消極性デザインの連載も4回目となりました。
明治大学でインタラクションデザインの研究をしている渡邊恵太です。

 私は「融けるデザイン ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論」という本を2015年に出版し、「iPhoneの操作感がなぜ心地よいのか?」を自己帰属感という認知科学のキーワードを用いて説明したり、生活に融け込み、自然と情報技術を利用可能にするIoTのあり方について紹介してきました。この本は、出版以来、デザイナーやエンジニア、ビジネスマンなど多岐に渡り読まれ続けていまして、現在6刷目となっています。大学では、この本もあって、三菱電機さんやクックパッドさん、KDDI総合研究所さんなど、複数の企業と共同研究を行ってもいます。

 さて今回は、串カツ盛り合わせの話から、話題のNintendo Switch、Netflixまで。これらを消極性デザインという切り口で、考察していきたいと思います。

「串カツ盛り合わせ」は消極性メニュー

 先日、消極性デザイン研究会のメンバーで、PLANETSさんのオフィスに行き打ち合わせをしました。その帰りに居酒屋に行きました。簗瀨さんが「串カツ盛り合わせでいいですかね」ということで、盛り合わせを頼みました。ここであることに気づきました。「これは消極性メニューだ」と。串カツは1本1本注文できるわけですが、積極的に1本ごとに決めていると意思決定に時間がかかります。居酒屋ではできるだけ早く乾杯に行きたいわけですから、ここでは意思決定のコストを最小化したいわけです。

 そういったときに、「盛り合わせメニュー」はその店の串カツの定番的なものを入れつつ、バリエーションの豊かさの絵的メリットと試食的な満足度を提供しながら、複数人での意思決定のコストを最小化してくれるのです。このように人が積極性を発揮せず、消極的選択をしたとしても、残念にならない対象の「仕組み」が消極性デザインです。

 多くの飲食店では、盛り合わせやセットメニューという消極性デザインされたメニューを用意することによって、メニューの選びやすさを提供しています。さらに同じ商品であってもセットになることによる新しい名前付けによって、新しい価値を生み出し提供メニューのユーザ体験を高めるUXデザインとも言えるでしょう。また、これはセットメニュー化によってお金を落としやすくする仕組みにもなっていることは大事なことです。

「人は弱い存在である」

 串カツ盛り合わせを選ぶという行為は、あまりに日常的で、これが消極性とはあまり感じないかもしれません。ですが、この感じないことこそ大事な現象です。自然に、無意識にそちらに流れていく設計こそ大事だと思うのです。私の専門はインタラクションデザインです。日々こういった人間の認知の観点から、人の無意識や行為、活動を考えながら、道具やサービス、新しい情報技術でどうやって人間の日常生活に融け込ませる方法があるか研究しています。

 この考え方の根本は、「人は弱い存在である」という前提です。たとえば、「道具や機器がうまく使えないのは、ユーザーのせいではなく、その道具や機器が複雑すぎるからではないか?」と疑います。自動車事故が起きたら、人間の不注意を疑うよりも、車内の環境や周辺の環境の問題を疑います。人間は、継続的な繰り返し作業は得意ではありませんし、注意も散漫で気まぐれだからです。技術の進展によって、最近人が相手にする対象の多くは、人間の性質とは真逆とも言っていい高度な機械たちなわけです。すなわち、繰り返しに強く、秩序があり、集中的で、論理的な面がある一方、融通が利きにくく、変換に鈍感で、非創造的です。いくら使えば便利な道具や機械であっても、人間との接点を慎重に設計しないと、機械の都合を人にうっかり要求してしまうのです。PCやスマホは仕事を効率化してくれたり、遠隔地の人といつでも情報をやりとりできる便利な道具だと思って使っていますが、ときに眉間にシワを寄せながら、快適とは言い難い体験を我々はすることになるのです。

積極性は貴重な天然資源 不確実な積極性に甘えない

 消極性の対義語である積極性についても同様に考えます。我々は「それくらいやろうよ」「やるでしょ」と、他人または自分の積極性に訴えかけます。「訴えかけてしまう」といったほうがいいのかもしれません。やらないのは本質的には自分が原因と考えてしまい、積極性がないことを問題にしてしまいがちです。しかし一見素晴らしい積極性は、実はそれほど確かなものではないのです。なぜなら積極性は貴重な天然資源で、常に発揮できるものではありませんし、継続も困難だからです。にもかかわらず、多くの啓蒙本は、積極性を作ることにフォーカスしがちです。積極性を焚きつけることは大事ですが、意識改革だけでは、継続が課題になることが多いです。積極性はスーパーマリオで言うところの「スター」で、期間限定の無敵状態です。積極性が発揮できていれば、何でも自らできてしまいます。ただしこれはどこに埋もれているかわからず、たまに出会えば使えるというものです。おそらく集中力と同じような性質です。

 こんな不確実な要素を我々は、常日頃からいつでも使えるものと思って、自分にも言い聞かせ、他人にも要求しているのです。これまで「やらない、やれない」は甘えと言われることが多かったかもしれません。しかし、積極性に頼ることのほうがむしろ甘えとも言えるのではないでしょうか。

 こうした積極性を前提としてしまう感覚が、実はサービスデザインや、あるいはIoTデザインなどのインタラクションデザインに効いてくると考えています。そこで大事なのが串カツ盛り合わせのような消極性デザインです。人々の積極性を発揮する前に、積極性を消費せずに、無意識にいい感じに行為が決まっていく世界です。

 では具体的な製品やサービスを事例に考えていきましょう。

 実は以前エクリにVRのHMD(ヘッドマウントディスプレイ)についてはインタラクションコストが高いということで、人のモチベーションに頼りすぎて失敗しているという記事を公開しました。

Nintendo Switch

 任天堂は以前からよく、人とゲームの関係性を深く考えているようです。書籍『消極性デザイン宣言』では、Wiiの例を紹介しました。Wiiはゲームのユーザー層の拡大をコンセプトに、コントローラーの設計やゲームとの関わり方などあらゆるものを見直しました。

 コントローラーは縦型リモコン型、色も白にするなど、リビングから邪魔者扱いされない設計にし、ゲームに対して消極的なユーザー層に対してもアプローチャビリティを高めました。他にも加速度センサーを用いて身体的な操作感の提供など、これまでのゲーム機とは異なるものでした。こうした仕組みを設計に落とし込んだ結果、累計販売台数5000万台という非常に売れたゲーム機となったわけです。

 さて、そんな任天堂は2017年に、Nintendo Switchを発売しました。Nintendo Switchの特徴は、

「Nintendo Switch™」は、プレイシーンにあわせてカタチを変えるゲーム機。
いつでも、どこでも、気の向くままに、自由なスタイルでゲームを楽しむことができます。
と紹介されています。Switchは、タブレット型のゲーム機を持ち運んで使えるだけでなく、クレードルをHDMIでテレビにつないでおくことで、すぐにテレビの大画面で据え置き型ゲーム機としても使えるようになっています。家にいてTVが空いているときには、TVでそのまま、通学や通勤など移動時刻が来たら、そのままタブレットを引き抜いて持ち運べばよく、ゲームをセーブして中断なんてことを一切考えずに、スムーズにゲームを継続できるインタラクションデザインが施されているのです。

 任天堂は、ゲームユーザー層の拡大の中で、Wiiのような据え置き型ゲーム機は、その後もWii Uなどの販売によってユーザー層の拡大に挑戦してきました。ただし、一定の成果は見えたものの、家に置いてあること、テレビを専有してしまうことから、従来のような据え置き型のあり方や販売は、ユーザー層の拡大にはスマートフォンがある今、太刀打ちが難しくなりつつある現場がありました。

 そうした状況の中で、Switchはこの据え置き型と持ち運ぶという両方の体験を、ハイスペック化したタブレット端末を据え置き型としても利用可能にし、ゲームとのタッチポイントの拡大を図ったというように見えます。冷静になってインタラクションデザインの観点からSwitchを考察すると、任天堂は生活の中で必死になってゲームとのタッチポイントを作ろうとしているようにも見えます。ユーザーには「どこでもできていいね!」「プレイスタイルが増えて良い!」というようにポジティブに見えるかもしれませんが、プロモーションビデオを見ていると、こんなに生活にゲーム浸透させる必要あるのかと思えるくらい、プレイスタイル、プレイシーンを見せつけてきます。

 こうした手法は、もはやゲームの面白さの設計というよりも、どうにかしてゲームをやって欲しいという切実さかもしれません。これは正しい戦略とデザインだと思いますが、興味深いのは、エンタテイメントというユーザにとっては娯楽的で楽しいものであっても、ここまでしないとユーザーはゲームに接してくれないということです。つまり、ユーザはエンタテイメントであっても、必ずしも積極的になれるわけではないということです。これはスマートフォンが常にユーザーの身近にいるということあるかもしれませんし、むしろ、ゲームは生活の必需品ではないからこそ、とも言えるかもしれません。

 今は、あらゆるサービスやコンテンツであふれる時代です。こうした対象はゲームに限らず、あらゆるサービスが抱えている問題と言えます。ユーザーの時間を奪いにいくためには、ユーザーが積極的になれるわけではなく、冒頭でも述べたように積極性は貴重な天然資源だということを肝に銘じ、そのための設計にエンジニアやデザイナーは努力しなければならない時代なのです。

Netflix ・AppleTVに必要な消極性デザイン

 NetflixやAppleTV、Amazon Prime Video、huluなど、ネットを通じた動画視聴サービスが複数立ち上がり、盛り上がりを見せています。私自身も、AppleTVは、よく課金しては映画を見ますし、最近はNetflixにも定額課金して、映画を楽しんでいます。テレビ番組のように開始時間を気にせずに、いつでも自分が見たいものを見られるのですから、とてもいい時代になりました!

で・す・が……!

 あることに気づきました。私はよく、休日や時間がある日の、寝る前の時間に映画を見ます。「せっかくの休みだし、この貴重な時間に、ゆっくりだらだらと映画を見て、心地よく寝るんだ〜!」と。

 それでAppleTVに切り替えて「さてさて、最新の映画は今こんな感じかー。でも今はそういう気分じゃないんだよなぁ。プレビューだけ見よう。ふむー、これはやっぱり今見るべきじゃないな。こっちはどうかな〜」とわくわくしながら、これからの約2時間をどう使うか、どういう気分になりたいかなどと考えながら、映画を選ぶわけです。

 「いやぁ〜どうしようかなぁ〜」と、ふと時計を見ると、なんと40分〜1時間経過していたのです! 「うわ、もうこんな時間、今から映画を見始めたら、寝る時間が遅くなってしまう!」と……。結局、選びきれず、私は寝るという選択をするのでした。

 選ぶのに1時間かかっている。笑いごとじゃないんです。映画はだいたい2時間ですから、約半分が経過してしまったことになります。これまでのテレビ放送は、放送時間が固定だったために、そこにスケジュールを合わせるか、ビデオ録画することしかできませんでした。NetflixやApple TVなどの映画視聴サービスは、いつでも見られるがゆえに、いつ見るべきかの強制力がありません。つまり自由に見られる動画視聴というのは、何を見るのか、それをいつ見るのかという2つの意思決定をユーザに強要している状況でもあるのです。Netflixは動画のユートピアに見えますが、実はサービスしている側は少し深刻なようです。なぜなら、Netflixはこんなメールをユーザーに送っているからです。

▲Netflixからのリコメンドメール

 これ、ウケませんか? Netflixのような動画視聴サービスはユーザーの自由意志で好きなものを好きな時に見ることができます。ですが、実はユーザはそんなに暇じゃないし、積極的にコンテンツを見てくれないということもわかったのだと思います。テレビドラマのように毎週月曜日夜9時なんていうパターンもありませんから、Netflixはただユーザの積極性に任せるしかないという状況になってしまいます。Netflixは自社制作の映画やドラマなど積極的に展開しているわけですから、できればそういったものを含めてなるべく視聴回数を増やしたいはずですし、そういったものを知ってもらいたいはずです。しかし、いつでも自由に見られるという仕組みであるが故に、このような「今晩Netflixをご覧になりませんか?」というタイトルの、しかも今どき「メールで」お知らせしてくることになるのです。

 では、この問題はどう解決できるでしょうか。その答えは、また次の機会があればお話できればと思います。ヒントは著書『融けるデザイン』の中にあります。

それでは、また!

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2018年7月27日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2020年6月18日に公開しました。
Banner Photo By Nishihama/Shutterstock.com
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