

これまでに更新した記事の一覧です。
都市集中型社会へのオルタナティブを作るプロジェクト「風の谷を創る」。この連載では、プロジェクトに関わる多彩なメンバーの横顔をご紹介していきます。今回は数々の宿泊事業に携わられてきた菊池昌枝さんに、これまでのお仕事で考えてきたことを伺いました。マーケティングとホスピタリティのこと、五感をもので表現すること、食べること……。風の谷の「暮らし」が楽しみになるようなお話です。
2020年4月10日、日本を代表する映画監督のひとり、大林宣彦さんが亡くなりました。奇しくもその日は、最新作『海辺の映画館―キネマの玉手箱』が公開されるはずだった日。多くの人がイメージするのは「尾道三部作」だと思いますが、最後の最後まで映画という表現の可能性を追求し続けた果ての、まさに大往生でした。このコロナ禍で、遺作を劇場で観られる日は先延ばしになってしまいましたが、いまこそ日本映画を変えた大林作品の衝撃を、改めて追体験するチャンス。そう考えて、大林監督とゆかり深い映画人である樋口尚文さんに、その足跡と魅力をうかがいました。
決定当初からビジョンなき国家プロジェクトだった2020年の東京オリンピック。ならば、僕らが声をあげ、少しでもましな像を提示しよう──。5年前、そう考えた僕たちは『PLANETS vol.9 オルタナティブ・オリンピック・プロジェクト』を刊行しました。その開催が幻となりつつある今、改めてその再考を問う特別企画を、7夜連続でお届けします。まずは、乙武洋匡さん、猪子寿之さんと語った全体コンセプトをめぐる鼎談です。
今回ご紹介いただくのは、エマ・マリスさんの『「自然」という幻想』です。現在までの自然保護思想の流れを紐解きつつ、「実は『手つかずの自然』は存在しない」と指摘する本書。井本さんは、この自然保護の思想の流れとアウトドアの思想の流れの接点に興味を抱きます。
特別企画「オルタナティブ・オリンピック/パラリンピック・プロジェクト再考」、2日目の更新は、建築家の白井宏昌さんによる、オリンピックの歴史をひもとく寄稿です。僕らが迎えようとしているオリンピックは、いつから始まり、どう拡がっていったものなのか。改めて振り返ることで、オリンピック開催の意味をぜひ再考してみてください。
オリンピックが「失われた未来」へのノスタルジーではなく、将来を担う世代に本気でワクワクできる体験を送り届けるためには、どんな祭典であるべきでしょうか? 今回は、猪子寿之さん率いるウルトラテクノロジスト集団・チームラボに依頼したオリンピックの演出案をお届けします。実現していたら、どんな「未来」が見えたのか、一緒に想像してみてください。
オリンピックは4年に1度、アスリートたちの晴れ舞台。ですが、この鼎談は「でも、それって見る側からしてみればそもそも他人事じゃない?」という、身も蓋もない問いから始まります。2020年の東京オリンピックをきっかけに、むしろ「スポーツ」というものそれ自体のアップデートを構想する、3名のゲームデザイナーによる未来への提言です。
治療の一環、あるいは社会復帰のための活動から、回を重ねながら「競技スポーツ」として発展を遂げてきたパラリンピック。近年は義肢装具の飛躍的な進歩によって、パラリンピックのあり方そのものが変わろうとしています。今回は、そんなパラリンピックの歴史をひもときつつ、多様な身体をめぐる社会のあり方を考える寄稿です。書き手は障害者スポーツにも詳しい作家の浅生鴨さんです。
近年は、義肢装具などのテクノロジーの発展で、障害者スポーツの選手が健常の選手と互角に競い合うことが可能になり始めています。しかし、義足、義手の選手が金メダルを獲る日が来たとき、社会はそれを「フェアな競技の結果」として素直に認められるのでしょうか? ゲーム研究者の井上明人さんが、ルール設計の観点から多様な身体の持ち主が競い合える「拡張パラリンピック」を提案します。
「オルタナティブ・オリンピック/パラリンピック・プロジェクト再考」最終回は、井上明人さんの「拡張パラリンピック計画」(5/5更新記事)の提言に下敷きにした、新たな社会観・人間観をめぐる座談会です。誰もが多様な身体を持ちながら参加できる競争を実現することは、オリンピック/パラリンピックだけでなく、その先の未来の社会を考えることにもつながります。この記事を読んで、ぜひじっくり考えてみてください。
この数ヶ月、世界の主要都市が次々と封鎖され、グローバルなメガシティ化の影で見過ごされてきた問題が明らかになりました。それは同時に、人々が当たり前だと思っていた働き方や住まい方を、足元から見つめ直す機会でもあったと思います。これから先の「都市」は、どんなふうに変わっていくべきなのか。ちょっと大きな問いですが、建築家の門脇さん、ライゾマの齋藤さんと一緒に、考え始めていくことにしました。
かつてパリを歩いたベンヤミンは、都市の街路(パサージュ)を人々の多様なつながりと創造性を育む場と考えました。その役目を引き継いだはずのインターネットは、過密なムラ社会と化しつつあると、三宅陽一郎さんは指摘します。街から人影が消えたいま、改めてインターネットを新しいパサージュとして再生させるには。そのヒントを探す、人工知能技術者の思索です。