この書評コーナーでは、暮らしにまつわる本を紹介していきます。アウトドアとか自然とか、そういったものを含めた「暮らし」です。それで、今回紹介するのは、原著が2012年、文庫版が2016年に刊行の『京都の中華』です。ちなみに、のちほど理由を述べますが、文庫版がおすすめです。

 この本は、基本的にはエリア・レストランガイドの体裁です。京都にある中華料理店で、もう閉店している店もふくめて20軒前後かな、紹介されていて、各店の情報が載っていたりマップなんかもついていますから。ところが、「あ〜京都って美味しい中華料理店があるんだ、そのレストランガイドなんだ」と思って読みすすめると、ガイド本の枠にとどまらない、まさに、「観光しない京都」としての京都の暮らしや街の構造みたいなものが浮かび上がってくるんですよ。そこが、素晴らしいんです。

 この本によれば、もともと今につながるような中華料理が日本に入ってきたのは、明治時代、開国して中国人が日本国内に入ってくるのと並行してのことだそうです。ところが、京都は御所があるために、明治期にも外国人の立ち入りが制限されていた町なんですね。そのために、京都は他の地域より中華料理が入ってくるのも遅れるんです。ご想像の通り、まずは海外に開かれた横浜や神戸に中華料理が入ってきて、その地で中華料理が日本向けにローカライズされていきます。そんな中華料理が京都にまで届くのは、だいたい大正時代になってからだったそうです。京都ってのは、それこそ老舗の料理店がわんさかある町ですが、中華料理に関しては京都初の店「支那料理ハマムラ」ができたのが、大正時代も終わりの13年、西暦で1924年なんです。

 そこで、日本にローカライズされた中華料理が京都に入ってくると、「京都の中華」として、さらに独自に発達していきます。この「京都の中華」が成立するうえで重要な人物としてこの本で紹介されているのが、高華吉さんっていう中国出身の料理人です。彼は、来日して長崎、神戸を経て1920年代に京都に移住します。そして、京都初の中華料理店「支那料理ハマムラ」で働き始め、「京都の中華」に特徴的な京都ローカル中華を作り上げていったそうです。高さんは、戦後になると「支那料理ハマムラ」を独立して、「鳳舞」や「飛雲」など、いくつかの中華料理店を開くんですね。それらの店で修行して独立した弟子筋の人たちこそが、今の「京都の中華」を形成している太い幹です。

 で、高華吉さんと弟子たちが作り上げた京都ローカル中華がどのようなものかというと、「薄味」「ちっちゃなポーション」「ラードを使わない」「スープは鶏ガラと昆布」などの特徴が基本形だそうです。この本でガイドされている店のメインは、この「薄味で、ラードやにんにくを使わない」という、独特の京都ローカル中華「京都の中華」になります。では、なぜ「京都の中華」が成立したのかというと、京都のいわゆるお座敷文化がそこにあります。舞妓さんとか旦那衆は、お座敷に強い匂いを持ち込むわけにいきません。「だから、匂いのないものを作ってくれ」っていうお客さんとのやり取りの中で、「京都の中華」の味が生まれてきたってことです。

 さて冒頭で「文庫版がおすすめ」と言ったのは、文庫版には「菊乃井」の村田吉弘さんのロングインタビューがついているからです。なぜ和食の料理人の村田さんがインタビューされているかというと、著者が取材で京都の中華料理店を回ってると、村田さんが来店するという話が頻繁に出てきたからだそうです。それで著者は村田さんにインタビューするんですが、これがすごく良いんです。自分が勝手に村田さんに抱いていた印象が覆されましたね。「こんなにバランス感覚の取れた人なんだ」って、感動しました。

 このインタビューで村田さんは「京都の中華」について、さすがその道を究めた料理人だけあって、単なるぼんやりした話ではなく具体的に語るんですね。調味料とか調理器具とかから具体的に「京都の中華」を的確に分析するんだけど、その背景に、京都の街の下部構造だったり地政学的なところを踏まえた文化論があって、すごい勉強になるんですよ。イメージの京都都市論ではなく、具体的なところから立ち上げられる京都都市論になってるんです。

 例えば、舞妓さんが「臭いのやめてくれ」っていう、先ほどいったお座敷文化の影響でにんにくがなくなった話も、それを単に「京都人は口うるさいから」っていうような話で片付けるんじゃなくて、「京都の街のスケール、サイズの小ささが生み出している」って村田さんは説明するんです。つまり、大都市の東京だったら客は気に入らない店にはもう行かないし、それで客から見放された店は淘汰され新陳代謝されていくんだけど、京都は町のスケールが小さいので、客も「この店好きじゃないから行かない」と簡単に店を見放すわけにはいかないと村田さんは指摘します。京都の客が、「自分が通ってなんとなく文句をつけて、店を自分なりにアレンジしていく」といった行動をとるのは、京都という町のスケールからもたらされるものだって指摘なんです。よくある「京都人はいけず」みたいなレッテルによる話ではないんですよ。

 ちなみに、個人的にこのインタビューでいちばん感動的なのは、これはちょっと余談になるんだけど、村田さんとペルーの日系3世世代の料理人との交流です。ペルーには「ニッケイ」っていう料理があって、2010年ぐらいからかな、世界的にも注目されています。「エル・ブリ」のフェラン・アドリアが、「エル・ブリ」を閉店した後にバルセロナに開いた店が「ニッケイ」料理の店だったりっていう、注目のジャンルなんですけど。この「ニッケイ」がどういう料理かっていうと、というか、なぜ「ニッケイ」と呼ばれるかっていうと、日系ペルー人の2世とか3世の料理人たちが、日本料理とペルー料理を融合させて作り上げた料理だからなんです。

 そのペルーの料理人たちは、自分たちの料理が日本の日本料理からは変質しているな、っていうことはわかっているんです。そこで、村田さんの菊乃井に修行に行ったり、村田さんもペルーまで出向いたりするんです。それで彼らは村田さんに「本当の日本料理を教えて下さい」って言うんだけど、村田さんは「いや」って。「お前らがつくっているのは日本料理だから、堂々と日本料理だって名乗れ」って彼らペルーの料理人たちに言うんですね。その日系ペルー人2世、3世の料理人たちは、かつて日本から来た料理人に「こんなの日本料理ではない」って否定されて落ち込んだ経験があったそうで、それこそ日本料理界の重鎮である村田さんに「これは日本料理だ」って言われてすごく感動したっていう話なんです。

 なんでこんな話が出てくるかっていうと、そういう文脈において村田さんは、この「京都の中華」も、本場中国の中華料理はもちろん日本の中華料理からも独自に変質しているんだけど、これは紛れもない中華料理だって称揚するんですよ。好きだと。そんな非常に感動的なインタビューが載っているので、ぜひ文庫版を読んでほしいです。

 最後に、急いで付け加えると、もちろん、ここまで紹介してきた京都ローカル中華としての「京都の中華」だけが京都にある中華料理じゃありません。「餃子の王将」だって「天下一品」だって、京都発祥なぐらいですから(笑)。この本でも、京都ローカル中華としての「京都の中華」ではない、京都の中華料理の別の流れについても、ちゃんと説明してあります。例えば、薄味の「京都の中華」に対抗するかのように、学生街である左京区では、客が学生だということもあるんでしょう、現在進行形で濃い味の丼文化が生まれているそうです。これが、なかなかかっこいいフレーズなんだけど、「食べ慣れた味を大事にしすぎる京都。そこに風穴が開くのは、いつもここ左京区からだ」と、この本では記されています。これはきっと、右京区とか左京区の違いを知っていると、より面白いんでしょうね。僕は、正直あまり細かい京都内の地政学的な関係はわからないんですけど、でもわからないなりに、この本から浮かび上がってくる京都という町の姿にすごく魅力を感じられましたので、ぜひ一読おすすめしたい本です。『京都の中華』でした。

 

[了]

この記事は、2018年3月14日に配信されたPLANETSのインターネット番組『木曜解放区』内のコーナー「井本光俊、世界を語る」の放送内容を再構成したものです。石堂実花が構成・写真撮影をつとめ、2020年2月24日に公開しました。


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