

これまでに更新した記事の一覧です。
橘宏樹さんによる、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。
安倍元首相の外交姿勢と、これまで論じてきたユダヤ系アメリカ人の経済的影響力を踏まえて、これからの日本の国際社会での立ち位置について考察します。
リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。今回は、渋谷の街並みを川沿いに歩きました。
道玄坂や宮益坂などの高低差のある地形や渋谷川を暗渠化した道々から、河川地帯の名残が随所に垣間見える渋谷。再開発の歴史に触れながら、「若者の街」ではなく「谷の街」としての渋谷を歩きます。
近年耳にすることが多くなった「マインドフルネス」は、いかにして現在のような受け取られ方をするに至ったのでしょうか? 宗教学研究者の藤井修平さんが、身体技法の扱われ方を軸にして論じます。20世紀後半のアメリカでの「禅ブーム」、ニューエイジ思想との合流から、日本国内での自己啓発としての利用まで、仏教と心理学の関わりの歴史から体系的に整理していただきました。
パンデミックによる決定的な社会システムの変容が引き起こされはじめていた、2020年2月。編集長・宇野常寛によるマニフェスト的な主著『遅いインターネット』(幻冬舎, 2020)が刊行されました。
それから約3年。疫病と戦争の時代を経た人類は、ますます「速く」なったインターネットに翻弄され続けています。なぜ人々は、プラットフォーム上の相互評価のゲームに抗えないのか? 『遅いインターネット』文庫化のこのタイミングで、パンデミックから3年間の情報環境の変化を踏まえた中間報告と、これからの対抗戦略を宇野が書きました。
コミュニケーションの場のデジタルシフトがますます加速する一方で、フィルターバブルや陰謀論が象徴するように、見知らぬ他者への無関心・分断が問題にもなっている現代社会。このような時代に街の「公共」性はどのようにあるべきなのか。ポップカルチャーの生まれる街として存在していた渋谷の場で渋谷の場で、「これからの公共空間」について議論しました。
現役官僚である橘宏樹さんが、「中の人」ならではの視点で日米の行政・社会構造を比較分析していく連載「現役官僚のニューヨーク駐在日記」。
今回は、ニューヨークひいてはアメリカ社会で大きな存在感をもつユダヤ系の人々について。彼らの力の源泉は何なのか、橘さんならではの分析をおこない、日本の経済状況との比較からみえてくることについて解説します。
文芸評論家の福嶋亮大さんによる、小説と文学の現代的な可能性を改めて考え直していく本格評論。その第二章として、「指し示すこと」と「物語ること」という視点から、小説の機能を捉え直します。
リサーチャー・白土晴一さんが、心のおもむくまま東京の街を歩き回る連載「東京そぞろ歩き」。今回は、小菅駅から荒川に向けて歩きます。
水害対策のために荒川放水路と綾瀬川に挟まれた小菅地区。用途を変えながらも長い間地元住民と接してきた川沿いの地形から、下町に暮らす人々の歴史を探ります。
新しいワークスタイルが広がる中で、今、働く人はどのように「休む」べきなのでしょうか? そんな疑問から、メンタルヘルスや健康、そして場づくりなどさまざまな領域のプレイヤーと一緒に考えていくダイアローグ企画を連載中です。
第3回は、東京の高円寺にある老舗銭湯・小杉湯の三代目当主の平松佑介さんをお招きします。平松さんは、一家に一台お風呂がある時代でも人々が銭湯を訪れるのは、「何者でもない人間」としていられる時間を得られるからではないかと言います。「ととのう」ゲームが繰り広げられるサウナとも、いわゆるサードプレイスとも違う、いま必要な「夕方」の時間について考えました。(Sponsored by CHILL OUT)
国際コンサルタントの佐藤翔さんによる連載「インフォーマルマーケットから見る世界──七つの海をこえる非正規市場たち」。新興国や周縁国に暮らす人々の経済活動を支える場である非正規市場(インフォーマルマーケット)の実態を地域ごとにリポートしながら、グローバル資本主義のもうひとつの姿を浮き彫りにしていきます。
中央アジアから地中海を抜け、七つの海をつなぐ世界のインフォーマルマーケットを巡ってきた本連載も、いよいよ最終回。地球の隅々にあらゆる商品を提供する太平洋の両岸、アメリカと中国での非正規市場のあり方に迫ります。
デザイナー/ライター/小説家の池田明季哉さんによる連載『“kakkoii”の誕生──世紀末ボーイズトイ列伝』。前回に引きつづき、玩具としての「トランスフォーマー」シリーズのプロダクト展開から読み取れる意志を読み解きます。
アメリカと日本で横断展開された「トランスフォーマー」シリーズでは、同じ仕様の商品であっても、とりわけ「合体」の意味論をめぐって、双方の物語メディアでの解釈が大きく異なります。そこで表面化した、ロボットの「心」と「身体」をめぐる思想の違いとは?
ある夏の日──僕(宇野)はウニモグのラジコンを抱えて、湾岸の埋立地へと向かった。
まるで世界の果てのようなその場所で、出会った「完璧な自由」とは──? 毎回ひとつ「おとなのひとりあそび」を取り上げるフォトエッセイの初回は、組立不要で手軽にはじめられるラジコンカーを取り上げます。