェクト」発起人)

「良い機会をいただいたので、私の思想が変化した理由をもう少し説明させてください。私はずっとデジタルものづくりを研究してきて、メイカームーブメントやファブライフなどの流れにかかわってきたのですが、あるときから、そこで言う『つくる』というのが、最終製品に近いものをつくっている人たちのことだけを賛美している感じに違和感をもつようになったんです。サプライチェーンにおいては、最終製品をつくる前の段階に、材料や部品、道具をつくっている人がいるわけで、むしろその段階のほうが根源に近い。ですから、別に全員が最終製品をつくる必要はなく、『もの』にまつわる長いサプライチェーンのどこかにコミットすれば良いのではないか。自分が生きている都市や時代にどこかでリンクすればいいのではないかと考えるようになりました。

ゴミ分別というのはすでに誰もが参加しているもので、そのゲームの上に少し流れをベンディングして捻じ曲げて、何かをつくるという方に寄せてあげるだけで新しい公共圏や市民参加の形ができるのではないか。それがある種の創造社会であり、しかし創造と言ってもゴミを出すだけで物質世界のフローにコミットしている世界であると思うんです」(田中さん)

「そして、その静脈へのコミットがこの地域通貨に結びついているのですが、ここには難しい問題があると思います。というのも、貨幣は人間関係が『なくても』関係を構築できるところにむしろそのアドバンテージがあったはずです。この『ゴミの分別のゲーミフィケーション』も、『仕方なくやる』ゴミ捨てが『結果的に』街へのコミットになる、くらいの距離感が心地よい、という人も多いと思います。しかしここで人の顔が見える地域通貨のようなものが挟まってしまうと、その良さが損なわれてしまうような気もするのですが、そこはいかがでしょうか?」(宇野)

「たしかに一般的な通貨と比較するとそうした見方ができるのですが、たとえばボランティアのほうと比較すると別の見方ができます。たとえばビーチクリーンでは、ボランティアした後に絶対飲み会に行かないといけない、といったものが付随してくる。ところが地域通貨を使えば、ビーチクリーンの後もドライに終われる。ゴミだけ拾って『200ポイントだけもらいたくてやりました。さよなら』と言うことができる(笑)。ボランティアのウェットな人間関係と、一般的な通貨のドライな交換の中間を狙ってデジタル地域通貨の設計もアップデートが続けられています。そこは本当に、微妙なチューニングひとつで、人間の心理も行動も大きく変わるところだと思います」(田中さん)

 その他にも、ものづくりにおける「有用性」の観点についての議論、プラスチックという素材と「インティマシー(いとおしさ)」とのかかわり、「都市のローカル素材」としてのプラスチックについての議論など、プラスチックをめぐって、ものづくりや都市に関する議論が多角的に展開されました。「都市の『スマート化』を適切に制御する」という問題提起を試みる庭プロジェクトにとって、単にスマートテクノロジーのあり方や活用方法だけにとどまらない、ラディカルな議論が深まった研究会となりました。

[了]

この記事は小池真幸・徳田要太が構成・編集をつとめ、2024年1月25日に公開しました。Photos by 髙橋団。