はじめに

 皆さんこんにちは。緑豊かな学園都市つくばでインターネットとコミュニティ、さらにはニコニコ動画と初音ミクの研究をしている濱崎雅弘と申します。「ニコニコ動画と初音ミクの研究?」と思ったかもしれません。私はインターネットによって実現される新しいコミュニケーションとコラボレーション、そしてクリエーションに関心があり、そんな私にとって、ニコニコ動画上で初音ミク動画を中心として展開した派生作品文化は大変魅力的なものでした。2007年8月に初音ミクがインターネットの世界に颯爽と登場し、ニコニコ動画にて一大ムーブメントを起こしていた頃に、いったい何が起きているのかを明らかにしようとWebマイニング技術と社会ネットワーク分析技術を用いてデータ分析しました。

 そのような研究をしている私ですが、実は「消極性デザイン宣言」の著者の一人でもあります。こちらの連載で記事を書く予定になかったので、第1回の西田さんの記事にて紹介からは抜けていましたが、こっそり著者に入っていました。
 本の中では、先述の初音ミク動画について、特に歌ってみた動画や踊ってみた動画と呼ばれる初音ミク動画の派生作品における消極性について書きました。動画を作ってインターネット上で公開するなんて、これぞ積極性と言わんばかりの行動ですが、その中にも消極性が垣間見えることを、拙著の中ではデータ分析を交えて述べました。SHYHACKする道具や仕掛けを作っている他の4人と比べると、ちょっと異色な内容といえるかもしれません。それはそのはずで、初音ミク動画の分析は今から10年前の研究で、当時は消極性デザインやSHYHACKという観点でこの研究は行っていませんでした。その当時の研究を知っている方からは、以前聞いたときは派生作品がどんどん作られる積極的な現象として述べられていたのに、今回はそれが消極的な現象として述べられていて驚いた、とも言われました。
 これだけ聞くとなんだか私が二枚舌みたいなエピソードですが、実はこれは大事なポイントで、作品が公開されたという結果そのものは「積極的な現象」なのですが、そのプロセスに「消極的な現象」が潜んでいた、ということが、あの本に書いた内容でした。

 本連載の第4回で、渡邊さんが「やる気は貴重な天然資源!」と指摘しましたが、ちゃんとした作品(動画)を作って公開するというのは、大変やる気が必要な作業です。動画は音も映像も作らなくてはいけないですし、作品を発表するというのはやはり勇気のいることです。つまり、投入しないといけない「やる気」は大量です。
 しかし、初音ミク動画を中心とした派生作品のムーブメントにおいては、自分ができる部分だけ作って他は勝手に借用した「派生作品」が、「歌ってみた」「踊ってみた」といった「〇〇してみた」というやや及び腰なタグを添えて、大量に投稿されたのです。単体では投稿には至らなかったかもしれない作品が、他と足し合わせることで「やる気の壁」を越えて投稿に至ったわけです。
 もちろん足し合わせるというコラボレーションだって本来は簡単ではなく、たくさんの「やる気」が必要になるわけですが、初音ミク現象が起きたその場所には、これを簡単にするいろいろな要因が詰まっていました。それが何か、ご興味のある方は消極性デザイン宣言の本をぜひ読んでみてください。また、初音ミク動画やその派生作品に興味を持ってしまった方は、この初音ミク現象をいろんな角度から可視化する音楽視聴支援サービス「Songrium」というものがあるので、ぜひお試しください。

 以上、私が「消極性デザイン宣言」に何を書いたのかという説明でした。ここまで話しておいてなんですが、実は私が消極性研究会に参加するきっかけとなったのは、これら初音ミク動画に関する研究ではありませんでした。初音ミク動画に関する研究は、消極性デザイン研究とはかけ離れた所からスタートしたもので、前述の話は消極性研究会に参加してから消極性デザインの文脈であの研究を見直してみて得られた知見でした。
 では、どうして消極性研究会に参加することになったのか。実はさらに昔に、まさに消極性デザインな研究をしていたのです。本ではこれについてはまったく触れていないのですが、良い機会ですのでお話したいと思います。昔話ばかりですみませんが、少々お付き合いください。

学会支援システム

 学会や研究会は、研究者が自らの研究成果を発表するために集まるイベントですが、研究発表(プレゼン)だけでなく、研究者同士で情報交換したり議論したり、時には就職活動(若手研究者は任期付きがほとんど)したり、つまりはコミュニケーションすることも重要です。特に年次大会のようなたくさんの人が集まる学会は、むしろコミュニケーションの方が重要という研究者も少なくありません。
 研究職といえば研究室にこもって良い成果が出るまで研究に没頭すれば十分でコミュ障向きの職業だと思いきや、ここでもコミュニケーション能力が求められるわけです。なんということでしょう。そこで消極性デザインの出番です。

 皆さんは「日本人工知能学会」をご存知でしょうか。これは人工知能を主たる研究テーマとするものとしては国内最大の学会であり、毎年開催される年次大会(JSAI)は、AIブームの現在では、参加者2000人超と大変な賑わいを見せています。
 しかし、私が初めて年次大会に参加した2002年は、前と今のAIブームの谷間にあたり、参加者も300~400人程度でした。ディープラーニングやビッグデータなんてキーワードはまだなく、研究者は皆それぞれのアプローチで「賢そうなシステム」を作ることに苦心していました。人間知能の本質、賢さの本質を明らかにするのはあまりにも難しい課題であったため、何があれば・どうやれば「賢そうな」システムができるのかを皆、模索していたのです(補足すると、本質を明らかにするのを諦めたわけではなく、知能というものがあまりにも曖昧模糊としているため、賢そうなシステムを作ってみることで賢さを理解する手がかりを得ようとしていました。こうしたアプローチは構成論的アプローチとも呼ばれています)。
 当時の私は、人と人とのコミュニケーションやコラボレーションを支援したいと思っていたので、人と人との関係性、つまり人間関係やソーシャルネットワークを知識としてシステムが持っていることが、「賢そうなシステム」に重要ではないかと考え研究をしていました。そこで取り組んでいたのが「イベント空間情報支援プロジェクト」であり、人工知能学会年次大会(JSAI2003~JSAI2007)を対象とした学会支援システムでした[文献1,2]。

▲学会用SNSのスクリーンショット

 この学会支援システムは、まだブーム前夜だったソーシャルネットワークを、自動抽出し活用しようという目論見を持ったシステムでした。今の言葉でいうと「学会向けSNSを作ろう」なんですが、SNSブーム以前の話ですので「誰と誰が知り合いか」というデータをFacebookやTwitterからもらってくるなんてことはできません。そこでWebから自動抽出する、学会会場内でセンサーを利用して自動抽出する、それに加えて一般的なSNS同様に学会向けSNS上で手動登録もする、という合わせ技によって学会向けSNSを実現させようとしました[文献3]。

 そんなこんなで「人と人との関係性」をデータ化し、それによって「おすすめの人」や「気になるあの人へつながる、知り合い関係」などを計算機が情報提示できるようにしたわけです。「これぞ人の出会いを支援するための『賢そうなシステム』だ!」と思ったわけですが、このシステム、学会参加者(利用者)からの評判は良かったものの、多くの人は結果を見て面白がるだけで、それほど実際の出会いにつながっていないと、システムを運営していて感じました。この人が面白そうだ、この人とはこういうつながりがあるのか、という「気づき」までは情報支援できても、最後のあと一歩、じゃあ会って話してみようかという壁を乗り越える支援ができなかったのです。そう、積極性の壁を乗り越えるための消極性デザインが足りなかったのです。

紹介支援

 学会支援システムは複数のイベント用にそれぞれ開発し、様々な試行錯誤をしたのですが、実を言うと3~4回目くらいに、これだけ情報提示してもコミュニケーションしないなら、「そもそもその人はコミュニケーションする気が無いのでは? コミュニケーションする気のない人を支援する意味はあるのか?」という気持ちになりました。積極的な人だけ救えばいいじゃん、という悪魔の囁きです。
 しかし、そこで消極性の神様が舞い降りて私の耳元で囁きました。「ちょっと待て、お膳立てがどれだけ出来たって、最後の一歩というのは難しいものだろう。確かに姿は見えないが、その最後の一歩を踏みかねている人たちがたくさんいるんじゃないのか?」と。
 そうして踏みとどまって考え出したのが、紹介支援システムでした。簡単にいうと、どれだけ情報提示による合コン支援をしても消極的な方は動き出しそうにないので、仲人おばさんを支援してそのお節介に期待しようとしたわけです。もちろん「お節介な仲人おばさん」が暴れ回るシステムなんて消極的な方には苦痛以外の何者でもないので、そこには少し消極性デザインが入っています。

 「紹介」というと、「コネ」とか「お節介な仲人」といったキーワードが連想されて、あまり良いイメージがないかもしれません。ですが、よく考えると、紹介という行為は優れた出会い支援の方法であるといえるのではないでしょうか。両者を良く知った第三者が「紹介」という行為を行うことで、知り合いたい相手と適切な話題を共有し、お互いの理解を効率化しています。これは人が持つ社会性を利用した出会い支援といえます。

 しかし、これをシステム的に取り扱おうとすると、いくつかの課題があります。例えば、前述の通りシステムが見つけた「気になるあの人へつながる、知り合い関係」を使えば、自分が知り合いたい相手を紹介してくれる可能性のある人は分かる。
 しかし、このように「あの人を紹介してください」と誰かに直接頼むだけでは、先に挙げた紹介のメリット、特に出会いに対する信頼性と有効性の担保が得られません。「あの人と知り合いたい」という暗黙的な要望に対して、善意の第三者がその人なりの基準で出会いの信頼性と有効性を担保できると考えたときにのみ、その第三者が紹介を行ってこそ、先述の紹介の効力が発揮されます。そしてなにより、消極的な人はそんなにハッキリと「あの人を紹介してよ」なんて言えません。

 以上のことから、システムの実装としては次のような形が現実の紹介に近いのではないかと考えました。

・紹介を希望するユーザは、気になる人(知り合いたい人)を登録する。
・紹介をするユーザは、自分の知り合い二人が、お互いまたは一方が知り合いと思っていることを知ることができ、さらに、任意で紹介を行うことができる。

 ここで重要なのは、紹介を希望するユーザ (以下、紹介希望者)は知り合いたい人(以下、被紹介者)しか入力できないこと(誰に紹介して欲しいかは指定できない)、また、紹介をするユーザ(以下、紹介者)は実際に紹介するかどうかは自分の判断で行ってよいということです。
 下図は、2つのパターンの紹介を図示したものです。ひとつは紹介希望者が主導的な場合(図2-a)、もうひとつは紹介者が主導的な場合(図2-b)です。

▲紹介のパターン

 (a)が示す紹介希望者が主導的な紹介の場合、(1) 紹介希望者は被紹介者を見つけたのち (相手の発見)、(2) 紹介者となれるユーザを探す (紹介者の発見)、そして (3) 紹介者となるユーザに紹介の依頼をし (紹介の依頼)、その後、(4)紹介者が被紹介に連絡をすることで紹介は成立します (紹介の実行)。現実にはこういった形の紹介もありますし、前述の「気になるあの人へつながる、知り合い関係」を提示する機能はまさにこの紹介を促す仕組みでした。しかし、これは消極的な観点からは、お願いする側(無理を言っていたら申し訳ないな)、頼まれる側(頼まれたからには断りにくいな)、双方に難点があります。

 一方で、(b)が示す紹介者が主導的な紹介の場合だと、まず、 (1) 紹介希望者は被紹介者を見つける (相手の発見)。次に (2) 紹介者となれるユーザが、自分が紹介できる紹介希望者と被紹介者のペアを見つける (ペアの発見)。そして (3) 紹介者が紹介希望者および被紹介者に連絡をすることで紹介は成立します (紹介の実行)。これだと紹介希望者は誰かに「無理なお願いをする」必要はなく、また、紹介者は「無理なお願いをされる」必要はないわけです。このようなパターンの紹介を支援する機能を、紹介支援システムとして前述の学会用SNSに実装しました。下図はそのスクリーンショットです。気になる人を登録すると、その人とつながりのある知り合いが表示されるので、その人に紹介をお願いすれば(a)で示した「紹介希望者が主導的な紹介」が可能です。一方で、自分が紹介者になれるものが表示されるので、自ら紹介メッセージを送信することで「紹介者が主導的な紹介」が可能になります。

▲紹介支援システムのスクリーンショット

紹介支援システムの顛末

 さて、そのような消極性デザインを施した、学会SNSにおける出会い支援のための新機能「紹介支援機能」ですが、うまくいったのでしょうか。
 結論から言うと、あまりうまくいきませんでした。学会参加者約400人、学会SNS利用者約300人に対して、紹介が成功したペアは8件! 惨憺たる有様です。機能に関する周知が不十分だった、ということもありますが、ヒアリングをすると、紹介希望者側では気になる人を登録することへの抵抗感、紹介者側では「紹介できなくもないけど、自分がするのが良いのか?」という抵抗感、といった理由が上がってきました。

 実は「気になる人の登録」は意外と多く集まっていたのですが、自分とはつながりの薄い人が「気になる」ことが多く、間になって紹介できる人が少なかったり、いるにはいるがどちらともつながりが弱いので前述の通り「自分が紹介して良いの?」とためらったり、といった結果になっていました。つまり、紹介希望者だけではなく、紹介者が抱く消極性にもっと注目すべきだったのです。まだまだ消極性デザインが足りませんでした。

 残念な結果ではありましたが、「紹介者側が抱く消極性」は一つの気づきではありました。紹介希望者の「もしよろしければ、紹介してもらえませんか?」という思いと同様、紹介候補者もまた「もしよろしければ、紹介しましょうか?」という思いだったのです。
 コミュニケーションのキャッチボールに慣れてしまった我々は、ともすれば相手が「もしよろしければ(気が向いたらで結構です)」と言っていても、頑張って承諾しようとしがちです。そんな考え方をしてしまうからこそ、自分がお願いする際には本心から「もしよろしければ」と思っていても、「それを言うと相手に暗に強制してしまっていないか?」と心配してしまいがちです。その結果、双方が意思を開示したら成立したかもしれないコラボレーション(上記の紹介支援システムだと「紹介」というコラボレーション)が、遠慮して不成立になってしまうわけです。

 今回の紹介支援システムでは、紹介希望者の「もしよろしければ、紹介してもらえませんか?」という思いを、特定の誰かに直接的にリクエストするわけではなく、その願いを叶えられるかもしれない複数人にゆるく情報共有するという仕掛けにより、消極的な思いのままでも一歩踏み出せるようにしました。残念ながら紹介者側の消極性への配慮が欠けていたため(これは失敗要因の一つで他にもいろいろあったと思いますが)、システムとして成功するには至りませんでしたが、「もしよろしければ」という「消極的な思い」を、いくつか足し合わせることで積極性の壁を乗り越えようという一つの事例にはなったのではないかと考えています。

 こうやって「思い」を「足し合わせられる」ことが直接的なコミュニケーションではなく、計算機を介したコミュニケーションの強みの一つであると私は考えています。私はそこに魅了されてこの分野の研究を続けているといえます。「消極性デザイン宣言」にて紹介した初音ミク動画の話もまさにその一事例であり、残念な結果で終わってしまった私の紹介支援システムと違って、ご存知の通り大きな社会現象を起こしました。消極性デザインの観点から見た初音ミク現象にご興味を持たれた方はぜひご一読ください。

文献1:パーソナルネットワークを利用したコミュニティシステムの提案と分析, 人工知能学会論文誌 (2004)
文献2:学会支援システムにおける実世界指向インタラクション, 日本知能情報ファジイ学会誌 (2006)
文献3:Spinning multiple social networks for semantic web, Proc. of AAAI ’06 (2006)

[了]

この記事は、PLANETSのメルマガで2018年9月27日に配信した同名連載をリニューアルしたものです。あらためて、2020年7月23日に公開しました。
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